相模英二幻想事件簿
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File.2 「見えない古文書」
Ⅲ 6.7.PM12:34
昨日は、あれから館の周囲をあれこれと見て回ったが、これと言って何の収穫もなかった。林があるとはいえ、館の周囲は日当たりを良くするために伐採されているため、木の上から仕掛けを…なんてことも考えられない…。
だが、誰かが隠れていたとするなら、その痕跡の一つくらいはあるだろうと考えていた私は、何一つ見付けられない現状に苛立ちを覚えていた。
「全く…不甲斐なく思います。こちらへ来て早三日、未だ手掛かりすら発見出来ずとは…。」
「そう焦らずとも良いのですよ。焦って貴方に何かあっては、それこそ本末転倒ですもの。」
如月夫人はそう言って微笑したが、そこにはやはり陰があった。娘が心配でたまらないのだろう。
しかし…昨日の木下さんの話が真実なら、彼女は行方不明事件を意図的に隠していたのだ。全てとは言わないまでも、やはり不信感は拭えない。
その為、私は如月夫人に直接聞いてみることにした。ここで本人から真実が語られれば、この不信感を払拭出来る。だが…どれが真実かはっきりしない以上、全員を迂濶に信用出来そうにはないがな…。
「如月夫人…お伺いしたいことがあるのですが…。」
「何ですか?」
夫人は私の目を見て言った。聞かれることに気付いているかは分からないが、そこからは自分を信じてほしいというメッセージさえ受け取れるように感じ、私は意を決して口を開いた。
「以前、七海さんのことで別の方に調査を依頼されましたね。」
「はい。千葉の興信所の方へ。」
「その方は…」
「行方が…途切れてしまいました。」
昨日の木下さん同様…何だか肩透かしな気がした。こうもすらすらと答えられると、逆に疑いたくなってしまうのは…探偵の性と言うものだろう。
「申し訳御座いません。お話申し上げておくべきなのは重々承知しておりましたが、どうしてもお話することが出来なかったのです…。」
如月夫人は顔を伏せてそう言うと、ポツリポツリとその訳を話始めた。
「七海に異変が起こり始めましたのは、丁度婚約が決まった時からなのです。四ヶ月前…七海は刑部家の直哉さんと婚約し、その夜から奇妙なことが…。」
「刑部…今、神奈川へ行っている?」
「はい。直哉さんは刑部家の長男です。彼はとても聡明な方で、私も婚約の話を聞いた時、直ぐに賛成致しました。彼のご両親とも私は親しくさせて頂いておりましたし、これは申し分無いと…。」
夫人の話は、そうして如何に七海さんと直哉氏がこの事で苦しんでいるかを訴えかけてくるものだった。その末に興信所へと解決を依頼し、状況の打開を狙ったのだが…それが新たな問題を生み出してしまったのだと…。
「私はそのことを、従兄弟の和久さんに相談したのです…。彼なら口も固く、相談するには適していると判断したのです。」
「飯森前首相ですか…。彼に相談した際、どんなアドバイスを受けたんですか?」
「自分が何とか対処するので、私は一言たりとも事件について他言しないようにと…そう言われました。ですが…七海の婚約のこともあり、それで結城弁護士に意見を伺ったのです。」
なるほどねぇ…。結城も根本を解決しなければ、二人の挙式は難しいと判断したのか…。こりゃ…誰が聞いたって、そう考えざるを得ないだろう。
意味不明な怪現象に怯える上に、そのことで人が消えている…その中で無理に式を挙げるなんて、どんな人間でも出来ないだろう。
しかし…だ。飯森前首相が陰ながらにでも動いているのなら、少なくとも行方不明者はもう見付かっても良さそうなものだが…。
「相模様…もし、この仕事を降りたいと仰られるのでしたら、それもやむを得ません。ですが…七海のために、どうか…。」
如月夫人がそう言った時、不意に扉をノックする音が聞こえた。夫人が入室を許可すると、扉が開いて米沢さんが姿を見せた。
「失礼致します。奥様、飯森様がお越しになりました。応接室へご案内しておりますが、宜しかったでしょうか?」
米沢さんの言葉に、私と夫人は顔を見合わせた。この段階で、私が彼と顔を合わせるのは賢明とは言えないだろう。如月夫人だって、私を雇ったことを知られるのは気まずいだろうからな。
だが…何の用もなく前首相がこんな田舎町へと来るとは考え難い。恐らくは…事件について何かしらの進展があったに違いない。
「着替えてから行くから、暫くお待ち下さるよう伝えて。」
夫人がそう言うと、米沢さんは「かしこまりました。」と返事をして出ていった。
「如月夫人…私はこれで失礼します。」
「いえ…相模様にも是非ご紹介したいので、一緒に来て頂きたいのです。」
「ですが…ここで私が彼と顔を合わせるのは些か…」
「ご心配には及びません。私が動いていることなど、彼はとうに知っている筈。相模様が突然現れても、彼は驚きもしないでしょうから。」
夫人はそう苦笑混じりに言うと、着替えをするために部屋を出ていった。私も今の格好ではどうかと考え、身形を整えるために出たのだった。
私は部屋へと戻って着替えを済ませ、少し考えた。本当にこのまま会っても良いものかと…。
仮にも、私は探偵なのだ。些細な事柄をも見抜き、そこから真実を探り出すのが仕事だ。政治家である飯森氏にとっては、会いたくもない人物であることは確かだと思う。
私がそう考えを巡らせながら廊下へと出ようとした時…。
パタパタパタ…
扉の向こうから、誰かの走る音が聞こえてきた。だが…それはおかしい…。この館の床は、その大半が絨毯を敷き詰めた状態なのだ。その上を走ったとしても…そんな音になる筈はないのだ…。
「誰だっ!」
私は思い切って扉を開いたが、そこには誰の影も無かった。
「何なんだ…?」
私はそう呟いて部屋を出、扉を閉めた時だった。再び人の走る音が聞こえてきた。私はギョッとして辺りを見回したが…何か変なのだ…。本来、足音とは床から響くものなのだが…それが天井から聞こえてくるように感じたのだ。
この館は二階建てで、この上は屋根だ…。当然、上から足音が聞こえてくるなんて有り得ない。
私はゾッとしながらも天井を見上げると、そのまま体を強張らせて立ち尽くした…。
そこには…あるはずの無いものがあったからだ…。
- おじちゃん…遊ぼうよ…。 -
そこには…幼い子供が天井から逆さに立ち、ニタリと笑みを溢しながらこちらを見ていたのだ…。
「う…っ!!」
身の毛もよだつ…とは、正にこういうことなんだろう…。その子供はえらく痩せていて、目のある位置には、ポッカリと黒い二つの穴が空いていた。それは…骸骨のようにも見てとれた…。
私はそのまま目を反らすことさえ出来ず、ただ呆然と立ち尽くしていた。目の前にある現象を理解しようとしてはみたが、とてもそんな余裕などなかった。そいつが少しずつ近付いて来たからだ。
だが暫くすると、そいつは悲鳴と共に消え去ったのだった。
「な…何だったんだ…今のは…。」
私は呼吸を整えながらそう呟いたが、ハッと我に帰って悲鳴の聞こえた方へ走った。あの声は…間違いなく七海さんだ。
また「何か」を見たのだろうか?いや…疑問の余地は無いだろう。私にさえ、あれだけはっきりとした形で現れたんだからな…。
機材を利用して写し出した…とも考えてはみたが、この明るさであの立体感…有り得ないことだ。だとすれば、あれは“本物"ということになる…。
「七海さん!」
私が部屋へと入ると、七海さんはベッドの上で真っ青になって震えていた。それと同時に、私は別なものも視界の中に捉えたのだった。
「…なんだ…これは…!?」
恐らく…先日、七海さんが窓から見えたというものの正体…。
だが、それは老婆とはとても言えない代物だった。例えて言うなれば…「ゾンビ」と表現出来るかも知れない…。
片方の目はズルリと抜けて垂れ下がり、皮膚は腐って所々に骨が見えている有り様だ。髪も大半が抜け落ちてはいたが、その長い髪は、これが女性であることを…いや、あったことを物語っていた。服は洋服…のようなものを着ているようだが、それさえ色褪せてぼろ切れ状態で、元が何だったのかさえ分からない程だった…。
- お前達が奪ったものを…今度は私が奪ってやる…。 -
地面から沸き上がるような恐ろしい声で、その化け物は言った。いや…頭に直接響いた、と言った方が的確かも知れない。
私の背中には再び…あの嫌な汗が流れた。今の今まで、こんな化け物を見たことなかったからな…。
「どうした!大丈夫か!?」
そんな状況の中へ、一人の男性が飛び込んできた。すると、目の前へ佇んでいた化け物は霧の様に掻き消え、私と七海さんはやっと呪縛から解放されたのだった。そして私はその場に膝をつき、七海さんはそのまま気を失ってしまった。
「君、一体何があったんだね!?」
男性は私にそう言いつつ、心配そうに七海さんのところへと歩み寄った。
そこへ如月夫人も駆け付け、私や七海さんの状態を見て目を丸くしていたが、七海さんを抱え起こしていた男性を見て夫人は言った。
「和久さん、一体どうなっているのです!?」
その名に、私は驚いて男性を振り返った。そこにいる男性こそ、前首相の飯森和久その人だったのだ。
「いや…悲鳴が聞こえたので駆け付けてみれば、既にこの状態だったんだよ。そちらの紳士が先に来た様だが…。」
「相模様…一体何が?また…何かあったのですか?」
私はどう説明したものかと思案した。見たままを説明して、果たして目前の二人を納得させられるだろうか?だが…ここで適当に誤魔化す訳にも行かないことは分かっていた。多少突飛なことを話したとしても、この二人であれば信じてくれるだろう。
私はそう信じ、先にあった出来事を話始めた。
二人は私の話を無言のまま聞いていたが、話終えると同時に、眉間に皺を寄せながら飯森氏が言った。
「やはり…現れたか…。」
私はその言葉を聞き、目を丸くして飯森氏を見た。「やはり…」とは、以前にも似たような事件があったと言うことだ。だとすれば当然、現在の主である如月夫人も知っていた筈…。
なぜそれを早くに言ってくれなかったかは想像に難くないが、それにしても…これでは何をどう調査して良いものやら分からなくなる。
それどころか、こうした現象が頻繁に起きているのならば、探偵なんぞにではなく、もっと別な人物を雇うべきだろうに…。超常現象を解決するなんて、探偵にゃ無理な相談だからな…。
「やはり…とは、以前にもあったんですね?」
私は単刀直入に聞くことにした。こうなっては、もう気遣って遠回りする必要などないだろう。全て話してもらった上で、この先を決めなくてはならないからな。話によっては、知り合いを呼ばなくてはならないかも知れないしな…。
「昌子さん…もう、話しても良いでしょう。この紳士は、どうやら七海嬢が見たものを見たようですし、探偵であれば守秘義務もありますからね。」
溜め息を洩らしながら、飯森氏は私を見て言った。私は苦笑いをし、額を掻きながらそんな飯森氏へと口を開いた。
「やはりご存知でしたか…私のことは。」
「ええ。結城弁護士の先輩でしたね?彼から貴方のことは伺っていました。実は、昌子さん…如月夫人が彼に相談する以前に、私が結城君に人を紹介してほしいと依頼していたんですよ。」
それを聞くと、私も如月夫人も呆気にとられてしまったのだった。二人共、結城と飯森氏が顔見知りだとは知らなかったのだ。
「そう言う訳でしたか…。」
私は苦笑するしかなかったが、そのせいか、先程まで感じていた恐怖は、もうどこかへと消え去っていたのだった。
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