銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第二百三十八話 式典の陰で
宇宙暦 798年 2月 15日 ハイネセン 統合作戦本部 ヤン・ウェンリー
「いやはや、パーティというものは疲れるな」
「それでも歓迎式典に比べればましでしょう」
「確かにそうだ」
私とウランフ提督の言葉に皆--ボロディン本部長、ビュコック司令長官、グリーンヒル総参謀長--がそれぞれの表情で頷いた。
「歓迎式典では国防委員長は大分気合が入っていましたな」
「今も馬鹿共を相手に気勢を上げているだろう、一体何を考えているのか……、あの男の頭の中を覗いてみたいものだ」
“あの男”、ボロディン本部長の言葉は国防委員長に対して敬意の欠片も無かったが、誰もその事を咎めようとはしなかった。
「例の件、お話しになるのですか?」
私が問いかけるとボロディン本部長は頷いた。
「話す、事は緊急を要するからな。貴官からの要望も今此処で話すつもりだ」
「有難うございます」
今日、二月十五日は帰還兵歓迎式典と祝賀パーティが行なわれた。歓迎式典は最初から最後まで空疎な美辞麗句とヒステリックな軍国主義的熱狂で終わった。あの二時間で一生分の忍耐心を使い果たした気分だ。大声を出せば勝てるとでも思っているのだろうか、馬鹿馬鹿しい。
我々は祝賀パーティを抜け出し統合作戦本部の応接室に居る。もう直ぐトリューニヒト議長を始め、政治家達が来るだろう。今日はこれから政府、軍部の人間達が非公式に集まって意見を交換する事になっている。同盟市民が捕虜交換で大騒ぎをしている時に我々はこっそり集まって会議とは……。偉くなるのも考え物だ。
議長達が来たのは三十分程経ってからだった。トリューニヒト議長の他、レベロ財政委員長、ホアン人的資源委員長が一緒だ。ネグロポンティ国防委員長は祝賀パーティに残った。議長が退席した以上、国防委員長は残ったほうが良いと進言したのはボロディン本部長だ。トリューニヒト議長はその提案を受け入れた……。
「さて、先ず君達に話す事が有る」
トリューニヒト議長が切り出した。珍しいこともあるものだ、普通は他愛ない話をして場の空気をほぐそうとする。それが無いとはかなり重要な事を話そうとしているようだ。こちらの用件も重要だが此処は向こうの話を聞くべきだろうか? 制服組は皆視線を交わしている、私と同じことを考えているのだろう。
「フェザーンのオリベイラ弁務官が面白い事を言ってきた。フェザーンの自治領主、マルティン・ペイワードが帝国と同盟を共存させるべくフェザーンに和平交渉をさせてもらいたいと提案してきたそうだ」
“ほう”というボロディン本部長の声が上がった。そして言葉を続ける。
「それでオリベイラ弁務官はどうしたのです」
「一顧だにしなかったようだ。傀儡の分際で何を、とでも考えたのだろう。まあ、それでも私に報告は上げてきたがね」
幾分苦笑を含んだ口調でトリューニヒト議長は我々に説明した。
「オリベイラ弁務官がペイワードの提案に否定的なのは、ペイワードが帝国に擦り寄ろうとしているのでないかと疑いを持ったからだ。ペイワードは帝国に居るボルテック弁務官を通して帝国に接触をと考えている、その事が気に入らなかったようだ」
なるほど、和平交渉を口実にボルテックとの関係を修復し帝国に通じる。現状の帝国と同盟の戦力差を考えれば当然出てくる発想だろう。だが本当にそれだけだろうか? 或いは和平そのものを喜ばなかったとしたら……。
「なかなか上手く行かぬものですな」
ビュコック司令長官が首を振りつつ言う、ボロディン本部長、グリーンヒル総参謀長が頷くのが見えた。帝国は同盟を滅ぼそうとしている、和平の意思は無い。そう思っても出来る事なら和平をと言う思いがあるのだろう。
「諦めるのが早いですな、ビュコック司令長官。トリューニヒト議長はペイワードと直接話し、彼に帝国との和平交渉を進めて欲しいと依頼しました」
何処か揶揄を含んだような口調でビュコック司令長官を窘めたのはホアン委員長だった。
「宜しいのですかな、議長。彼が裏切るかもしれませんが?」
揶揄された事が面白くなかったのかもしれない、一瞬だがビュコック司令長官はホアン委員長を見、そしてトリューニヒト議長に視線を向けた。
「ペイワードが同盟を裏切る気になれば、勝手に帝国と交渉を始めるだろう。ならば止める意味が無い。それに和平は無理でも帝国の内情を知る事ができるかもしれない。情報源は少しでも多いほうが良いだろう」
「ボルテック弁務官は帝国寄りと聞いていますが?」
「構わんよ、グリーンヒル総参謀長。和平となれば帝国に強いパイプを持つ人物が必要だ。現実問題としてボルテック弁務官以外に人はいないだろう」
何人かが同意するかのように頷いている。その通りには違いない。
「なるほど……、交渉を進めるのはペイワード、ボルテックラインで良いと思いますがそれを最終的に監督するのは誰です? オリベイラ弁務官ですか?」
不安そうな表情でウランフ副司令長官が問いかけた。おそらくオリベイラ弁務官が交渉を妨害するのではと考えたのだろう。トリューニヒト議長が首を横に振って否定した。
「いや、私だ。ペイワードの報告は私とオリベイラ弁務官に対して行なわれ、私の指示の元、和平交渉は行なわれる。オリベイラ弁務官はアドバイザーとして私へ助言するという立場になる」
トリューニヒト議長も、和平交渉を一顧だにしなかったオリベイラ弁務官を監督者にしては何かにつけて交渉を阻害しかねない、ペイワードもやり辛いと見たか。だが無視するのも拙い、そこでアドバイザーか……。上手く行くだろうか……、私は考えすぎなのだろうか。
「ペイワードと話して分かった事が有る。帝国と同盟の和平というのは彼の考えではない」
「?」
妙な事を議長が言い出した。ペイワードの考えではない? では和平交渉を言い出したのは誰だ? まさかとは思うがボルテック? 皆も訝しげな表情をしている。
「ルビンスキーの前の自治領主、ワレンコフの考えだそうだ。ペイワードはワレンコフの側近で信頼されていたらしい」
「待ってください、確かワレンコフは事故で急死しましたが、あれは……」
思わず口走った私にトリューニヒト議長が頷いた。
「地球教の話が本当なら暗殺の可能性が有るだろう。ペイワードは地球教の事を知らないようだ。ワレンコフもそこは話さなかったのだろう。だからペイワードはワレンコフはルビンスキーに暗殺されたと考えている。ルビンスキーが自治領主になった時、ペイワードが補佐官を辞めたのはその所為だ」
意外な事実だ、皆唖然としている。しかし、ワレンコフが同盟と帝国に和平を斡旋しようとしたのであれば暗殺は十分にありえる。ペイワードがルビンスキーを疑ったのは不自然ではない。
「地球は同盟と帝国を戦争で疲弊させ共倒れさせようと考えた。当然だがワレンコフはその事を知っていただろう。しかしペイワードの話によるとワレンコフはこのまま戦争が続けば共倒れよりも先に帝国の統治力が弱体化し、有力貴族たちが独立、地方政権を作るのではないかと考えたようだ」
トリューニヒト議長が周囲を見回しながら話を続ける。
「独立した貴族達は自分の手で帝国の再統一を目指すだろう。その時必要になるのが金だ。彼らが簡単に金を手に入れようとすれば当然だがその眼はフェザーンに行く。彼らは先を争ってフェザーンを自分のものにしようとする事になる」
当然と言って良い、軍備は金がかかるし戦争はさらに金がかかる。経済力の裏付け無しに戦争など出来ない。
「そうなれば同盟も黙ってはいない。フェザーンを他者の手に委ねる事は出来ないと出兵する事は間違いない。フェザーンは独立を奪われ、富を奪われ一気に没落する。ワレンコフはそう考えた……」
部屋の中にトリューニヒト議長の声だけが流れる。
「おそらくワレンコフは地球の望む共倒れが起きる可能性は極めて低いと考えたのだと思う。であれば地球の復権などに協力すべきではない、フェザーンの繁栄を守るべきだと判断した。フェザーンの繁栄を守るにはフェザーンの中立が必要だ、そして中立を保証する帝国、同盟の両者が必要だと考えた……」
「つまりそれが帝国、同盟に和平を斡旋しようとした、という事ですか」
「そういうことだ、ヤン提督。そしてそれが地球の知るところとなり逆鱗に触れた……」
ワレンコフの考えは正しいのかもしれない。しかし地球にとっては許せる事ではなかっただろう。自分達は疲弊と貧困に喘いでいるのに、その自分達を、創生者である自分達を見捨ててフェザーンだけが繁栄しようとするワレンコフの考えは受け容れる事の出来ないものだったのではないだろうか。
恐怖もあったかもしれない。おそらくワレンコフにとって地球は邪魔以外の何物でもなかったはずだ。和平斡旋後、或いは斡旋中かもしれないが何処かで地球の陰謀を帝国に伝え、その陰謀を粉砕したに違いない。地球もそれは分かっていただろう。
「ペイワードがこの時期に自治領主になったのも単に己個人の野心からではないようだ。彼はワレンコフの遺志を継いで同盟と帝国の和平を成し遂げたい、それがフェザーンの中立維持と繁栄に繋がると考えている」
「なるほど、議長がペイワードに和平交渉を委ねたのはそれが有ったからですか」
ボロディン本部長の言葉にトリューニヒト議長が頷いた。皆、何処と無く感慨深げな表情をしている。ワレンコフを、そしてその遺志を継ごうとしているペイワードの事を考えているのかもしれない。人は死ぬ事は有っても人の遺志は受け継がれるという事か……。
「状況証拠では有りますが地球教の陰謀が存在する可能性は高まりましたな」
「しかし物的な証拠は未だ何も無い」
「ヤン提督が帝国にそれを依頼しましたが、こちらでもフェザーンの長老会議を調べては如何です? このままでは埒が明かない」
ウランフ提督とボロディン本部長の会話に皆が視線を交わした。ウランフ提督が苛立つのも分かる。例のフェザーン成立に協力した人間だがサンフォード前議長以外の協力者も判明した。しかし地球との繋がりは見えなかった。地球は巧妙に姿を隠している。決め手が見えないのだ。
ややあってレベロ委員長が口を開いた。
「それは止めたほうが良いだろう。彼らを調べればこちらが地球の存在に気付いたと向こうに教える事になる。我々は地球について殆ど知らない。その我々が唯一持っているアドバンテージがこちらが地球の存在に気付いた事を向こうは知らないという事だ。その優位を捨てる事は無い」
唯一のアドバンテージ、その言葉にウランフ提督が顔を顰めた。頼りないアドバンテージだと思ったのだろう。しかしそれでもアドバンテージである事には違いない。レベロ委員長を応援しようというのだろう、その後をトリューニヒト議長が繋いだ。
「レベロの言う通りだ。現時点で長老会議を調べれば地球がどう反応するか分からない。……場合によってはフェザーンで暴動を起すかもしれん。そうなればフェザーン占領を唱える人間がまた力をつけるだろう。今は控えるべきだ」
「では、何時彼らを調べるのです。このままずっと放置しておくのですか?」
何処か納得がいかないといった口調のウランフ提督に対し、トリューニヒト議長がゆっくりとした口調で話した。
「帝国から証拠が提示された時、それを同盟市民に提示した時だ。その時こそ地球教を一気に取り締まる事になるだろう……」
しばらくの間、沈黙があった。その沈黙を打ち破るようにボロディン本部長が咳払いをした。
「トリューニヒト議長、軍からもご報告する事が有ります」
「地球についてかね?」
「いえ、主戦派についてです」
政治家三人が顔を見合わせた。そしてレベロ委員長が探るような視線で向けてきた。
「何が有ったのかね?」
「いささか厄介な事になりつつあります。此処から先はグリーンヒル総参謀長から説明させます。総参謀長、頼む」
政治家達の視線がグリーンヒル総参謀長に集まる。厳しい視線だが総参謀長はたじろぐ事無く静かに話し始めた。
「この国でクーデターが起きる可能性があります」
「!」
政治家達がまた顔を見合わせた。彼らの顔は驚愕に満ちている。トリューニヒト議長が押し殺した低い声で問いかけて来た。
「どういうことだね、それは」
「これまで我々は情報部に主戦派の動向を調べさせていました。情報部のブロンズ中将からの報告は、主戦論を煽ってはいる、動向は注視すべきだが必要以上に警戒すべき点は現時点ではない、そういうものでした」
グリーンヒル総参謀長の言葉が静かに部屋に流れる。そしてトリューニヒト議長を始め政治家達は黙って聞いている。先程までの驚愕はもう無い。
「昨日の事です、情報部のバグダッシュ中佐と偶然会う事が有りました。中佐は私に何時彼らを拘束し取り調べるのかと尋ねてきたのです。私は意味が分からず、どういう事かと彼に問い返しました。それで分かったのですが、ブロンズ中将は意図的に主戦派の動きを隠蔽し虚偽の報告を行っております」
「……」
トリューニヒト議長の顔が苦痛に耐えるかのように歪んだ。議長だけではない、他の二人も同じように表情をゆがめている。レベロ委員長が強い口調で吐き捨てた。
「馬鹿共が!」
その激しい口調にグリーンヒル総参謀長は僅かに視線をレベロ委員長に向けたが、何事も無かったかのように話し続けた。
「バグダッシュ中佐によればフェザーンで例の紛争が有った頃から主戦派の士官達の間で会合が度々開かれたようです。そしてそれは今現在も続いている。我々は地球の事、そして捕虜交換の事に気を取られ、ブロンズ中将の報告を鵜呑みにしていました……」
「つまりブロンズ中将は主戦派の一員で、彼が虚偽の報告をしたのは我々を油断させるためだという事か……。その狙いはクーデターだと君達は見ている……」
ホアン委員長が呻くように呟いた。
「間違いないのだね、唯の不平家達の集まりではない、そう見て良いのだね?」
トリューニヒト議長の言葉は柔らかかった、だが視線は厳しい。間違いは許さない、そういうことだろう。
「会合に参加しているのは第十一艦隊司令官ルグランジュ中将、第三艦隊司令官ルフェーブル中将、エベンス大佐、クリスチアン大佐、ベイ大佐、マーロン大佐、ハーベイ大佐……、そして元宇宙艦隊司令長官ロボス退役大将、フォーク予備役准将……。艦隊司令官が二人もいます。唯の不平家達の集まりとは言えません、たとえそうであっても危険すぎます……」
グリーンヒル総参謀長の言葉が部屋に流れた。それきり沈黙が落ちる。皆、総参謀長の言葉の重みを噛締めているのだろう。議長は腕を組んで目を閉じている。レベロ委員長は首を振り、ホアン委員長は視線を床に落としたままだ。
「ルフェーブル中将は焦っているのではないかね。先日の失態で更迭されると……」
レベロ委員長が問いかけて来た。クーデターなど信じたくないのだろうが認識が甘いだろう。此処は疑ってかかるべきところだ。
「そうかもしれません。しかし私は別な可能性を考えています」
「別な可能性?」
「あのフェザーンの紛争は同盟内部に緊迫感と帝国への敵意を強めるために行なったのではないかと」
「……」
「実際あの事件が起きたきっかけ、訓練予定地を誰が摩り替えたかは未だに判明していません。ルフェーブル中将の命令で第三艦隊司令部全員が関わった、そして隠蔽している、そう考えれば何故事実関係がはっきりしないのかも説明がつきます」
総参謀長の言葉の後に小さく罵る声が聞こえた。ホアン委員長がしきりに首を振っている。
「陰謀に参加しているのは軍人だけではありません」
「どういうことだね」
トリューニヒト議長が訝しげに問いかけた。総参謀長は一瞬躊躇いを見せたが議長を見詰め静かに言葉を続けた。
「国防委員長が彼らの会合に参加している事が判明しています」
「!」
全員の視線がトリューニヒト議長に向かった。議長の顔面は蒼白だ。“馬鹿な”と呟くのが聞こえた。
「トリューニヒト議長、その件についてネグロポンティ国防委員長より何か聞いていますか?」
「いや、聞いていない」
掠れる様な声だった。議長の身体が小刻みに震えている。議長の身体を動かしているのは怒り、恐怖、それとも屈辱だろうか……。
「クーデターはかなり以前から計画されていたのかもしれません。今まで彼らがクーデターを起さなかったのは捕虜交換前に実行すれば、それを理由として帝国が捕虜交換を拒否する可能性を考慮したのではないかと思います。捕虜交換が済んだ今、彼らの足枷は無くなりました。政権を奪取し軍の再編を行いフェザーンを占領する。おそらくはそれが狙いでしょう」
オリベイラ弁務官がクーデターに参加している可能性が有るだろう。ペイワードの和平交渉を一蹴したのもその所為かもしれない。グリーンヒル総参謀長の話ではビュコック司令長官はオリベイラ弁務官に対しかなり強い不安を抱いていたようだ。どうやら司令長官の懸念が当たったのかもしれない……。
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