星がこぼれる音を聞いたから
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7. 熱いお茶
隼鷹が入渠施設にこもりはじめて次の日。俺は先日レンタルした燕尾服を返却するべくトノサマ洋装店に足を運んでいた。他の誰かに頼んでも良かったが、先日のお礼と、店主に聞きたいことがあったから、俺自身が店に向かうことに決めた。
「こんにちは」
「ああ先日の……」
「その節はお世話になりました」
「いやいや」
店主はレジでお金を数えているところだった。
「少し待ってくれるか? これが終わったらお茶にしよう」
「いえ、どうぞおかまいなく」
「そうかね? 何か私に聞きたいことがありそうな顔をしているが……」
この店主……だてにお年を召されていないようだ……鋭い……。
「はい……」
「では年寄りの言うことは素直に聞くべきだな」
そのまま店主がレジのお金の確認を終えるまで待つ。お店の中に静かに響く小銭を数える音と、店主の『15……16……17……』という、枚数を数える静かな声。
店内を眺めた。入り口の外は人々がせわしなく歩いているのに、店内はまるで時間が止まったように静かだ。鳴り響く音はそれこそ、店主の声だけだ。
「……よし。大丈夫だ」
満足そうに店主は頷くと、レジの蓋を閉める。年代物のレジは閉じた途端『チン』という心地いい音を鳴らし、店の売上金を自身の中に隠した。
店主はそのまま入り口に向かい、立て札をひっくり返して『準備中』にしていた。
「これなら邪魔は入るまい」
こちらをチラッと見た店主の顔は、悪戯心にあふれた茶目っ気のある笑顔だった。その顔のままお店の奥に消えた店主は、数分後に熱いお茶が入った湯呑を二つ持って戻ってきた。
「お店がお店ですから、紅茶かコーヒーが出てくるものとばかり思ってました」
「それでもよかったけどね。お茶と言った以上はお茶を出そうと思ったんだ」
そのまま俺達はレジのそばのソファに腰掛けた。年代物のソファは据わった俺の身体をふんわりと優しく包み込んでくれる。まるで俺の執務室においてあるソファみたいだ。
淹れたばかりのお茶が入った湯呑は熱く、手に持つのも一苦労だったが。その熱さは俺の心にじんわりと温かく染み渡っていった。
「……おいしいですね」
「だろう? 熱いお茶は休憩にぴったりだよ」
二言三言会話を交わし、俺は燕尾服を店主に返した。
「請求書は××鎮守府でお願いします。支払いは月末になりますが、その分割高で結構です」
「了解した。せいぜい高くふんだくるとしよう」
この店主、案外ジョークが好きなのか?
「あとひとつ、聞きたいことがあるのですが……」
「何かな?」
「いただいたあの指輪……」
「ぁあ、大切にしてくれているようだね」
お茶をすすりながら店主はそういい、うれしそうに俺の左手を指差した。俺の左手には、あの時隼鷹がつけてくれた指輪が、白金色の輝きを今も放ち続けている。
「ええ。それで、この指輪の磨き方を教えて欲しいんです」
「? 別段汚れてるようには見えないが……あの彼女のものの方かな?」
店主の質問に対し、俺は無言で首を縦に振った。三式弾の炎で炙られたあの指輪は、今すすがついて黒ずんでいる。俺はそれを元のキラキラと美しい指輪に戻したくて、店主に磨き方を聞くためにココに来た。
店主は再びお茶をずずっとすすった後、予想外の質問を俺に投げかけてきた。
「……なぜ磨くんだ?」
「へ? なぜって……汚れたから……」
「指輪の汚れとくすみは、その人が必死に生きた証だ。汚れ、傷つき、そしてその人だけの指輪になる」
「……」
「いわば指輪の汚れは、その人の人生そのものなんだよ。それをきみは、綺麗に落として、何の変哲もない指輪に戻してしまおうというのか?」
「……」
「慎重に答えなさい。納得できたら磨き方を教えよう」
困った……すんなりと教えてくれるものだとばかり思っていたのに……生半可なことでは納得してくれそうにないぞ……この人は自分の仕事に誇りを持っている。きっと妥協することはない。本当に納得してくれないことには、きっと磨き方を教えてくれないだろう。
「彼女は……艦娘です」
「だから?」
「先日彼女は、戦闘で大怪我を負いました。指輪はその時、炎に炙られてススで汚れてしまったんです」
「だから?」
「彼女は必死に指輪を守ったんです。でも汚れてしまった。俺はその気持ちを大切にしたいんです。体を張って指輪を守った彼女の気持ちを大切にしたい」
「私から言わせれば、その汚れは彼女の気持ちとがんばりの証だ」
「……」
「もし理由がそれなら、私の答えはノーだ。ススだけ落として、その汚れを愛して生きなさい」
「……」
俺は、飾らずに本心を告げたつもりだ。身を挺して指輪をかばった隼鷹の気持ちを無にしたくない。だから指輪を磨きたい。だから指輪を元に戻して、『指輪は無事だったぞ』と安心させたいんだ。
でも、店主はそれでは納得できないという。店主の言いたいことはわかるし、その考えも理解はできるけれど……
やばい。なんて言えば納得してくれるのかまったく分からん……頭が混乱してきた……
「……彼女は……隼鷹は……天の川に似てるんです」
「……?」
あれ? 考えすぎて意味がわからなくなって変なことを口走り始めたぞ……?
「あのドレス姿の隼鷹を見た時、俺は……音を聞きました」
「音?」
やばいやばい……これ以上言うとただの変人扱いされる……でも一度話し始めた俺の口は止まらない。これ以上言うなというおれの指示を無視して、一言一言余計なことを口走っていく。
「……星が、こぼれる音を聞きました」
「……」
「隼鷹が動くたび……俺の横で笑うたび……キラキラというかサラサラというか……そんな心地いい音が、俺の耳に届きました」
「……」
「……これは、俺のワガママです。さっきは隼鷹の気持ちに報いたいと言いましたが、それはウソです」
「……」
「俺は、彼女に星を身に着けていて欲しいんです。彼女の横で、星がこぼれる音を聞いていたいんです」
「……」
「だから、指輪も輝いてなきゃいけないんです。汚れが隼鷹の人生を表しているのはわかりましたけど……輝いてなきゃダメなんです。じゃないと……」
「……」
「星の音が、聞けません……」
言ってしまった……ペラペラと意味不明かつ余計なことを……それこそ他の子が聞いたら『頭おかしいんじゃない!?』と突っ込まれそうなことを……
でも意外にも、店主は冷静だった。至極真剣な表情で自分の顎に手をあて、『ふむ……』と一言つぶやいていた。
やがて店主は椅子からスッと立ち上がり、コツコツと心地いい足音を立てレジの方へ歩いて行く。しゃがんでごそごそと何かを取り出すと、手に収まる程度のサイズの筒状のものと、メガネ拭きのような柔らかい布を一枚、俺にくれた。
「店主、これは?」
「ポリッシュだ。中の液体をこの布の上に少量出して、それで指輪を磨きなさい」
「これで、元のピカピカな指輪に戻りますか?」
「戻るはずだ。ひょっとすると変色してる部分はあるかも知れないが、輝きは戻る」
「……」
「君の望みが星がこぼれる音なら、それでも充分なはずだ」
「ありがとうございます!」
よかった……さっきのアホみたいな説明で納得してくれたようだ。これで俺は、星がこぼれる音を失わずに済む。なんて俺が安心していたら……。
「ただし条件がある」
「はい?」
ヤバい。条件なんて聞いてないぞ。めちゃくちゃ理不尽な要求だったらどうしよう……いやそういうことをする人ではないだろうけど……『どんな音か聞きたいから聞かせろ』とか言われても困るし……
「……今の私への説明を、彼女にも言いなさい」
「ぇえッ!?」
「星がこぼれる音の話を彼女に聞かせなさい。それが条件だ」
「いや、だって……!!」
あんな恥ずかしい話、本人に聞かせられるかッ!?
「いやいや、無理ですよ!!」
「ならその布とポリッシュは返しなさい」
「あ、いや、その……!?」
返せない……!! なんとなくだけど、この道具で磨かないといけない気がするから……ッ!!
「なら彼女に伝えることだ」
「うああ……」
涼しい顔でレジから出てきた店主は、そのままうろたえておろおろあうあうしている俺の隣をするっとすり抜け、自分の湯呑の元に戻るとソファに座り、お茶を飲んでホッと一息ついていた。
「大丈夫。自信を持ちなさい。ずずっ……」
「……」
「本当はね。今の話は私にはもったいない話なんだよ」
「はぁ……」
「その話は、彼女にこそ相応しい。……いやむしろ、彼女にこそ聞かせなければならない話だ。私ではなくてね」
そう言うと店主は再びずずっとお茶をすすり、そしてさっきのいたずら好きな笑顔を俺に向けた。
「報告はきっちりと頼むよ?」
「うう……逃げられないんですか?」
「当たり前だ。次来るときは、ちゃんと彼女も連れて来なさいよ?」
逃げられない……うう……今の話を隼鷹に聞かせようというのか……店主のこの意地悪な笑みは、絶対に俺たちを逃さないという意思表示に違いない……考えるだけで顔が赤くなる……
「私の前で顔を赤くしてどうするんだ……」
「いやだって……考えただけで……」
「その緊張は彼女に話すときのために取っておきなさいよ……こんな老人に赤面しても意味がないだろう……」
「分かってはいるのですが……」
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