将棋について
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第五章
駒の価値はこうなっているよ。
1.王将・・・・・・王君、玉ちゃん
2.飛車・・・・・・飛雄君、飛女ちゃん
3.角行・・・・・・角也君、角華ちゃん
4.金将・・・・・・金吉君、金美ちゃん
5.銀将・・・・・・銀太君、銀子ちゃん
6.桂馬・・・・・・桂男君、桂心ちゃん
7.香車・・・・・・香史君、香恵ちゃん
8.歩兵・・・・・・歩一君、歩奈ちゃん
飛雄君と飛女ちゃん、角也君と角華ちゃんが大駒で他は小駒って言うんだ。ただで相手の駒を手に入れたり価値の低い駒を捨てて相手の価値の高い駒を手に入れたりすることを駒得と呼んでいていい手と言っていいよ。その逆は駒損で悪いと思っていいよ。
大駒一枚と小駒二枚を交換することを二枚替えと呼んでいるんだ。普通は小駒二枚を手に入れた方が有利とされているよ。ただこれは時と場合によるし今後の打つ手によっても変わるんだ。
これから将棋のお話をするけれど最初に書いた通り古代インドのチャトランガというゲームがはじまりだっている説が支配的なんだ。このチャトランガがユーラシア大陸の各あちこちに広まって色々なよく似た感じの遊びになっていったって考えられているんだ。西洋のチェスとか中国のシャンチー、タイのマークルックとかがそうだね。
将棋が何時我が国に伝わったのかは実ははっきりしていないんだ。中国の三国時代にはあった囲碁はその基盤が正倉院の宝物殿にも収められていて囲碁の伝来は奈良時代前後だということはほぼ間違いないけれど将棋ははっきりしていないんだ。伝説では将棋は中国の昔の国周の王様武王が作ったとされているよ。そしてその将棋を吉備真備さんが日本にもたらしたと言われているけれど吉備真備さんのことは江戸時代のはじめに将棋の権威付けとして作られたお話みたいだね。
日本への伝来は何時だったかは幾つかの説があって六世紀頃じゃないかっていう説もあるよ。駒も今みたいなものじゃないとも言われているし古代インドから伝わったという説ではチャトランガの流れを汲む立像タイプの駒だったとも言われているよ。中国伝来説によるちシャンチーみたいな平型の駒だったんじゃないかと入れているよ。チェスは古いもの程写実的だったと言われているけれどアラビアとかだと古い時代のものは平面の駒あるよ。日本では今まで立体の将棋の駒は見つかっていないということも書いておくね。平安時代説ではインドからアラビア、そして中国のシャンチーや朝鮮半島のチャンギを経て日本に伝わったというものなんだ。もう平安時代には日本に将棋があったと言われているよ。
将棋の駒の形は他の国のそうしたゲームと比べて独特なものだけれどこの駒の置き方もマスの中に置くそれは線の交点に置くものではないことも覚えておいてね。東南アジアのマークルックというゲームには銀太君、銀子ちゃんと同じ動きの駒もあるよ。ただ歩一君歩奈ちゃんにあたるビアという駒の動きは将棋とは全然違うみたいだよ。あと将棋は敵陣に入ると成ることが出来るけれどマークレックではそれはないからね。ただこのマークレックの系統のゲームが中国軽油か直接の海からのルートで日本に伝わったという説があるよ。この辺り中国のシャンチーの成立時期が平安時代より後だったりすることからどうかという話も出ていて諸説あるんだ。とにかく日本の将棋の起源は今も色々と言われているよ。
日本の南北朝の頃の本で麒麟抄というのがあるけれどこれの第七巻に駒の置き方が載っているらしいけれどこの記述は後で付け足されたんじゃないかって言われているからあまりあてにはならないかも知れないんだ。あと藤原明衡という人が書いたとされる新猿楽記という本でも将棋に関する記述がああるからこっちが最古かも知れないね。あと奈良県の興福寺っていう有名なお寺から駒が十六個発掘されていて同時に天喜六年、つまり西暦一〇五八年と書かれた木簡、当時文章を書いていた木を切った板も見つかっているからこの駒は十一世紀中頃のものじゃないかと思われているよ。この当時の駒は木簡を切って作られていて直接その上に文字を書いたみたいだね。形いは今の駒と同じ五角だよ。この発見は新猿楽記と同時期だから確かな証拠と言えるね。
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