ダタッツ剣風 〜悪の勇者と奴隷の姫騎士〜
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第二章 追憶のアイアンソード
第24話 王国将軍アイラックス
――その頃。
帝国軍の別働隊は、王国軍本隊の戦力を分散させるべく、陽動作戦を決行していた。勇者を擁する帝国軍本隊の攻撃力で、一挙に敵本隊を撃滅するための、重要な布石として。
……しかし。
「ふん……バルスレイなどに手柄を渡してなるものか。王国軍を――アイラックスを討つのは由緒正しき名門出の、この俺様だ」
別働隊を指揮する武将、アンジャルノンは――課せられた任務に、私情を挟もうとしていた。
戦の最中に独断で行動内容を変えるなど、愚策の極み。しかし、王国軍本隊とアイラックス将軍を侮っていた彼は、戦を終えた先にあるものにしか目を向けていなかったのだ。
そして、彼の判断に恭順する兵達もまた――同じ視野で、この先にあるであろう未来を夢想している。
(王国人の女共はいいモン食ってるからか知らねぇが――美人が多いって話じゃねぇか。敵軍を突破して王都に一番乗りすりゃあ、略奪し放題だ。あの糞真面目なバルスレイに先を越されちゃあ、それも出来んしな)
戦に勝てば、何をやっても許される。どれほど女を奪おうと、街を焼こうと、それを咎める者はいない。善悪を決めるのは、戦を制した者だけなのだから。
――アンジャルノンとは、そういう男なのだ。
さらに彼は――部下達にもその考えを浸透させるために、敢えて末端の兵達の給与を減らしている。敵国からの略奪を、彼らの収入源とするために。
そしてまさに今、アンジャルノンの兵達は目前に見える楽園を前に、飢えた野獣と化していた。もはや、彼らには真っ当な理性など欠片程も残されていない。
金品を奪う。女を犯す。それだけの欲望が、アンジャルノン率いる帝国軍別働隊を突き動かしているのだ。
そして――飢えた野獣共は、立ちはだかる王国軍本隊を視界に捉えた瞬間。
「行くぞ者共! 奪え、殺せ、壊し尽くせ!」
「ウォガァアァォオアァアアッ!」
地獄の底から這い出た鬼の如く――けたたましい雄叫びを上げ、進撃を開始した。アンジャルノンの号令が、首に繋がれた理性という名の鎖を、完全に破壊してしまったのだ。
陽動という本来の目的を見失った兵達は、本能の赴くままに突撃していく。
「――来たな。王国の精鋭たる騎士達よ、ここが正念場だ! これ以上、奴らにこの大地を汚させてはならん! 誇りに懸けて迎え討てェッ!」
「ぉぉぉおおぉおおぉおッ!」
だが、その気勢を真っ向から受けている王国軍本隊は、誰一人として怯んでいない。アイラックスのカリスマにより精神を支えられた彼らには、後退の二文字はないのだ。
程なくして、両軍は激突していく。
欲望のため。家族のため。それぞれに決して退けぬ理由を背負い、彼らは血潮を浴びせ合う。
絶え間ない絶叫と剣戟の衝撃音が、荒れ果てた大地を駆け巡る。一瞬の中で多くの命が失われて行く中、アイラックスはかけがえのない部下を一人でも多く救うべく、先陣を切って大剣を振るい続けていた。
一方、アンジャルノンは後方に座して飢えた兵達をけしかけるばかりであり、自らの得物である鉄球を使う気配を全く見せない。すでに数多くの兵がアイラックスに討たれているにも拘らず、その重い腰は未だに馬上から動かずに居た。
(ちっ……思っていたよりは精強だな。あれほどまでに追い込んだ兵達を相手に、精神面
で屈さぬとは。アイラックスの噂も、まんざらデタラメばかりではなかった、ということか……)
犠牲となっていく兵の命など気にも留めない――という様子で、アンジャルノンは膠着している戦況を見つめていた。
今迄アイラックスに挑んだ武将達が不甲斐なかっただけ。王国軍など恐るるに足らず。そう思い込んでいたアンジャルノンは、眼前の現実を前にして、ようやくそれが誤りであることに気付いたのだ。
(しかし、奴がここに辿り着く頃には向こうも憔悴し切っていることだろう。それから俺の鉄球で料理してやればいいだけのことよ。――愚かな王国騎士共への見せしめとして、な)
士気の要であるアイラックス将軍さえ討てば、残った王国軍は烏合の衆に過ぎない。だから、先頭で戦うアイラックスに兵達をぶつけ、疲弊したところを討てばいい。
その作戦自体は、悪手ではない。
しかし彼は、一つ誤算していた。
飢えた帝国兵を蹴散らし、王国軍の道を切り開いて行くアイラックスは――全く息を切らしていなかったのだ。
馬上から身の丈を越える大剣を振るい、兵を率いて進撃する。それだけの激しい戦いを絶え間無く続けていながら、アイラックスは疲れた気配もなく、前進しているのである。
(バ、バカな……ええい、化け物がッ!)
彼が自分の陣地に近づいて来るに連れ、そのことに感づくようになったアンジャルノンは、アイラックスの底無しの体力を前に驚愕し――額に脂汗を滲ませた。
だが、既に時遅し。アイラックスの圧倒的な戦闘力により勢いを殺された帝国兵達は、飢えさえも忘れるほどの恐怖に駆られ、徐々に後退するようになっていた。
(バカな、バカなバカな! 負けるだと!? 偉大なる帝国軍の武将たるこの俺が、名門出のこの俺が! こんなちっぽけな国の将軍一人に、負けるだと!?)
もはや、アイラックスのスタミナを奪う術もない。アンジャルノンはこれほどの相手と真っ向から戦わねばならない事態に直面し、焦りを募らせる。
己のプライドを激しく傷付ける現状を前にして、彼の思考は冷静さを失って行くのだった。
そして――アイラックスだけでなく、王国軍の騎士達までもがアンジャルノンの近くに迫る頃。
「やぁあぁああっ!」
戦禍に紛れていた、一人の少年兵が――戦いの激しさを掻い潜り、アンジャルノンに飛びかかった。その手には、少年兵用の粗悪な銅の剣が握られている。
「……」
「あうっ!」
少年兵の銅の剣は馬上のアンジャルノンに命中した――が、その威力はアンジャルノンの鎧を貫くにはあまりにも非力であった。
蚊が刺した程度のダメージすら与えられないまま、銅の剣は弾き飛ばされてしまい――少年兵は、アンジャルノンに首根っこを掴み上げられてしまった。
自分に挑みかかってきた少年兵を見つめるアンジャルノンは、無言のまま少年兵の首を締め上げ――こめかみに血筋を浮き上がらせた。
こんな小さな少年兵までもが自分の邪魔をしてきた。その出来事が、アンジャルノンのプライドにより深い傷を与え……彼の怒りを掻き立てたのだ。
「クソガキがぁあぁあッ!」
「あが……ぁっ……!」
アンジャルノンは怒りのままに少年兵を吊り上げ、首を絞めて行く。少年兵は抵抗することもままならず、舌を出して目を剥いた。
「……ハ……ンナ……」
そして、少年兵の首が完全にへし折れる寸前。彼は、従軍する直前まで兄妹のように育ってきた少女に、想いを馳せる。
それを最期に、幼い命が戦場に散って行く――
「トゥアッ!」
「ぬっ!」
――刹那。
ついにアンジャルノンの元へ辿り着いたアイラックスの大剣が、少年兵を掴む腕に向かって振り下ろされた。
その瞬間に殺気を感じたアンジャルノンは、咄嗟に少年兵を投げ捨て、その一閃を回避する。アイラックスはその直後、転げ落ちるように馬上から飛び降り――地面に激突しようとしていた少年兵をキャッチした。
そして――双方の視線が交錯する。
「おのれ……小国の将軍風情が、この俺に楯突くとは!」
「――その小国の将軍風情に、冷や汗をかかされる気分はどうだ。帝国軍」
馬上のアンジャルノンを睨み上げるアイラックスの瞳は、眼前の巨漢が背負う鉄球に怯むことなく、手にした大剣を静かに構える。気を失った少年兵を、その片腕に抱きながら。
「そんな格好で戦うつもりか。――俺もなめられたものだ」
「ならばその得物で、私の侮りを払拭してみせろ」
「……言われるまでもないわッ!」
言うが早いか、アンジャルノンは炎を吐くかのようにけたたましい雄叫びを上げ、手にした鉄球を振るう。風を切る鋼鉄の塊が、轟音を上げてアイラックスの頭上へ肉薄した。
しかし、黒髪の将軍は紙一重でそれをかわすと――少年兵を庇うように身を翻し、鉄球の衝撃により飛び散る砂利を背中で受け止めた。
超重力の鉄球が落下することによる余波の威力は、計り知れない。ただの砂利でも速度が付けば、鋭利な刃物になる。
弱っている少年兵がそれを浴びれば、直撃せずとも命はなかっただろう。
そう判断してからのアイラックスの行動の速さに、仕掛けたアンジャルノンも目を見張る。背中に傷を負ったアイラックスは、片手で大剣を構えたまま痛みを表情に出さず、あくまで冷静に相手の出方を見ていた。
「愚かな……そんな荷物を抱えているばかりに、余計な痛手を負うとはな」
「貴様にとっては荷物でも、一人でも戦える人間が必要な我々にとっては、かけがえのない仲間。――決して、こんなところで死なせはしない」
「それが愚かだと言っておるのだッ!」
そんな彼の姿勢を鼻で笑い、アンジャルノンは横薙ぎに鉄球を振るう。空を裂く鉄塊が弧を描き、アイラックスに迫った。
だが、彼はそこから動くことなく――少年兵の小さな身体を空中に振り上げ、即座に大剣を両手で構える。
そして、宙へ舞い上げられた少年兵の身体が、重力に引かれ落下を始める瞬間。
息を吸い込み気勢を充実させ、アイラックスは迎え撃つかのように大剣を水平に振るう。
刹那、その巨大な刀身は横一文字の閃光を描き――悪しき存在に裁きを下すかのように。
「王国式闘剣術――弐之断不要ッ!」
振り抜かれた一閃で、圧倒的質量と速度を持っているはずの鉄球を……打ち返してしまうのだった。
そう。二度目の斬撃は要らない。この一閃だけで、全てを終わらせる。そう、宣言するかのような一撃を以て。
「ぐっ……あああァッ!?」
そして、その宣言通りに。
打ち返された鉄球が、馬上に座したアンジャルノンの顔面を直撃する。まさか自分の鉄球がそっくりそのまま打ち返されるなどとは微塵も考えていなかった彼は、全くその反撃に対応できなかったのだ。
為す術もなく落馬し、赤い巨漢は地響きを立てて墜落する。
一方、その瞬間を見届けることもなく、アイラックスは踵を返して大剣を大地に突き立てた。彼にとっては、もはや敵の意識など確かめるまでもないのである。
そして、彼は空いた両手を広げて――空から落ち行く少年兵を穏やかに受け止めた。気絶しているものの、命には別状がないことを確認する彼は、僅かに頬を緩ませる。
一騎打ちは、アイラックスの完勝。
その光景は、弱りつつあった帝国軍の戦意に、とどめを刺すこととなった。
「アンジャルノン将軍が……負けた……!」
「終わりだ……もう、終わりだァァァ!」
指揮官を失い、統制が取れなくなった帝国兵達は我先にと逃げ出していく。意識のないアンジャルノンを引き摺り、退散していく彼らを追うことなく、アイラックスは部下達に目を向けた。
「……皆。よくやってくれた。この戦いは我々の勝利だ」
「将軍! なぜあのままとどめを刺さなかったのです! それに勢いがこちらにある以上、この流れに乗じて奴らを撃滅すれば……!」
「騎士団長。敵方はこちらの十倍以上の軍事力を有しているのだ。一度や二度の勝利に浮かれ、深追いするのは危険過ぎる。それにあの巨体を運ばせれば、それだけ人員――つまりは戦力を削ることができる」
「しかし……!」
「ルーク。私は王国軍の命運を預かる者として、誰一人犬死にさせるわけには行かないのだ。この少年兵も……お前も」
「……」
追撃より部下達の生存を優先するアイラックスに、騎士団長ルークが食ってかかる。だが、彼の判断が自分を慮ってのことと知ると、強くは追及できなくなっていた。
そんな彼に苦笑するアイラックスは、去り行く帝国軍の背を見遣り、ふと耳にした噂を思い返す。
(帝国がこの戦争に、異世界の勇者を投入しているという話……。事実ならば、私は神の使者に剣を向けねばならなくなる。――勝ち目など、ないやも知れん)
人間同士の戦いは負け知らずでも、魔王さえ凌ぐ超人に通用するとは限らない。
どれほど平和を愛する気持ちを持とうとも、それを実現できる力がなければ無意味であるということを、戦いの中で嫌というほど学んできたアイラックスにとって、その事実は計り知れないほどに重い。
(それでも……私は行かねばならん。国王陛下の御身、ダイアン姫様の笑顔……そしてヴィクトリア、お前の未来を守るためにも……!)
だが。アイラックスの瞳に翳りはない。
あくまで、気高い王国の戦士として。
帝国勇者との対決に、向かおうとしていた。
――そして、僅か数日の時を経て。
同じ髪の色を持つ二人の剣士が、邂逅する。
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