ダタッツ剣風 〜悪の勇者と奴隷の姫騎士〜
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第一章 邂逅のブロンズソード
第1話 帝国勇者
荒れ果てた大地に轟く、怒号の嵐。吹き上がる砂埃。
空に飛び散る血飛沫と、剣と剣が交わる衝撃音。
全ての事象が、戦場と称される一つの領域に結集していた。数多の意思が、その空間の中で激突し――失われていく。
「怯むな! 帝国の侵略者から、我が王国の大地を守るのだッ!」
そのさなか。
馬上で雄々しく大剣を振るい、並み居る敵兵を薙ぎ倒していく猛者がいた。一角獣をシンボルに持つ国旗を、空高く翳しながら。
艶やかな黒髪と、猛々しくも気高さを湛えた瞳を持つ、その男は――激戦のただ中に己の叫びを轟かせ、同胞達を鼓舞して行く。
その荘厳な姿に焚き付けられた兵達は、身体の奥底から噴き出すような雄叫びを上げ、敵勢に向かって行った。
「声一つで、これほどの士気を……。さすがは王国一の守り手と謳われたアイラックス将軍だ……! 先の戦で、帝国随一の膂力を誇るというアンジャルノン将軍を破っただけのことはある」
「バルスレイ将軍! 圧倒的に数で勝っているはずの我が方の軍勢が、アイラックスの軍に押されております! このままでは……!」
「……やはり勇者の力を借りねば、この戦いを終わらせることは出来んか。――彼を呼び出してくれ。早々に決着を付ける!」
敵方の将軍も、その気勢に息を飲む。だが、呑まれてばかりでは数で優位に立っていても戦には勝てない。二角獣を象った帝国軍の国旗が、風に靡いて激しく揺れる。
帝国の兵士達は王国軍の気迫に圧倒され、徐々に後退している。ここで流れを変えるには、「転機」が必要だ。
――あらゆる気力をねじ伏せる、絶対的な「転機」が。
「奴らは戦意を削がれつつある……今だ! 畳み掛けて立て直す暇を与えるなッ!」
「将軍! 前方から、急速に接近してくる敵兵が――き、騎兵の速さではありませんッ!」
「なにッ……!? ……来たか!」
そして――王国軍の攻勢が、流れに乗じて行こうとする時。
その「転機」が、彼らの前に立ちはだかろうとしていた。
後退していく帝国軍と入れ替わるかのように、王国軍へ直進していく影。普通の兵士よりも小さな――少年のような体躯を持つその影は、馬にも劣らぬ速度で王国の軍勢に迫ろうとしていた。
「あれが……先の戦で先遣隊を皆殺しにしたと言う……!」
「『帝国勇者』かッ……!」
戦場を一望していたアイラックスと、その側近である王国騎士団長は――影の実態をいち早く看破し、戦慄する。
刹那、その小さな敵影が引き抜く剣の一閃が、王国軍の兵達を血に染め上げるのだった。
――悪しき感情を噴き出すような邪気を、その身に纏って。
数で勝る帝国軍を凌駕するアイラックスの力さえ、単騎で踏み潰す絶対的な「転機」。
帝国勇者と呼ばれるその存在を前に、恐れを知らず進撃していた王国軍が、この戦で初めて歩みを止めるのだった。
アイラックスと同じ、黒曜石の色を湛える髪。強固な意志を持った眼差し。王国軍の鎧とも帝国軍の鎧とも違う、風変わりな形状を持つ漆塗りの甲冑。首に巻かれた、赤マフラー。
そして――この世界でただ一つの、細身の片刃剣。王国兵の血に染まるその刀身を見つめ、アイラックスは眉を顰めた。
「あれが『勇者の剣』と『勇者の鎧』……。数百年前に異世界から召喚され、魔王を倒し世界を救ったという勇者の装備か……。先遣隊は、あの剣が持つ殺気に触れただけで気が狂うほどのプレッシャーを浴びせられたという話だが……」
「その神器を人間同士の戦争に使うとは、なんたる冒涜……! そしてそれに恭順する、あの帝国勇者はなんという愚か者なのだ……!」
帝国勇者が纏う装備を見遣り、騎士団長は激しく憤る。強く握り締められたその拳からは、赤い雫が滴っていた。
彼にとってのあるべき勇者の姿とは、それほどまでに掛け離れているのだ。血の雨を浴びた、今の帝国勇者の容貌は。
「……なんにせよ、現代の勇者が我々にとっての脅威であることに変わりはない。――私が一騎打ちに出向こう、兵達が勢いを削がれている」
「いえ、私が先に行きましょう。将軍に万一のことがあれば、王国軍は士気の大半を失います」
「騎士団長……」
「……お任せください。我が子に平和な王国を見せるためにも――私は、行かねばならぬのです」
だが、兵達に勢いを取り戻すための一騎打ちに志願したのは、そんな私怨が原因ではない。そんなことでは、騎士団長など務まらない。
彼が戦いに出向くことを決断させた最大の動機。それは、彼らが守るべき人々――掛け替えのない家族なのだ。
そのためにこそ、彼は今、命を懸けている。「帝国勇者の戦い方」という敵情報を、少しでも多くアイラックスに伝え、この戦いに活路を見出すために。
勝ち目のない戦いに、希望を齎すために。
「我こそは王国騎士団長ルーク! 帝国勇者殿に、一騎打ちを申し出たい!」
「……」
勢いを殺され、膠着状態に陥った王国軍を掻き分け、騎馬に跨った二人の男が現れる。その二人――アイラックスと騎士団長ルークは、帝国勇者を一瞥し、この先に待ち受ける戦いの過酷さを予感していた。
そして彼らが互いに頷き合い――ルークの騎馬が先陣に踏み込んだ瞬間。帝国勇者は彼の気迫に触れ、本能的に剣を構えるのだった。
「その剣の構え。一騎打ちの受諾と判断させて頂く!」
「……」
「――行くぞッ!」
一触即発。そう形容できる剣呑な空気の中で、先に動いたのはルークの方だった。彼の騎馬は強烈な踏み込みで土埃を巻き上げ、帝国勇者目掛けて突進していく。
一方、帝国勇者と呼ばれる少年は何一つ語ることなく――ルークの気勢に怯むこともなく。ただ静かに、剣を構えていた。
(さぁ……貴様の剣を見せてみろ。この命、ただで貴様には――!)
そして、間合いを詰めたルークが、手にした両刃剣を振り上げた瞬間。
彼の胸を――片刃の剣が、貫いていた。
主の手元から打ち放たれたその剣は、二角獣の幻影を纏い――ルークの鎧ごと彼を貫通し、馬上から転落させてしまう。
その衝撃音が、静かになった戦場のただ中に虚しく響き渡っていた。
(――に、が、起きた。何が、起きたのだ。私は、なぜ……どのような技で……!?)
遠のいて行く意識の中で、ルークは己の敗因を模索する。あまりにも一瞬の出来事ゆえ、自分が死んでいく理由さえ掴めない。
その悔しさが目元に貯ろうとしていた時。ようやく彼は、胸に突き立てられた勇者の剣に気づくのだった。
(そうか、奴は……恐るべき速さで、己の剣を投げ付けたのか……。剣士の半身たる剣を投げるなど、やはり貴様は勇者失格よ……)
自分が気づけたなら、アイラックスにも見えていたはず。その希望的観測に胸を撫で下ろすルークは、静かに目を閉じて行く。
(ああ……ロークよ。せめてお前だけは、幸せを……)
そんな彼が最期に想い浮かべたのは、幼い我が子であった。父として、騎士として生きた彼の戦いは、その瞬間に――ようやく、終わりを迎える。
「ルーク……!」
その最期を見届けたアイラックスは、暫し目を閉じ――静寂に包まれた戦場の中で、黙祷を捧げる。
そして――僅かな時を経て、再びその眼が開かれた時。アイラックスの瞳には、燃え滾るような闘志が宿っていた。
ルークの命と引き換えに、帝国勇者の技を、己の眼に刻みつけて。
「遥か昔の帝国騎士が、空を舞う魔王の手先と戦うために編み出したという、伝説の対空剣術――『帝国式投剣術』。数十年前に帝国から入手した古文書に記されていたが、まさか実在していたとはな」
「……」
「――ルークの命が、私にそれを教えてくれた。彼と同じ父親として……王国軍人として。私はなんとしてもそれに応えねばならん。貴殿を、倒さねばならん」
アイラックスの騎馬が、静かに戦場へ踏み込んでいく。ルークを失った王国軍の兵達は、縋るようにその姿を見守っていた。
もはや彼らにとっては、アイラックスだけが希望なのだ。
帝国勇者はルークの骸からゆっくりと己の得物を引き抜き、アイラックスと相対する。騎士団長のルークを倒したにもかかわらず、その眼には一片の驕りもない。
『チヲ……チヲヨコセ……』
しかし、その刀身から漂う禍々しい「力」は、今も帝国勇者の身体に渦巻いている。剣から響く「声」は、鍔元から血を求めるように呻いていた。
「……さすがだ。同じ剣士として、敬意を表する。改めて、私からも一騎打ちを申し出たい」
「……死ぬのが、怖くはないのか。あなたは」
そして、少年の眼にアイラックスが感嘆する瞬間――沈黙を貫いてきた帝国勇者が、初めて口を開いた。
今までの立ち回りとは裏腹に、その声色は……まるで、アイラックスを気遣うかのような色を湛えている。
「死にはしないさ。私にも、帰りを待つ娘がいる。必ず生きて、娘の元に帰る。それだけだ」
「……ここで逃げ帰れば、容易く叶う願いじゃないのか。俺は、逃げる敵まで斬るつもりはない」
「私が望むのは、平和な王国に生きる娘に会うことだ。逃げ帰った先に、その平和はない」
帝国勇者の言葉を断ち切るように、アイラックスは背にした巨大な剣を大きく振りかぶる。そして、その切っ先が仇敵に向かう時――再び、この荒野を舞台に一騎打ちが始まろうとしていた。
「……その平和のためにも――行くぞ」
「……わかった。――来い」
そして、彼らの剣が交わる時。
この戦争の結末は、大きな変化を迎えて行く……。
――私達が暮らすこの星から、遥か異次元の彼方に在る世界。
その異世界に渦巻く戦乱の渦中に、帝国勇者と呼ばれた男がいた。
人智を超越する膂力。生命力。剣技。
神に全てを齎されたその男は、並み居る敵を残らず斬り伏せ、戦場をその血で赤く染め上げたという。
如何なる武人も、如何なる武器も。彼の命を奪うことは叶わなかった。
しかし、戦が終わる時。
男は風のように行方をくらまし、表舞台からその姿を消した。
一騎当千。
その伝説だけを、彼らの世界に残して。
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