銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百八十一話 ファーストストライク
帝国暦 487年 12月15日 帝国軍総旗艦ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
軍人も楽じゃない。いや元から楽だとは思っていないが負傷しても休めないと言うのは辛い。負傷して病休ですといっても敵はやってくる。少しは遠慮と言うものが無いのだろうか、身体が治った頃を見計らって挨拶に来ますとか。まあ有る訳無いか。
ヴァレンシュタイン艦隊一万五千隻はシュターデン達の迎撃に向かっている。敵は中央を進むのがシュターデン率いる一万一千隻、シュターデンの右から一万隻をラートブルフ男爵が、左からシェッツラー子爵が九千隻を率いて進軍してくる。
全くもってアスターテ会戦の再現なのだが(この世界ではアスターテ会戦は無かったから再現と言うのはおかしいのかもしれない)、勝利条件は少し違ってくる。ラインハルトの場合は敵の撃破だけで良かった。しかし俺の場合は、オーディンの防衛という付加条件がある。
敵の艦隊がオーディンに着くまで後二日といったところだ。つまり二日以内に三個艦隊を撃破しなければならない。奇襲をかければ大体四、五時間程度で敵を撃破出来るだろう。
後は移動時間だがこいつも大体五時間前後はかかると見ていい。つまり一個艦隊を片付け、移動するのに十時間ほどかかると言う訳だ。三個艦隊片付けるのに二十四時間はかかる事になる。
約二十四時間の予備時間が有るが、戦場では何が有るか分からない。それに一旦振り切られたら追付く事は難しい。手間取る事は出来ない。条件はアスターテより厳しいと言って良いだろう。
シュターデンの分進合撃は俺を撃破すると言う点に関しては余り良い手ではない。むしろ一つにまとまって力押しにした方が勝率は高いはずだ。しかしオーディン攻略という点では分進合撃は必ずしも悪い手ではない。巡察部隊の発見がもう少し遅ければ、こちらとしても手の打ちようが無かっただろう。
もっとも俺にはシュターデンが分進合撃を採ったのはそこまで考えてのことだとは思えない。おそらく彼は俺がオーディン近郊で防衛戦を行なうと予測したはずだ。自分達の背後から来るメルカッツ達と力を合わせて挟撃しようとしている、そう考えただろう。
本当なら正面から突破してオーディンに進行したかったはずだ。俺を打ち破り、オーディンを攻略する。その武勲は他者の追随をゆるさないだろう。二倍の兵力なのだ、小細工をする必要は無い。
だが何かにつけて我儘を言うラートブルフ男爵、シェッツラー子爵を抑えきれなくなった。だから敢えて分進し、目標を与える事で面倒を避けることを考えたのだ。ダゴン星域の殲滅戦の再現だと考えて自分を納得させたに違いない。
「閣下、間も無く敵と接触します」
ワルトハイムが緊張した面持ちで話しかけてきた。シューマッハ、キルヒアイス、男爵夫人、ヴァレリー、そしてリューネブルクが会議卓に座っている。
眼前のスクリーンにはまだ敵軍は映っていない。しかし戦術コンピュータがモニターに映し出す擬似戦場モデルには敵軍の姿が映っている。シェッツラー子爵率いる九千隻の艦隊だ。このまま行けば敵の斜め前方から攻撃する事になる。
皆緊張している中でリューネブルクだけが戦況よりもキルヒアイスに注意している。ロキに乗艦する前にリューネブルクには例の件を話してある。この戦いの後でシューマッハにも話しておく必要があるだろう。
「参謀長、妨害電波は出ていますか?」
「はっ、特に問題はありません」
「では、そろそろ始めましょうか」
俺の言葉に皆が頷いた。先ずはファーストストライクを取る。俺は胸の痛みを堪え右手を上げ振り下ろす。
「攻撃開始! 急速接近し敵を撃破せよ!」
帝国暦 487年 12月15日 シェッツラー艦隊旗艦メレンバッハ シェッツラー子爵
「敵艦隊急速接近、規模、約一万五千!」
「何の話だ! 敵とはどういうことだ!」
オペレータが敵が近づいていると言っている。馬鹿な、見間違いだろう、敵がこんなところに居るわけが無い。シュターデンは敵はオーディン近郊でこちらを待ち受けていると言ったではないか。三方から包囲して殲滅すると。
スクリーンに映る光点が少しずつ大きくなってくる。あれは、あれは敵なのか……。
「閣下、どうなさいますか?」
部下が問いかけてきたが、どうすればよいのだ? こんな話は聞いていない。シュターデンに騙された、そうだ、シュターデンだ!
「シュターデン大将に連絡だ、応援を要請しろ」
「駄目です、繋がりません」
役立たずのオペレータめ、何故繋がらないのだ!
「どういうことだ、何故繋がらない!」
「敵の妨害電波が酷く通信は不可能です」
「ええい、役立たずめ! 私はどうすれば良いのだ」
何故誰も私を助けようとしない、何故だ! シュターデンに騙された。あの男は私を囮にして自分がオーディンを攻略しようとしているのだ。きっとそうに違いない。自分だけで功を独占しようとしているのだ。
突然スクリーンが真っ白く光った。
「何だ、何が起きた!」
「閣下、敵が攻撃をしてきました、反撃なさいますか、それとも撤退ですか、御命令をください」
「こ、攻撃だ、攻撃せよ、敵を蹴散らすのだ」
「攻撃せよ、全艦、総力戦用意!」
総力戦? 勝てるのか、私は。負けたらどうなるのだ……。
し、死にたくない、まだ死にたくない。降伏すれば助けてもらえるのだろうか……。私はシュターデンに騙されたのだ。そう言えば助けてもらえるのだろうか……。
帝国暦 487年 12月15日 帝国軍総旗艦ロキ マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ
戦闘開始から二時間が過ぎた。素人の私から見ても味方が一方的に攻撃している事が判る。ワルトハイム参謀長、シューマッハ副参謀長、ジークフリード・キルヒアイスが戦況を見ながら指示を出している。
今手持ち無沙汰にしているのは私とリューネブルク中将だけだ。中将はつい先程まで司令長官と会話をしていたが、今は指示を出している参謀長達を見ている。合格点を付けられるか見ているのかもしれない。
提督席に座っている司令長官を見た。司令長官は黙って戦況を見ている。彼は戦闘開始から一時間が過ぎた時点で指揮をワルトハイム参謀長達に任せた。経験を積ませようというのか、それとも指揮を執るのが辛いのか……。
ワルトハイム参謀長達が優位に進む戦況に興奮気味なのに比べ司令長官は冷静そのものだ。時折顔を顰めるときが有る、傷が痛むのかもしれない。提督席にゆったりと座り、毛布をかけている姿はとても軍人には見えない。
「何か男爵夫人の目を楽しませるものが有りましたか?」
「いえ、済みません。閣下が余りに落ち着いていらっしゃるのでつい見てしまいました」
司令長官の言葉に思わず声が上ずった。彼の視線はいつの間にかスクリーンから私に移っている。私が司令長官を見ているのに気づいていたらしい。思わず頬が熱くなった。司令長官は微かに笑みを浮かべている。
「何か私に聞きたいことが有りますか?」
「よろしいのですか?」
私の問いに司令長官は頷いた。視線はまたスクリーンに向けられている。
「予想より早く戦闘は終わりそうですが、それでも後一時間ほどかかるでしょう。その間はやることがありません」
「男爵夫人、余り長時間は困ります。司令長官を疲れさせないでください、本当ならまだ入院していなければならないんです」
「ピーマンとレバーさえなければもっと入院していても良かったんですけどね」
フィッツシモンズ中佐の心配そうな声に司令長官がからかう様な表情で答えた。ピーマンとレバー? 嫌いなのだろうか。まるで子供みたいだ。思わず笑いが出そうになった。
「閣下、シュターデン大将はこの後どうするでしょう?」
「そうですね、こちらの動きを知ってラートブルフ男爵と合流する事を優先するか、或いは気付かずにこのまま進撃するか……」
「どちらだとお考えです?」
「おそらくはこのまま進撃するでしょうね。そして各個撃破される」
「……」
そうだろうか、いくらなんでもこのまま進撃と言うのはありえないような気がする。私の沈黙をどう受取ったのか、司令長官はスクリーンを見たまま話し始めた。
「シュターデン大将は実戦経験はありますが、実戦指揮の経験はありません。殆どが参謀、幕僚任務のみです。こういう経歴を積み重ねた人には多かれ少なかれある種の癖があるのです」
「癖、ですか」
「ええ、作戦は念入りに立てることを好みます。そして作戦通りに動くときには非常に強いのです。しかし、一度意表を突かれると動転し迷い効果的な対応が出来なくなる。シュターデン大将にはその癖が多分にあります」
「……臨機応変に動けないと?」
「ええ。戦場で大切なのは主導権を握る事なのです。迷ってしまっては主導権は取れません。相手の動きを読もうとして反って相手の動きに合わせてしまう事が有る。主導権を取るどころか、相手の主導権を認めてしまうことになるのです」
「……」
司令長官が私を見た。穏やかな表情だ、戦場の指揮官だとはとても思えない。
「当たり前のことですが参謀と指揮官は違うのですよ。参謀の仕事は作戦を立て指揮官を補佐する事ですが、指揮官の仕事は決断することなのです。簡単なように思えますが、主導権を握るには決断しなくてはなりません。その決断で敵味方が何十万、何百万と死ぬ事になります」
「……」
司令長官の言葉は淡々としていたがずっしりとした重みが有った。これまでに何百万、いや一千万以上の敵味方を死なせた人間の言葉だ。今更ながら思った、百万人の敵を殺すという決断の重さとはどのような物なのだろうと。
これまで軍人達と付き合いが無かったわけではない。ラインハルトもキルヒアイスも武勲を挙げた喜び、昇進した喜びは教えてくれた。しかしその喜びの裏にある決断の重さを教えてはくれなかった。それとも感じなかったのか……。
「閣下、もしシュターデン大将がラートブルフ男爵と合流した場合はどうなさいますか?」
私の言葉に司令長官は微かに笑みを浮かべた。
「その場合は艦隊をオーディンとシュターデン大将の間に置き防御戦を展開します。敵は約二万隻、こちらは一万五千、メルカッツ提督が来るまでなら十分対処可能でしょう。後は挟撃するだけです」
「……」
司令長官はもう勝利を確信している。ヒルダの言葉を思い出した、書類を決裁している司令長官は戦場の武人には見えない、どちらかと言えば軍官僚に見える……。今私の目に映る司令長官は……、やはり戦場の武人には見えない、しかしヒルダの言うような軍官僚にも見えない。一体この人は何なのだろう……。
「どうしました。もう指揮を執るのには飽きましたか?」
「申し訳ありません、閣下と男爵夫人のお話に興味がありましたのでつい気をとられました」
いつの間にかワルトハイム参謀長達が私達の会話を聞いていたらしい。司令長官の問いかけに、いやもしかすると叱責なのだろうか、参謀長達は口々に謝罪している。司令長官は一瞬だけ苦笑するとまたスクリーンに視線を向けた。
「もう直ぐ敵の組織的な抵抗は終わるでしょう。掃討戦の必要は有りません、直ぐにシュターデン大将の艦隊を攻撃するべく動いてください」
「はっ」
「キルヒアイス准将」
「はっ」
「如何ですか、作戦参謀として戦闘に参加するのは。副官とは大分違うと思いますが」
司令長官の言葉にジークは微かに緊張を浮かべた。
「大変勉強になります。閣下の御配慮に心から感謝します」
「そうですか、期待していますよ、これからも」
司令長官は微かに笑みを浮かべると毛布を少し掛け直そうとしたが、傷が痛むのだろう、顔を顰めて手を止めた。フィッツシモンズ中佐が傍により毛布を掛け直す。司令長官は安心した表情で中佐にされるままになっていた。まるで母親と子供のようだ。
私が毛布を掛け直そうとしたら司令長官はどうしただろう? 恥ずかしさから嫌がっただろうか?
帝国暦 487年 12月15日 帝国軍総旗艦ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
そろそろ戦闘は終わるだろう。思ったより早く片付いた。指揮官がシェッツラー子爵ということで効果的な反撃が出来なかった事もあるが、兵の錬度もあまり高くないようだ。
ワルトハイムを始めとして参謀達が指示を出している。特に問題は無い、十分に彼らは有能だ。だが男爵夫人に言ったシュターデンの欠点はワルトハイムにも当てはまる事だ。シュターデン程では無いにしろワルトハイムにも考えすぎてしまうところが有る。
今回の戦いも彼が最初から指揮を取っていたらどうなったか、オーディンの防衛を考えすぎる余りシュターデンの作戦に嵌ってしまい、包囲殲滅という事になっていたかもしれない。今回の戦いでその辺りが修正されれば良いのだが……。
キルヒアイスが分艦隊司令官達に指示を出している。良くやっているようだ、確かに能力は有る。本人も楽しそうに仕事をしている……。残念だよ、キルヒアイス、お前に残された時間はそれほど多くない。
悔いの無い様に生きるのだな。そのためのチャンスは何度か作ってやる。お前がラインハルトの腰巾着ではなかった事を周囲に証明するといい。そして死んでいけ、反逆者として……。俺がお前にしてやれる事はそれだけだ。
敵が降伏した。シェッツラー子爵は捕虜になった。とりあえずファーストストライクは取ったわけだ。セカンドストライクはシュターデンだ。士官学校以来の因縁だな、そろそろ決着を付けようか、シュターデン教官……。
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