銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百六十九話 ウルリッヒ・ケスラーの肖像
帝国暦 487年 11月24日 オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
おそらく、領地替えの情報はラインハルトからオーベルシュタインに伝わった。その後は社会秩序維持局、いや内務省からランズベルク伯達だ。だがこの情報はフェザーンにも流れたのだ。
どの段階で流れたかは分からない、オーベルシュタインか、内務省か……。そしてフェザーンは宮内省の協力者に協力を命じた。即ち近衛の取り込みと宮中警備の無力化だ。
つまり、オーベルシュタイン、内務省、フェザーンの協力体制が出来上がっているという事か。軍事力はともかく、謀略では一筋縄ではいかない連中だ。俺はケスラーとキスリングの唖然とした表情を見ながら、いつの間にか自分が包囲されている事に気付いた……。
「待ってくれ、エーリッヒ、卿の言いたい事は分かる。だがそれは有り得ない」
我に返ったキスリングが身を乗り出して俺に話しかけてきた。まるで宥めるかのようだ。
「どうしてそう言い切れる」
「カストロプの反乱が起きた時、卿の策に従ってフェザーンに与する貴族達を捕らえた。ブルクハウゼン侯爵、ジンデフィンゲン伯爵、クロッペンブルク子爵 ハーフェルベルク男爵……。だが彼らを取り調べても宮内省に仲間が居るなどとは誰も言わなかった、誰もだ」
「……」
「卿の考えが正しければ協力者は三年前からいる事になる。彼らが知らなかったとは思えない。皆自分が助かりたくて我先に自白したんだ。宮内省にフェザーンの協力者が居るなら必ず言ったはずだ」
自分で取り調べたからな、自信が有るんだろう、だがそうじゃないんだ、ギュンター。俺はむきになって否定するキスリングを見ながら心に思った。
「知らなかったのさ」
「……馬鹿な」
キスリングが唖然とした表情をしている。その横でケスラーは難しい顔で考え込んでいた。その対比が可笑しくてつい笑いが出てしまった。二人ともギョッとした様な表情で俺を見た。それが可笑しくてさらに笑いが出た。
「馬鹿じゃない。宮内省の協力者はかなりの高官のはずだ、陛下の傍に居る、つまり帝国の中枢部に居ると言って良い。ブルクハウゼン侯など所詮リヒテンラーデ侯への敵対心だけでフェザーンに付いたような男だ。いくらでも代わりは居る。宝石と消耗品を一緒に扱うと思うか?」
「……じゃあ、あの時宮内省の協力者は何をしていたんだ? おかしな動きが有れば必ず判ったはずだ。今回は内務省の動きに気を取られて見逃したが、フェザーンからの指示は何も無かったと言うのか? その方が有り得ないだろう」
キスリングが幾分首を捻りながら答える。納得できないらしい。
「自分もそう思います。フェザーンにとってもあれは正念場だったはずです。フェザーンから何の指示も無かったとは思えません」
ケスラーがキスリングの考えを支持した。二対一、どうやら形勢は俺の不利のようだ。
「フェザーンの指示は任務を真面目に行なえ、だったとしたら?」
「本気で言っているのか、エーリッヒ」
キスリングもケスラーも呆れたような顔をしている。俺が冗談でも言っていると思ったらしい、生憎だが俺は本気だ。
「あの時、敵をおびき寄せるために陛下には病気になってもらった。忘れたのか、ギュンター」
「……」
「フェザーンからの指示は唯一つ、陛下の生死を確認せよ、陛下が崩御された場合には、その死をブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯にすぐさま知らせよ、そんなところだろう」
「!」
ケスラーとキスリングが驚いている。もっともそれは俺も同じだ。自分で言っていても信じられないところが有る。だが、考えれば考えるほど宮内省の顔の分からない男はフェザーンと組んでいるとしか思えない。
「フェザーンの狙いは帝国を混乱、分裂させ同盟との決戦に敗北させる事だったんです。カストロプの反乱もブルクハウゼン侯もそのために利用された。宮内省の協力者は陛下の健康状態を監視していた。それこそが帝国を混乱に陥れる最大の要因だから……」
「……」
そうか、陛下の健康問題か……。宮内省の顔の分からない男と内務省の協力関係はその時には出来ていたわけだ。だとすると両者の繋がりはもっと前だ……やはり三年前か……。あれは偶然ではなかったという事か。だとするとビーレフェルト伯爵を殺したのは……。
「私は間違っていたかもしれない」
思わず、呟くような声になった。
「間違っていた?」
「ええ。ケスラー提督、ビーレフェルト伯爵を殺したのはフェザーンじゃない、社会秩序維持局、いや内務省でしょう」
「どういうことです。三年前のあの事件には内務省は関わっていない筈です」
ケスラーは混乱している。
「関わっていますよ、“警察は大した事が無かった”、覚えていませんか」
「!」
ケスラーが目を大きく見開く。その目には驚愕が有った。
「まさか」
「そのまさかです、ケスラー提督」
気が付けば低い声で笑っている自分がいた。今日は笑いが多く出る。多分自分自身を笑っているのだろう。自分の間抜けさ加減を。
「どういうことです、ケスラー提督」
「警察もあの船を臨検していたが、船長に脅され碌に調査もせずに引き下がったそうだ。“警察は大した事が無かった”それは取調べで逮捕された船長が言った言葉だ」
キスリングの問いにケスラーが苦い表情で答えた。ケスラーはどうやら俺の考えを理解したらしい。
「警察は大した事が無かったんじゃない、最初から調べるつもりがなかった……。そういうことですね、司令長官」
俺はケスラーの言葉に頷いた。その通りだ、警察は最初から調べるつもりは無かった。そして警察は内務省の管轄下にある……。
「三年前の事件は宮内省の顔の分からない男、内務省、フェザーン、ビーレフェルト伯爵の四者が起した事件だったのでしょう。おそらくビーレフェルト伯爵は船長に警察が臨検することなど無い、そう言ったはずです。実際警察はそうだった」
「……」
「問題なく終わるはずでした。ところが私が介入した、それで全てが狂った。事件が公になれば宮内省、内務省、フェザーンを巻き込む一大事件になります。特に内務省と宮内省の顔の分からない男にとっては致命傷でしょう。関与が発覚すれば間違いなく極刑です。彼らはビーレフェルト伯爵の口を塞ぐ事で身を護った」
「……」
「闇の左手が動いたと噂を流したのも内務省でしょう。その噂を流す事で捜査がおざなりになることを狙ったんです」
「……信じられない」
頭を振りながら呟くようにキスリングが吐いた。あの事件は皇帝の財産が絡んだにもかかわらず、尻すぼみに終わった。その事件の裏に宮内省、内務省、フェザーンの繋がりがあったと言っても信じられないかもしれない。まして皇帝の闇の左手の名が利用されたなど……。
「思い出すんだ、ギュンター、オーベルシュタインが陛下の健康問題を社会秩序維持局に確認した事を」
「……」
「社会秩序維持局はどうやって陛下の健康状態を確認したと思う?」
「……そうか、接触を受けた社会秩序維持局はそれを宮内省の協力者に問い合わせた、そういうことか……」
呻くようなキスリングの声だった。ケスラーは疲れたような表情をしている。
「宮内省の人間が陛下の健康状態を昨日今日知り合った人間に教えるはずが無い。そんなことが露見すれば機密漏洩で罷免されかねない。彼らは共犯者という強い絆で結ばれていたのさ」
お互いに急所を握り合っているようなものだ。目障りでもあろうが、一方の破滅はもう一方の破滅に繋がる。一蓮托生の運命だ、繋がりは強いだろう。
しばらくの間、誰も喋らなかった。考えているのか、疲れているのか……。ようやく話しかけてきたのはケスラーだった。
「司令長官、早急に宮内省の顔の見えない男を特定する必要があります」
「ええ、それが急務でしょうね」
「こうなったらラムスドルフ近衛兵総監に打ち明けて取り調べてもらったほうが良いのではありませんか、ケスラー提督」
「それは駄目だ、キスリング。簡単に分かるとは思えないし、相手を警戒させかねない」
その通りだ、最悪の場合宮中で暴発という事もありえるだろう。クロプシュトック侯事件の再現なんて事になりかねない。彼らは今ラムスドルフの取調べに気を取られているはずだ。むしろ別な点から切り込んだほうが良い。
「やはり三年前の事件をもう一度洗い直すしかないでしょう」
「からめ手から攻めるのですね」
「そうです、ケスラー提督。しかし時間がかかりますね」
「いや、そうでもないでしょう。陛下のお傍近くにいて近衛とも接触のある人物、そして惑星トラウンシュタインの密猟を揉み消せる人物ともなれば、宮内尚書、次官、局長クラスです。一人ずつ潰していけば良い」
「……」
「キスリング准将、最優先だ、宮内省の顔の見えない男を特定してくれ」
「はっ」
ケスラーとキスリングが帰った後、俺は応接室で一人残っていた。正直なところ書類整理をする気にはなれなかった。全く今日は碌でもない一日だ。ひとつ狂うと全てが狂うか……。同感だよ、ヤン・ウェンリー。おそらく俺の方がその想いは強いだろうけどね。
ルビンスキー、オーベルシュタイン、ラング、そして宮内省の顔の見えない男……。宮内省の男は分からないが、どいつもこいつも他人を陥れる事だけに生きる喜びを感じているような連中だ。まるで魑魅魍魎、百鬼夜行とでもいうべき連中で間違ってもお友達にはなりたいと思う人間じゃない。
俺も謀略は使う。しかし謀略に淫してはいない。謀略そのものが生きがいなどという事は無い。これから先、魑魅魍魎、百鬼夜行な奴らを相手に生き死にを賭けて陰謀ごっこをするのかと思うと気が滅入ってくる。俺の生き残る可能性は低いんじゃないだろうか。
まあ、それでもこっちにはケスラーが居る、それがせめてもの救いだな。ケスラーまで敵に回っていた日には俺はあっという間に首と胴が永遠の別れ、なんて事になりかねない。もっとも一瞬の別れでも終わりだが。
ウルリッヒ・ケスラー、俺が思うに原作では最強の謀将と言って良いだろう。ルビンスキー、オーベルシュタイン、ラング、トリューニヒト、全てが斃れる中で最後まで生き残った。
ケスラーが謀略家として動き始めるのはエルウィン・ヨーゼフの誘拐後だ。あの時、ケスラーの部下だったモルトはラインハルトとオーベルシュタインに殺されたと言って良い。ケスラーももう少しで切り捨てられる所だった。ケスラー自身その事には気付いていただろう。
普通ならケスラーはラインハルトにもオーベルシュタインにも反感を反発を示してもおかしくはなかった。だがケスラーはそれを内に隠して一切表に出さなかった。もし反感を表していたらあっという間に更迭されていただろう。
そして有能な憲兵総監、帝都防衛司令官として存在し続けた。おそらくオーベルシュタインにも仕事上での協力は惜しまなかったはずだ。そうやってオーベルシュタインの猜疑心を自分から他者に向けさせた。
そしてロイエンタールの反逆事件が起きる。あの事件で最大の利益を得たのはオーベルシュタインではない、ケスラーだ。一見すると、危険視していたロイエンタールを葬ったオーベルシュタインが勝利者のように見える。
だが良く考えてみれば、あの件でオーベルシュタインはラングを失っている。つまり内務省から情報を得ることが出来なくなったのだ。謀略家にとって一番大切なのは正確な情報だ。オーベルシュタインはその情報源を失った。俺から見ればオーベルシュタインはとても勝利者とは言えない……。
ラングの失脚はケスラーがルッツからの依頼により調査した結果によるものとなっているが、そうなるとラインハルトが行幸に行く前には疑わしい部分がでず、ロイエンタールが反逆を起してからラングの陰謀が判明したことになる。この間一ヶ月ぐらいの時間しかない。タイミングが良すぎると思うのは俺だけだろうか。
ケスラーの上手い所は直接報告せず、ヒルダを通して報告した事だ。おまけにルッツからの依頼により調査したと言うことでルッツに対する罪悪感からかラインハルトはあっさりと丸め込められてしまう。
俺ならケスラーを呼びつけて行幸前に何故分からなかったととっちめている所だ。ルッツからの調査依頼というのも本当かどうか怪しいだろう。調査はそれ以前から行われていたはずだ。実際に調査依頼が有って利用したか、或いは死人に口無し、ラインハルトを丸め込むためにでっち上げて使ったという可能性もある。判断の難しい所だ。
ラインハルトはケスラーに見切られたのだ。ラインハルトは謀略には向かない。何故なら謀略とはプライドの高い男に出来る遊びではないからだ。謀略というのは自分が無力で弱くて惨めな存在だと思える人間だけが使える陰惨で不幸な遊戯なのだ。だから疲れる、だから嫌になる。そんな不幸な遊戯に淫するようになれば行き着く先は魑魅魍魎、百鬼夜行だ。人ではなくなる……。
ラングの失脚後、オーベルシュタインはケスラーを頼らざるを得なくなる。本当はケスラーを切り自分の意のままになる人物を憲兵総監にしたかっただろう。しかしケスラーの手元にはラングの供述書があった。オーベルシュタインこそが陰謀の主犯であるという供述書が。
あれがある限りオーベルシュタインはケスラーを切れない。ケスラーも供述書を表に出さない事でオーベルシュタインを守る姿勢を見せた。オーベルシュタインとしてもケスラーの配慮に黙らざるを得なかっただろう。そして地球教徒の最後のテロが起きた。
地球教徒はラインハルトとオーベルシュタインを間違えて襲撃した。間抜けと言って良いが、本当に間抜けだったのか。誰かに誘導されたという事は無いのか。ラインハルトが死ぬ以上、ラインハルトの負の部分を担った人間も死ぬべきだと誰かが思ったのではないのか……。
数多の謀略家たちの中でケスラーだけが生き残った。俺はケスラーを卑怯だとは思わない。謀略に卑怯などという言葉は無い。謀られるほうが間抜けなのであり、生き残った人間こそが勝利者なのだ。
ロイエンタール反逆から地球教徒の最後の襲撃まで、その筋書きを書いたのは間違いなくケスラーだ。オーベルシュタインが書いたシナリオのさらに上を行った。
そうでありながら彼は僚友たちの誰からも信頼され頼られた。謀略家としての裏の顔を誰にも悟られなかったのだろう。まさにケスラーこそ偉大な勝利者であり最高の謀略家だったと思う。
そろそろ執務に戻るか……。いつまでも現実逃避をしていても仕方が無い。俺は応接室を出ると司令長官室に向かった。沢山の書類が俺を待っている。どうせ現実逃避をするのなら書類整理に時間を潰すほうがましだろう……。
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