SNOW ROSE
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乙女の章
Ⅲ.Corrente
「二人の様子はどうかのぅ?」
ゲオルク神父がシスター・アルテに聞いた。
ここは聖堂横に作られた、三人の神父のための執務室である。飾り気の無い室内ではあるが、温かい色彩と清潔感があり、訪れる者を安心させるような場所であった。
「二人は仲が良く、共に勤勉に励んでおります。まるで姉妹のように…」
シスター・アルテはそこまで言って言葉を切った。目の前に座る老神父も、どことなく哀しげな表情を見せている。
「あれから四年…。あれで本当によかったんでしょうか?」
横から話し掛けたのは、一番若いマッテゾン神父であった。若いとは言っても、もう四十近くであり、この教会に着任してからはまだ六年程である。
その横には、ゲオルク神父の次に着任した古株であるヴェルナー神父が控えていた。
無論、シスター・ミュライも顔を揃えている。
「あれは…とても悲しい出来事でした…。」
シスター・ミュライが呟くように言うと、ヴェルナー神父は怒るような口振りでシスター達に言った。
「神のご意志なのだぞ?分かっておるのか、汝らは!?そもそも、その様になるべく選ばれし乙女なのだ。単に憐れだと思うのは間違いと言うもの!」
「落ち着くのだ、ヴェルナー神父。この悲しみは、我らに与えられし試練やも知れぬではないか。」
大声におののいたシスター達のため、ゲオルク神父はヴェルナー神父をなだめた。
ヴェルナー神父は、この老神父の言葉を無視することが出来ず、未だ何か言いたげではあったが、その口を閉ざしたのであった。
その場の重苦しい空気を和らげようとしてか、マッテゾン神父が声を出した。
「しかし、仲が良く互いに勤勉であるとは…。なんとも良いことではまりませんか。神の教えにも叶ってますし、まだ暫くは様子を見ているだけで良いのでは?ラノンとて、あのことを話せばどうなるか知っているはず…。」
「それは…解っております。本人は何も申しませんが、シュカとの時間を大切にしていることで分かります。ラノンはリーゼよりも長い月日、自身との葛藤に耐えねばならないというのに…。」
シスター・アルテはそう言い終えると、マッテゾン神父へと視線を移した。その視線にマッテゾン神父は居た堪れなくなり、シスター・アルテから目を逸らしたのであった。
「そう…ですね…。」
マッテゾン神父はそう呟くように返答するのがやっとであったが、その言葉を継ぐかのように、再びヴェルナー神父が口を開いた。
「なにはともあれ、皆二人のことを案じているのだ。それを理解してほしい。私も口が過ぎたことを詫びよう…。今日は二人とも外か?」
「はい。神の天幕へ入り、乙女達は祈りを捧げております。」
この教会の習わしで、乙女になった者は七日に一度、教会から少し離れた場所にある神の丘にて天幕を張り、その中で一日祈りを捧げることになっているのである。
「そうか。神は二人の祈りを、どのように聞いておられるのか…。」
ボソリとヴェルナー神父が呟いた。
「そうじゃのぅ…。きっといつの日か、神はここで捧げられた多くの祈りと引き換えに、深い愛をもって人々を艱難から救ってくれるじゃろう。わしらには出来ぬことじゃ…。」
ゲオルク神父が返答するかのように言った。
開け放たれた窓から微風が吹き入り、机上に飾られた白き花が揺れていた。
「後三年弱…。ラノンもそう感じているはず。ゲオルク神父、シスターである私が申し上げるのも憚られますが、この三年をラノンにとって最良なる日々にしてあげたいのです。」
暫しの静寂を破り、シスター・アルテがそう神父達に伝えた。
その言葉に直ぐ様反応を示したのは、やはりヴェルナー神父であった。
「それは現在の状態では不満ということかね!?良いかね、シスター・アルテ。我々は…」
「少し黙っておれ!」
ヴェルナー神父が話し終わらぬうちに、ゲオルク神父が一喝して中断させてしまった。
普段は滅多に大声を出さないゲオルク神父が、ヴェルナー神父を怒鳴ったのである。この問題がかなり難しいものであるかを物語っていると言えよう。
さすがのヴェルナー神父もこれには恐れをなし、それ以降口を開くことはなかった。
「シスター達よ。わしも長年この教会に居るが、確かに、人としての楽しみを多く取り上げてきた。それが善いことだと教えられてきたからじゃ…。」
ゲオルク神父はそこまで言うと言葉を区切り、浅く溜め息を洩らして続けた。
「だが…リーゼとラノンのことを思い返すと、もっと人間らしく生きても良いのではないかとも思う。教義も大切だが、また我々も人なのだからのぅ…。」
「ゲオルク神父…。」
「シスター・アルテ。あなたは何をさせてやりたいのですか?」
横からマッテゾン神父が聞いてきた。
この段階で、ゲオルク神父が了承を与えたのだと確信したからである。無論、人としての自由全てというわけにはゆかないが…。
それまで自由とは言っても、一日の大半は教義の勉強と祈りで時間を束縛され、二人が自由に使える時間など数時間も無かった。
唯一、天幕での祈りを終えた次の日は、安息日として自由に使うことは出来たが、ここは何もない場所である。あるのは教会と森だけで、教えられてきたことも教義だけなのだ…。
「私達は、誕生日を祝ってあげたいのです。」
シスター・アルテは三人の神父に向かって、そう口にした。
不思議に思う者もいるだろうが、この教会で個人の誕生日を祝ったことは一度もない。神事として七年に一度執り行われる奉納の儀式以外は、何かを行うことはなかったのである。
「うむ…神から与えられし命を祝うこと。良いではないか。」
ゲオルク神父がそう言ってにこやかに笑うと、二人のシスター達は手を取り合って喜んだ。
次に、シスター・ミュライがゲオルク神父に懇願した。
「では、音楽を教えても宜しいでしょうか?」
この提案も、些か驚きであろう。この教会では、音楽を演奏した記録もなければ、演奏の出来る楽器さえないのだから…。
「それは良いが…。シスター・ミュライ、ここには楽器がない。どうするつもりかね?」
ゲオルク神父が困惑した表情で問うと、二人のシスターは互いに持参していた布袋を、目の前のゲオルク神父に手渡した。
ゲオルク神父はそれを受け取り中を確かめると、目を丸くして驚いた。
「これは…一体どうしたんだね?」
なんと、その袋の中には金貨が入っていたのである。それもかなりの額が入っており、残る二人の神父も顔を見合せて絶句していた。
「この教会に来てからずっと、何かのお役に立つと思い二人で貯めていたのです。」
シスター達の話を聞くと、教会からのお金だけでなく、この森で採れた果物のジャムや干した乾果実、それに蔦で編んだカゴなどを街で売ってきたのだという。
「こんな日も来ようかと、ずっと貯めておりました。どうぞお使い下さい。」
満面の笑みを見せたシスター達を前に、三人の神父達は頭を下げざるを得なかったという。
その金額は、とても物を売って作れる額ではなかったのである。ほぼ毎月支給されていた教会からのお金を貯めないと、この金額にはならないからである。
その後、この教会には様々な楽器が運び込まれた。
クラヴィコード二台にヴァイオリンとヴィオラが各二挺にリュート、トラヴェルソが三本にブロックフレーテがソプラニーノからコントラバスまで各二本、それにオーボエ・ダ・モーレにコルノ・ダ・カッチャなど…。重複して購入したものは教えるためであるが、これだけ購入しても、未だ資金が余ったというのは驚きであった。
実は、この教会にいる五人だが、皆音楽をを何かしら修得している。それだけでなく、多くの学問や芸術にも精通しており、それはこの教会に着任するには必要不可欠な条件でもあったのである。
その力を必要としないはずであるのに、なぜ条件としてあるのか?
その理由として挙げられるのは、この森で殉教した聖グロリアの影響である。
一説によると、彼女は神学のみならず、数学、天文学、種々の外国語、芸術など多くの知識があったと伝えられている。
聖文書編纂以前に書かれた“リッヒェ古文書”に、この聖グロリアのことが断片的に記されている。
―この大地の言葉を自在に語り、天の星々から意味を読み説くことが出来た。また、種々の楽器を操り、数多の人々の魂を癒した…―
この“リッヒェ古文書”は、どういう経緯で記されたかは知られておらず、現教会編纂の聖文書には纏められてはいない。
しかしながら、このような記述があるにせよ、音楽は「世俗的」であるとされ、長らくこの教会では教えることがなかったのであった。
それを、この二人のシスターは変えさせたのである。
この年より、この教会では毎日のように音が響いていたと伝えられている。
嬉しい時も、そして…
哀しい時にも…。
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