銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百九十五話 共同占領
帝国暦 488年 1月 5日 メルカッツ艦隊旗艦 ネルトリンゲン エルネスト・メックリンガー
リヒテンラーデ、トラーバッハ方面を攻略していた私達とフレイア方面を攻略していたメルカッツ副司令長官の艦隊はシャンタウ星域で合流した。私にとってはティアマトに次いで思い出の深い場所だ。シャンタウ星域の会戦で反乱軍を打ち破ったのは昨年の八月、あれから未だ半年と経っていない。
リヒテンラーデは当然だがトラーバッハでも戦闘は無かった。貴族連合軍はガイエスブルク要塞に戦力を集中している。戦闘はガイエスブルク要塞付近に近づくまでは無いだろう。もっとも戦闘は無くともやる事は有る。トラーバッハには貴族連合軍に参加している貴族の領地があったからだ。
有人惑星が三つ、無人惑星だが鉱物資源を産出する惑星が二つ、同じく鉱物資源を産出する衛星が三つ、そして小惑星帯が存在した。
そこには我々に抵抗する兵力、艦隊戦力は無かった。僅かに領地を警備し領民を抑えるための兵力が置いてあるだけだ。しかし、放置すれば貴族連合軍に資金面での援助をし続けるに違いない。トラーバッハはオーディンから遠くない。十分に開発され、豊かな星系なのだ。
貴族達が残した統治者、兵を降伏させ、住民達に帝国政府の直轄地になった事を伝えるとレンテンベルク要塞のヴァレンシュタイン司令長官に連絡した。後は司令長官とオーディンにいる政治家達の仕事だ。財務省の役人達は随分と忙しい思いをするだろう。
メルカッツ艦隊旗艦ネルトリンゲンにある会議室に各艦隊司令官が集まった。メルカッツ副司令長官、ケンプ、ケスラー、クレメンツ、アイゼナッハ、ビッテンフェルト、ファーレンハイト、レンネンカンプ、そして私。
「これよりシャンタウ星域の制圧に入る。シャンタウ星域の制圧はそれほど難しいとは考えていない。手間はかかるかもしれないが困難は無いはずだ」
メルカッツ副司令長官が皆を見渡しながら話を始めた。何人かが頷く。
「問題はその後だ、我々はリッテンハイムからブラウンシュバイクを経てガイエスブルク要塞に向かう事になる」
「敵はガイエスブルク要塞に戦力を集結していますが、リッテンハイム侯、ブラウンシュバイク公が黙ってそれを許すとも思えません。我々がリッテンハイム、ブラウンシュバイクに侵攻すれば迎え撃ってくるのではないでしょうか」
メルカッツ副司令長官とクレメンツの言葉に皆の表情が引き締まった。戦闘が近づきつつある。
「クレメンツ提督の言う通り、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の本拠地を攻めるのだ、敵が出てくる可能性は小さくない。皆十分に気をつけて欲しい」
「敵が出て来なかった場合は?」
「……敵は余程の覚悟を決めて我々を待っていると言う事だろう、メックリンガー提督。油断は出来ん」
二十万隻近い大軍がガイエスブルク要塞で我々を待っている。我々よりも戦力は大きい。その事が会議室の空気を更に緊張させた……。
打ち合わせが終わり、メルカッツ提督が会議室を出た後、残ったメンバーで少し話をした。話題になったのは、シュターデン大将のヴァルハラ星域への侵攻作戦の事だった。三方からの分進合撃と各個撃破、シュターデン大将に勝てる可能性は無かったのか? 何処で彼は間違えたのか? その間違いを的確に突いた司令長官の用兵の妙、一時だが楽しい時間だった。
ローエングラム伯の事は話に出なかった。我々にとって、いや少なくとも私にとっては来るべきものが来ただけで驚くような事ではなかった。最終的には他者に膝を屈する事が出来ない男、であればあれは当然の結果だっただろう。
敢えて話をする事でもない。おそらく皆そう思っていたのではないだろうか。故意にその話を避けるような不自然な空気は無かった。あくまで一時の楽しい時間だった。
帝国暦 488年 1月12日 ルッツ艦隊旗艦 スキールニル ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ
「フロイライン・マリーンドルフ、ようやく一息つけるようだ。貴女も少し休んでくれ」
コルネリアス・ルッツ提督が私を気遣って声をかけてきた。もっともルッツ提督自身、かなり疲れた表情をしている。
「有難うございます。提督も少しお休みください」
「有難う」
コルネリアス・ルッツ大将。今年三十二歳になると聞いた。白い金髪と青い瞳をしている。興奮すると瞳が藤色に彩られると言うけど私は未だ見た事が無い。
才気煥発というタイプではないが、堅実で安定した力量を感じさせる人物だ。性格も穏やかだけれど軟弱、優柔不断ではない。安心して傍にいる事が出来る。私に対しても偏見から壁を作るという事も無い。人の上に立つ人物とはこの人のような人物を言うのかもしれない。
ローエングラム伯が指揮官の地位を剥奪されてから十日。忙しい十日間だった。皆が故意にローエングラム伯の事を忘れるために忙しく働いたと言う事も有るかもしれない。
ワルテンベルグ星系の制圧戦が終わり、艦隊はこれからキフォイザー星系へと向かう事になる。確かに休めるのは今のうちだろう。キフォイザー星系に行けばまた忙しくなるに違いない。
戦闘らしい戦闘は無かった。こちらが進撃しただけで貴族連合軍の領地は放棄された。本来領地を守るべき人間達はガイエスブルク要塞に退去したようだ。
意気地が無いとは言えないだろう。戦力がまるで違うのだ。無駄死にする必要は何処にも無い。ルッツ提督も弱いもの虐めのような戦闘はしたくないと言っている。
占領した惑星は住民達の自治に委ねた。こちらは内政には関わらず、惑星間の治安維持に意を注ぐ事に専念。略奪を厳禁したことも住民達からの支持を受ける事になった。
辺境に来て分かったのは、貴族による惑星統治の酷さだった。彼らにとって住民は自分達の許可無しには生きる事さえ許されない存在だった。略奪の厳禁、ごく当たり前の事を行う事で支持を得る事が出来る……。特権は人を腐敗させる、確かにその通りだ。
私はこれまでマリーンドルフ伯爵家を存続させるために司令長官に味方していた。正直貴族に対して課税する、その権力を抑制しようとする政策に共鳴したわけではなかった。
しかし辺境に来て司令長官の進めようとしている改革が帝国には必要だというのが良く分かった。確かに帝国はこのままでは危ない、貴族という一部の特権階級によって食い潰されてしまうだろう。
変わらなければならない、今回の内乱は単なる権力争いではない。帝国の未来を決める戦いなのだ。マリーンドルフ伯爵家が、私自身が新しい帝国の成立にどのように協力していけるのか、そのために何が出来るか。その事をもう一度考えなければいけないだろう。
宇宙暦 797年 1月12日 ハイネセン 最高評議会ビル ジョアン・レベロ
最高評議会議長の執務室は緊張に包まれていた。スクリーンには帝国の高等弁務官レムシャイド伯が映っている。執務室にいるのはトリューニヒト、ホアン・ルイ、ボロディン統合作戦本部長、そして私。
ここ半月ほどの間、レムシャイド伯と私達は二、三日おきに連絡を取り合っている。もっとも会話の内容はまるで変わる事は無い。“兵を退け、これは帝国の内政問題だ”というレムシャイド伯に対して“兵は退けぬ、退けば帝国と同盟の関係はより悪化する”と答えるトリューニヒト。
帝国軍は三日前からフェザーンまで二日の距離で止まっている。同盟軍がフェザーンを目指している事でフェザーン占拠をすれば戦争になりかねないと見ているのだろう。
今のところ、艦隊を派遣した事はそれなりの効果を上げている。帝国が単独でフェザーンを占領する事を防いでいるのは確かだ。しかし、問題はこれからだ、帝国の我慢もそろそろ限界だろう。
ここからは間違いは許されない。トリューニヒトの言うように共同占領が実現するのか、帝国が受け入れない場合はフェザーンからの全面撤退も有るだろう……。当然我々も厳しい立場に置かれる事になる。
『トリューニヒト議長、同盟は帝国との戦争を望んでいるのかな?』
「とんでもない、そのような事はありません」
トリューニヒトの返事に対してレムシャイド伯の表情が厳しくなった。
『ならば兵を退かれよ。このままでは帝国軍と卿らの艦隊の間で戦闘が起きる事になる』
「戦闘は望む所ではありません。しかし、こちらの事情も御理解いただきたいのです。フェザーンの占領など認めれば、我々の政権は崩壊せざるを得ない。そうなれば次に登場するのは帝国に強い敵意を持つ政権になるでしょう」
『私には卿らも十分に帝国に敵意を持っているように見えるが?』
レムシャイド伯が皮肉に満ちた口調でこちらを揶揄したがトリューニヒトは気にする様子も無く言葉を続けた。
「そうなれば先日の捕虜交換の合意などあっという間に吹き飛んでしまいますぞ」
『……捕虜交換の合意が吹き飛んで困るのは、帝国よりも卿らであろう、違うかな?』
レムシャイド伯が僅かな沈黙の後、低い声で脅すかのように凄んできた。
「確かに。しかし帝国も戦線を増やすのは望む所では有りますまい」
トリューニヒトとレムシャイド伯が視線を逸らすことなく睨みあう。
『……随分と汚いやり方ですな、トリューニヒト議長。卿らは帝国の苦境に付け込もうとしている様だが、後々つけを払うのはそちらですぞ』
「付け込もうとしているわけではありません。このままではお互いに困った事になると言っているのです」
『……』
「如何でしょう、我々はいがみ合うよりも協力し合うべきだと思いますが」
トリューニヒトが声を潜めて囁くようにレムシャイド伯に話しかけた。レムシャイド伯もトリューニヒトに合わせるように声を潜める。
『……と言うと』
「……フェザーンの共同占領」
トリューニヒトの言葉にレムシャイド伯が眉を寄せた。そして表情に苦味を滲ませ吐き捨てるように言葉を出す。
『馬鹿な、そのような事が可能だと思っているのか』
「我々はフェザーンの内政に関与するつもりは有りません。フェザーンはあくまで帝国内の一自治領です。我々が欲しいのは帝国と共にフェザーンを占領したという事実です」
『……卿らが欲しいのはあくまで共同占領という名だと言うのか?』
呟くような口調でレムシャイド伯が問いかけてきた。
「その通りです。実はそちらで取っていただいて結構。我々もルビンスキーには何度も煮え湯を飲まされている。フェザーンが本当の意味で中立を守るように帝国と同盟で共同出兵したと言うのはおかしな話ではありますまい」
『……』
「共同占領にはそれなりのメリットもある。帝国に同盟が協力しているとなればフェザーンの住民達も無用な抵抗はしないでしょう」
スクリーンに映るレムシャイド伯が微かに冷笑を浮かべた。
『いささかそちらに都合の良すぎる理由のようだが?』
「そうかもしれませんな、しかしいがみ合うよりは良い、そうではありませんか?」
『……まあ、確かにそれは有るか……』
「如何です? 共同占領、受け入れて貰えますかな?」
レムシャイド伯は少しの間、視線を伏せて考えこんだ。執務室の緊張が更に高まる。
『……私の権限では答えられぬ、本国に話してみよう。但し、そちらの艦隊が現在の位置に止まる事が前提だ。この提案を時間稼ぎに使う事は許さぬ』
「もちろんです」
スクリーンからレムシャイド伯が消えると、執務室の緊張も緩んだ。コーヒーを淹れようやく皆一息ついた。
「上手くいったのかな、トリューニヒト」
「少なくともレムシャイド伯は共同占領案に悪い感情は持っていないようだ、説得できたと思う」
私の問いにトリューニヒトが交渉を思い出すような目をしながら答えた。そしてホアンが言葉を続ける。
「後は彼がどの程度の影響力を本国に発揮できるかだが……」
「事が事だからな、楽観は出来ん。レムシャイド伯の影響力よりも本国の実力者達がどの程度理性的かだろう。面子で考えられたら受け入れられまい」
トリューニヒトの言葉にボロディン統合作戦本部長が厳しい声を出した。
「トリューニヒト議長、共同占領案が帝国に受け入れられなかった場合、艦隊は後退させますが宜しいですね」
「ああ、構わない。戦争はしない、これは君達との約束だからね。それと艦隊は直ぐ侵攻を止めてくれ。帝国の不信を買いたくない」
「承知しました」
ボロディン統合作戦本部長はコーヒーを飲み干すと執務室を出て行った。その姿にホアンが軽く苦笑する。
「トリューニヒト、君は軍に信用されていないな」
「これまでの事があるからな、仕方ないだろう。だが彼らは頼りにはなる。単純な主戦派や出世することしか頭に無い連中よりは、はるかにましだよ」
「信頼はこれから積み上げていけば良い。先ずは今回のフェザーンの件がどうなるかだ」
「そうだな、レベロ。君の言う通りだ。上手く行けば良いんだが……」
帝国から回答が来たのは翌日の十三日の事だった。執務室には前日と同じメンバーが集まっている。スクリーンに映るレムシャイド伯は沈痛な表情をしていた。余りよくない傾向だ。
「レムシャイド伯、帝国本国からの回答をお聞きしたい」
『その前にトリューニヒト議長、卿に確認したい事がある』
「なんですかな」
執務室の緊張が高まった。
『同盟は、いかなる意味でもフェザーンに対して領土的な野心を持たない、そう考えても宜しいかな?』
「もちろんです。我々はフェザーンに対して領土的な野心を持ちません。フェザーンが帝国内の一自治領だと言う事は分かっていますし、それを尊重します」
トリューニヒトが丁寧な口調で答えた。この答えが帝国本国からの回答に密接に関わっている事は間違いない。いかなる意味でも誤解が生じるような回答はすべきではない、そう考えたのだろう。レムシャイド伯がゆっくりと頷くのが見えた。
『宜しいでしょう。では帝国本国からの回答をお伝えする』
「……」
『トリューニヒト議長、帝国は同盟より提案のあったフェザーン共同占領案を正式に拒絶する。受け入れる事は出来ないと判断した』
トリューニヒトの表情が歪む。執務室に眼に見えない衝撃が走った……。
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