Sword Art Rider-Awakening Clock Up
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幻想の復讐
屋根ではなく道を使って悄然と宿屋まで戻った俺は、ヨルコが消滅した路傍で立ち止まり、石畳に転がっている漆黒のスローイングダガーを眺めた。
つい数分前、そこで1人の女性が死んだということが、どうしても信じられない。俺の知るプレイヤーの死とは、あらゆる努力、あらゆる回避策を積み重ねてなお力及ばぬ時にのみ訪れる結末だった。あんなふうに即時的かつ不可避の殺人手段など存在していいはずがない。
身を屈め、ダガーを拾い上げる。小型だが、全体が同一の金属素材でずしりと重い。剃刀のような薄刃の両側には、鮫の歯を思わせる逆棘がびっしりと刻まれている。間違いなく、カインズを殺したショートスピアと同じ意匠で造られたものだ。
俺はダガーを持って宿屋の2階に上り、ノックして名乗った後ノブを回す。ガチンと響くシステム開錠音を空しく聞きながら、ドアを開ける。
アスナは細剣を抜剣し、その隣にはキリトが付き添っていた。アスナは俺を見ると、憤怒と安堵が同量ずつ混ざったような表情を浮かべ、押し殺した声で叫んだ。
「バカッ、無茶しないでよ!」
ふう、と長く息を吐き、声量を落として続ける。
「それで……どうなったの?」
俺は小さく首を振った。
「テレポートで逃げられた。顔も声も確認は取れなかったが、多分……男だと思う……」
自信なさそうな俺の言葉に__。
不意に反応を見せたのは、ソファーの上で大きな体を限界まで丸め、カチャカチャと小刻みな金属音を響かせていたシュミットだった。
「……違う」
「違う……何が?」
訪ねた俺を見ることなく、いっそう深く顔を俯けながら、シュミットは呻いた。
「……あのローブはグリセルダのものだ。あれは、グリセルダの幽霊だ。指輪を売りに行く時も、あのローブを着ていたんだ。俺達全員に復讐しに来たんだ。あれは、グリセルダの幽霊だ!」
はは、はははは、と不意にタガが外れたような笑い声を漏らす。
「ゆ、幽霊ならなんでもありだ。圏内で人殺しくらい楽勝だよな。いっそグリセルダにSAOのラスボスを倒してもらえばいいんだ。最初からHPが無きゃもう死なないんだからな」
ははははは、とヒステリックに笑い続けるシュミットの目の前のテーブルに、俺は左手で握ったままのダガーをひょいっと投げた。
ごとん、と鈍い音が響くや、シュミットはスイッチを切られたかのように笑いを止めた。凶悪に光る鋸歯状の刃を数秒間凝視し__。
「ひっ……!」
弾かれたように上体を仰け反らせる大男に、俺は抑えた声を投げかけた。
「幽霊なんかじゃない。そのダガーは実在するオブジェクト。そして、SAOのサーバーに書き込まれたプログラムコードだ。俺は幽霊なんて信じない。絶対に何かトリックがあるはずだ。絶対に……突き止めてみせる」
その後、シュミットの要望で彼を《聖竜連合》本部へと送った。引き換えとして、俺はメモを受け取った。
シュミットのメモに記されていた店は、20層主街区の下町にある小さな酒場だった。曲がりくねる小路にひっそりと看板を掲げる店の佇(たたず〕まいからは、《毎日食べても飽きない》級の料理が出てくるとはなかなか思えない。
しかし、往々にしてこういう店に隠れ名物が存在するのもまた事実。もしグリムロックがあのフーデッドローブの暗殺者なら、すでに俺の顔を見ているはずなので、先に気づかれたら二度とこの店には現れないだろう。
近くの物陰に身を潜め、周囲の地形を確認した俺とキリトとアスナは、問題の酒場を見通せる位置に宿屋が一軒あるのに気づいた。人通りが途切れた瞬間を狙って宿屋に飛び込み、通りに面した2階の客室を借りる。
狙い通り、部屋の窓からは酒場の入り口がはっきり視認できた。部屋の明かりを落としたまま窓際に椅子を3脚運び、アスナを中心にして3人は並んで腰を下ろし、監視姿勢に入った。
しかし直後、アスナが「ねえ」と眉を寄せた。
「……張り込みはいいけど、わたし達、グリムロックさんの顔知らないよね」
「だからさっきシュミットを連れて行くべきだと言っただろ」
「でも、シュミットのあの様子じゃちょっと無理そうだったからな……」
俺がフーデッドローブの暗殺者を逃して宿屋に戻った時も、ギルド本部へ送り届ける時も、シュミットはずっと怯えたままだった。悔しいが、キリトの言う通り、あの状態のシュミットから情報を聞き出すのは無理だ。
「さっきの黒いローブの人……本当にグリセルダさんの幽霊なのかな……。目の前で二度もあんな光景を見たら……わたしにもそう思えてくるよ」
窓から夜空を眺めるアスナの言葉を聞いてみると、俺でさえそんなふうに考えてしまいそうだ。
「……幽霊かどうかはともかく……あのローブを追跡した時、俺は見た」
「何を?」
「顔だ。まぁ、見たと言っても顔つきだけだが、あれは明らかに男だ。奴がグリムロックだった可能性もある。顔つき、身長、体格で見当をつけ、それらしい奴が現れたら、デュエル申請で確認するしかない」
「えーっ」
途端、アスナは眼を丸くして声を上げた。
しかしキリトは、「それしかないな」と言い、賛同した。
SAOでは、他のプレイヤーに視線をフォーカスさせると、緑色あるいはオレンジの情報窓、《カラー・カーソル》が出現する。しかし、初対面の相手のカーソルにはHPバーとギルドタグしか表示されず、名前やレベルまではわからない。
これは、様々な犯罪行為を防ぐための当然の仕様だと言える。他人に名前を一方的に知られると、インスタント・メッセージを悪用した《嫌がらせ(ハラスメント)》を受ける可能性があるし、また他人のレベルが簡単にわかれば、街で低レベルの獲物を見繕って尾行しフィールドで襲うといった強盗・恐喝が格段にやり易くなってしまう。
だが、他人の名前が見えないというその仕様ゆえに、今回のように人を探そうとすると少なからぬ苦労を強いられる。
初対面の誰かの名前を知ろうとするなら、方法は俺の知る限りたった1つ。1対1の決闘、すなわちデュエルを申請するしかない。もちろん、それ以外の方法が1つもないわけではないが、それを実行するとなると現実に帰還しなければならない。SAOがデスゲーム化しなければ……、と悔しく思えて仕方がない。
SAO開発に携わった俺に言わせれば、晶彦の持つ管理者権限をハッキングして奪う、なんてことも可能だが、それも現実に帰還しなければ無理な話だ。
無駄な思考を捨て、メニューウィンドウからデュエルボタンを押し、選択モードになった指先で対象のカラー・カーソルを指定すると、俺の視線には【誰それに1VS1デュエルを申請しました】というシステムメッセージが表示される。それを見れば、相手の名前が正式なアルファベット版でわかるわけだ。
しかし同時に、相手の視界にも俺からデュエルを申し込まれた旨のメッセージが表示される。ゆえに身を隠したまま名前だけ調べることはできないし、それ以前に完全なるノーマナー行為でもあるし、更には相手がデュエルを受けて立ち武器を抜くという展開すらあり得る。
俺の行為に、アスナは何かを……《危険》という意味のことを言おうと口を開きかけた。
キリトと違って、アスナは俺のやり方に賛同できていないのだろう。
しかしすぐに唇を引き結び、厳しい表情で頷く。他には方法がないことを理解してくれたのだろうが、続けて発せられた言葉は__。
「でも、グリムロックさんと話す時は、わたしも一緒だからね」
そうきっぱりと宣言されてしまえば、部屋で待っててくれという言葉は呑み込むしかない。
だが特に否定する理由もなく俺は頷き、キリトは少々ためらいつつも頷いた。
時刻を確認すると、午後6時40分。そろそろ各層の街が晩飯を食いにきたプレイヤーで賑わう頃合いだ。問題の酒場も、地味な店構えのわりにはスイングドアが頻繁に揺れている。しかしまだ、瞼の裏に焼き付いたあのフーデッドローブに合致するプレイヤーは現れない。
だが俺達にはもう、最後の手がかりであるこの店に賭けるしかなかった。
しかし、さすがに俺も空腹を覚え、思わず胃を押さえた。同時に、隣に座るキリトも腹に手を当てた。
すると、アスナがウィンドウを開き、白い紙に包まれたものを3つ実体化させ、俺とキリトの前にいきなりズイッと突き出した。視線を酒場に向けたままそれを保持するアスナが、短く「ほら」と言った。これが何なのかは匂いで理解できたが、キリトが反射的に確認してしまう。
「……く、くれるの?」
「この状況でそれ以外何があるのよ。見せびらかしてとでも?」
「い、いや、すいません。じゃあ有り難く」
「………」
キリトは首を縮めて素早く紙包みを受け取り、俺は無言のままゆっくりと受け取った。
キリトがチラッと視線を振ると、俺とアスナは監視を続けたまま、いそいそと包み紙を剥がした。その光景につられるようにキリトも包み紙を剥がしていく。中から出てきたのは、大ぶりのバゲットサンドだった。カリッと焼けたパンの間に、野菜やロースト肉がたっぷり挟まれたそれをボケーッと眺めてると、アスナが冷静な声で言った。
「そろそろ耐久値が切れて消滅しちゃうから、急いで食べたほうがいいわよ」
「えっ、はっ、はい、頂きます!」
「……頂こう」
3人は口を開けて齧り付き、バゲットサンドの重層的歯ごたえにしばし浸った。
「……美味いな、これ」
「……美味い」
この味には、さすがの俺も言葉を発せざるを得ない。
味付けはシンプルながら適度に刺激的で、次々頬張ってしまいそうだ。食べ物の耐久度は味には影響しないので、存在している限りは出来立てと何ら変わらない。
視線を酒場の入り口に固定しながらも、大型のバゲットサンドを一気に貪り尽くし、キリトはフゥーと満足のため、ため息をついた。隣でまだ上品に口を動かしているアスナと俺をチラッと見やり、アスナに礼を言いがてら訊ねる。
「それにしても、いつの間に弁当なんか仕入れたんだ?通りすがりの屋台じゃ、こんな立派な料理売ってなかったよな?」
「耐久値がもう切れるって言ったでしょ?こういうこともあるかと思って、朝から用意しといたの」
「へぇ……さすが《血盟騎士団》攻略担当責任者様だな。……ちなみに、どこの店の?」
カリッと焼けたパンに野菜とロースト肉を挟んだバゲットサンドはキリト的名店リストのかなり上位に食い込む味だったので、しばらくはこれを攻略のお供にしようと思い、キリトは更に質問した。しかしアスナは小さく肩を竦め、予想外の答えを返した。
「売ってない」
「へ?」
「お店のじゃない」
なぜかそこで押し黙り、それ以上何も言いそうにないので、キリトはしばらく首を捻った挙句にようやく悟った。NPCショップにて購った物に非ず、つまり自作アイテム他、とKoBサブリーダー様はのたまったのだ。
キリトはたっぷり10秒ほども放心してしまってから、やばい何か言わなきゃ、と軽めのパニックに見舞われた。
「え……ええと、それはその、何と言いますか……が、がつがつ食べちゃって勿体なかったな。あっそうだ、いっそのことアルゲードの市馬でオークションにかければ大儲けだったのになあハハハ」
ガツン!とアスナの白革ブーツがキリトの座る椅子の脚を蹴り飛ばし、キリトは背筋を伸ばして震え上がった。
その拍子に。
「あ……あ、ああぁ!」
キリトは手を滑らせ、持っていたバゲットサンドを地面に落としてしまった。落とした途端に耐久値がゼロになってしまい、バゲットサンドはポリゴン片となり、砕け散った。
「言っておきますけど、おかわりはありませんからね」
「うっ……そんな……」
アスナの言葉を聞くなり、キリトは膝に手を付いてうな垂れた。その姿に憐れみのようなものを覚えたが、そもそもキリトが変な事を言ったのが発端。自業自得だ。
不意に俺は、バカだ、と内心で呆れていた。
その寸前__。
砕けたバゲットサンドのある一点に、思考が吸い寄せられた。
「……ん……?」
呟き、先ほどバゲットサンドが落ちた場所に慌てて眼を向けた。
脳内に渦巻く《事件》の記憶が、まるでパズルピースのように組み合わさっていく。
「そうか……そういうことだったのか」
喘ぐように口走ると、キリトとアスナが途惑いともどかしさを含んだ声を発した。
「な、何よ?」
「何か、気づいたのか?」
記憶というピースが組み合わさり、結論というパズルが完成した。
声を喉から押し出しながら、俺は答えを放った。
「《圏内殺人》……そんなもの、最初から存在しなかったんだ」
彼女の復讐から逃れるには、もう手段は1つしかない。
時刻は22時を回り、シュミットは第19層《十字の丘》に転移した。小さな丘の上、その場所は当然ながら《圏外》であり、犯罪防止コードも適用しない。あの黒衣の死神から逃れるためには、もうこれしか方法が思いつかなかった。
足を引きずるようにして丘の天辺まで登ったシュミットは、頂上に1本だけ伸びる捻じくれた低木の下にある、今は亡き女性剣士《グリセルダ》の墓にガクリと跪き、這いずるようにして墓石に近づいた。
ありったけの意思を振り絞って口を開いた。
「すまない……悪かった……許してくれ、グリセルダ!俺は……俺は、まさかあんなことになるなんて思ってなかった……あんたが殺されちまうなんて、予想してなかったんだ!!」
「本当に……?」
声がした。奇妙なエコーのかかった、地の底から響いてくるような女の声。
スウッと意識が遠ざかりかけるのを必死に堪え、シュミットは恐る恐る視線を上に向けた。
捩れた樹の陰から、音もなく黒衣の影が現れた。漆黒のフーデッドローブ。ダランと垂れた袖。闇夜の底で、フードの奥はまるで見通せない。
しかし、そこから放射される冷たい視線をシュミットはハッキリと意識した。悲鳴を迸らせそうになる口を両手で押さえ、シュミットは何度も頷いた。
「何をしたの……?あなたは私に、何をしたの、シュミット?」
スルスルとローブの右袖から伸びる黒い視線を、シュミットは見開いた両眼で捉えた。剣だ。しかもその剣は、《カインズ》と《ヨルコ》が殺される際に使われた武器と同じタイプの武器。刀身には、螺旋を描くように微細な棘がびっしり生えている。
3本目の、《ギルティソーン》。
喉の奥から細い悲鳴を漏らし、シュミットは何度も何度も額を地面に押し付けた。
「お……俺はただ……指輪の売却が決まった日、いつの間にかベルトポーチにメモと結晶が入っていて……そこに、指示が書かれていて……!」
「誰のだ、シュミット?」
今度は男の声がした。
「誰からの指示だ?」
硬く首筋を強張らせ、シュミットは凍りついた。
鉄の塊にでもなってしまったように重い頭をどうにか持ち上げ、一瞬だけ視線を向ける。丁度、樹の陰から2人目の死神が姿を現した。デザインまでまったく同じ、黒のフーデッドローブ。身長は1人目より高かった。
「……グリムロック……?あんたも死んでたのか?」
死神はその問いに答えず、代わりに無音の1歩を踏み出した。フードの下から、陰々と歪んだ声が流れる。
「誰だ……お前を動かしたのは誰だ?
「わ……わからない!本当だ!!」
シュミットは裏返った声で喚いた。
「メモには……グリセルダが泊まった部屋に忍び込めるよう、回廊結晶の位置セーブをして……それを、ギルド共通ストレージに入れろとだけ書かれていて……お、俺がしたのはそれだけなんだ!俺は本当に、殺しの手伝いをする気なんてなかった!信じてくれ、頼む!」
必死に弁護をまくし立てる間、2人の死神は身じろぎもしなかった。
甲高い悲鳴混じりの声を絞り出し、シュミットは何度も額を地面に擦り付けた。
通り過ぎる夜風が枯れ木の梢と2人のローブの裾を揺らした。それが収まると同時に、これまでの陰々としたエコーが嘘のように失せた女性の声が、静かに響いた。
「全部録音したわよ、シュミット」
聞き覚えのある声がした。シュミットは顔を持ち上げ、そして愕然と両眼を見開いた。
パサリと払われた漆黒のフードの奥から現れたのは、数時間前、まさにこのローブ姿の死神に殺されたはずのプレイヤー2人の顔だった。
「……ヨルコ……カインズ……!?」
「い、生きてるですって!?」
「カインズ氏と、ヨルコさんが!?」
驚愕の叫びを漏らすアスナとキリトに、俺はゆっくり頷きかけた。
「ああ、生きてる。……と言うより、最初から死んでなかったと言うほうが正しいな」
「どういうことだよ?」
「2人は確かに、圏内で消滅したはず……」
「飯の味が見ただけではわからないように、眼で見たもの全てが真実という訳じゃない。人は時々、目の前のサインにさえ気づかないものだ」
勘の鋭い傷痕剣士が含蓄ある台詞を吐き、自分の解明した真実を説明し始めた。
「圏内でプレイヤーのHPは基本減らない。だが、オブジェクトの耐久値は減る。さっきキリトが落としたバゲットサンドのようにな」
最後の一言を聞いたキリトは悟った。バゲットサンドが地面に落ちた拍子に消滅したのが、事件の謎を解くヒントとなったのだと。
「昨日、教会の窓から吊るされていたカインズは、槍に貫通されていた。だがあの時、カインズはフルプレートアーマーを着込んでいた。あの時、槍が削っていたのはカインズのHPじゃなく、アーマーの耐久値だったんだ」
「じゃ、じゃあ……あの時砕けて飛び散ったのは、カインズさんの身体じゃなくて……」
「彼の着込んでたアーマーだけ。そもそも、仲間と飯を食いに来ただけの奴が、分厚い鎧を着込んでいるなんて……。あんな鎧を着ていた時点でおかしいと気づくべきだった。わざわざ鎧を着ていたのは、ポリゴンの爆散エフェクトを可能な限り派手にするため。そして鎧が砕け散る瞬間を狙い、カインズは結晶でテレポートした」
キリトは脳内で、カインズが殺される場面を再生するかのように後を続けた。
「……その結果、発生するのは死亡エフェクトに限りなく近い。でもまったく別のもの」
なるほど、とアスナは内心で納得していた。
「プレイヤーじゃなくても、この世界で消滅した物はポリゴン片となる訳だし。……なら、ヨルコさんはどうやって死亡を偽装したの?確か彼女も、やたら厚着はしてたけど、スローイングダガーはいつ刺したの?」
アスナの質問に、俺は即答した。
「彼女の場合は、ダガーを最初から刺した状態で俺達と話していたんだ」
「最初から?」
「思い出せ。あの部屋で話してる時、彼女は一度も後ろを向かなかった。背中に刺さったダガーを俺達に見せないようにしてたんだ。そして服の耐久値が減るのを確認しながら会話を続け、タイミングを見計らって、外から投げられたスローイングダガーが背中に刺さった、という演技をする。自分から窓の外に落下した後は、カインズと同じように結晶でテレポートしたんだ」
「なら、あの時お前が追いかけたあのフーデッドローブは……」
「グリセルダでもグリムロックでもない。カインズだ」
俺がそう断定すると、アスナは視線を宙に向け、短く嘆息した。
「殺人犯なんて……最初から存在しなかったのね」
「……でも、なんで2人は、こんなややこしい事件を起こしたんだ?しかも、自分達が殺されたような演技をするなんて……」
キリトの質問にも、俺は即答した。
「おそらく、2人の計画の出発点は、例の《指輪事件》にあるんだろう」
「それって、《黄金林檎》がドロップしたっていう、敏捷力を20も上げる指輪のことだよな」
「ああ。ヨルコとカインズの目的は、その指輪を持っていたグリセルダが誰に殺害されたのか突き止めること。そして指輪売却に反対した自分達があたかも殺されたように見せかけ、ありもしない《圏内殺人》を生み出し、《指輪事件》の犯人を追い詰め、炙り出そうとした」
「……2人は自らの殺人を演出し……幻の復讐者を作った」
「シュミットのことは、最初からある程度疑っていたんだろう」
俺は指先で顎を摩った。
「奴は小ギルドから攻略組の《聖竜連合》に加入した男だ。異例だと考えるのも当然だ。もし俺が2人の立場だったら、間違いなく最初にシュミットを疑っただろう」
「……だとすると、グリセルダさんを殺して指輪を奪ったのは……誰なの?」
「それは……まだわからないが」
存在もしない黒衣の死神に怯えるシュミット。その負の願望は、否応無く言動の節々に現れる。だが、黒衣の死神に心の底から怯え、俺達にギルド本部までの護衛すら頼んだシュミットに、《レッドプレイヤー》の狂気を持っているとは思えない。グリセルダ殺害の犯人がシュミットじゃないとして、真犯人は誰なのか。俺もまだ、そこまでは突き止めていなかった。
椅子の背凭れ体を預け、もう通り向かいの酒場のことなど忘れたかのように、アスナは視線を街並みの上空へ向けた。
「……何にせよ、シュミットさんは今、極限まで追い詰められてるはずよ。復讐者の存在を信じ切って、圏内……いえ、ギルドホームの自分の部屋ですら安全とは思えないでしょうね。これから……彼はどう動くかしら」
「うーん……」
シュミットがこれからどうするだろう。一時の欲望に負けてプレイヤーを殺害してしまい、後になってそれを後悔した時、どうするだろう。
俺はまだ、この世界で直接プレイヤーの命を奪ったことはない。
しかし、俺のせいで死んでいった者達がいる。俺は自分の愚かさと欲望ゆえに、殺したライダー達のことを今も常に悔やんでいる。彼らの墓の前で、何の贖罪にもなりはしないが、時々訪れてはよく花束を手向けていた。だが、俺はいつか自分の命で罪を償わなければならない。
もしグリセルダの墓がどこかにあれば、シュミットは許しを乞うために向かうかもしれない。
後悔するシュミット、愛する人を奪われたグリムロック。過去に大きな過ちを犯した俺には、この2人の気持ちが理解できて仕方なかった。
特に、結婚までしたほどのグリセルダを殺され荒んでしまったグリムロックの境遇は、かつて親友を奪われた俺の境遇によく似ている。親友を殺され、俺は狂気と殺意を剥き出しにしてまで、他のライダー達を皆殺しにした。その罪深い経験を持つ俺に言わせれば、この事件を本当に実行すべきなのはグリムロックのはず。
そこまで考えた直後__。
「……待てよ……」
ギルティソーン__グリムロック__指輪__売却__結婚__。
様々な単語が脳裏を横切り、再び結論がパズルピースのように組み合わさっていく。
脳をフル回転させ、今俺の頭の仲で完成していくパズルの答え、意味、その理由を推し量ろうとした。
__数秒後。
「あっ……ああ……!?」
冷静沈着な西洋忍者が珍しく叫び、椅子を蹴立てて立ち上がった。
「そうか……そうだったのか!」
「何よ!?」「何だよ!?」
傍らのキリトとアスナが、苛立ちを等量ずつ含んだ声を同時に発した。
「俺は……とんだ誤解をしていた」
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