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ダタッツ剣風 〜悪の勇者と奴隷の姫騎士〜

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断章 生還のグラディウス
  第1話 フィオナの苦悩

 肉を断つ剣。その柄を握る手に伝わる、骨や内臓を裂いていく感覚。忘れられぬ感触が記憶に染み付き、少年の心さえ蝕んで行く。
 そしていつも、その悪夢の最後には。自ら手にかけた「父」の貌が現れていた。

「あ、あぁぅぁ、がっ、あぁ……!」
「勇者様! どうか、どうかお気を確かに! ここはもう戦地ではありません!」

 その幻覚と、魂への幻痛が絶えず少年に降りかかる。豪華なベッドの中でのたうちまわる彼には、常に一人の少女が寄り添っていた。
 十歳にも満たないほどの歳でありながら、桃色のシャギーショートを揺らして少年を宥める彼女の姿はさながら聖女のようであり、年齢を感じさせない凛々しさを漂わせている。

「気をしっかり持って! お願い、負けないで!」
「リコリス様、あまり近づかれては危険ですぞ! 乱心めされている勇者様の力で、突き飛ばされでもしたら……!」
「何を言っているのです! 我が帝国のために、こんな姿になるまで戦って来られた方なのですよ! あぁ、こんなにも心を荒ませて……!」

 少女の従者達は、そんな彼女を引き離そうとするが――少女は毅然とした表情で彼らを突き放し、なおも少年の手を懸命に掴む。

(なんという心の乱れ……。こんな勇者様のお姿、フィオナ様がご覧になればどれほど悲しまれるか……)

 この帝国に未来を齎すために、異世界から遣わされたという伝説の勇者。神の使徒とも云うべき彼が王国での遠征に心を病み、療養のために帝国へ送還されることになったのが数日前。

 以来彼は、帝都の手前であるこの地方都市で安静にする日々を送っていた。建物に囲まれた帝都よりは、自然の多いこの街の方が療養には適しているという理由だ。

 だが、窓から外を見れば豊かな森が広がるこの邸宅の中に居ても、勇者だった少年の心に安寧が戻る気配はない。そればかりか、彼を蝕む悪夢は日を追う毎に、色濃くその魂を暗黒に染めようとしていた。

 ――それはまるで、「呪い」のように。

「……異世界から無理矢理に呼びつけ、縁もゆかりも無いこの国のために戦わせ……こんな姿になっても、誰一人崇め、縋るばかりで手を差し伸べない。……ありますか、そのような勝手な話が」
「リ、リコリス様……」
「フィオナ様もそのことでずっと、気に病んでおられました。私も同じです。――勇者の伝説は、あくまで伝説。今ここにおられる殿方は、私達のために身命を賭して戦われた『人間』ですわ。でなければ、今のお姿に説明がつきません」

 その「呪い」に周囲の誰もが慄く中。誰もが肌で感じる狂気を間近で浴びながら、それでもなお、少女は臆することなく手を握り続ける。超常の力を持っている、「人間」の手を。

「……そう、人間。人間ですわ。あなたは、誰が何と言っても人間。フィオナ様が慕われておられたのは、人間のあなたですもの」
「う、ぅ……」
「だから今は、どうか安らかにお眠り下さい。私が、決して独りにはさせません。フィオナ様に、そう誓いましたの」

 敬愛すべき皇女にして、親愛を寄せる親友でもあるフィオナ。その儚げな貌を思い浮かべる少女は、滝のような汗をかきながら、ようやく落ち着きを見せ始めた少年の手を握り締める。
 白い柔肌を剣ダコだらけの手に重ね、労わるように撫でる。その傷だらけの手を見つめる彼女の瞳が、憂いに揺れた。

「……こんなに傷だらけになって……。何が無敵の勇者。何が帝国の守護神。私達に祀られたせいで、この人は……」

 そして、許しを乞うように。その手の甲に頬を摺り寄せ、頬を伝う雫をその場所へと導いた。

「神よ。彼をこの世界に遣わした、神々よ。貴方様が、自らの使徒に救いを齎さぬと仰るのであれば――我々が、その救いを齎します。ですからどうか……どうか無力な我らに、御加護を……」

 その決意に満ちた瞳を、眠りに沈む少年に注ぎ。少女は、彼の手を自分の両手で包みながら、神への祈りを捧げる。

 ――だが、その祈りが神へ届くことは叶わず。この数日後に回復に向かった勇者は、当初の予定に反して戦線に復帰。それから間も無く、悲運の戦死を遂げることとなる。

 突き付けられた結末に悲嘆した彼女は、それでも自分以上に追い込まれたフィオナを慮り、胸のうちに悲しみを封じて――遠征軍の慰安に奔走することとなる。
 戦後まで生き延びた戦士達の命を次代へ紡ぐことこそが、彼の命に報いる術であると信じて。

 ――それが、七年前のことであった。

 ◇

「どうしてですか……!? なぜ、この程度の規模しか動かせないのです!」
「皇女殿下。その心中、さぞお苦しいものと御察しします。……が、リコリス様はあくまで地方の領地の出。その家格に見合った人数としては、これでも破格なものなのです」
「そんな! リコリスは、リコリスは私の大切なっ……!」

 帝国城の、とある上層の執務室。その絢爛な室内においてなお、際立った輝きを放つ特徴の椅子に腰掛ける銀髪の皇女が、真紅の鎧を纏う帝国騎士に言い募る。
 大陸の大部分を支配している一大国家の帝国、その頂点に君臨する皇族の子女。誰もが逆らうことを許されず、下々が声を掛けることすらも憚られる絶対の存在。
 それほどの大人物を前に、騎士はいつ一族郎党残さず首が飛ぶかわからない――という状況に冷や汗をかきつつ。それでもなお、伝えねばならないことを伝える義務に殉じていた。

「皇女殿下。貴女様がリコリス様と懇意の仲であることは、我々とて周知のこと。しかし一介の地方令嬢のために、これ以上の騎士を動かしては周辺諸国に無用な隙を見せることにもなりかねないのです!」
「けれど……!」
「皇女殿下のお気持ちも確かなものと存じております! ――しかし、皇族に名を連ねるお方ならばなおのこと! より多くの臣民への影響を顧みて頂かなくてはなりませぬ!」
「……!」

 皇女殿下は、確かに皇帝に次ぐ権威を保持している。だが、それはあらゆるものを際限なく左右できることには結びつかない。
 むしろその重責ゆえ、厳重な縛りの中に生きねばならない、いわば籠の鳥なのだ。

「……我々帝国騎士団の采配に、どうかご容赦を。万一の時はこの首を貴女様に献上し、リコリス様への供養とさせて頂く所存です」
「……あなたの、首など誰も欲しがりはしません。私も、リコリスも。……必ず、彼女を救い出してください。私から申し上げることは、もうそれだけです」
「必ずや。このレオポルドの身命を賭して、騎士の本分を全うします」

 そのやり取りを最後に、焦げ茶色の髪を靡かせる壮年の騎士は、踵を返して白いマフラーを揺らし、執務室を立ち去って行く。何の力も持たず、ただ親友の無事を祈るしかない皇女は――窓から伺える青空に、祈りを捧げるより他なかった。

「リコリス……あぁ、どうか……無事でいて」

 縋るように、祈るように。膨らみというものがまるで感じられない、平らな胸の前でか細い指を絡め――彼女は蒼い瞳を揺らし、その肩を震わせる。

(勇者様……)

 そして、いつものように。儚い想いを、自身とこの国の英雄に捧げるのだった。

 ◇

「隊長! 皇女殿下は……!?」
「――かなり、リコリス様のことで気を病まれているようだった。生死問わず結論を急がねば、さらに体調を崩される恐れもある」
「生死問わず――って、それでは隊長が!」

 執務室を出たレオポルドを、若い騎士が出迎える。髪と同じ色の口髭を撫で、皇女殿下が佇む扉の向こうを見つめる彼に、部下は青ざめた表情で詰め寄った。

「……件の誘拐事件から、もう三日。最悪の事態も想定に入れて行動せねばなるまい。その時は、この首を差し出す他には責任の取りようもないからな」
「しかし!」
「私の進退に構う暇があるなら、草の根分けてもリコリス様を見つけ出せ」

 だが、レオポルドは顔色一つ変えずに踵を返し、煌びやかな廊下を歩き始めて行く。その後ろに続く部下には、一瞥もくれず。

「――感情に任せて生きているうちは、出世は望めんぞ。私が空けた席に座れるのは、生き恥を晒してなおも戦い続けられる強かさを持つ者だけだ」
「隊長……」
「如何なる結果になろうとも、我々はただ己の使命を全うするのみ。それが強者たる帝国騎士団に名を連ねる者達に課せられた、不動の使命だ」
「……ハッ!」

 若き騎士には、その生き様を否定する力はない。その背に続き、彼を死なせぬ戦いに身を投じるより、他はなかった。

(――勇者様。かつて戦場にてあなた様に救われしこの命。ここで使い果てるやも知れませぬ。どうか、ご容赦を)

 ◇

 ――帝国と王国の運命を分けた大戦から、七年。戦後、という言葉が似合わないほどに平穏を取り戻した帝都に、地方令嬢が誘拐された事件が知らされたのは三日前のこと。

 帝都からやや離れた、のどかで活気のある地方都市。帝都を目指す遠方からの行商人や使者から、中継地として頻繁に利用されるその街には、美しい領主の娘がいた。

 リコリスという名の彼女は、領民である都市の住民達からも慕われる人柄であり――地方令嬢の身でありながら、雲の上の存在である皇女フィオナの幼馴染でもあった。
 戦時中。王国への遠征から帰って来た帝国軍への慰安を務めた地方都市への視察をきっかけに、身分を越えて知り合った彼女達は同い年であることから意気投合し、出会ってからの日々を親友として過ごしてきた。

 ――だが三日前、久方ぶりのお茶会の帰りの馬車が行方不明となる事件が発生。その翌朝、急遽編成された捜索隊は破壊された馬車と瀕死の重傷を負わされた従者達を発見した。

 この近辺で暗躍している――と噂されていた奴隷商の仕業と当たりをつけた帝国騎士団は、約二百名の特捜隊を結成。法で禁じられた奴隷商を陰ながら続行する悪人をいぶり出すべく、捜索を開始していた。

 ――大陸を統べる強者たる帝国の者であるなら。弱き者を隷属し、売り払っても蹂躙しても構わない。そのような「強さ」を履き違えた者達を食い止めるため、三十年以上も昔から奴隷禁止法は制定されていた。
 だが、容易に多額の金が手に入る奴隷商を、強欲な人間が手放すはずもない。現皇帝の手で奴隷商が違法化された昨今も、狡猾に「金目」になる人間を狙う輩は後を絶たなかった。

 そんな無法者を駆逐する使命を帯びている帝国騎士団としては、皇女の友人を攫われたという事態はすでに類を見ないほどの不祥事であった。
 そのため、事を大きくしたくない――という軍部の主張とリコリス自身の貴族的身分がそれほど高くない事実が重なり、特捜隊の規模は最小限のものとなってしまった。

 その苦境に苛まれながらも――特捜隊隊長レオポルドは己が使命を果たすべく、部下達を連れて帝都を旅立って行く。
 主犯格がいる可能性の最も高い――地方都市と帝都を繋ぐ道を目指して。

「隊長、現時点で判明している情報ですが……」
「何か新しい発見はあったか」
「はい。地方都市の住民が、闇夜に紛れて蠢く数十人規模の集団を、三日前の夜に目撃していたとのことです。報告によれば、その中には王国製の鎧を着た者がいたとか……」
「王国製、か」
「えぇ。もし事実なら国際問題に――」
「――短絡的にも程があるわ馬鹿者。本当に王国騎士の仕業なら、わざわざ身元を明かすことになる鎧など着るものか。そのように仕向けて捜査を撹乱する目的だとは思わないか」
「ハ、ハッ! 失礼しました」

 ……その道中。部下から新たに入手した情報に耳を傾け、レオポルドは静かに遥か彼方の街道を見つめる。その胸中に、一つの懸念を秘めて。

(……王国騎士の格好をした者、か。ないとは思うが……この時期に王国騎士の使者が来れば、要らぬ誹りを受けかねんな)
 
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