ダタッツ剣風 〜中年戦士と奴隷の女勇者〜
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番外編 少女達の未来
「グーゼル! うらないにいきますわよ!」
「は、はぁ……」
ある日の昼下がり。
平和な公国に聳え立つ、荘厳な王城。その近辺にある練兵場に、幼い少女の叫びが響き渡る。
騎士達が剣技を研鑽するためにあるその場所には、到底そぐわない声色に、騎士達の誰もが手を止めて声の主に注目した。声を掛けられた当事者である、少女騎士グーゼル・セドワもその一人である。
最年少でありながら、騎士団の中でも指折りの実力者である彼女は、眼前で自分を見上げる金髪の少女の眼差しを、きょとんとした表情で見つめていた。
白いドレスに身を包む七歳前後の少女は、両手を腰に当てて小さな胸を張り、堂々とした佇まいで黒髪の少女騎士を見上げている。公女としての気品――の片鱗は確かに窺えるが、それを発揮するには些か幼すぎるようだ。
一方。そんな彼女を見下ろす少女騎士は、十四歳という幼さでありながら、すでに肉体の発育が着実に進行しているらしく――鎧の上からでもわかるほどに、胸の膨らみが主張されていた。
幼き日の公女クセニアは、そんな彼女と自分の胸を一度だけ交互に見遣ると――ぷうっと頬を膨らませ、不機嫌を露わにする。その心に気づかないグーゼルは、要領を得ないと小首を傾げていた。
周囲の騎士達はそんな彼女達二人を見遣り、「またか」と苦笑いを浮かべていた。お転婆で有名なクセニア姫が練兵場にやって来るのは日常茶飯事であり、彼女が外出の度にグーゼルを護衛に指名するのもお約束となりつつあるのだ。
騎士団の中で一番年が近い上、同じ女性であることから、クセニア姫はグーゼルが騎士団に入った頃から、彼女によく懐いていた。グーゼルも騎士として、あるいは姉として、クセニア姫とは一緒にいる機会が多い。端からみれば彼女達は、仲のいい姉妹のようにも見える間柄なのだ。
「あの、クセニア公女殿下。占いとは……最近、城下町で話題になっているという、あの?」
「そうです! ぜったいにあたる、とひょうばんの、あのうらないしのところです!」
「はぁ……まぁ、占いに関心を持たれるのは結構でございますが。では、明日参りましょう。明日は私も休みですから」
「いやっ! あしたになったら、うらないしはべつのくににうらないにいくらしいのです! きょうがさいごのチャンスなのですっ!」
「……では、他の方の同伴で向かわれてはいかがでしょう。いつも護衛に私を指名して下さるのは大変光栄なのですが……」
「いや! グーゼルじゃないとやー!」
騎士団の責務を理由に、他を当たるよう進言するグーゼルに対し、クセニアは両手を振り回して駄々をこねる。そんな彼女に対し、グーゼルは困った表情で振り返り、先輩達に助けを求めた。
実力は騎士団で五指に入ると言われている彼女だが、まだ入団二年目の新米なのだ。上の了解もなしに訓練を抜け出すわけにも行かなかったのである。
先輩騎士達はそんな彼女に苦笑いを送ると、騎士団長の耳にこの件を報告しに向かった。程なくして、三十代半ばの風貌を持つ屈強な男が、豪快な笑みを浮かべてグーゼルの前にやってくる。
「はっははは。また姫様のお戯れか、グーゼル。お前も大変だなぁ」
「申し訳ありません団長、私の一存では判断いたしかねる案件で……」
「構わん構わん。いつも休み返上して、夜の見回りにも行ってるだろう? お前。たまには代休使って羽を伸ばしてこい。姫様が余計に不機嫌になる前にな」
「はい、ありがとうございます」
先ほど以上に頬を膨らませ、風船のような顔になっているクセニアを一瞥し、団長はグーゼルに外出するよう耳打ちする。そうして上司からの許可を得た少女騎士は、ようやく我儘公女を連れて休みを取ることに決めるのだった。
その後、鎧を脱いだ彼女は私服に着替え、護衛という名目を果たすために剣を腰に下げた状態で、クセニアを連れて城下町へと繰り出すことになった。
元気いっぱいに両手を上げる公女のそばに控える彼女は、ため息混じりに町へ歩み始めて行く。
「さぁ、いきますわよ! グーゼル!」
「……はい」
男の団員と寸分違わぬ格好で剣を振るっていた時とは打って変わり、今の彼女は白いチュニックと赤いスカートという女らしい服装に身を包んでいる。
そのため、鎧の下に押し込められていた彼女の豊満な胸が、解放された喜びに打ち震えるかの如く揺らめいていた。それはもう、たゆんたゆんと。
「……」
「公女殿下?」
「いまにみてらっしゃい!」
「何をです!?」
その双丘を睨み上げ、クセニアはさらに頬を膨らませて不機嫌さを露わにする。何が原因なのか気づいていない張本人は、公女が癇癪を起こす理由に辿り着けず、困惑の表情を浮かべるのだった。
「いつもお疲れ、グーゼルちゃん。ほら、大好きなリンゴ。サービスしとくよ」
「わぁ! ありがとうございます、おばさん!」
「ふふふ、どういたしまして。公女殿下も、お一つどうぞ」
「ありがとうー! えと、ほめてつかわすー!」
彼女達二人が並んで歩く姿は、街の人々にとっても見慣れた光景であり、道行く人々は皆、微笑ましげに彼女達を見守っていた。
そんな折、採れたての果実を売っている馴染みの露天商に通りがかった二人は、店を切り盛りしている恰幅のいい女性からリンゴを一つずつ貰い、満面の笑みで真っ赤なおやつにかぶり付く。
普段は騎士としての凛々しさを意識しているグーゼルも、この時ばかりは年相応の子供のように、無邪気な笑顔で果実を味わっていた。
「そういえば公女殿下。件の占い師に、何を占って頂くおつもりで?」
「うん? それはもちろん、わたしのはんりょとなるおかたです!」
「は、伴侶!?」
その味わいに気を良くした公女殿下を一瞥したグーゼルは、何気無く彼女に占いの要件を尋ねたのだが――返ってきた返事の内容に驚くあまり、リンゴを落としそうになってしまう。手にした果実のように、少女騎士の顔も赤くなっていた。
「ははうえさまが、きのうよんでくださったほんにでてきたのです。むかし、ひめをたすけるために、とおいせかいから、ゆうしゃさまがやってきたと。もしかしたらわたしにも、そんなであいがあるかもしれないではありませんか!」
「そ、それを占い師に見て頂きたいと?」
「そのとおり! だから、グーゼルもうらなってもらいなさい!」
「な、な、んなっ、なんで私まで!?」
「……わ、わたしひとりだと、はずかしいもん」
「私だって恥ずかしいですっ!」
恥じらいに頬を赤らめ、往来の真ん中で口論する二人。彼女達は占い師が居る現場にたどり着くまで、とうとう気づかなかった。
そんな話題を町中で、それも大声で話していることの方が、遥かに恥ずかしいということに。そして、赤っ恥を晒している自分達を、町のみんなが微笑ましく見つめていたことに。
――そして、大勢の人だかりで賑わっている場所を見つけた二人は、顔を見合わせるとそこに足を運ぶ。それに気付いた人々は、公女殿下に道を開けるべく左右に大きく広がった。
「公女殿下だ! グーゼルも一緒だぞ!」
「あら! 今日も可愛らしいわね、公女殿下。公女殿下も、占いに来られたのかしら……?」
「きっと、未来の旦那様を占いに来られたんだわ。未婚の女性が占いに来る理由って、大概それだもの」
道を譲る人々は公女殿下の登場を前に、ひそひそと噂話を始める。そして、その噂話で見事に要件を言い当てられてしまった二人は、揃って顔を赤らめて俯いてしまうのだった。
やがて、彼女達の前に――占い師と思しき者の姿が現れる。絨毯の上に腰掛けたその人物は、しゃがれた声で小さく呟いた。
「……高貴なる血統を持つお方。あなた方は、どのような未来をお求めか……?」
紫のローブに身を包む老婆は、目を合わせることなく問いかける。彼女の視線は、手元の水晶玉にのみ注がれていた。
異様とも言えるその風貌に、二人は僅かに息を飲むが――すぐにクセニアが意を決したように口を開く。
「わ、わた、わたしのだんなさまを、うらなってくだしゃい!」
噛んだ。
「ほう……生涯の伴侶となる殿方の姿を、お求めか。して、そちらの騎士殿は?」
「え、えっと……私も、その……」
「――あいわかった。暫し待たれよ」
そんなクセニアの失態も、言い淀んでしまったグーゼルの恥じらいも気にしない様子で、占い師の老婆は静かに水晶玉に意識を集中させる。
やがて――彼女にしか見えない、水晶玉に映された光景に。剣を携えた、一人の男が現れた。
艶やかに靡く、黒い髪。吸い込まれてしまいそうな、黒曜石の色を湛えた瞳。美術館の絵画から飛び出してきたかの如く、整えられた目鼻立ち。鍛え抜かれた肉体。
その筋骨逞しく、凛々しさも備えた勇ましい若者は――険しい眼差しで、空を覆わんとする巨大な闇を睨みつけていた。彼女達とは違う別の女性を、庇うように背に隠しながら。
「……ほほう」
それを見つめる占い師は、感嘆するように息を漏らすと――緊張した面持ちで結果を待つ二人を静かに見上げる。
いよいよ結果が出る――。そう直感した彼女達は、同時に固唾を飲んで占い師の言葉を待った。
「……十年後じゃな。今から十年後、二人には素晴らしい出会いが待っておる。勇気と慈愛に溢れ、それに見合う強さを兼ね備えた――そう、勇者のような男に出会うじゃろう」
「ええっ!? ほほ、ほんとに!? す、すごぉい! ははうえさまにほうこくしなくちゃ!」
「私に、出会い!? そんな……勇者みたいって、そんな……」
「だが、勘違いしてはならぬ。見えた未来は、あくまで可能性。約束された将来ではない。その出会いが、永遠の愛に繋がるか否かは、そなたらに懸って……」
やがて出てきた回答に、二人は思い思いの反応で舞い上がる。クセニアは大喜びで跳ね回り、グーゼルは髪の毛先を指先で弄りながら、照れるように口元を緩めていた。
そんな彼女達に忠告するべく、占い師はきつい口調で声を上げるのだが――二人はまるで聞いていなかった。
「……勝手にしなされ」
やがて占い師はぶすっとした声色で呟き、二人が満足げにこの場を後にするまでヘソを曲げていたのだった。
――その日の夜。
クセニアを城まで送り届けたグーゼルは、この休暇を利用し、久々に家族に顔を合わせることになった。
久方ぶりに家族三人で食卓を囲む中――ふと、占いの話を思い出した彼女は母に問い掛ける。
「ねぇお母さん。私がお嫁に行ったら……やっぱり寂しい?」
「……え?」
「ブボハッ!」
だが、占いのことを前置きに話さなかったため。亜麻色の髪を持つ彼女の母は、突然飛び出た娘の言葉に目を丸くして。黒髪の父は、口にしていたコーヒーを盛大に噴き出すのだった。
「あら、なに? グーゼル、あなた好きな人が出来たの?」
「グ、グーゼル! 何を言い出すんだ何を! そういうことはちゃんとお父さんに相談しなさい!」
「え? いやあの、そういうわけじゃなくて……」
「お嫁に行きたいだなんて、よほどその人のことが……。そう、あの転んでは泣いてを繰り返してたグーゼルが……。早いものね……」
「相手はどこの人だね! 仕事は? 年収は? 馴れ初めは!?」
「ふ、二人とも私の話を聞いてよぉ!」
彼女の言葉足らずに端を発する誤解により、母はしみじみと頷き、父は動揺するようにカップを揺らして娘を問い詰めるようになってしまう。
そんな二人の反応を前に、グーゼルは慌てて両手を振り、説明しようとするのだが……どちらも、聞く耳を持たない。
「……いい? グーゼル」
「なによ、もう」
両親に振り回されて行くグーゼルは、神妙な表情の母を前にしても、頬を膨らませて不貞腐れている。
だが、彼女は娘の反抗を気にすることなく、言葉を続けていく。――それは、母としての切なる願いだった。
「どんな巡り合わせがあるにせよ、あったにせよ。あなた自身が幸せになることを、忘れてはだめよ。どんなに平和な時代にだって、辛いことはいっぱいあるんだから」
「お母さん……」
それを耳にして、ようやくグーゼルは母の言葉に耳を傾けた。
母が、かつて帝国の侵略から逃れるために、遠方から逃げてきた外国人であることは知っている。そんな激動の時代を生きてきた母が語る言葉には、説得力があり過ぎたのだ。
「だから……その人には、ちゃんと幸せにしてもらいなさい。この先どんなことがあっても、前を向いていけるように。そして、その人のことも、幸せにしてあげられるように……ね?」
「う、うん……」
「お父さんはダメだ! 許さないぞ、まだグーゼルには早い! お前はまだ十四歳なんだぞ!」
「もう、お父さんたら。この年くらいの頃には、恋の一つや二つは経験してるものよ。私も十六の頃は……」
「なん、だと……」
「――ああもうっ! わかったから、そろそろ私の話も聞いてってば! お父さんもコーヒー零しちゃダメ、シミになっちゃうでしょ!」
やがて、セドワ家の食卓は騒がしくも温かい団欒に包まれて行く。束の間の平和を、謳歌するように。
――その頃。
城の会食場にて、両親である公主夫妻の前でグーゼルと全く同じことを口にしたクセニアの周囲は、セドワ家以上の大騒動に発展していたのだった。
そんな彼女達の未来を視た占いは、的中したのか。外れたのか。
それは十年後、公国が平和を取り戻した今でも、定かではない――。
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