ダタッツ剣風 〜悪の勇者と奴隷の姫騎士〜
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第一章 邂逅のブロンズソード
第12話 王国騎士団・予備団員ダタッツ
「ふっ……はッ!」
ババルオ邸を舞台にした戦いから、十数日の時間が過ぎる頃。
あの日と変わらない青空の下――王国騎士団予備団員ダタッツは、独り練兵場で素振りに励んでいた。
手にした木剣は幾度となく空を切り、赤い縁取りで造られたプロテクター状の予備団員用鎧が、太陽の輝きを強く照り返している。
正規団員の兜に在るものより、一回りほど小さい一角も、眩い煌めきを放っていた。
「お……おい。いいのか、いつまでもあんなことさせといて。飽きさせて機嫌を損ねたりしたら、俺達の命が危ないんじゃあ……」
「じゃ、じゃあお前が行けよ! 帝国勇者の稽古相手なんかできるわけないだろ!」
「なんで帝国勇者がここに居着いてんだよぉ……姫様は何をお考えで……!」
その姿を、王国騎士団の正規団員達は遠巻きに眺めていた。――しかし、誰一人としてダタッツに話し掛けようとする者はいない。
帝国勇者をダイアン姫が従えたという噂は、既に町中のみならず、王宮内にも広がっている。
だが――王国の騎士になったとしても。人々にとって彼が、恐るべき「帝国勇者」であることに変わりはない。
帝国兵にさえ萎縮していた騎士団が、帝国勇者として知られたダタッツに、近付けるはずもなかったのだ。
バルスレイ将軍がババルオに代わり監視役となった今では、帝国の駐屯兵の人数は大きく削減され、町民に横暴を働くこともなくなったが――帝国勇者の存在ゆえ、人々に渦巻く「恐れ」は未だに根深く残されている。
そんな状況であるがゆえに彼は、本来ならば雑用が主任務であるはずの予備団員でありながら、掃除も洗濯も任されず――全ての団員から距離を置かれている。
剣の稽古に応じる人間も、雑用を任せる人間もいない。そうなれば結局は、独りのまま剣を振るい続けるしかないのだ。
(皆が怯えているのがわかる……。ババルオのような奴に付け入らせないためにも、当分はダイアン姫の命に従うことにしたけど……長居はできない。せいぜい、ヴィクトリアという人が戻ってくるまでの「繋ぎ」ってところか)
すると――運動を長時間続けていたせいか、ダタッツの体に巻かれていた包帯が、はらりと落ちてしまった。アンジャルノンとの戦いで負った傷は、今も残っている。
そう――ダイアン姫は、ダタッツに回復魔法を施さなかったのだ。
本来在るべき姿から最も遠く離れた帝国勇者に、由緒正しき血統が成せる秘術を捧げる。
その行いに、彼女は踏み切れなかったのである。
そしてダタッツも、そんな彼女に術の行使を求めることはせず――結局は王宮の医師による、他の騎士と変わらぬ待遇の治療を受けたのだ。
「……また、医師殿に世話をかけてしまうな」
彼を恐れているのは騎士や町民達だけではない。彼の治療を請け負っている担当医も、普段から酷く怯えた様子でダタッツに接していた。
本来なら包帯が取れるほどの運動は避けねばならず、それを破れば彼の叱咤が飛ぶはずなのだが――ダタッツに対してはそれもない。ただ震えながら、包帯を取り替えるのみ。
それが自身への恐怖によるものだと知っているダタッツは、苦い表情で包帯を拾う。これ以上動いて包帯を落とせば、医師の寿命を縮めるだけだからだ。
(日課の素振りもこなせない毎日になってしまったな……。王国を狙う敵が減るのは、いいことかも知れないが)
練兵場から背を向け、立ち去る仕草を見せるだけで――騎士達の安堵する声が聞こえてくる。その息苦しさにため息をついて、ダタッツは静かに歩き始めた。
――王国の姫君が帝国勇者を召し抱えた、という噂は城下町を中心に広がりつつある。諸外国の耳に入るのも、時間の問題だろう。
それを信じる者はダイアン姫の血筋を狙うことはなくなるだろうし、帝国勇者の死を疑わない者は返り討ちに遭う。ダタッツが留まれば今後も王国が安全であることは、紛れもない事実であった。
しかし、彼の力という防壁の内側に生きる人々は、その限りではない。
かつて自分達を敗戦国に堕とした最強の男が、騎士として我が物顔で国内を闊歩する。それは国民にとって、街中に猛獣を放たれるよりも遥かに恐ろしいことなのだから。
いたずらに王国人を恐れさせず、他国の干渉も遮る方法。
その答えが「誰にも関わらない」ことに行き着くまで、そう時間は掛らなかった。
(こうして王宮内から出ないようにすれば、少なくとも町のみんなは……ハンナさんやルーケンさんは、怖がらずに済む。今はきっと、これでいいんだ)
自分に向けられた、深い悲しみと怒り。あの二人の視線から確かに感じた、剥き出しの感情。
その記憶は克明に、彼の脳裏に焼き付いている。誰もが彼を避ける理由を、突き付けるかのように。
そしてそれが当たり前なのだと、ダタッツは受け入れようとしていた。諦めようとしていた。
「待てっ!」
――だが。
それを、当たり前にさせない者がいた。
正規団員の鎧を纏う、小さな騎士。その人物には――恐れを微塵も伺わせない、晴れやかな瞳がある。
今の正規団員の誰もが持たない、騎士としての掛け替えのないものを秘めたその瞳は――この国に災厄を齎した最恐の男を、ただ真っ直ぐに射抜いていた。
「……ローク君か。すっかり元気になったみたいで、よかったよ」
「るっせぇ帝国勇者! どういういきさつで騎士団になったか知らねぇが、オレはお前を認めてなんかいねぇんだからな!」
ダイアン姫の治療を受け、全快したロークの全身からは、弾けるような気勢が溢れている。
鎧の輝きに見合う気高さが、その小さな身体に詰め込まれているようだった。
「ば、バカ! 逃げろローク!」
「お前まで殺されちまうぞ!」
そんな正規団員達の叫びにも耳を貸さず、その瞳は強くダタッツを貫いていた。
「いいか、帝国勇者。父上の仇は、オレが必ず取ってやる。だからそれまで、ここから逃げるんじゃねぇぞ!」
「……ああ、わかった。いつでも、受けて立つよ。ところで、どこまで付いてくるつもりなんだい?」
「一日中さ。オレは姫様から、お前の監視役を任されてるんだ。それに、こうしてお前に引っ付いて研究していれば、お前を倒す作戦も立てられる!」
――だが、駆け引きにおいては年相応のようだ。当の「仇」本人の前で、鼻高々に手の内を語るほどの愚策はないというのに。
隣を歩きながら胸を張り、どうだと言わんばかりに胸を張るロークの姿を、ダタッツは微笑ましく見守っている。だが、彼はある場所に辿り着いたところで、困ったように眉を顰めてしまった。
「……なるほどな。だけど、ここから先はよした方がいい。君には刺激が強いからね」
「え? ――あ」
ダタッツとロークが辿り着いたのは――水浴び場。練兵場での訓練を終えた騎士達が、鍛錬の汗を流す場所だ。
その入り口を前にして、ロークの顔が真っ赤に染まる。ダタッツが言う通り、「彼女」には刺激が強過ぎたのだ。
ロークの正体は、騎士団のような宮内の人間以外にはほとんど知られていない。男所帯の騎士団に囲まれて育った結果、このような男勝りに育ったことも含めて。
「……〜っ!」
「すまない。なるべく早く済ませるから、そこで待っていてくれ」
ロークは唇を強く噛み締め、ダタッツを睨み上げる。そんな彼女に苦笑いを浮かべながら、ダタッツは水浴び場へ――
「ダ、ダ、ダタッツ殿!」
――入っていく直前。一人の騎士が、彼を呼び止めた。慄くようなその表情は、他の団員と同じ色を湛えている。
何かの用件があり、怯えながらもダタッツに報告しに来たのだろう。正規団員が予備団員にへりくだるという、本来ならばあってはならない状況に、ロークは拳を握り締めている。
そんな彼女の姿を一瞥し、速く彼の用件を済まさねばならないと察したダタッツは、素早く視線を報告に来た騎士へと移す。
「どうしました?」
「あ、い、いえ……。実は先程、民間人から騎士団への寄付がありまして……。予備団員の剣と盾に充てて欲しいと……」
「予備団員の……?」
現状、予備団員はダタッツ一人しかいない。戦前は数十人規模の人数だったが、王国がアイラックス将軍を失い、敗走を繰り返していくうちに辞任していく団員が続出し、戦後となった今では赤縁の鎧を着た騎士が街をパトロールすることはなくなっていた。
ゆえに今の時期に予備団員充ての寄付をするというのは、ダタッツ個人に寄付をするに等しいと言える。彼が唯一の予備団員であることが広く知られている以上、それを承知の上で寄付をしてきた可能性が高い。
帝国勇者に寄付をすることで、媚を売ろうとしているのか。そうしなければ殺されると思っているのか。
(あるいはその両方、か……しかし)
内心でため息をつきながら――ダタッツは報告の内容を思い返した。
剣と盾に充てて欲しい。つまり、アンジャルノンとの戦いで破損した銅の剣と木の盾に代わる装備を新調したい、ということだろう。
装備を、買い換えてあげたい。
そんなことを言ってくれた人が居たことを、ダタッツは静かに思い出していた。
(まさか……いや、まさか)
自分を見つめる、怯えた瞳は――今も深く脳裏に焼きついている。だが、ほんの僅かな可能性の欠片は、ダタッツの心を捉えて離さない。
「それから、その寄付者から差し入れもありまして。騎士団食堂に昼食が届けられておりますので……」
「――わかりました、ありがとうございます!」
言うが早いか、ダタッツは食堂に早足で向かっていく。焦りの色を漂わせる彼の様子を目の当たりにして、報告に来た騎士とロークは目を丸くし、互いに顔を見合わせていた。
驚愕に値する出来事であったからだ。帝国勇者が、焦っていると。
(……この、香りは……!)
その頃。廊下を渡り食堂に近づいていくダタッツは、鼻腔を擽る香りに引き寄せられていた。
帰巣本能の如く――よく知る「香り」を、求めて。
そして、扉を開いて……食堂へ踏み込んだ、その時。
(……ああ、やっぱり)
どこか懐かしく、遠い香り。二度と見ることはないだろうと、思い続けていた景色。それが今――ダタッツの前に広がっていた。
パンとスープ。油が乗ったステーキ。
……あの料亭で見慣れたランチが、ダタッツの席に用意されている。
「……本当に。買い換えてくれたんだな……」
震える片手で顔を覆う彼の口元は、安堵するように緩んでいた。ようやく、わかったからだ。
自分に向けられた感情は――憎しみだけではなかったのだと。
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