ラインハルトを守ります!チート共には負けません!!
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第七十三話 改革の嵐を起こします。
前書き
これが年内最後となります。皆さまよいお年をお迎えください。来年もよろしくお願いします。
帝国歴487年1月12日――。
ブラウンシュヴァイク公爵邸――。
「貴様は何をやっていたのだ!?」
フレーゲル男爵がいつになく形相を変えて憤怒をベルンシュタイン中将に叩き付けている。当の本人は直立不動の姿勢を取ったまま心持視線を俯けてフレーゲル男爵の罵声を受け続けている。
というのは、処罰こそなかったものの、フレーゲル男爵はミュッケンベルガー主席元帥からけん責を受けていたのだ。理由は、あのリッテンハイム星系会戦の際に左翼艦隊を囮とする作戦を献策した結果敵を勢いづかせた、というものだった。作戦を採用したのは他ならぬミュッケンベルガー自身であったが、貴族でありながら「参謀」として傍らにいるフレーゲル男爵自身も責任を免れなかった。当の男爵自身も表向きはあくまで自分の献策として話したため、今更「この作戦はベルンシュタイン中将なる者の発案によるものです。」などとはいえなかった。そんなことをすればいくらミュッケンベルガーであろうとも「横紙破りめ!」と激怒してさらなる重い処罰が課されるに決まっているからである。それだけならまだしも、後でそれを知ったブラウンシュヴァイク公爵から散々に叱られた挙句「ベルンシュタイン中将をミュッケンベルガー元帥に売り渡すことなど許さぬ!」とくぎを刺されてしまったからにはどうしようもなかった。
だが、当然フレーゲル男爵の方は収まらない。その結果が今繰り広げられている罵声の嵐というわけだ。
「貴様の策略の失敗で、あの小娘は死ぬどころか生き延びたではないか。あの孺子の片腕は未だについているままだ。」
「・・・・・・・。」
「それどころかあの孺子がついに元帥杖を手に入れたのだぞ。」
「・・・・・・・。」
「何が『艦隊は敵前回頭を致します。その回頭する瞬間を味方もろとも砲撃してしまえばよいのです。』だ。敵がワープをすることすら予見できぬのでは貴様の頭もいささか錆が来たというべきではないか?」
「・・・・・・・。」
「ええい、忌々しい!!」
一向に返答しないベルンシュタイン中将に業を煮やしたフレーゲル男爵は、手に持った杖を振り上げた。
「打擲して放逐してやるわ!!」
勢いよく振り下ろされようとした杖を持つ手が止まった。その場に居合わせたアンスバッハ准将に止められたのである。
「なぜ止めるのだ?」
「閣下、今ここでベルンシュタイン中将を失うことは得策ではありません。」
「彼奴が立てた策謀は悉く失敗したではないか!」
「お言葉ですが、男爵閣下。ベルンシュタイン中将は得難い方です。一度や二度の失敗で放逐をするのはかえって閣下の御器量が小さいとのそしりを受けましょう。ここは次の功績次第という事で一時処分を御見合わせになってはいかがでしょうか。」
アンスバッハが抑えているフレーゲルの手がワナワナと震えている。
「それに、ベルンシュタイン中将はコルプト子爵の覚えが目出度い人物でもあります。そのコルプト子爵は恐れながら閣下のいとこに当たられるお方。ブラウンシュヴァイク公もお気に召している方です。」
「ええい、わかった!その手を離せッ!!」
アンスバッハがつかんでいた腕を離すと、フレーゲル男爵がさも忌々しそうにアンスバッハの手を振り払った。
「二人とも下がっておれ!!」
敬礼した二人はフレーゲル男爵が大股にうろつく居間を出ていった。廊下に出て玄関前に来たところで、ベルンシュタイン中将はアンスバッハに向き直った。
「申し訳ない。」
年齢はともかく、階級は下の相手にベルンシュタイン中将は頭を下げた。
「閣下、お気持ちはお察しいたします。」
「いや、結構です。」
言葉少なくベルンシュタインはなおも頭を下げようとするアンスバッハを制した。
「私の力量が足りなかった。ただそれだけのせいなのです。しかし――。」
ベルンシュタイン中将は 自分の指を唇に当てた。
(あのエリーセル大将、ヴァンクラフト上級大将・・・・。ただ物ではない。ローエングラム元帥府麾下のロイエンタールらに匹敵する力量を持っている。だが、原作には出てこなかった。これはバタフライエフェクトなのか?しかし、前々から思っていたが、なぜここまでかい離してしまうのだ?女性士官学校、第五次までのイゼルローン要塞攻防戦、そして、早すぎる、しかもブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵が争うという内乱。私という存在のせいでそれほどのゆがみを生じたとでもいうのか?いや、私自身がまだ全体を把握しているわけではない。が、しかし――。)
「閣下。」
ベルンシュタイン中将は顔を上げた。アンスバッハが心配顔でこちらを見ている。
「いや、失礼しました。少し考え事をしていましたゆえ。」
「どうか、男爵閣下のことは寛大に見ていただきますよう。心ある者は閣下の智謀を頼りにしております。私もですが。」
ベルンシュタイン中将の思案の中身を取り違えていたが、中将にとっては全くの別物というわけではない。最近とみに「ブラウンシュヴァイク公爵にお仕えして本当によかったのか?むしろラインハルトの麾下に身を置いて時期を待つべきだったか。」などとすら思うようになってきていたからだ。
「准将。安んじていただきたい。一度仕えた身としてはブラウンシュヴァイク公を見限ることなど考えてはいません。」
ベルンシュタイン中将はきっぱりといった。今自分の心の中で生じた迷いをねじ伏せようとするかのように。
「少しお疲れのようですから、休まれては?」と、引き留めようとするアンスバッハに断って、邸を出ていったが、その顔色は悪かった。
「無理もない・・・。」
ベルンシュタイン中将を乗せた地上車が遠ざかるのをアンスバッハは暗澹たる思いで見送っていた。
その頃――。
自由惑星同盟内では、一時的な和平を喜び合った新年は幕を閉じ、いつもの平常さが戻ってきていた。そのさなか一つの人事刷新が起こった。ピエール・サン・トゥルーデ内閣は長期政権の首座を辞職して評議会を解散したのである。帝国と自由惑星同盟との間に一時的にも友好を設立させたことにより、一種の区切りがついたとピエール側はみなしたのである。
「それに、一個人が長年政権を担うのはよくない事だ。私も色々と疲れた。ここいらで一つ後進に譲るのもまた政治家としての仕事だろう。」
まだ43にもなっていないのにもかかわらず、こうした老成ぶりを示す言葉を口にしたのは、もう充分だというピエールなりの自己満足があったからなのだろう。
ピエール・サン・トゥルーデは惜しまれながら最高評議会議長、そして政治家を引退し、故郷のカッシリ星系の一都市に引っこんでしまったのだった。今後はそこの一私立高校の校長として過ごすのだそうだ。
代わって、最高評議会議長になったのは、ブラウン・フォール内閣である。ピエール・サン・トゥルーデの流れをくむ保守党の一員でありながら、来るべき戦いに備えて軍備拡張を喧伝する政治家である。だが、彼は軍事一辺倒の人ではなく、時には臥薪嘗胆の気構えが必要なことを知ると、進んでそれに耐えるだけの力量を持った人物だった。
こうした平和時には納税者から軍の縮小が叫ばれるのであるが、この度はそうはいかなかった。
何しろ、帝国も同盟も和平は一年間と半ば規定事実化させていたからである。その最大の原因は、帝国では既にブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の内乱が終結していた事、自由惑星同盟では「イーリス作戦」と呼ばれる帝国軍総迎撃態勢が構築されつつあったことである。
この情報はいち早く帝国にもたらされたが、それはまだ名称程度の情報しかわからなかった。イーリス作戦の詳細はシャロン、ブラッドレー、そしてシトレの胸の中にあったのである。
帝都オーディンの宮中帝国軍最高幕僚会議では、国務尚書のリヒテンラーデ侯爵を交えて、帝国軍三長官とクラーゼン参謀総長、そしてラインハルトが連日会議を行っていた。主目的は軍の再編成と自由惑星同盟で盛んに喧伝されている例のイーリス作戦についてである。
「反徒共め!我が帝国をコケにしおってからに!直ちに出兵だ!・・・と、言えればよいのだが、我が帝国も昨年の内乱の痛手からまだ直っておらん。万全の体制を和平期限が切れるまでに構築し、体制が整い次第軍事行動に移るのが得策であろう。」
こういったのは新・軍務尚書となったエーレンベルク元帥である。新・統帥本部総長のシュタインホフ元帥もそれに同意を示した。
「ローエングラム伯。」
ミュッケンベルガー主席元帥は、階級はともかく、正規艦隊の統御数ではほぼ互角となった「金髪の孺子」に話しかけた。ラインハルトは顔を向ける。宮廷用に本心を韜晦した無表情な顔で。
「これはまだ正式な話ではないが、和平条約が破棄されれば、卿を遠征軍総司令官として、反徒共の宙域に侵攻してもらうこととなろう。その準備をしておくように。」
ほう、この俺を生贄にしようというつもりか、ミュッケンベルガーめ、とラインハルトは内心面白からぬ思いだった。自由惑星同盟がまだ大規模な戦力を残している以上、ましてやイゼルローン要塞級の新要塞を建設している以上、そこに正面から突っ込むことは自殺行為である。遠征ともなればラインハルトはその麾下九個艦隊を始めとする全軍を投入せざるを得ず、それが破れた時の損害はダゴン星域会戦の比ではなくなるだろう。
(俺が死ねば、重石が取れるとでもいうわけか。だが、そうなれば彼奴等は自分で自分の首を絞めることとなる。そのことに気が付かぬとは、喜劇以外の何物でもないな。)
だが、ラインハルトにはノインという事は許されなかった。幕僚会議上の非公式な発案とはいえ、いずれは皇帝陛下勅命として発動されるものであるだろうから。
「承知しました。それに関しまして一つ提案があるのですが。」
「何か?」
「内政による国力増強の検討が必要かと思われます。先年リッテンハイム侯を討伐した際に、多くの貴族がこれに加わりました。つきましてはその私設艦隊、領地、これらの処理が問題であると思われますが。」
帝国元帥であるラインハルトは本来であれば内政、軍政に口を出す権限も義務もない。だが、ラインハルトは帝国軍全体に問題に巧妙にすり替え、内政重視政策はすなわち補給・補充体制の構築、私設艦隊の収容は帝国軍全体の再編として、これを提案したのである。
ミュッケンベルガー元帥、シュタインホフ元帥、エーレンベルク元帥、そしてリヒテンラーデ侯爵はこれを内心面白からず思っているようであったが、それに反対する理論を持ち合わせてもいなかった。ましてやラインハルトが提案したのは「貴族領地の幾分かを皇帝直轄領とし、これに思い切った改革を断行させて将来の補給・補充の中継点とすべし。」という帝室強化の発言とあっては、表立って反対するわけにもいかなかった。反対の可能性があるとすれば、ブラウンシュヴァイク公くらいであったが、公爵自身には既にラインハルトが間接的に根回しをしている。また、リヒテンラーデ侯爵にも事前に皇帝権力強化の名目で話を行っているため、この二人からは既に了解を得ていたのだった。
この問題は、軍務尚書のエーレンベルク元帥が担当すべきものであった。だが「生意気な金髪の孺子め!!」と内心憤っていたエーレンベルク元帥は、ミュッケンベルガー元帥、シュタインホフ元帥、リヒテンラーデ侯爵らとのちに話合い、ほかならぬラインハルトにその責を押し付けたのである。ラインハルトは帝国軍元帥のほかに、軍政のトップであるエーレンベルク元帥に次ぐ帝国軍軍政次官たる称号を手にして、軍務省のうち補給部門全般を統括することとなったのである。ラインハルト自身は「軍の実働部隊と軍政とが同じ人間の手に委ねられれば、それは権力の集中化を意味することとなりますが。」と念を押したのだが、帝国軍三長官の反対はなかった。会議が終わった後、彼は内心で帝国軍三長官を嗤いながら退出したのである。
「思うつぼにはまりましたよ。イルーナ姉上。アレーナ姉上。」
ラインハルトは自室にキルヒアイスを呼び寄せ、極低周波端末会議で『姉』2人に結果を知らせたのだった。
『補給・補充の迅速かつ大量輸送に関しては未だ効果的な手法が確立されていないわ。来るべき同盟との会戦において滞りなく輸送が完遂できるように体制を構築しなくては。』
と、イルーナ。
『それに、これを機会に各主要都市の惑星に対して直接的な干渉ができるようになったわけよね。チャンス!!来たわ!!私の方からも宮廷にコネクションを回して、ちょっとばかり先進的な改革を行わせることになると思うわ。ね~ラインハルト。』
ラインハルトの二の腕に鳥肌が立った。お互い知り合って十年がたつが、いまだにこの『アレーナ姉上』のウィンクには慣れていないラインハルトなのである。
「アレーナ姉上も、お人が悪いですね。」
ラインハルトは苦笑しながらこういうほかなかった。
「しかしラインハルト様、勝負はこれからです。帝国軍三長官はいずれラインハルト様に同盟領遠征を指令するでしょう。そうなったとき、万が一味方に後方遮断でもされ、サボタージュを決め込まれたら、我々は餓死を余儀なくされます。」
キルヒアイスが憂い顔で言う。それはイルーナ、アレーナの二人も心配しているところだった。敵中に孤立してにっちもさっちもいかなくなれば、アムリッツア星域の同盟軍の二の舞である。
「心配するな、キルヒアイス。俺は何も本気で自由惑星同盟に攻め込もうなどと思ってはいない。」
『???』
キルヒアイス、イルーナ、アレーナの顔にクエスチョンマークが浮かび上がる。
「ブラウンシュヴァイクらが俺の足を引っ張る。必ずそうなる。それだけではなく、わが春を謳歌するブラウンシュヴァイクとその一門が、民衆をいよいよ搾取するだろう。」
『わかった!!』
アレーナが声を上げた。イルーナも同時にうなずき、キルヒアイスも合点が言った顔である。
『ラインハルト、後で私の方から今の案の詳細を作成するわ。なるほど、そういう事なのね。』
「感謝します。イルーナ姉上。」
ラインハルトは頭を下げた。
「そして各惑星の改革に関してですが一人得難い男を知っています。この者を責任者にしたいと思っているのです。」
『それは誰?』
という皆の問いに、ラインハルトがシルヴァーベルヒの名前を出したときの転生者たちの驚きようと言ったらなかった。率直な驚きを示したイルーナたちを見て、ラインハルトとキルヒアイスはしてやったりとばかりに得意げな笑みを交わしたのであった。
* * * * *
ラインハルトはすぐにシルヴァーベルヒを民生部門責任者として抜擢し、イルーナたちを交えて、軍事拠点として重要な位置にある皇帝直轄領惑星に大規模な開拓使節を送り込んだ。そして直轄施設に対しては、減税などを掲げて人々の移住を斡旋すると同時に、代官を抜擢して送り込んだ。その代官もアレーナが目を付けていた先進的な考えを持ち、かつラインハルトに期待する人々であったことは言うまでもない。
その他強力な高速大型輸送艦の開発、ピンポイントワープ航法の開発、そしてアースグリム級をさらに改装した改・アースグリム級の開発などやるべきことは盛りだくさんである。事実上の責任者となっているケスラーは年明け早々から寝る間を惜しんで働いていた。
帝国歴487年1月そして2月はラインハルト以下麾下の正規艦隊の猛訓練と、皇帝直轄領内の内政に対しての傾注により過ぎていったのであるが、その中でいくつかの小さな、だが無視できない事象が起こったことを付け加えておく。
帝国と自由惑星同盟とがかねてからの条約条項にある捕虜交換を行うことを決定したのである。帝国側の代表者として、捕虜交換実現を運動してきたラインハルト若しくはイルーナ・フォン・ヴァンクラフトが赴くべきところ、連日の会議や上記の改革などで抜けられなかったため、フィオーナが代理として赴くこととなった。補佐にジークフリード・キルヒアイス少将、ティアナ・フォン・ローメルド中将、ルッツ中将、ミュラー中将らを加え、総勢3万余隻の艦隊を従えてイゼルローン要塞に赴いたのである。フィオーナ艦隊は諸所にある捕虜収容所にいる自由惑星同盟軍の捕虜を収容しながら、一路フェザーン回廊を目指していた。捕虜交換はフェザーン回廊にて行われることとなっていたのである。アドリアン・ルビンスキーは出席せず、代わりにボルテックがフェザーン名代として立ち会うこととなった。
フィオーナはこの時まだ知らなかったのだが、同盟側の捕虜交換の責任者は自由惑星同盟最高評議会外務委員長ケリー・フォード、その護衛たる正規艦隊司令官の中でも筆頭老将であるアレクサンドル・ビュコック大将、新設第十六艦隊のティファニー・アーセルノ中将、そしてビュコック大将の補佐役としてヤン・ウェンリー少将、ジャン・ロベール・ラップ大佐らが当たることとなっていたのであった。
そんなさ中、ラインハルトの元を訪れた貴族令嬢がいる。ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフであった。だが、これは初対面ではなく、ラインハルトとヒルダは以前から知り合いだったのである。
* * * * *
話はメルカッツ提督率いる別働艦隊がカストロプ星系方面に侵攻した時期にさかのぼる。
実を言えば、マリーンドルフ家はメルカッツ提督、そしてのちにラインハルト率いる別働部隊の補給に関して、多大な役割を果たしたのである。
メルカッツがカストロプ星系に侵攻して真っ先に直面した問題は、精強な敵でも味方の血気でもなく、補給の問題だった。10万隻にも上る大艦隊の補給を補給船のみで行うのには無理がある。どこかに拠点を設けて補給基地としなくてはならないが、それには広大な集積場が必要である。だが、そのような理想的惑星はことごとくリッテンハイム侯爵側の手中にあったのだった。
そんなさ中、ヒルダがメルカッツ提督の元を訪れたのである。
「お初にお目にかかります。メルカッツ提督。」
くすんだ金髪のショートカットに男物の貴族の礼装はいささか令嬢としては破天荒な恰好であったが、その眼は生き生きと輝いており、若さと聡明さを兼ね備えているように見えた。メルカッツ提督も、そしてラインハルトも一目でこの令嬢が只物ではないことを悟った。むろんイルーナたち転生者にとっては言うまでもないことである。
「マリーンドルフ家の御名声はつとに聞いておるところですが、フロイラインにおかれては何故戦闘行動中の艦隊に来られたのですかな?」
メルカッツ提督が穏やかに尋ねる。
「はい、此度の内乱におきまして、わがマリーンドルフ家は全面的に閣下のお力になることをお伝えに上がりました。」
ヒルダはまっすぐに澄んだ声でメルカッツ提督に言った。
「ほう、それはありがたい。」
そう言いながらもメルカッツはいぶかしがっていた。何故なら既にマリーンドルフ家はブラウンシュヴァイク公爵に味方する旨伝えてあったのだから。ただし戦力としてはそれほど期待が持てなかったこと、またマリーンドルフ家自身がカストロプ星系に近いところにあったこと、そして一番重要なことはマリーンドルフ家自身がカストロプ家の係累であり内応の可能性があったことから、今回の戦いでは自分の領地を守備することを仰せつかっていたのである。
「ですが、戦力の点ではお気遣いなさらぬように。陣営に加わっていただいてもよいのだが、フロイライン方の貴重な軍用艦艇を損なうわけには参りますまい。此度の対戦は激戦となるやもしれませんでな。」
「いいえ、提督。私が申し上げたいのは、マリーンドルフ家は惑星領地を全面的に皇帝陛下の御為に役立てていただきとうございます、という事なのです。」
メルカッツ提督もラインハルトも、そしてイルーナたちでさえもこの令嬢の発言を聞いて少し戸惑ってしまった。なんと大胆なことをいうご令嬢なのだろうと。フロイライン・マリーンドルフのこの言葉はラインハルトやイルーナたちを除く出席者一同にとっては予想もできなかったことであった。
「私には軍事の事はよくわかりません。ですが、大艦隊の行動に際して一番の肝要な点は補給だと伺っております。メルカッツ提督に置かれましては、その補給拠点をどこかに構築なさりたいとお考えになっていらっしゃるのではありませんか?」
「いや、これはどうも参りましたな。いかにもその通りです。ですが適当な場所がない。」
そこまで言ったメルカッツ提督が、
「まさか、フロイライン・マリーンドルフ。先ほどおっしゃっていただいたことは――。」
「はい。マリーンドルフ家の惑星を補給基地としてお使いください。環境としてはまずまずだと思いますわ。広大な平原があることだけが我が領地の取り柄ですから。」
最後は冗談に紛らわしたが、言っていることはすさまじい事である。マリーンドルフ家の領地はカストロプ星系にほど近く、補給が受けられれば戦いを有利に進めることができる。そのような重要拠点を丸ごと差し上げようというのである。
「メルカッツ提督、発言を許可いただいてもよろしいか?」
ラインハルトがヒルダとメルカッツ提督を見ながら発言した。メルカッツはうなずき、ヒルダは初めてラインハルトの顔を見た。が、彼女の表情にはこれと言って変化はなかったのである。ラインハルトはアイスブルーの瞳をまっすぐにこの若き伯爵令嬢に向けた。
「フロイライン・マリーンドルフ。確かに補給基地があればわが軍の今後の作戦行動は有利に働くことになろう。だが、あなたの一存でそのような事をしてよいのか?御父君はこのことをご承知の上なのか?」
自分にじっと注がれている――冷たささえ感じさせる――瞳にもヒルダは動じなかった。
「それはもちろんですわ。」
「なるほど。もう一つ伺おう。あなたの惑星を補給基地とすることはすなわちカストロプ星系を始めとするリッテンハイム侯側の貴族に本格的な宣戦布告を高らかにしたも同然である。マリーンドルフ家の惑星そのものが攻撃を受ける可能性がいっそう高まることとなろう。あなたはそれについてどう思うか?」
「それは、憂慮すべきことだと思いますけれど、ですがミューゼル大将閣下、補給の重要性を理解していただいている閣下ならば、それを防衛すべき重要性も理解されていらっしゃるのではありませんか?」
ラインハルトは一瞬、フッ、と相好を崩したが、すぐにうなずいてメルカッツ提督に話しかけた。
「失礼いたしました。私からはなにも申し上げることはありません。閣下のご決断次第です。」
メルカッツ提督はヒルダにうなずきかけた。
「ご厚意に感謝いたします。フロイライン・マリーンドルフ。お言葉に甘えて、マリーンドルフ星系の惑星を補給基地とさせていただきたい。」
「はい。承りました。閣下のご決断に感謝と尊敬の意を表します。」
傍から見ていたイルーナたちは一連のヒルダの大胆不敵な発言を見守っていたが、二つのメリットをもたらすことをすでに見抜いていた。一つ目は、旗幟を明白にすることで、それも生半可なやり方ではなく、領地を丸ごと補給基地として提供するというすさまじい提案によって、インパクトが生じ、カストロプ公爵の縁者である自家の立場を公爵家と切り離すことに成功したことである。これによってリッテンハイム侯爵側が敗北しても、マリーンドルフ家は皇帝陛下に忠義を尽くした家として存続するであろう。そしてもう一つは補給基地という戦略的重要拠点をこの会議上で全軍に印象付けることによってそこに駐留する守備兵力を増強させて、周辺星域のリッテンハイム侯爵系貴族共の侵攻を阻止する防衛兵力を手に入れることができたことである。それも自分の家の戦力を撃ち減らさず、他人に守ってもらうというやり方によって。
この会議の比較的短い会話によっても、ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフが並々ならぬ知略と胆力、そして分析力を兼ね備えているか、転生者たちにもはっきりと分かったのであった。「天才は 時と場所など 選ばない。」などと昔の一詩人が詠んだことがあったがまさにその通りである。
* * * * *
このことがあってから、ラインハルトとヒルダの間には交流が芽生え、時たまヒルダは元帥府に招かれてラインハルトと会談をする機会を持つことができるようになったのだった。だが、今回は色合いが違った。ラインハルトはある意図をもって彼女を呼び寄せたのである。
従卒たちによってコーヒーが二人が向かい合って座っているソファの間のテーブルに置かれた。
「よく来てくださった、フロイライン・マリーンドルフ。」
白を基調とした暖炉に心地よい炎がはぜながら熱を室内に送り続けている。むろんセントラルヒーティングもあるのだが、このような格調高い部屋では暖炉の方がむしろ雰囲気を作るのによいものなのだ。
「ローエングラム閣下、私などをお呼びになるとは、どういったご用件でございましょうか。」
ラインハルトはカップを受け皿に戻すと、
「単刀直入に言おう。フロイライン・マリーンドルフ。私はあなたの智謀と才能を高く評価している。そこで、フロイラインには私の秘書官としてそばにいてもらいたいのだが。」
ヒルダが内心どう思ったのか、それはわからない。ラインハルトの鋭い観察眼をもってしても、ヒルダの顔には一切の動揺も浮かんでこなかったのであるから。
「ローエングラム伯。私をそこまで評価してくださっていることは感謝の言葉もありません。ですが、私はたかだか一介の伯爵家の令嬢にすぎません。ローエングラム伯におかれましては、軍事・軍政・謀略に置いて既に有能な将星がそばにいらっしゃるではありませんか。」
「人材というものはいくらあっても不足というものではあるまい。聡明なフロイラインにはお分かりだと思うが。」
ラインハルトはすんなりした美しい脚を組み、悠然とソファの背もたれに左腕を預けながら言った。客人を相手にしているというのに傍目には無礼な態度なのかもしれないが、ヒルダの目から見れば、そう言ったラインハルトの姿勢一つ一つが優美な芸術品を見ているような気分にさせられるのである。
「ですが、私には――。」
その時、ドアがノックされ、入室の許可を得て入ってきた副官がイルーナ・フォン・ヴァンクラフト上級大将の来訪を告げた。
「フロイライン、私の意見だけでは判断材料として不足だというのであれば、それについて、この方の意見を聞いてみるがいい。」
この方?上級大将なのに、この方?ヒルダは一瞬戸惑ったが、その戸惑いが消え去らぬうちにイルーナが姿を現した。彼女はヒルダを見るなり懐かしい顔を見かけたというように微笑を浮かべた。
「イルーナ・フォン・ヴァンクラフト、ローエングラム元帥府所属上級大将です。お久しぶりですね、フロイライン・マリーンドルフ。カストロプ星系会戦直前以来でしょうか。」
プラチナブロンドの美貌の上級大将を見た瞬間、ヒルダは少し頬が赤くなるのを感じた。
「痛み入ります。ヴァンクラフト上級大将閣下におかれましてはご壮健で何よりでございます。」
「堅苦しい挨拶はやめにしましょうか。ラインハルトもそれを望んではいないでしょうから。」
ラインハルト!?ヒルダは内心驚きを禁じ得なかった。この二人には血縁関係はないはずなのに、まるで姉弟同様の接し方ではないか。
「イルーナ姉上・・・いや、失礼。フロイレイン・ヴァンクラフト上級大将は、私の幼少の頃からの幼馴染なのだ。もう10年以上の付き合いになる。私が志をたてようと誓った時から、アレーナ姉上、失礼・・・フロイライン・ランディールとともに私とキルヒアイスを支えてくださったのだ。」
「さようでございましたか。」
ヒルダは何とも言えない感情が胸の中に湧き上がるのを感じていた。それが何なのかヒルダ自身にもよくわかっていなかったが、それは穏やかな湖面のような心境とは程遠いものだという事だけは自覚していた。
「フロイライン・マリーンドルフ。」
イルーナはそんなヒルダの内心を知ってか知らずか、彼女の瞳に万感の思いを込めた眼差しと共に、次のような率直な言葉で彼女の思いを言ったのである。
「あなたの人柄はよく知っているつもりです。私からもお願いします。どうかラインハルトを助けて彼の覇業を支えて行ってください。」
そこまで言われては、ヒルダとしても断る理由などはない。彼女は「私のような人間をそこまで買ってくださるとは、痛み入ります。どうかいささかなりともローエングラム伯の覇業成就をお手伝いさせてくださいまし。」と、述べたのである。実は、ヒルダは父親であるマリーンドルフ伯爵に既にローエングラム伯の事を話し、彼の陣営に加わりたい旨を事前に話し、了承を得ていたのだった。
「ローエングラム伯はミュッケンベルガー主席元帥に階級は劣るかもしれません。ローエングラム伯は、ブラウンシュヴァイク公爵に名声と地位は劣るかもしれません。ですが、彼の元には精鋭と将星が集まっておりますわ、お父様。これからの時代、こうした力、いえ、新進気鋭さこそがあらたな道を切り開くのではないでしょうか。」
そうヒルダは父親に話し、説得をしたのであった。
明日から正式に出府することとなった、ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフは退出した元帥府の正門前公園に出たところで、後ろを振り返った。
薄暮の中に、白亜の元帥府が美しい夕日色に照り返されて輝いている。
ラインハルトのもとを訪れるまでは、覇気と高揚感に満たされていた彼女の心の中は今、別の要素が混ざっていた。それが何なのかヒルダ自身にはよくわかっていない。だが、確実なことはラインハルトの傍らにいたあの女性、イルーナ・フォン・ヴァンクラフト上級大将を見てから、この感情が湧き出してきた、という事だ。彼女自身今まで感じたことのない感情に戸惑いを覚え、不安も覚えていた。
だが、それを補って余りあるほどの充実さもヒルダの心の中に満たされていた。今後は自分はあのローエングラム伯の下で働くのだ。秘書官として彼の覇業を支え、彼の歩みをそばで見届ける。それは激動に満ちた道になるだろうけれど、少なくとも退屈な貴族令嬢としての生活を送るよりもはるかに充実したものになるのではないだろうか。そう、ヒルダは思っていた。
こうして、ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフはラインハルトの秘書官として正式に元帥府に出府することとなったのであった。帝国歴487年2月19日の事である。
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