ダタッツ剣風 〜悪の勇者と奴隷の姫騎士〜
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第二章 追憶のアイアンソード
第32話 過去との決別
夜明けを経て、村に広がる緊張はさらに強いものとなった。いよいよ、再編成された捜索隊が出発するのだ。
捜索隊に志願した村人は、村長と竜正を含め、僅か十名。先日の人数を、遥かに下回っていた。それだけ、あの狂人達は脅威なのである。
そんな数少ない勇士達を、村人達は静かに見守っていた。生還と勝利の祈りを、彼らに捧げて。
その見守る人々の一人であるベルタは、父と竜正には特に強く祈っていた。勝てなくてもいい。どうか、無事に帰って来て欲しい……と。
「……」
そんな彼女の視線から、先頭を進む村長は娘と竜正の繋がりを悟っていた。
娘の手作りである木の盾を手に、笑顔で彼女に手を振る竜正の顔を、後ろからちらりと見遣り――村長は穏やかでない表情を浮かべる。
(タツマサ君を疑うつもりはない。だが、しかし……)
だが、彼が竜正に疑惑の視線を向ける理由は、娘のことだけではなかった。
竜正と戦い始めてから、狂人達の様子は明らかに変わっていた。まるで何かに憤りをぶつけるかのように暴れまわっていたのに、竜正の強さを目の当たりにした途端、悪夢を思い出したかのようにのたうちまわり、逃げ出して行った。
それについて他の村人達は口を揃えて、竜正の強さに恐れをなしたのだと決め付けている。確かにそれもあるのだろう。だが、それにしては狂人達の様子はあまりにもおかしい。
まるで、竜正と戦うことで「何か」を思い出したかのようだった。そして、彼らの叫びを聞いた竜正自身も、何か心当たりがあるかのような素振りを見せていた。
もし万が一、竜正と狂人達になんらかの繋がり――例えば仲間同士だった――というような関係があるとしたら。彼についての対応も、考えなくてはならない。
「頼むぜタツマサ、みんなの仇を取ってくれ!」
「お前しかいないんだ! 頑張ってくれ!」
敵か、味方か。未だ全貌の見えない少年剣士に、人々は惜しみない声援を送っている。もし彼に疑う余地がなければ、村長もそれに続いていただろう。
しかし。今はまだ、判断する時ではない。少年の潔白が証明されるまで、村長は竜正を心から賞賛するわけにはいかなかった。
(……タツマサ君と奴らに繋がりがないのなら、彼は奴らを全員倒してくれるはずだ。奴らがタツマサ君に何と叫んでいたかは聞き取れなかったが……その実態が掴めるまでは、油断はできない)
何より、得体の知れない男に娘を差し出すわけにはいかない。――そんな父親としての情を飲み込み、村長は門をくぐる直前で歩みを止め、勇士達の前に振り返る。
「……皆の衆。まずはこの捜索隊に参加してくれたことに、礼を言いたい。これは村の平和を懸けた、危険な戦いだ。無事に帰れる保証はない。それでも――来てくれるな?」
「何を今更! 女房を殺られて、黙ってられるかってんだ!」
「俺だってお袋と妹を殺された! 奴らに一泡吹かせなきゃ、やるせねぇよ!」
「行こうぜ村長、みんなの仇を取るんだ!」
彼の最後の意思確認に、捜索隊の面々は威勢良く声を上げる。皆、純粋にこの村のため、命を投げ出す覚悟を持っていた。
もう、得体の知れない敵に震えていた、あの夜とは違う。
「……聞いての通り。皆、村のために命懸けで戦う所存だ。君が一番の主力ではあるが、君一人に負担を強いることはない」
「そう……ですか」
村長はそんな彼らの想いを、竜正に迫るように伝える。
「だから君も。どうかもう一度だけ、我々に力を貸して欲しいのだ。――娘の、笑顔のためにもな」
「……はい」
まるで、裏切らないよう釘を刺すかのように。
そんな村長の意図を察したのか、竜正は僅かに強張った面持ちで頷いて見せる。自分のことに気づいているのか――と焦る彼の頬を、冷や汗が伝っていた。
「さぁ、行くぞみんな! 今日こそ奴らを見付け出し、全員捕え――」
そして。再び踵を返した村長が、捜索隊を鼓舞して前進していく。
――だが。
その足が、門を越える瞬間。
先陣を切る村長の身体が、あるはずのない影に覆われた。
次いで――狂気に囚われた幾つもの影が、門の上から降り注いでくる。まるで、雫が滴り落ちるかのように。
――死を呼ぶ、冷たい雨となって。
「お父さっ――!」
刹那。少女の悲鳴が上がるよりも早く。
「飛剣風ッ!」
その雨を払うように、少年は叫び――飛空の剣を放つ。砂埃を巻き上げ、地から空へ撃ち放たれた銅の剣が、全ての影を蹴散らして行った。
「グガッ!」
「ギァアッ!」
おおよそ人間のものとは思えない悲鳴を上げ、白マントを纏う人面獣心の狂人達が墜落していく。その光景を目の当たりにして――
「ひ、ひぃいい!」
「奴らだぁあ! 奴らが、村に攻めてきたぁあぁああぁあ!」
「きゃあぁあ!」
――村中が、パニックに陥った。
先程まで周囲を席巻していた歓声は悲鳴に変わり、村全体へ疫病のように伝染していく。
その影響を受けてか、不意打ちを受けてか。強気だったはずの捜索隊も、戦意を失ったかのように尻込みしていた。
一方。直接襲撃を受けた村長は、パニックに飲まれることなく。ただ、眼前の光景に目を奪われていた。
「……」
自分の身に降りかかる殺意の雨。その全てが、空を翔ける剣の一閃に吹き飛ばされて行く。
その瞬間の光景が、目に焼き付いて離れなかったのだ。
あの技を放った張本人は、凛々しい面持ちで懐からロープを取り出し、木に突き刺さった己の得物に投げつけている。その隙を狙い、立ち上がった狂人達が彼に殺到した。
しかし、少年の眼に焦りはない。剣を手放した瞬間を狙われることも、織り込み済だったのだろう。
「……とぁあッ!」
自分と剣を結ぶ直線に、狂人達が集まる瞬間。竜正は柄に巻き付けたロープを一気に引き寄せ、木に刺さった銅の剣を解放した。
拘束から解き放たれた剣は弾かれたように、主人の元へと帰っていく。行く手を阻む狂人達を、切り裂きながら。
「ガァアッ!」
「ウギアッ!」
その矢継ぎ早の攻撃を目撃し、人々の視線が竜正に集中していく。いつしかパニックは収まり、村の誰もが竜正の戦いを見守っていた。
「す……すげぇ。話には聞いてたが……ほ、ほんとにつぇえんだな……!」
「タツマサの奴……あんなに強かったのかよ……!」
一方。二度に渡り強烈な斬撃を受け、狂人達は血だるまになって墜落していく。「普通の人間」であれば、間違いなく再起不能になっているところだ。
――だが。痛みは彼らを止める抑止力にはなりえない。もがき苦しみながら、なおも立ち上がろうとする。なおも、暴れようとする。
(肉体の痛みでも止まらないほどに……彼らは……)
痛みにも勝る「恐怖」に突き動かされ、狂人達は身を起こして行く。それほどまでに彼らを狂わせた自分の手を見遣り、竜正は眉を顰めた。
「オゥ、ァアガ……!」
「ガァゥ、ア……ォオゥ……」
これ以上無理に戦い続ければ、間違いなく命に関わる。だが、それでも彼らは立ち上がった。
自分の脳裏に焼き付いた恐怖から、逃れるために。この苦しみから、脱するために。
彼らは指先を震わせながら剣を拾い……デタラメな剣閃を描きながら、がむしゃらに斬りかかって行く。
「……いいだろう!? もう、十分だろう
!?」
その光景を前に――竜正は、今にも泣きそうな表情で剣を振り上げた。少年の一閃に打ち倒されて行く狂人達の姿が、悲しみに暮れた瞳に映されていく。
「誰一人……ここを通るなァッ!」
圧倒的でありながら、どこか痛ましい彼の姿に、人々は言葉を失った。歓声を送るべきなのに――かける言葉が見つからないのだ。
「タツマサ、くん……?」
竜正の横顔を見つめるベルタも、彼の異様な様子に疑問を抱いていた。ただいたずらに傷付けることを嫌っている――とは思えないほどに、その表情は暗い。
まるで、彼らと戦うこと自体を忌避しているようだった。
――そして。戦いが始まり、半刻が過ぎた頃。
竜正の足元には、動けなくなるまで痛めつけられた狂人達の肢体が投げ出されていた。
「……」
いくら痛みを与えても止まらないとはいえ、身体を動かすには正常な骨格と筋肉が必要だ。それらを破壊されては、いかに狂人といえど指先一つ動かせない。
そこまでして、竜正はようやく狂人達を無力化したのだ。常人ならば確実に死に至る打撃を、幾度となく繰り返して。
「や、やった……! やった、勝った! タツマサが勝ったんだ!」
「英雄だ、英雄の誕生だ!」
その苛烈な戦い振りを見守っていた村人達は、口々に竜正を称え、歓声を上げる。この戦いの異常さに、気付くこともなく。
「……穿ち過ぎ、だったな。後で、謝らねばなるまい」
戦いが始まる前までは半信半疑だった村長も、この結果を目の当たりにして、考えを改めようとしていた。
気にかかる部分はあるにしても、結果として竜正は狂人達を全員仕留めてくれた。ならば、これ以上疑ってかかるのは道理に反する。
村長はそう判断し、胸を撫で下ろして竜正に微笑む娘を見遣った。
(タツマサ君が、この村に根を下ろしてくれるなら……娘を託しても、いいかも知れん)
どのような道理があろうと、この世は強い者が正しく、弱者は悪となる。それは、王国が敗北した二年前の戦争が証明していた。
だが、これから帝国による弱肉強食の時代が始まったとしても。圧倒的な強さを持つ少年の力があれば、娘の幸せは守られるかも知れない。
(……?)
そんな仄かな期待を乗せて、村長は改めて少年の背を見つめる。――だが。少年の背は、震えていた。
今は寒さを感じる季節ではない。なのに――その背は、身を切るような寒さに凍えているようだった。
そんな彼の様子に、村長は首を傾げる。一体何が、彼の心を追い詰めているというのか。
(こんな……こんなことでしか、俺は……)
その答えは――少年の胸中に隠されていた。
自分の剣のせいで、心と人生を狂わされた犠牲者に、さらに鞭打つような攻撃を加える。そんな非道な行いでしか、今生きている人を守ることすらできない。
勇者としての在るべき姿から、ますます遠ざかって行く。王国の人々に償うはずが、さらに彼らを苦しめている。
そのジレンマは、竜正の精神を徐々に――そして確実に、追い詰めていた。
「こーなっちまえば、怖いものなしだ! こいつらめ、縛り上げてやろうぜ!」
「他の仲間達と一緒に、納屋の牢屋行きだ!」
「……みんな、もう大丈夫だ。あとは俺に任せて、下がっていてくれ」
「え……だ、だけどよ……」
「頼む……まだ、皆に危険が及ばないとは限らないんだ」
とにかく、今は一人になりたい。
その思いから、竜正は狂人達を縛り上げようと歩み寄る人々に釘を刺していた。再び暴れ出したら危ないから、という建前を使って。
そんな彼の心境など知る由もなく、村人達は竜正の言葉に素直に従った。戦闘について門外漢である彼らには、狂人達の脅威が完全に失われていることなど、わからないのだ。
「……」
村人達が引き下がって行くのを確かめ、竜正はうつ伏せに倒れた狂人達の一人を見遣る。その一人は、微かに指先を震わせていた。
――まだ、動くのか。
その痛ましい様に一瞬だけ目を伏せたのち、竜正は再び銅の剣を振り上げた。少年の目と、狂人の眼光が交錯する。
しかし。
その狂人の瞳は、竜正が戦いの中で見てきた色とは――違っていた。
「あ、ぅぅあ……わ、たし、は……」
「――ッ!?」
もう一度とどめを刺そうとしていた竜正は、その声に耳を疑う。人語を話すことすらできなかった狂人が、「私」と発したのだ。
「なん、と……いう、ことを……」
「おい……!? まさか、正気に戻ったのか!? おいっ!」
その後に続いた言葉を聞き取り、竜正はその現象が気のせいではなかったと悟る。無我夢中で剣を捨て、竜正は焦燥を露わに片膝を着いた。
言葉を発したその狂人は、竜正の呼びかけに反応するように、顔を上げる。その目にはもはや――狂気の色はない。
彼はようやく、あるべき王国騎士の心を取り戻したのだ。
(ショックを与え続けたのが効いたのか……。よかった、これなら他の騎士達も助けられる!)
狂人――だった騎士の様子からそれを確信し、淀んでいた竜正の瞳に光が灯る。ようやく一つ、王国に償うことができるかも知れない。
そんな――甘い夢を見たのだ。
「……殺してくれ! 帝国勇者よ、私を……我らを、殺してくれッ!」
「なっ……!」
そして。それは一瞬にして夢で終わり。
騎士は泣き縋るような声を上げ、悲痛な表情で竜正を見上げた。
そんな彼の様子に、竜正は気づかされてしまう。
――彼らは、狂っていた自分達が何をしたのかを……鮮明に覚えているのだ。
勇者の剣を振るっていた竜正が、そうだったように。
「王国の民を守るべき、我ら騎士団が……ただ死の恐怖から逃れるために、民を手にかけていたとは……! こんなことが、許されていいはずがないッ……!」
「ま、待て! あんた達が狂っていたのは――」
「言うな! 敵に恐れをなし、守るべき民と仲間を見放して逃げ出したことは事実! もはや我らに、弁明の余地などない!」
竜正の言葉に耳を貸さず、騎士は泣き叫ぶように己が犯した罪を悔いる。贖えない罪の重さに、もがき苦しみながら。
一方。様子が変わった狂人の叫びに、村人達は言葉を失っていた。
聞いてしまったからだ。狂気から解き放たれた騎士が発した、「帝国勇者」の名を。
「だ、だけど……」
「……だが。貴殿に折られたこの両腕では、自刃することもできん。帝国勇者よ……貴殿がどのような経緯で、この村の民と暮らしているのかは知らぬ。が、あの時のような邪気を持たぬ今の貴殿が戦ってくれたおかげで、この村は救われた」
「……」
「私には、今の貴殿が悪しき勇者には見えん。――ゆえに。その心を見込んで、頼みたいのだ。どうか貴殿の手で、この穢れた魂を救ってくれ」
「……俺は……」
「殺しは、好まぬのだろう。我らに剣を向けていた時の、あの悲しげな顔を見ればわかる。……だが。武人として、より強い者の剣に討たれることを……望まずには、いられないのだ」
狂気に支配されてさえいなければ。この騎士が守るべき民を苦しめることなど、万に一つもなかっただろう。
だが――起きてしまった結果を変えることは出来ない。ゆえにこの騎士は、介錯を望むのだ。
竜正個人の意識としては、騎士の矜恃といえど、これ以上人を殺めるようなことは何としても避けたかった。
だが。ここで自分が殺さなかったとしても、村人を何人も殺してきた彼らが許されるはずがない。まず間違いなく、村人達の手で処刑される。
自分の過ちのために、王国人が王国人を殺める事態になってしまうのだ。
「これを、殺しと思わないでくれ。これは、救いなのだ。我々にとっては……何よりも尊い、救済なのだ」
「ソウ……ダ……」
「ワレワレヲ……コロ、シ……テ、ク、レ……」
「スクイ、ヲ……テイコク、ユウシャ……」
やがて、他の騎士達も徐々に正気を取り戻しつつあった。皆一様に、竜正の手でとどめを刺されることを願っている。
だが――どうしても、竜正は踏み切れなかった。勇者の剣を手放し、一年間に渡り戦いから身を引いていた少年の心は、再び人を殺めることを頑なに拒んでいる。
だが。
自分のために、罪のない人が手を汚すことになることの方が――彼には、堪えられなかった。
「俺、はッ……!」
「帝国勇者よ、どうか……救いを!」
「スクイヲ!」
「――ぁ、あぁあああぁああッ!」
救うために殺す。殺すことで救う。
その矛盾に苛まれた果てに――少年は、慟哭と共に螺旋の剣を放つ。
全てを切り裂くその一閃は、死を望む騎士達に救いをもたらし――木々を薙ぎ倒す突風を生んだ。
その刹那。少年は、確かに見た。
ありがとうと呟く、騎士の最期を。
「……」
――全てが終わった時。少年の足元には、強烈な風により引き裂かれた肉片が、あらゆる場所に散乱していた。閉じられた納屋の扉からは、赤い血潮が染み出している。
もう、ここに騎士達の魂はない。天へ召された彼らの御霊は、確かに「救われた」のだ。
ゆえに、今ここにあるのはただの肉塊に過ぎない。――その肉塊を一瞥し、竜正はゆっくりと振り返る。
そこには。
「……まさか帝国勇者様であらせられたとは露知らず! 度重なる無礼を働き、誠に申し訳ありません! 何卒、村人のお命だけは!」
全ての村人が、竜正に対して一様にひれ伏していた。共に笑い合い、暮らしてきた仲間達も。村のために働き続け、ようやく信頼を勝ち取った村長も。
そして――あの夜、情を交わした少女までも。
誰一人として、変わらず竜正を受け入れる者など……いなかったのだ。
(まさか……タツマサ君が、帝国勇者だったとは! 二年前に死んだと聞いていたのに……! 何のためにこの村に近づいてきたのかは知らんが、今は村の全てを投げうってでも、皆をこの悪鬼から守らねば……!)
村人達の先頭で、頭を地面に擦り付ける村長は、村人達の人命を守るべく思考を巡らせる。
そして――ある決断をして、我が娘と視線を交わした。
(ベルタ……お前を守れぬ、この父を恨め……!)
(ううん、いいよ。だって……村の皆の、ためだから……)
父として、絶対に許されない願い。だが、それを叶えねば帝国勇者の機嫌を損ね、村人に危険が及ぶかも知れない。
その想いを汲んで、少女は眼差しで願いを聞き入れる。やがて、身を切るような決断を背負い、村長は顔を上げた。
同時に、娘も立ち上がる。
「帝国勇者様。この村一番の器量よしと評判の我が娘を、あなた様に差し上げましょう。どのように扱われても構いません。ですからどうか、この村の者達にお慈悲を……」
「……私からも、お願いします……。帝国勇者、様……」
娘――ベルタは震えながら、父に続くように竜正に声を掛ける。もはや、その表情には昨夜の安らぎなど一欠片も残されていない。
彼女の目に映る少年は、もはやタツマサという男ではなく――帝国勇者でしかないのだから。
(……)
自分を見る人々の――ベルタの目の色から、竜正は悟る。これこそ、本来自分が浴びるべき視線なのだと。
帝国勇者として、受けるべき咎なのだと。
(何故だろう。こうなることは、わかっていたはずなのに)
正気に戻った騎士が、帝国勇者と発言した瞬間から。こうなる予想はしていた。覚悟もしていた。
それでも……竜正の表情は暗い。
一夜限りだとしても、共に肌を寄せ合った少女が、自分に心を開いてくれていた彼女が――怯えながら、それでも勇気を振り絞って生贄になろうとしている。
村の皆を、自分から守るために。
「……」
「帝国勇者、様……?」
それがわかってしまった竜正には……もう、ここに留まることは出来なかった。彼は重い足取りで踵を返すと、無言のまま歩み出す。
その背に、ベルタはおずおずと声を掛ける――が、かつて惹かれた少年は、振り返ることなく進んでいた。
村人達が戸惑いの声をあげても、少年は立ち止まることなく。
村から、一歩。また一歩と、遠ざかって行く。
孤独という吹雪に凍える日々に、立ち戻るように。
(俺は……俺のままでは。誰にも、償うことなどできない。たった一つの笑顔のために、戦うことさえ、許されない)
誰もいなくなった森の道を歩む少年は、昨日まで過ごしていた毎日を思い返す。
戦後の痛みを感じさせない、溌剌とした村人達。厳しくも温かい、村人達の父とも言うべき村長。
そして。臆病でありながら、誰よりも優しく、眩しい笑顔で皆を癒していた――
(――あの笑顔を守る資格など、俺には最初からなかった。それは、こうなる前からわかっていたはずだ。なのに……!)
その笑顔を見られないまま、終わってしまった。いくら頭でやむを得ないと理解していても、温もりを求める少年の本心が、この結末を嘆いていたのだ。
――死ぬことも。生きて償うことも、叶わない。笑顔のために戦うことさえ、許されない。
少年が伊達竜正である限り。帝国勇者である限り。どのように身を粉にしても、人々の悲しみを背負うことなどできない。
それをこの村に思い知らされた竜正は。
変わらず自分を見下ろす太陽を、視線で追う。その輝きは空を黄昏に彩り、地平線の果てに沈もうとしていた。
そして、この時になり。
少年は――決意したのだ。
(……変わらなくちゃいけないんだ。俺が伊達竜正だから、償えないのなら。俺そのものを、変えなくちゃいけないんだ。全く新しい、自分自身にならなくちゃ……いけないんだ!)
今までの自分を、根本から覆し。十五年に渡る伊達竜正としての人生に、幕を下ろし。
何もかも違う、「ジブン」になることを。
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