銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百六十三話 交錯する想い
帝国暦 487年 11月23日 オーディン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
俺の前には宇宙艦隊司令部へと向かう地上車が有った。時刻は五時をまわったばかり、まだ外はかなり暗い。
「リューネブルク中将、もう直ぐ宇宙艦隊司令部へ着きますね」
「……」
俺は横に座っているリューネブルクに視線を向けた。リューネブルクも俺を見る。さてどうしたものか。男二人見詰め合っていても仕方ない。
「リューネブルク中将、どうやら卿の……」
“取り越し苦労だ” そう言葉を続けようとした瞬間、閃光とともに激しい爆発音がした。目の前の地上車が文字通り吹き飛ぶ。そしてさらに爆発音が続く。おそらく後続の地上車も撃破されただろう。
「やはり、来ましたな」
「……」
「どうなさいます」
リューネブルクがこちらを見ているのが分かる。指示を出さなければなるまい。思わず溜息が出た。
「モルト中将に連絡してください。襲撃者を捕縛せよと」
「捕縛ですか?」
「私が生きている事を相手に伝えてください、それと話がしたいと言っていると、抵抗はしないはずです……」
「……承知しました」
リューネブルクが席を立つ。
「中将」
「?」
「有難う」
リューネブルクは微かに頭を下げるとモルト中将に連絡を取るべく部屋を出て行った。俺は地上車の残骸を映し出すスクリーンをじっと見詰めた。何故だ、何故こんなことになる。また溜息が出た……。
襲撃者が捕縛されたと聞いたのはそれからさらに三十分後だった。モルト中将からの報告ではお互いに死傷者は出なかったらしい。俺は新無憂宮から装甲輸送車で宇宙艦隊司令部に向かった。もちろん護衛の指揮はリューネブルクが執った。
宇宙艦隊司令部には無事に着いた。もっとも新無憂宮から宇宙艦隊司令部まで回り道をして帰ったからその所為も有るだろう。司令部に着いたのは六時半に近かった。当直士官と警備兵以外は誰もいない宇宙艦隊司令部を俺はリューネブルク率いる装甲擲弾兵による護衛とともに第二十五会議室に向かった。
第二十五会議はこじんまりとした部屋だった。そこにはアントン・フェルナー、アドルフ・ガームリヒ、モルト中将、そして何人かの装甲擲弾兵がいた。俺はモルト中将と敬礼を交わしつつ労をねぎらった。
「ご苦労様でした、モルト中将。死傷者が無かった事は幸いでした」
「閣下が無事だという事を伝えた所、あっさりと降伏してくれました。そのおかげです」
モルト中将はそう言うとフェルナーとガームリヒ中佐へ視線を向けた。二人とも手錠をかけられ、椅子に座っていた。憔悴した表情で眼を閉じている。この二人が俺を襲撃するとは……。
「アントン、ガームリヒ中佐、残念だったね。私はこの通り生きている」
「ああ、残念だよ、エーリッヒ。ほっともしているが……」
嘘ではないだろう、何処と無くアントンの声には明るさがあった。
「モルト中将、二人の手錠をはずしてください」
「しかし」
「良いんです。はずしてください」
一瞬モルト中将は躊躇ったが諦めたかのように二人の手錠をはずした。それと同時に装甲擲弾兵の右手がブラスターにかけられた。
「教えてくれ、随分と手際が良かったが前々から準備していたのか、この日のために」
「……そうだ」
思わず俺の口から溜息が出た。一体俺は何を見ていたのか……。
「理由を教えてくれ、何故だ」
声が掠れないようにするのが精一杯だった。
「……」
フェルナーもガームリヒも答えない。二人とも申し合わせたかのように眼を閉じたままだ。
「貴族達に領地替えの情報を漏らしたのも卿か? 彼らを暴発させ、あの二人を誘拐させ私をおびき出して殺す。それを狙ったのか、アントン!」
そしてその罪をローエングラム伯に擦り付け軍を混乱させる。可能だろう、今の軍なら可能だ。その思いが俺の口調を激しくさせる。押さえきれない激情が俺を捕らえた。
「違う、そうじゃない」
落ち着いた声だ。クソッタレめが、だから俺はお前が嫌いなんだ。
「どう違う、答えろ!」
フェルナーが眼を開け、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「貴族達に領地替えの情報が漏れた。俺もガームリヒ中佐も必死で否定したが彼らは信じなかった。例の借金の返済が迫った事で疑心暗鬼になっていたんだ」
「……」
「領地替え?」
モルト中将が困惑するかのように呟くのが聞こえた。リューネブルクがモルト中将に向かって首を振るのが見えた。それ以上は問うな、そういう意味だろう。すまんな、リューネブルク、卿も知りたいだろう。いや卿の事だ、大体の想像はつくか……。
「彼らは何としてもブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯を反乱に踏み切らせようとした。決して自分達を切り捨てるような事は許さない、そう言ってな」
「……」
何処か疲れたようなフェルナーの声だった。俺の暗殺に失敗した事が原因か、それとも貴族達の執念に対して疲れているのか。隣にいるガームリヒ中佐はまだ目を閉じたままだ。微動だにしない。一体何を考えているのか……。
「逃げ切れるかどうか不安だった。それでガームリヒ中佐と相談し万一の場合に備えた。事が起きるとすれば、宮中か卿の暗殺だ」
「……それで、私の暗殺ならどうする」
「卿の暗殺なら成功不成功に関わらず動かない。貴族達を説得しローエングラム伯に罪を擦り付け軍を混乱させる。実行犯達を潰し政府に恭順するか、政府と戦うかは軍の混乱がどの程度になるかで決めるつもりだった」
皆考える事は同じだ。何処かでラインハルトを利用しようとしている。ラインハルトが野心を捨ててくれればどうだったろう。フェルナーは俺の暗殺など考えなかったに違いない。そう考えるだけでラインハルトに、そして彼を処断できずにいる自分に腹が立った。馬鹿たれが!
「宮中でことが起きた場合は?」
内心の怒りを押し殺して問いかけた。答えは分かっていても問わざるを得ない。何処か自虐的になっている自分がいた。
「もう分かっているだろう、卿を暗殺する。宮中で事が起きる、つまり陛下の暗殺か、エルウィン・ヨーゼフ殿下の暗殺になる。ローエングラム伯に嫌疑を掛ける事は出来ない。伯が今陛下を暗殺しても何の利益も無い」
「そうでもない。内乱を起すために陛下を暗殺するという事はありえるだろう」
「危険が大きすぎるさ、誰も信じない。どう見ても嫌疑はブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯にかかる」
その通りだ。今朝方考えたことをフェルナーも考えたに違いない。フリードリヒ四世、エルウィン・ヨーゼフの二人を殺せば次の皇帝に就くのはエリザベートかサビーネ。一挙に逆転だ……。成功はしないだろう、だがそれでも嫌疑はかけられる。
「……」
「お二人がオーディンに行く事は無い。行けば反対する貴族達に殺されるだろう。その瞬間からブラウンシュバイク、リッテンハイムの両星系は暴発した貴族達に蹂躙される。内乱の始まりだ」
「……」
「そして行かなければ、犯人である事を認めたことになる。やはり内乱が始まることになる……」
「だから私を暗殺するのか」
「そうだ。まさか彼らがエリザベート様、サビーネ様を誘拐するとは思わなかったがね。陛下の暗殺より始末が悪い、最悪だ」
そう言うとフェルナーは“参ったよ”と呟いた。
「まだ、取り戻せないと決まったわけじゃないだろう……」
俺の言葉にフェルナーは軽く笑い声を上げた。
「甘いよ、エーリッヒ。直ぐに取り戻せるような相手にあの新無憂宮からエリザベート様、サビーネ様を誘拐できると思うかい?」
「……」
一頻り笑った後、フェルナーは生真面目な表情になった。
「誘拐首謀者のランズベルク伯から連絡があった」
「!」
「君側の奸を討つべく兵を挙げろと」
部屋の空気が一瞬で固まるのが判った。多分俺の顔は歪んでいるだろう。
「それで、なんと答えた」
「未だ準備が出来ていない、そう言ったら“これ以上は待てない。二十四時間以内に兵を挙げなければ、エリザベート様、サビーネ様を旗頭として自分達で兵を挙げる”と」
「馬鹿な、どうやって兵を挙げる。二十四時間でこのオーディンから抜け出し兵を起せるとでも思うのか? 宇宙港は既にこちらで押さえた」
嘲笑混じりにフェルナーに反論したのはリューネブルクだった。
「オーディンを抜け出す必要はありません。このオーディンで兵を挙げます」
「!」
ガームリヒ中佐……。彼は目を開けていた。澄んだ色を湛えた眼だった。
「直ぐに鎮圧されるでしょう。だがその時にはエリザベート様、サビーネ様は反乱の元凶となっています。最後はランズベルク伯達に無理矢理自害させられる、反逆の首魁として最後を迎えるでしょう」
「ブラウンシュバイク、リッテンハイムの両家は反逆者になる。そういうことか……」
リューネブルクの言葉にガームリヒ中佐が無言で頷いた。誰かが溜息をついた。モルト中将だろうか?
ランズベルク伯アルフレットか。あのロクデナシのクズ。帝国貴族五百年の精華があのクズだというなら貴族など全て地獄に落ちればいい、クズが!
「アントン、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は卿らの行動を知っているのか?」
「知っている。止むを得ないという事だった」
リューネブルクとモルト中将が顔を見合わせるのが分かった。内乱の始まり、それを実感したのだろう。
「……失敗した事は伝えたのか」
「いいや、その時間は無かった。だが連絡が無いのだ、失敗したと判断しただろう」
二人とも内乱を決意した。いや、既に内乱は始まっていた、そういうことか……。やるせない思いが胸に湧き上がった。俺は領地替えの成功を望んでいたのだろうか? それとも内乱を望んでいたのか、分からなくなった、ただこんな形でフェルナーと会いたくは無かった。
「アントン、何故もっと前に私に相談してくれなかった。そうすれば……」
「無駄だ、エーリッヒ」
「……」
何かを断ち切るかのような口調だった。
「卿らの考えは分かっている。積極的には手助けはしない。生き残りたいなら自分の力で何とかしろ、俺達を当てにするな、そうだろう?」
「……ああ、そうだ」
「責めているんじゃない、当然の事だと思う。これまで門閥貴族の雄として勢威を振るった両家が一転して政府の庇護を受けるなど改革に対する平民達の信頼を失うだろう」
「……それでもだ、それでも相談して欲しかった。私は卿と戦いたくなかった」
「俺もだ、俺も卿とは戦いたくなかった。だがそれ以上に俺は卿と戦いたかった!」
「アントン……」
「卿の頼みでフェザーンに行って以来、ずっと思っていた。俺が全てをかけて戦えるのは卿だけだと。卿と戦えば苦しむのは分かっていた。それでも卿と戦っているときだけが熱くなれたんだ。苦しくて熱くて、まるで恋でもしているかのようだった。分かってくれるか、エーリッヒ」
「……ああ」
まるで告白でもされているかのようだった。フェルナーの苦しみが、喜びが聞こえてくる。本当なら俺は“ふざけるな”と怒鳴りつけるべきなのだろう。
それなのにどういうわけか、声が湿ってくる。何故だろう……。分かっている。俺はフェルナーと戦いたく無かった。フェルナーは俺と戦いたがっていた。その気持ちを知っていたからあの領地替えの案に飛びついた。もう戦わずに済む、そう思った。俺はフェルナーの思いに応えなかったのだ……。
「上手くいったと思ったのだがな。所詮俺は卿に及ばぬようだ」
「そんな事は無い。私は何の警戒もしていなかった。リューネブルク中将がいなかったら私は卿の手で殺されていただろう」
「そうか、運が無かったな」
フェルナーは微かに苦笑した。穏やかな表情だ、死を覚悟したのかもしれない。
「……」
「エーリッヒ、卿の悪い癖だ。誰よりも冷徹なくせに自分の事になると妙に鈍くなる」
フェルナー、そんな穏やかな顔をするな。俺に士官学校時代を思い出させるな。
「そうじゃない。あの領地替えを話した日、卿は“負けた”と言ってくれた。あの時私は卿ともう戦わずに済む、そう思った。だから……」
「俺が戦いを諦めていないなどと考えるのを放棄したか」
「ああ、多分そうだと思う」
俺の言葉にフェルナーは視線を落とした。
「負けたと言いながら最後まで戦う事を考えた俺を卑怯だと思うか?」
「いや、そうは思わない。私が甘いだけだ」
フェルナーが顔を上げ笑顔を見せた。
「そうか、礼を言うぞ、エーリッヒ。卿には卑怯者とは思われたくない」
「らしくないぞ、アントン。謀略に卑怯などという言葉は無い。謀られるほうが間抜けなだけだ」
「そうだな。卿のような甘チャンがいうと実感が出るな」
フェルナーが声をあげて笑った。甘チャン、そう言われても少しも怒りが湧かなかった。確かに俺は甘チャンだ。リューネブルクがいなかったら俺は死んでいただろう。甘チャンなのは間違いない。帝国暦 487年 11月23日、時刻は七時半になっていた……。
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