提督はBarにいる。
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卵とひよこと鶏と『守破離』
「親子丼……ですか?それと戦闘技術がどう関わって来るんですか?」
「まぁまぁ、話は追い追いな。朝潮、手伝ってくれ。」
俺が用意したのは鶏のモモ肉と長ネギ。モモ肉に鉄串を打ち、長ネギも適当な長さにぶつ切りにしてこちらにも鉄串を打つ。
「朝潮、流し台の下に七輪置いてあるからよ、それに炭を入れてくれ。」
「は、はい!」
七輪に炭を入れたら執務室の窓をあけてベランダに出た。そこにはバジルや唐辛子なんかのちょこっとした鉢植えが置いてあるだけで、後はガランとしている。
俺はそこで火を点け、団扇で扇いで火を強くする。ある程度勢いが増したらモモ肉とネギを直火で焼いていく。フライパンでやる場合にはうっすらとごま油を塗って、必ずモモ肉の皮目から焼いていこう。脂が滴って炭に落ち、ジュウジュウと音を立てる。この音と香ばしそうな見た目だけでビールか冷酒が欲しくなるが、我慢我慢。朝潮もじっと見つめている。我慢しているのだろうか、口の端から光る物が見える。恐らく涎だろう。
「朝潮、鶏が大きくなる前は何か知ってるか?」
「えっ?……ひよこ、ですか?」
「そう、ひよこだ。…じゃあ、そのひよこに孵る前は?」
「卵、です。」
「そう。卵、ひよこ、そして鶏。この段階を踏まなくては卵は鶏へとならない。卵から孵ったらいきなり鶏、なんてのはありえねぇからな。」
そう言いながら俺はモモ肉を返し、軽く塩を振る。朝潮は今の話がいまいちピンと来ていないのか、しきりに首を傾げている。
鶏もネギも頃合いになったので、火を消して室内に戻る。七輪はまだ熱いのでそのままだ。
お次に俺は親子鍋を取りだし、そこに出汁とみりん、酒、醤油、砂糖を加えて割下を作った。それを火にかける。
「日本の『道』と付く物……茶道や華道、書道、武道もだが。古くから『守破離』という言葉がある。」
「シュハリ、ですか?」
「そう、『守破離』。学んで、壊して、巣立つって意味だな、簡単に言うと。」
割下が沸々と沸いてきた。そこに先程焼いていたネギを加えて、割下に香ばしさを移し、モモ肉を食べやすい大きさにカットする。この時、火の通りが甘かったらモモ肉も割下に加えていい。
「まず、どんな習い事でも最初から自分のやりたいようにやる奴はいねぇ。師匠の教えの通りに学んで、『自分』という核の部分と、それを守る殻を作る。これが『守』だ。」
「あ、卵ですね!」
「そうそう、そういう事だ。」
割下が煮立って来たのを確認し、香りを確かめる。……よしよし、酒のアルコールは飛んでいるな?それを確認したら火を弱めて卵を割り、水溶き片栗粉を準備する。
「そして、殻の中の自分が十分に育ったら、その殻を破って『自分』の力で地に足を付けて立つ。これが『破』だ。」
「ひよこ、ですね。」
「その通り。だが、ひよこってぇのはまだまだ半人前。師匠である親鳥なんかに教わりながら、巣立ちの準備をする。」
準備が出来たら火を止め、割下に卵を流し入れる。この時、完全に固まりきらないようによくかき混ぜてかき玉状になった所にすかさず水溶き片栗粉を入れる。これでとろみの付いた半熟卵の餡が出来る。
「朝潮、丼にご飯盛ってくれ。」
「了解です!」
朝潮の盛ったご飯に炭火焼きにした鶏をのせ、そこに半熟卵餡をかけ、三つ葉なんかを飾ったら完成だ。
「さ、出来たぞ。『炭火焼きとりの親子丼』だ。冷めない内に食おう。」
「はいっ!」
「「いただきます!」」
ご飯と餡、鶏を一緒に箸の上に乗せ、そのまま口の中へ。鶏の香ばしさと餡のふわトロ感がご飯に絡み合う。美味い。そして落ち着く味だ。
「美味しいです……とっても美味しいです!」
涙をぽろぽろこぼしながら、掻き込むように食べる朝潮。
「そういや、話が途中だったな。ひよこが一人前になった時、それは親……つまりは師匠から離れて己の道を歩み出す時だ。」
「それが『離』……。巣立ち、ですか。」
「俺が見る限り、朝潮はまだまだ『守』と『破』の間位だ。神通から基本の型を教わっても、まだ一人では完璧には出来ないだろ?」
俺の指摘にう、と軽く呻いて食べる手を止めた朝潮。
「はい……お恥ずかしながら。」
「それが何よりの証拠だ。夕立はな、川内に教わる以外にも神通に皆が教わっていない時間で型を教わってた。今なら神通に手取り足取りして貰わなくても演武くらいやってのける位には、な。」
「えっ!?」
朝潮は驚いていた。神通と川内は実戦的な分、教え方がハードだ。一回の訓練で息が上がってしまう者がほとんど。実際、朝潮もそうだった。
「夕立は、『破』と『離』の間位だ。師匠に教わりつつ、自分に出来る事、出来ない事を分析して、出来ない事も自分の出来る事に変換して取り入れる。それは夕立のオリジナル……つまりは『離』に通じる物だ。」
『破』と『離』の間がどれだけ間が空いているのかはその人次第だ。そこをどれだけのスピードで埋められるかも、本人の努力と才能、ゴールが無いのではなく、どれだけの距離が離れているかの差だ。
「だから、な?あんまり気に病むな朝潮。目指すゴールは一緒だ。それが今、夕立とお前の現在地の差があるだけだ。」
「成る程……ありがとうございます、司令官!朝潮、訓練に邁進します!」
残りの親子丼を掻き込んだ朝潮は、椅子からピョンと飛び降りると、ビシッと直立不動で敬礼した。そうそう、それでこそいつもの朝潮だ。
「では、ごちそうさまでした。失礼します!」
朝潮が執務室のドアを開けると、そこには満面の笑みを浮かべた大淀が。
「あ、大淀さん。お疲れ様です!」
「お疲れ様朝潮ちゃん。荒潮ちゃん達が心配してたから急いで行ってあげてね?」
「はい!ありがとうございます!」
そう返事すると朝潮は駆け出していった。大淀は無言で執務室に入ってくると、笑顔を崩さないままこちらに近付いてくる。あ、これアカン奴や。
「さて提督。いつもの時間にいらっしゃらないので心配してたんですが……重役出勤の理由、お聞かせ願えますか?」
「え、えっと、あの、その……すいませんでした。」
提督、渾身のドゲザである。その後、午後はたっぷり残業を強いられ、疲労のあまりに店は早霜に任せた。久しぶりの夫婦水入らずを満喫できたという点に関しては、大淀に礼を言わねばなるまい。怒られそうだが。
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