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平成ライダーの世界

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第一章

                                平成ライダーの世界
 これまでクウガからドライブまで書かせてもらいました。その中での平成ライダーの世界、ここではクウガからディケイドまでの第一期に対する私的な解釈をここで述べさせてもらいたいと思います。
 まず僕はクウガからドライブドまでの世界は全てつながっていると考えています。少なくともテレビ版の世界は全て一つになっていると見ています。そしてそれと共に敵は一つであるとも考えています。
 その敵は誰かというとです。あのショッカーから連綿と続く一連の組織の首領であり黒幕であったスサノオです。僕はこれはほぼ間違いないと見ています。
 そうではないのか、と思いはじめたのはカブト辺りからでした。あの作品では三十五年前の話が出ています。丁度ショッカーの暗躍が本格化してそして仮面ライダーとの戦いがはじまった時です。
 スサノオは最初はショッカーだけで終わらせるつもりだったと思います。ショッカーによる世界征服をするつもりだったのでしょう。少なくとも最初はそう考えていたと見て間違いないでしょう。
 しかしです。仮面ライダー達との戦い、とりわけ二号ライダーが出た辺りからその考えが変わっていったと思います。次第に世界征服からライダー達との戦いや仮面ライダー、即ち人間がどの様にして強くなっていき成長するのか、どうして智恵やその力で危機を乗り越えているのか、それを見て楽しもうと考えるようになったのではないでしょうか。
 スサノオは『仮面ライダーSPIRITS』では牢獄に囚われています。ツクヨミに封印されてです。彼はそこで退屈しきっています。その退屈を紛らわせる為にライダー達との戦いから様々なものを見て楽しんでいるのではないでしょうか。
 スサノオは漫画の中で楽しみを求める言葉も出しています。そういうことを考えていきますとやはり彼はライダーとの戦いやその人間としての行動を見て楽しんでいます。平成ライダーではライダーとなっている人間と力に溺れて人の心を捨てた存在との対比が非常に大きなテーマにもなっています。
 人間とは何なのか、スサノオはそれを自分も見てライダー達にも見せているのでしょう。平成ライダーはそうしたことを考えますとアギト、龍騎を除いて間違いなくスサノオの影があります。後述ですが彼はアギトや龍騎の世界も見ていたと思います。
 彼はン=ダグバ=ゼバでありアークオルフェノクであり統制者でありキュリオスでありカイでありました。大ショッカーの首領であったことも間違いありません。
 電王ではカイは退屈を紛らわせる様に遊びで民家とその玄関で楽しく話していたカップルの存在を消して楽しんで笑っていました。僕はこの遊びを楽しむ姿から彼もまたスサノオの分身の一つだと確信しました。
 ン=ダグバ=ゼバはグロンギの王でしたがグロンギを破滅させもしています。戦いを楽しみ殺戮を愛しています。スサノオの破壊衝動の具現化した存在なのでしょう。
『闘ってもっと僕を笑顔にさせてよ!』
 この言葉に最後の五代雄介との闘いの中で笑う彼は五代が涙ぐみながら望まない闘いを行っているのとはまさに正反対でした。グロンギとは闘うことそのものを文化としている特異な種族でしたがその種族の文化は人間のものとは全く違いました。
 文化として殺人、彼等から見ればリゲルへの狩りを行っていましたがそれを止める存在こそがクウガでした。それになった五代雄介は戦いを嫌い人の心と夢を愛する優しい人でした。これまでのヒーローの中でも最も温かい心を持っている人の一人でしょう、
 彼は人々の為に必死に闘いました。殺されていく人を護る為、人々の笑顔を護る為二です。その為に闘っていました。その中で自分もグロンギと同じ存在になっていくかも知れないことも知りました。そのことへの恐怖も感じながら闘い続けていました。
 クウガではヤマアラシタイプのグロンギとの闘いが非常に重要だったでしょう。死への恐怖に怯え苦しみ恐怖と絶望の中で死んでいく少年達。その死を嘆き悲しむ家族と友人達、そしてそれを見て笑う残忍なグロンギ。この頃には五代を認めるようになっていた一条刑事も無念の顔で見るだけしかできませんでした。
 そして五代はその優しさ故に悲しみと怒りを爆発させてです。グロンギにこれまでにない行動を取りました。
 無様にも見えるような有様になったグロンギに向かいながら剣を手にゆっくりと前に出る時に彼が殺してきた少年達のことを想っていました。クウガになっていましたがそこには明らかに憤怒がありました。しかしそれは彼個人の憤怒ではなく死んでいった少年達のことを想っての憤怒でした。
 しかしそれでもです。それこそが人からグロンギになってしまう恐れのあるものであるとしているところにクウガの作品世界の怖さがあります。例え相手がどれだけ許せない相手であってもそれでも怒りにその心が満たされればです。それが人でなくなることになってしまうとしているところにそれがあると考えます。
 五大雄介という人は非常に優しく美しい心の持ち主です。最初は不審に思っていた一条刑事も彼のその心を知るうちに認めていったのも当然のことでした。一条刑事もまた非常に高潔な心の持ち主であり例え変身をしていなくともそれでもライダーと同じだけの素晴しい戦士でした。その一条刑事が認めただけの素晴しい心の持ち主が五代です。平成ライダーの世界においても屈指の素晴しい心の持ち主です。
 その彼もまた怒りに囚われるならばグロンギになってしまう、クウガ終盤のストーリーはそこに重点がありました。 
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