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SAO《サルベージ・アラサーお姉さん》

作者:ERRY
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仮想現実に閉じ込められたアラサーの私

 
前書き
2016/11/27:本部を加筆修正 

 
 将来の夢

 私に夢はありません。
 将来就きたい職業なんてありません。普通に高校を出て、どこにでもあるような普通の中小企業に、普通に就職すればいいと思います。
 将来したい事なんてありません。何事にも関心が無く、何事にも興味が湧かず、無機物の私は、何もせず普通に生活すればいいと思います。
 例えば、自らの夢を叶えようとし、わざわざ田舎から上京してきた若者の、その大半は現実を目の当たりにし、夢を砕かれ闇を抱え、絶対的な絶望感に苛まれ、堕ちてゆくものです。
 そう。
 結局、そういう事なのです。
 夢を抱くのは人の勝手ですが、そのほとんどが抱くにあたって現実を踏まえている事は、決してないのです。
 夢は自己を固定させる観念に過ぎず、夢は自己の縋る場所に過ぎないのです。
 夢は実に荒唐無稽で滑稽で、虚無であって欺瞞でしかなく、自己満足でしかないのです。
 故に私は、夢を抱きたくないし抱かない。というかそもそも、空っぽな私には、夢を抱くという行為は実に重たい。現実主義な私には夢を見る事はできない。世の流れに身を任せて、任せて委ねて、委ねて動かなければいいのです。動いたって、結果は知れているですから。
 よって私は、夢を見る者、持つ者、抱く者を、こう呼ぶ事にしようと思います。
 夢しか見れない《弱者》、夢に縋る《愚者》―――と。



 小学6年生の時の作文の宿題で、そう書いた記憶がある。確かそれを提出したあと担任に物凄く心配されたんだっけ。確かにその文章は小学6年生の女子が書いた物とは思えない。でもしょうがないじゃないか。私はそう思ったのだもの。少なくとも、私が心配される筋合いは、全くと言っていい程に無い。
 さて、私は現実主義の正社員である。中小企業で働いているどこにでもいるような現実主義者である。どういう事かというと、特に目指す夢も事柄も無い私は、普通に普通科の高校に行きたかったのだが、親に普通科高校は就職先が無いと言われ、強制的に工業高校を目指す事になったのだ。中学校での成績はそれなりに良好だったので、その工業高校のレベルが低いという事もあり、案外すんなりと合格したのだった。因みに、学科は機械科。これも親の強制である。私としては、まあ別にどうでもよかったが、こういうのもありなのだろうと思い、工業高校生活を適当にやり過ごしていた。
 卒業を間近に控えた私に襲い掛かるは、就職活動。襲い掛かると言っても、大企業に就きたいとか、高収入の仕事場で働きたいとか、そういう欲は私には当然のように皆無で、地域の中小企業にでも就けばいいかなという至極簡単な考えだったので、襲い掛かろうとも、正直言って簡単だったので、そんなものは簡単に撲滅できる。というより、できた。
 特に目的も無く入社したその企業は、トヨタの下請けで、自動車の部品工場である。部署は製造部。おおよそ女性が入らない、入らないというより入りたがらない部署で働く事になった。やる事は一つ。旋盤でひたすら部品の元になる素材を削るだけ。単に削るといっても寸法とか決められた事が結構あるので、それに従って削るのである。洒落ではないが、体力も精神も、結構削れる。まあそれでもひたむきに会社の命令に従い完璧に仕事をこなしていたので、その実績が認められ、先日平社員から主任に昇格した。栄えある昇格と言ったら、そうなのだろうけれど、主任に昇格したところでやる事は変わらない。いや、変わらないといったらそれはそれで嘘になるだろう。旋盤で鉄を削る他、やる事が増えた。まず部下の世話。といっても、そのほとんどがゴールデンウィーク前に辞めていったので(こんな事は本来ありえない事)、今のところ部下は一人だけである。しかも男である。しかしだからといってどうという事は無いが、少なくともその部下が辞めていった奴らと違うのは、大いに解せる。そしてもう一つ、書類作成が増えた。国語や情報処理は普通より上の成績だったのでそれ程苦じゃないが、稀に物凄い量の書類を任される事があるので、その時ばかりは苦である。
 まあ、そんなわけで。
 今日、私は27歳を迎える事になった。働き始めて9年と数ヶ月、俗に言うアラサーの仲間入りを果たした私だが、あと3年もすれば、それこそ本当に本格的にアラサーである。別に彼氏が欲しいとか結婚願望とか、そういうのは私は持ち合わせていないので別に苦労はしない。というか、更に男が寄って来なくなるので、私としてはとても嬉しいのである。ゲームセンターで会社の昼休みをよく潰しているのだが、どうにも男の視線が気になるのである。まあそれは、作業服を着たままだからであって、自然と目を引いてしまうのだろうが、しかしそれでも気になるものは気になる。Dance Dance Revolutionという音楽ゲームをしている時は特に男達の視線を集めてしまうのだ。だから私にとってアラサーというのは、とても喜ばしい事なのである。にしても、何故あれ程までに視線を集めてしまうのだろうか。別に凄いゲームの腕前をしているわけではないし、果たして一体何なのだろうか。………………胸? いや、それはないだろう。何故なら作業服で固定されているからである。揺れるものも揺れないのである。
 そんなどうでもいい事はさておいて。
 今日、職場から家に帰って書類の整理をしていると、佐川急便が何やら私宛の荷物を届けてきた。
 それなりの大きさで、それなりの重さのダンボール。発送元は……アーガス? 一体このダンボールの中には、何が入っているのだろうか。
 ――おっと、開ける前に書類の整理をしておかないと。整理していなくて、課長に怒られたら嫌だし。
 ものの数分で書類の整理は終了し、遂に開ける時がやってきた。ガムテープはカッターナイフで切断。
 果たして、遂に中身が姿を現した。
 しかし、これは……、

「……ナーヴギア?」

 ナーヴギア。
 民生用VRマシンの初号機。形状はキックボクシングとかで付けるヘッドギアを金属にしてスタイリッシュにした感じ。作ったのは確か、茅場晶彦とか言う奴だっけ?
 まあそんな事はどうでもいいとして。
 そうだそうだ、思い出した。
 確かこれは、自分の誕生日プレゼントとして、自分で買ったんだっけ。少しずつ使っていた夏のボーナスも残り半分を切っていて、全部パーっと使って何か大きな買い物をしたいななんて思っていたら、10月31日に何やらVR技術を駆使したゲームが発売されるという話を聞いて、発売日が自分の誕生日と同じだったから、これも何かの縁だと思って(そして自分の誕生日プレゼントとして)買っちゃったんだよね。それにアーガス直販サイトでの予約販売台数が残り僅かって事もあったから、衝動買いっていう印象も少なからずあったんだよね。
 だがしかし、それにしても12万8000円。されど12万8000円。その話題のゲーム同梱版だというのに12万8000円。
 私のボーナスは、まだまだ有り余ったのであった。
 それにしても、このゲームは仮想空間に入り込めるとの事。正直信じられない話だが、しかしそのゲームのβテスターは仮想空間に入り込んで謳歌したという。
 フルダイブ……果たしてそれは、私を魅了してくれるものなのだろうか。
 ダンボールの中には、その衆目を集めているゲームソフトが入っていた。

「………SAO…ソードアート・オンライン、か」

 ソードというだけあって、刀剣に関するゲームなのだろう。
 私はこのゲームに関する情報は、残念な事に持ち合わせていない。私が碌に調べていないという事もあるのだろうが、しかし調べてしまうとそのゲームの面白さが半減してしまうかもしれない。だから私は、こうやって何も分からずにいるのだ。いや、何も分からないは嘘になるだろう。このゲームがVRMMORPGって事は少なからず知っている。
 仮想空間、仮想世界、仮想現実。
 正式サービス開始は6日後の13時。
 果たしてこのゲームは、私を楽しませてくれるのだろうか。

「……………………お?」

 おや、部長から電話が。
 私は電話に出た。

「お疲れ様で…………ええ?!」

 愛知○鋼が爆発!? トヨタ傘下の全工場が停止!? 一週間休み!?
 くそう、トヨタ生産方式なんて止めちまえぇ!!



 予想外の出来事に、想定外の休日。
 私を待ち構えるのは、暇だった。
 やるべき書類作成は休日1日目で全て終わった。やるべき危険予知訓練シートの作成は全て終わった。まあKYTしたところで、愛知製鋼の爆発は防げなかったけども。
 よって私は休日の間、毎日ゲーセンに赴いた。仕方無しに赴いた。目的は勿論、音ゲー。休日2日目、音ゲーコーナーに不良達約10名が屯っていたが、その不良達は地元の普通化高校の生徒だったので、すぐさま高校に報告。しばらくしたら高校教師達約20名がやってきて、不良達は強制連行されていった。全く愚かだが、それにしても20名なんてよく集まったな。授業そっちのけか?
 まあそういう事もあって。
 休日最終日。11月6日は正に、最新技術を駆使して作り上げたVRMMORPG、ソードアート・オンラインの正式サービスが開始する日である。ネットではSAOが買えて狂喜してる奴もいれば、買う事ができず悔しがる奴もいる。初のVRゲームという事もあって、多くのメディアがそれについて取り上げている。
 そして、現時刻は12時55分。サービス開始の5分前である。キャリブレーションとかいう身体全体を触るという見方によっては卑猥な行為を済ませ、今はナーヴギアを頭に装着しつつ、ベッドに寝転がりながら、本を読んでいる。何を読んでいるのかというと、中村文則による小説「教団X」である。私自身としてはこの小説は面白いのだが、Amazonのレビューはとても荒れている。曰く、内容が分からない。曰く、意味が分からない。恐らくこの者達は、純文学というジャンルをよく分かっていないのだろう。純文学は一般受けを狙った作品ではない。純文学は、起承転結が分りにくい作品が多く、暴力や性行為は多くて至極当然、道徳に背いたのも数多く存在している。それらを弁えていないのなら、純文学を一生読まないでほしいし、そもそも本のレビューを書いてほしくない。レビューを書くにあたって、まずはその本のジャンルをしっかり理解する事が大切だ。
 さて、サービス開始まで残り10秒。教団Xを閉じて枕元に置いた。仮想現実は、どれ程まで現実なのだろうか。淡い期待を胸にして、

「私を楽しませなかったら、即刻ワゴン行きだから」

 と呟いた。
 そして、残り零秒。13時。

「リンクスタート」

 SAO正式サービスが開始した。



 初期設定みたいなのを適当に済ませ、仮想現実にやってきた私。
 まず、仮想現実だというのに現実と遜色の無い世界に対して驚愕した。社会構築、人間関係。見た限り現実のそれと何ら変わりない。NPCも感情豊かで何より、性格が一つ一つ、個人個人に定められていて、このゲームを作った奴は一体どれだけのプログラミング技術を持っているのやら。私の理解の範疇を超えている。
 そして、このゲームにログインして降り立った時、背後から「帰ってきたんだ、この世界に!」という結構痛い文章を結構大きい音量で平然と口にしていた奴がいた。まあ、私には関係無かったしどうでもよかったので、見向きもせずにその場を離れたわけだけど。
 それにしても、「帰ってきた」というのは、些か不自然な言葉だ。普通「帰ってきた」じゃなくて「やってきた」だろうに。この世界こそが正に自分の住む世界なのだと、そう主張しているようだった。何だ、何だろうか。現実で辛い事があって、この世界が拠り所になっているのだろうか。この世界に縋っているのだろうか。それならば奴は愚者だろう。愚者であって愚者に過ぎない。現実に辛い事はこれでもかと言う程に存在する。その辛い事は自身で打破していかなければならないというのに、奴はその義務を無視し、逃げ込むようにして仮想現実に入り込んだのだろう。私の会社でもそうだ。私は新入社員が辞めていくところを何度も見てきた。無理のある尤もな理由で自身を正当化させ、辞表を提出する社員を何度も見てきた。奴らは皆平等に愚者だ。現実を目の当たりにし自ら挫折した愚者だ。碌に何もしないで辞めていった愚者だ。私は、そういう奴らが嫌いだ。嫌いで嫌いでしょうがない。だから平等に、私は「帰ってきた」とほざいていたあの輩が嫌い………あ、違うか。奴はもしかしたらβテスターなのかもしれない。で、一度来た事があって、それで「帰ってきたんだ」と勢い余って言ってしまったのだろう。そうかそうか、私の思い違いでしたか。私の考え過ぎでしたか。そうですねごめんなさいね。
 取り敢えず、フィールドに出た。
 私の視界に入るは、広大な平原、生い茂る木々、澄み渡る青い空。ログインしてから思っていた事だが、これがゲームだと実感が湧かないし、思えない。というより、思いがたい。現代の科学はこれ程進歩したのか。現代のゲームはこんなに進化していたのか。正直驚いた。自分は今まで音ゲーぐらいしかしてこなかったので、この手のゲームに疎かったのだが、それでも感動はした。
 背中に背負っている初期装備の剣を鞘から抜いた。背中に背負っていると刀身が長い場合、絶対に鞘から抜けないと思うが、初期装備の剣はそれ程長くは無かったので、抜き出せた。
 振ってみる。
 それ程大きくないという事もあって、結構振りやすい。私のような初心者には重宝する事だろう。
 そして、先程近くを通り過ぎた男二人組みが、ソードスキルとか何とか言っていたが、ソードスキルとは一体何なのだろうか。
 と、その時。

「危なぁああーーい!! 避けろぉぉおおおーー!!」

 遠方から聞こえる叫び声。はて、何があったのだろうか。
 声が聞こえた方を向いた。そして私の目に入ったのは、私の方に鬼気迫る勢いで迫ってくる青い猪だった。その姿は、正に猪突猛進。

「はあ!?」

 思わず声を上げてしまった。
 しかしその間にも猪が迫ってくる。考える暇はそれ程無い。
 迎え撃つか、それとも逃げるか。
 いや、ここは逃げるのが妥当だろう。下手に迎え撃っても、碌に練習していなし、そもそもログインしてものの数分だし、勝ち目は無さそうだ。
 というわけで、全速力で逃げようとした。逃げようとしたのだが………。
 つまずいた。
 あー死んじゃうなーなんて思いつつ、もう間も無く目の前に迫ってくる青い猪を見ていたのだが。
 急に身体(からだ)が動いた。
 そう。何の前触れも無く、急に身体が動いたのだ。そして、目の前に迫った青い猪を、私が持つ初期装備の剣が、自動で動く身体とともに切り裂いたのだ。
 まさか、これがソードスキルというものなのか……?
 なんて思っていたら、青い猪は断末魔を響かせ、ポリゴンになって砕け散った。そして、少量ながら経験値とゲーム上の通貨のコルを獲得したのであった。
 先程の、声が聞こえた方を見やった。
 すると、いつの間にかその声の主であろう赤い髪の男と、他にもう一人、黒い髪の男がやってきた。

「いやー悪い! フレンジーボア狩ってたら狩ってない奴が急にあんたを認識しちゃってさ」

 何か、軽いな。それが赤髪の男の第一印象。

「たまにそういう事もあるから、気をつけろよクライン」

 何か、普通。それが黒髪の男の第一印象。
 男といっても、ネカマという輩はこのゲームにも少なからずいるのだろうし、確実にこいつらが男という確証は得られないのだが、私にとっては別にどうでもいいし、何より私も性別を偽っている(・・・・・・・・)のだし。まあ私の場合、変態に襲われないようにする為に性別を男にしたのであって、不審者に襲われないようにする為にアバターを男にしたのであって、ネカマのような思考回路から偽ったわけではない。私をネカマと同じ扱いはしないでいただきたいものだ。

「それにしてもあんた、あの土壇場でよくソードスキル繰り出せたな!」

 ああ、やはりあれはソードスキルだったか。でも私は、ソードスキルの発動条件がよく分かっていない。恐らくファーストモーションなるものが関係しているのだろうけれど、しかしそれが分からない。モーションでファーストと言うだけあって、最初の動きという事なのだろうが、それにしてもその最初の動きが分からなければ話にならない。

「すまん、そのソードスキルっていうのは何だ?」

 ソードスキル自体何なのかは薄々理解しているが、敢えて問うた。

「な、あんた知らずに使ったのか?!」

 こんどは黒髪の方が驚きの声を上げた。何だ、そんなに驚く事か。
 まあいい。これもいい機会だし、所詮表面上なのだし、教えてもらう事にしよう。まあ、こいつらが了承してくれたらだけどね。

「私……、俺はこの手のゲームは初心者なんでね。そっちがいいのなら、そういう事を教えてはくれないか?」

 そう訊くと、黒髪の方は間髪入れずに、

「ああ、いいぜ」

 と言った。
 うわぁ、いい人だこの人。
 というわけで、私は黒髪の男にこのゲームの事をレクチャーしてもらう事にした。
 勿論、赤髪の男も含めてである。



 このゲームの大まかな説明を受け、ソードスキルやファーストモーションについての話などを色々してもらった。 二人はこのゲームの事を全くと言っていい程知らなかった私に対して驚きを隠せずにいた。しょうがないじゃないか、調べていなかったのだもの。
 それでしばらく青い猪(フレンジーボアとか言う奴らしい)を狩りに狩って狩りまくり、狩り尽して狩り果たそうとしていたのだが。
 そこで赤髪の男――クラインが言った。

「俺そろそろ落ちるわ、五時半にピザ頼んでるからよ。それにしてもマジサンキューな、キリトにティグ。これからも宜しく頼むぜ」
「こっちこそ宜しくな。何かあったらメッセージで呼んでくれ」

 さらっと関係続行を宣言したクライン。この後一人になったらフレンド解除して関係を無くそうと思っていたのに。やはり現実は甘くない。そしてそれを否定せず、むしろ肯定するキリト。こいつ、もしやネットの怖さを分かっていないな……? あ、ネットじゃなくてゲームか。それでもほとんど同じ事なのだろうけれど。あ、これネットゲームだったわ。そうかそうか、二つとも内包していたか。はいはいそうですか。
 まあ結局私は、フレンド解除して消息を絶つのだろうけれどね。
 でも、お別れの言葉くらいは言っておかないと。

「ああ、宜しくな」

 お別れの言葉は、優しい言葉にしないとね。
 そしてクラインはメインメニューを開いた。
 キリトは下がって、クラインと同じようにメインメニューを開いた。
 私はまだログアウトする気は無いので、ここから立ち去ろうと踵を返して歩き出した。
 が。
 残念な事にそれはできなかった。

「あれ、ログアウトボタンがねぇぞ」

 ………は? 初日でバグ?
 やれやれ、運営は一体どうした。これくらいの初歩的なミス、普通は起こさないだろうに。KYTぐらいしたらどうだ。あ、業種が違うか。
 まあでも、ログアウトできないというのはとんでもない事だ。ログアウトできないという事はつまり、現実に戻る事ができない。仮想世界に閉じ込められてしまい、監禁されてしまったのも同義なのだ。今頃GMコールが荒ぶっていて、運営は半泣きでデバッグしている事だろう。

「いやいや、そんなわけないだろって……本当だ、無いな」

 一応私も確認してみる。
 人差し指と中指を真っ直ぐ揃えて真下に振り、メインメニューを呼び出す。
 そして、メインメニューの一番下を表示させるべく、指を滑らせる。そして、最下部まで到達した。
 正直、驚いた。

「……無い…?」

 そう、無いのだ。本当にログアウトボタンが無いのだ。消失して消滅したのだ。これはどのゲームにも決まって存在するバグなのか、それとも、人為的なものなのか。
 いや、これは人為的なものではないだろう。もしこれが人為的なものなのなら、10000人という膨大な数のプレイヤーをまとめて監禁した事になってしまうし、それと同じような意味でこれが人為的でない監禁だったとしても、10000人を閉じ込めたという事には変わりないし、運営は多大なる非難を受ける事だろう。

「ま、今日はゲームの正式サービス初日だし、こんなバグも出るだろ」

 そう思いたいものだけどね。

「そんな余裕かましてていいのか? 五時半にピザが届くんじゃなかったのか?」
「はっ!!」

 クラインがアンチョビピッツァとジンジャーエールがぁーと喚いていたが私はそれを完全に無視し、先程キリトからレクチャーした内の一つ、GMコールをしてみる。
 ………………………。
 反応が無い。
 もう一度GMコールをしてみる。
 ………………………。
 応答が無い。
 これは、あれか? とんでもない数のGMコールを運営に集中しているので、返答が遅れているのだろうか。こういうのは大体返答用テンプレートを予め用意しておくものなのだが、このゲームの運営はそれを怠っていたのだろうか。というかそもそも用意する気なんて更々無かったのだろうか。
 どっちにしろ、返答が無いのには変わりない。

「……じゃあ、結局のとこ、このバグが直るか、向こうで誰かが頭からギアを外してくれなきゃ、ログアウトできねぇって事かよ」

 キリトと話していたクラインが、そういう。
 …………私、一人暮らし……。

「でも、オレ、一人暮らしだぜ。ティグはどうだ?」
「ん? ああ、俺も一人暮らしだよ」
「お、同じか。じゃあキリト、おめぇは?」

 問われたキリトは少し迷う素振りを見せ、やがて答えた。

「……母親と、妹と三人。だから、晩飯になっても降りてこなかったら、ナーヴギアを強制的に外されると思うけど……」
「おぉ!? キリトの妹さんて幾つ?」

 いや着眼点そこかよ。モテないんだろうなあ。まあ、私が言えた口ではないが、しかし私の場合、そもそも彼氏とか結婚相手なんて欲してないし、そもそも必要無いし。生きるにあたってパートナーなんて存在、必要無いんですよ。

「…………………それにしても……変だとは思わないか?」

 キリトは話題を、結構無理矢理だが変えた。確かに、自分の妹に言い寄ってくる奴に対して、いい思いはしないだろう。

「まあな。ログアウトできないバグなんて聞いた事ねぇもんな」
「ああ、こんな《ログアウト不能》なんて問題、今後のゲーム運営に大きく関わる大問題だよ。実際、お前が頼んだピザは今頃冷め切っているのだろうし、これは金銭的損害だろ?」

 確かに冷め切ったピザは、お世辞にも美味しいとは言えない。ピザは熱い内に食べるのがベストなのだ。

「…………冷め切ったピッツァなんてネバらない納豆以下だぜ…………」

 納豆菌が働いていないか、死んでしまったんだろうな。いや、納豆菌は繁殖力が強いと聞くし、納豆菌自体死んでしまう事は無いだろう。という事はつまり、その納豆の納豆菌は、働いていない、つまりは怠けているのだ。許せん。私はちゃんと上の命令を聞いてしっかり働いているというのに、許せん……!!
 ……ストップ。何で納豆菌ごときで熱くなってんだか。納豆菌に熱くなっても今の現状は打破できないし、何か馬鹿馬鹿しくなってきた。うん、止めよう止めよう。こんなの考えても無駄無駄。時間の無駄遣いにして人生の無駄遣いだ。まあこのゲームも、私の裁量によっては無駄になってしまうのだが。

「何はともあれ、この状況なら運営は一度サーバーを停止させて、プレイヤー全員を強制ログアウトさせるのが当然の措置だ。なのに……俺達がこのバグに気づいてもう十五分は経っているのに、切断される事も無く、かと言って運営のアナウンスが無いのも不自然だ」
「む、言われてみりゃ確かにそうだな」

 確かに、不自然だ。
 やはりこのバグは、人為的なものなのだろうか。人為的なものなのだったとしたら、それは最早バグではなくなってしまう。
 バグであって欲しいと、私は思った。

「……SAOの開発運営元の《アーガス》と言やぁ、ユーザー重視のゲーム会社だろ。そういった信用もあって、初めてリリースするネットゲームであんな争奪戦が勃発したんだ。なのに、初日でこんなでけえポカやっちゃ意味ねぇじゃねぇか」
「全くの同意だ。それに、このSAOというゲームはVRMMOっていうジャンルの先駆けでもあるし、ここで問題起こしたら、ジャンルが規制されるかもしれない。プレイヤーにして見れば、洒落じゃ済まされないよな」

 まあ、今のこの事態も洒落じゃ済まされないけどね。ログアウトできるようになったらYahoo!ニュースでも見てみよう。
 ………それにしても、真っ赤な夕焼けが綺麗だ。ここが仮想世界であるという事を忘れさせられる程、綺麗な夕焼けだった。
 見惚れるのと、鐘の音が響き渡るのは、言うまでも無く同じタイミングだった。



 曰く、ログアウトできないのはこのゲーム本来の仕様である、と。
 曰く、外部からナーブギアの停止或いは解除を試みた場合、電子レンジの要領でもって脳を蒸し焼きにして殺す、と。
 曰く、先述を無視しナーブギアの強制除装を試みた例があり、結果既に213人が仮想世界からも現実世界からも去っていった、と。
 曰く、二時間の回線切断猶予時間の内に病院などへと搬送され、厳重な介護態勢のもとに置かれる筈だから、安心してゲーム攻略に励んでほしい、と。
 曰く、このゲームのヒットポイントはその意味を現実になしえ、ヒットポイントが零になった瞬間、同じく現実でも死ぬ、と。
 曰く、アインクラッド最上部、第100層まで全部攻略したら、ようやく解放される、と。
 正直、信じられない。が、このゲームの開発者が言った言葉なのだし、信憑性は恐ろしい程に高い。
 まあ、これも一つの現実であって、一つの現実に過ぎず、一つの現実でしかない。そう、この状況を、いかに打破していくのかが大切だ………と、言いたいところなのだが………。
 私、一人暮らしだよ? 119番してくれる人がいないよ? 栄養失調と飢餓で死んじゃうよ? ナーブギアで電子レンジ以前の問題だよ?
 あー、どうしよう。 
 でもまあ、それはそれでいいか。現実の私はもうどうする事もできないのだし。餓死するまで精々頑張っていこうじゃないか。恐らく、私は残り3日の命だ。水分を摂取しなければ、3日で死ぬとの事だ。地球上のほとんどの生物は、水無しでは生きていけないのだ。

『それでは、最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠をお見せしよう』

 何やらアイテムストレージに何かあるようなので、確認した。
 表示されたアイテムは…………《手鏡》。
 こんな物で一体何ができると言うのか。それとも何かの罠だろうか。《手鏡》をオブジェクト化するのを躊躇っていると、

「お前がクラインか!?」
「おめぇがキリトか!?」

 という叫び声が真横から聞こえた。
 何があったのかと思い、真横を見た。
 そこにいたのは、あどけなさを残す中性的なな顔立ちをした少年と、無精髭を生やした野武士のような男だった。
 なるほど。この《手鏡》というのは、現実であるという証拠とだけあって、丹精込めて作り上げたアバターを現実の世界のまんまにしてやろうという魂胆らしい。なるほどなるほど、キャリブレーションはこれの為の動作だったのか。
 周りは、何というか、その、とにかく酷い。そして男女比が著しく変わった。要は男だらけになったのだ。やはりネカマがいたか………何だろう、ある意味凄く惨たらしい光景なのに、自然と笑いが込み上げてきてしまう。これは、当然の行動といっていいんだよね?

『……以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の――健闘を祈る』

 そして周りは、阿鼻地獄と化した。
 確かに当然と言っていい行動だが、私としては、ただ煩いだけでしかなかった。
 残念ながらこれも一つの現実。受け入れる他無いだろうに。こんなところで泣き叫んでいても、何も始まらないではないか。
 現実はそう甘くないのだ。こういうテロ行為にまさか自分巻き込まれるなんて思っても見なかったのだろう。そう。それは、報道番組で殺人事件のニュースを見ている視聴者のような心理的状態だ。殺られるのは嫌だが、自分が殺られるとは思っていないのだ。

「クライン、ティグ、ちょっと来い」

 キリトに腕を摑まれ、引っ張られて歩き出す私とクライン。
 荒れ狂う冬の日本海(音限定)のような人垣を抜けて、キリトに引っ張られるがままに街路の一本に入り、馬車の陰に飛び込み隠れる。
 そしてキリトが話し始めた。

「いいか、よく聞け。俺はすぐさまこの町を出て、次の村に向かう。二人も一緒に来い」

 ……はい? 関係を続行しろと? この薄っぺらい関係を?
 キリトの話をまとめるとこうなる。
 この世界で生き残っていく為には自己をひたすら強化しなくてはならない。《はじまりの街》周辺のフィールドは、同じ事を考えている奴らに狩り尽くされて、じきに枯渇する。だから今の内に次の村を拠点にした方がいい。道も危険なポイントも全部知っているから安全にたどり着く事ができる、と。
 なるほど、これは心強い。この場合、関係を絶ち切るとか言わずに、このままキリトについていった方がいいのではないのだろうか。というか、見た限りキリト、は恐らく中学生。変態のような行動はしないだろうし、例えそのような考えに至ったところで、行動に移す勇気は、彼は持ち合わせていないだろう。
 クラインはキリトの発案に乗るかと思いきや、それを断った。どうやらこのゲームに、他のゲームで仲間だった奴らがいるようで、そいつらを置いていくわけにはいかないとの事だった。
 ほう、中々の仲間思いじゃないか、クライン。
 よって、クラインとはここで別れる事となった。

「そうか。なら、ここで別れよう。何かあったらメッセージを飛ばしてくれ」

 キリトは落ち込んでいるようだった。まあその気持ちも分からなくもない。ゲームでできた友人と別れるて、心配になる気持ちは、いかに現実主義の私であっても分かるものは分かる。でも、それは知識上であって、現実に友達なんていないので、経験した事なんて一度も無いのだけれど、まあそれはそれとして。

「ああ、だがその前に……」
「…………? どうした?」

 クラインは私の方を向き、今私に問うべき尤もな事を問うた。

「ティグ、おめぇってアバターをリアルと同じにしていたのか?」

 ………ああ。
 そういえばあの時、《手鏡》をオブジェクト化するのを躊躇していたんだよね。
 どうしよう、現実の姿に戻ろうか、正直迷う。
 変態とか不審者が寄ってこないか心配だが、キリトやクライン、その他大勢のプレイヤーはその《手鏡》の効果によって既に現実の姿になっているわけであって、このまま私がSAOの為に作ったアバターで活動しようにも、それは大勢のプレイヤーを騙す事も同義である。
 まあ、仕方ないか。
 そう思い私は、アイテムストレージに入ってある《手鏡》をオブジェクト化し、覗き込んだ。
 すると間も無くして、白い光に包まれた。その光の中で私の身体は、作ったアバターのものから現実のものへと変貌してゆく。そして光が消え収まった。私の身体は、紛れも無く現実のそれになった。

「女!?」
「女!?」

 反応するところそこかよ。やっぱあんたら紛れも無く男だよ。

「し、しかも黒髪ロングで長身でスタイル抜群だとぉ!?」
「クライン落ち着け!!」

 キリトが、興奮しているのか驚愕しているのかよく分からないクラインを落ち着かせると、キリトが私に訊いてきた。

「ティグ、あんたはどうする?」

 どうする、というのは、私がキリトに付いていくかどうかという事だろう。
 そりゃあ、付いていくに決まっている。

「私は………キリトに付いていくよ。その方が、心強いしね」

 まだあどけなさを残す少年に今後の事を色々教えてもらい先導してもらえるのはとてもありがたいのだが、しかしそれだと私に何かあった場合、彼は自分の所為だと思ってしまう事だろう。だからそういう面について少しばかり葛藤したが、それでも今は先を行き、自己を強化していくのが最優先だと感じたので、私はキリトに付いていく事にした。
 口調の変化に少し戸惑いつつもキリトは、そうか、と言った。
 そしてクラインの方に向き直った。

「……それじゃあクライン、またな。……ティグ、行こう」
「………ああ」

 方角にして北西。次の村へと歩みを進める。

「キリト! ティグ!」

 クラインが声を投げ掛けた。

「キリト! おめぇ、けっこうカワイイ顔してやがんな! 結構好みだぜ! ティグ! おめぇは質の悪い男に絡まれないように気をつけろよ! スタイル抜群なんだからな!」

 それは誉め言葉として受け取ってもいいのだろうか。正直迷ったが、ここは誉め言葉として受け取っておく事にする。
 そして私はクラインと同じような言葉を、クラインに返した。

「あんたも、牢獄送りにならないようにする事だね」

 それに続いて、キリトも返した。

「お前もその野武士ヅラの方が十倍似合ってるよ!」

 そしてキリトは前を向き、北西へと、駆け出した。
 私もキリトに続いて駆け出した。
 よく見ると、キリトは歯を食いしばっていた。やはり、情けなくて仕方ないのだろう。だけど私は、そんなキリトに何も言わず、ただ見ているだけだった。
 慰めの言葉を言って何になる。それだとただ同情しているだけではないか。私はいつからか、同情はしないと心に決めているのだ。同情したところで、当の本人が更に悲しむだけなのだ。
 だから私は、ただ見ているだけでいいのだ。ただ傍観しているだけでいいのだ。
 人は悲しんだら、結局その後、立ち直ろうとするものなのだから。
 それにしても、このゲームはいつまで続くのだろうか。半年ぐらいは続くのではないだろうか。まあそうであろうとなんだろうと、あと3日で脱水症状で死ぬんだろうけれどね。まあ、死ぬまで頑張るよ。



 しかし、この時はまだ知らなかった。
 私が3日で死ななかった事。
 そして、このゲームが、約二年も続くなんて事を。 
 

 
後書き
この作品は、ハーメルンでも投稿しております 
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