| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第二百十九話 内乱終結後(その3)

帝国暦 488年  6月 3日  オーディン  憲兵本部 ギュンター・キスリング


取調室にいる目の前の男は明らかに虚勢を張っている。胸を張り、顔を上げ傲然としているが時折眼が落ち着き無く動く。そして机の上に置かれた手もだ。
「取調べは始めないのか?」
「……」

敢えて無言のままで居ると明らかに相手は不安そうな表情を見せた。やれやれだな、もう少し歯ごたえのある相手が欲しかったんだが……。まあ五分以上こうして無言のまま机を挟んで座っているのだ、不安に思うのも無理は無い。

ドアが開いて小柄な男性が入ってきた。
「久しぶりですね、ラートブルフ男爵」
「ヴァ、ヴァレンシュタイン……」
ラートブルフ男爵が驚いたような声を出した。

「遅いぞ、エーリッヒ。ラートブルフ男爵が卿をお待ちかねだ」
「すまないね、ギュンター」
エーリッヒは驚愕するラートブルフ男爵に穏やかに微笑んだ。そして俺の横に座る。ラートブルフ男爵は驚愕から不安そうな表情に変わっている。

「何の用だ、ヴァレンシュタイン」
「捕虜をどうするかが決まりました。その事をお知らせしようと」
ラートブルフ男爵の顔が強張った。死を予感したのかもしれない。

内乱により多くの人間が捕虜になった。反逆罪なのだ、本当なら死罪、或いは死罪を免れても農奴に落とされるはずだ。だが今回は内乱の規模が大きい、通常の処置は取れない。

捕虜に関しての処分は一部を除いて決まっていた。下士官を含む兵に対しては罪を問わない事。軍に復帰するかどうかは本人の意思に任せる。士官に対しては本人に意思確認を行う。軍に復帰するか、それとも貴族への忠誠を貫くか。軍に復帰すると答えた士官は処分無し、貴族への忠誠を貫くと答えた士官についてはフェザーンに追放の処分となる。最終的にはフェザーンに留まるか同盟に亡命するかを選ぶ事になるだろう。

問題は貴族、そして軍の中でも内乱の主要メンバーだ。ラートブルフ男爵、シェッツラー子爵、ラーゲル大将、ノルデン少将……。彼らの処分をどうするか、それがようやく決まった。

「死罪か、このラートブルフ、死は恐れぬぞ」
嘘だな、声が少し掠れている。必死で恐怖を押し殺しているのだろう。おかしな事ではない、誰でも死は怖いものだ。

「選択肢は二つです」
「二つ?」
「一つは平民として生きる事です。爵位、領地、財産を全て没収します。その後で有る程度の金銭を受け取り、帝国臣民として生きる事になる。そこから先は男爵の才覚次第です。財産を作るか、それとも没落するか」

「もう一つは、もう一つは死か?」
「いいえ、そうではありません。平民として生きる事を拒否した場合はフェザーンへ追放となります。もちろん有る程度の金銭は与えますよ。その場合追放先でどのような名を名乗ろうとそれは自由です。爵位が命より大事だと仰るならその道をお勧めします」

エーリッヒがにこやかに話す。皮肉を言っているのだろうがとてもそうは思えない。考え込んでいるラートブルフ男爵には気付く余裕は無かっただろう。
「忠告しておきますが、帝国は宇宙を統一します。亡命は賢明な選択とは言えませんね。惨めな死を迎えかねない」

「私に平民として生きろと言うのか」
「それが一番安全な道だと思います」
ラートブルフ男爵が顔を歪めた。屈辱なのだろう、両手を握り締め俯いて唇を噛み締めている。

「私に平民として生きろと、そんな事が出来ると思うのか、ヴァレンシュタイン? 」
搾り出すような男爵の声だった。

「誇りの問題ではない、現実に生きていく事が出来ると?」
「……難しいでしょうね。あっという間に没落するかもしれない。しかし上手く生きていけるかもしれない……。私には分からないことです」
「何故殺さない、辱めるのが目的か、傲慢にも程が有るぞ! ヴァレンシュタイン!」

部屋に沈黙が落ちた。男爵は俯いて唇を噛み締めている。エーリッヒは俺を見ると首を横に振った。男爵を哀れだと思ったのか……。
「貴族としてでなければ生きていけませんか」
「そうだ、私を軽蔑するか、ヴァレンシュタイン。しかし私は他の生き方を知らん、ラートブルフ男爵としてしか生きられんのだ」

また部屋に沈黙が落ちた。ラートブルフ男爵は俯いている。これまで門閥貴族に哀れさなど感じた事は無かった。しかし今は彼らを哀れだと思う。そして自業自得だとも。

「殺せ、ラートブルフ男爵として私を殺してくれ」
「……残念ですが、それは出来ません」
「私を殺してくれ、ヴァレンシュタイン!」
振り絞るような男爵の声だった。

「帝国に協力するならば貴族としての地位を保証しましょう。どうです」
「協力だと、私に何をしろと言うのだ」
これからエーリッヒが何を提案するかは分かっている。正直気が進まなかった。出来れば止めたい、おそらくエーリッヒも同感なのだろう、無表情にラートブルフ男爵を見ている。

「男爵をフェザーンに追放します。他の捕虜の中にもフェザーンに向かう人間が居るでしょう。向こうにはランズベルク伯、シャイド男爵もいます。その動きを探って欲しいのです」
「……」
ラートブルフ男爵は無言でエーリッヒを見ている。

「やってくれるのであれば爵位の保持を保証します、領地もです。但し領地はこれまでとは別の領地になりますし当然ですが税は払って貰います。政府の方針にも従ってもらう。これまでのような自由はない……」

ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が滅んだ事で貴族達の力は失われた。ラートブルフ男爵がこれまでのように力を振るおうとしても一人では無理だ。そして税を払うとなればさらに力は失われる。

「私にスパイになれと言うのか」
「そうです」
「これまでの仲間を裏切れと」
ラートブルフ男爵が苦痛に満ちた声を上げる。そんな男爵を見てエーリッヒが溜息を吐いた。

「男爵、正直に言いましょう。私はフェザーンに集まる人間達を恐ろしいとは思いません」
「ならば何故」
男爵の問いかけにエーリッヒは一瞬だけ目を逸らした。

「私が恐れるのは彼らを利用しようとする人間達です。帝国に敵意を持つ人間にとって帝国を混乱させる事の出来る人間、その可能性の有る人間は利用価値があります。必ず接触し、支援し、利用しようとする……」
「……反乱軍か」

「アドリアン・ルビンスキーも居ますね。他にも接触してくる人間は居るでしょう。それを男爵に探って欲しいのです」
「……」
ラートブルフ男爵は迷っている。爵位と裏切り、その狭間で迷っている。

「彼らを救う事も出来ますよ。フェザーンで不平を述べているだけなら問題ない。しかし唆されて反帝国活動を行なえばそれなりの対応をとらざるを得ない。そうではありませんか」
「……」

「ですが男爵が事前に教えてくれれば、こちらでも手の打ちようがある。彼らをただの不平家の集まりにしておく事も可能です」
「……」



ラートブルフ男爵はエーリッヒの提案を承諾した。迷っていたが最後には頷いた。他にエーリッヒの提案をシェッツラー子爵、ノルデン少将が受け入れた。ノルデン少将は中将の地位が条件だった。ラーゲル大将には接触しなかった。彼を利用すれば上級大将という地位を用意しなければならない、いくら何でも本人が信じるとは思えない。

四人中三人をこちらの内通者にした。大成功と言って良いがエーリッヒの表情には喜びはない。機密保持のために用意された小部屋、今この部屋には俺たち二人しかいない。誰に見られるわけでもない、それなのにエーリッヒは憮然としたままだ。いや、それだからなのか。

「エーリッヒ、何故此処に来た?」
「……」
「俺の方でやっておいたのに……。俺では心配か?」

エーリッヒは俺を見詰めた。
「そうじゃない、この策は私が考えた。だからだ」
「馬鹿な、何でも自分でやるつもりか? 幾つ身体があっても足りないぞ」

「……ギュンター、場合によっては私は彼らを切り捨てる事になるかもしれない。いや多分切り捨てる事になるだろう。彼らは私を恨むだろうね。だから自分達を地獄に突き落とす人間の顔を良く見せておこうと思ったんだ」
そう言うとエーリッヒは視線を逸らした。

「エーリッヒ、彼らだって薄々は気付いている、その覚悟は有るだろう。その上で選択したんだ、卿が罪悪感を感じる必要は無い」
「しかし、受けるように誘導はした……」

エーリッヒは視線を逸らしたままだ。分かっている、誰だってこんな仕事はしたくない。エーリッヒは俺に嫌な思いをさせまいと自分からこの仕事を買って出たのだろう。仕様のない奴だ。

「……これからは俺が彼らをコントロールする。卿は直接接触するな」
「……」
「それが俺の仕事だ、卿が気にする事じゃない」
俺の言葉にエーリッヒは溜息をついた。

「分かった……。ギュンター、済まない」
「変な遠慮はするなよ。それから何でも自分で背負い込もうとするのは止せ。もっと俺を信用しろ」
「信用しているよ、卿が信用できる人間だというのは分かっている」
エーリッヒが苦笑した。

「そうじゃない、俺は卿のためなら汚れ仕事などなんとも思わんと言ってるんだ!」
エーリッヒは一瞬俺を見て、俯いた。そして小声で呟いた。
「有難う、ギュンター」

全く仕様のない奴だ。辛辣な策を考え付くのに冷酷になりきれない。肝心な所で甘さが出る。だから敵から見れば隙があるように見え、付け込む事が出来るように思えるのだ。それがどれほど危険な事か……。人が要るな、エーリッヒを守る人が要る。俯いたままのエーリッヒを見て思った。



帝国暦 488年  6月 3日  オーディン  憲兵本部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


困った奴だよな、俺を困らせるような事ばかり言う……。まともな人間なら人を陥れるような事には気が引ける。キスリングだって同様だろう、こいつはまともすぎるほどまともな奴だ。それなのに……。

「ギュンター、捜査のほうはどうなっている?」
「ローエングラム伯は……」
「いや、伯の事はいいんだ、宮内省と内務省の件を聞きたい。宮内省の顔の分からない男は誰だった? 分かったんだろう?」
俺の言葉にキスリングは黙って頷いた。

宮内省の顔の分からない男、内務省とフェザーン、そしてオーベルシュタインと組んでいた男だ。ノイケルン宮内尚書を操り、不要になると始末した男。その男を特定できなかった事があのバラ園の事件を引き起こした……。

「宮内省侍従次長カルテナー子爵だ」
宮内省侍従次長か……。皇帝の傍近くにいる男だ、フェザーンが大事にするはずだな。情報源としては最高だろう。
「……となると例の薬は」
「ああ、カルテナー子爵から伯爵夫人に渡ったそうだ」

カルテナーから伯爵夫人か、その元はオーベルシュタインと内務省。彼らの処分は決まっている。ローエングラム伯の簒奪に加担した。単なる反乱ではなく簒奪に加担したとして死罪になるはずだ。問題はルビンスキーだな、奴が何処までこの件に絡んでいたか。

「ギュンター、カルテナー子爵はフェザーンとの繋がりを吐いたのかい?」
「ああ、ルビンスキーと直接繋がっていたらしい。連絡は常にルビンスキーとのみ行なっていた。おそらくはボルテックも知らないだろうな」
「そうか」

「彼の屋敷からはトラウンシュタイン産のバッファローの毛皮が何枚か出てきた。記録を調べたが彼に下賜された事実はない。彼はどうして所持しているのか答えられなかったよ」
そう言うとキスリングは可笑しそうに笑った。

「フレーゲル内務尚書はフェザーンとは繋がっていなかったのかな」
「直接は繋がっていなかったようだ。いずれカルテナー子爵が邪魔になった時はその件で彼を葬るつもりだったと言っていた」
やれやれだな、お互いに利用するだけで欠片も信頼はない。思わず溜息が出た。

「そう溜息を吐くな、エーリッヒ。卿を殺そうとした医師の事だがな、あの男はルビンスキーが用意したそうだ。カルテナー子爵がそう言っている」
「……」
なるほど、念には念をか。あの男らしいやり方だ。俺が助かったのは僥倖と言って良い。

「但し、あの男は帝国人だ、フェザーンとは何の関係もない。今此処にルビンスキーがいて彼を問い詰めても……、白を切るだろうな」
「……簡単に尻尾は掴ませないか、黒狐はしぶといな」

キスリングは俺の言葉に頷いていたが、ふと思い出したような表情をした。
「妙な男なんだ。地球こそ人類の母星、地球に対する恩義と負債を人類は忘れてはいけないとか言っている。地球教の信者らしい」
「……地球教か……」

なるほどな、フェザーンから人を出せば当然疑われる。ルビンスキーは地球教から人を出させたか。無関係な人間、そう思わせたかったのだろう。だがこれで地球教を調べられるしリヒテンラーデ侯にも連中がフェザーンの裏の顔だと説明できる。

「エーリッヒ、地球教だが監視するか?」
「……いや、それはしないでくれ」
俺の言葉にキスリングは不審そうな表情をした。鋭いな、キスリング。だが憲兵隊は駄目だ。憲兵が動けば連中は用心して動きを止めるか地下に潜りかねない。地球教は他の連中に調べさせよう。適任者が居る、そろそろ奴にも働いてもらおうか。

 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧