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最後の忍び

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~The Last Resolution~

【一】


“鮮烈のリュウ”
 その武名()が示す通り、その男の放った一撃は、
文字通り魔を斬り裂いた。
 銀色の仮面、黒のラバースーツ、忍者(しのび)とは想えぬ鍛え抜かれた剛腕。
『龍の一族』 その継承者の証で在る 『龍剣』 が、
魔人の生み出せし常闇の 「結界」 を討ち滅ぼした。
 怨神(おんしん)妖蛇(ようじゃ)』 の出現により、
時空が入り混ざり混沌と化した魔境 “姉川”
 その次元の狭間(はざま)にて、より混沌を深めるため
魔人、(たいらの) 清盛(きよもり)が執り行っていた邪法の禁儀、
しかし奇しくもその “混沌の歪み” が時空を超えて呼び寄せてしまった
龍の忍者により、魔人の目論見は未然に阻止された。
「おのれ……!」
 老齢とは想えぬ、龍の忍者(しのび)を凌駕する体躯、
その体躯(からだ)を覆う、巨大なる数珠。
「おのれ……! おのれ! うおぉぉぉのれえええええぇぇぇぇぇぇぇッッ!!」
 魔人の憤怒(ふんぬ)、その咆哮は周囲の古風な建物を侵蝕するようにして帯びる、
近代の高層ビル、内部の鉄筋までを震わせて轟いた。
 重さ数千斤は在る巨大な数珠を、魔人はその重量など意に介さず朽木を振るうが如く
やたらめったらに龍の忍者へと()り出す。
 怒りで我を喪失(うしな)っている故に、最早 「技」 とも呼べぬ代物であるが
不可思議なコトに魔人の刳り出す豪撃は、揮うごとに凄まじい 『旋風』 を巻き起こし
周囲の配下である魔獣を跡形も無く激砕しながら龍の忍者(しのび)へと迫る。
 そして更に奇妙なコトであるが、周囲の味方を(ほふ)るごとに数珠には光が宿り、
その 『進撃』 に比例して威力が増大していった。
「むうッ!」
 数多の闇の眷属、邪鬼眼の王すらも討滅した慧眼、
超忍、“リュウ・ハヤブサ” はその洞察で魔人の武具に宿りし
『属性』 を即座に看破、刃を交えるコトなく尖鋭な体捌きのみで
巻き起こる旋風の暴圏(ぼうけん)迄をも見切ってソレを(かわ)
最終的には高速のバク転の後大きく跳躍する。     
 天空の闇に紛れし影、然る後。
「とぅりゃああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!」
 無音暗殺を旨とする忍者(しのび)とは想えぬ喚声、
裡に籠った気魄は正に龍の息吹。
 闇の中から、夥しい数の光閃(ヒカリ)が恐ろしい速度で飛び出してきた。
 ソレが両の指を遥かに余る手裏剣の叢刃(そうじん)だと気づいたのは
魔人、清盛をして迎え撃った直後、背後の異形の者達はそのヒカリが
何なのかすら理解出来ぬまま体積比数十倍の頭部、四肢、
果ては頑強な武具や甲冑に至るまで、
八方、卍、稲妻、古風な苦無(クナイ)型も多数織り交ぜて放たれた
刃の嵐に骨ごと殺ぎ飛ばされ、物言わぬ(かばね) へと化しめられていく。
 其の者が(つか)う刃の質、そして技倆(ぎりょう)が並外れていなければ
成し得ぬ() 儀。
「小賢しいわァッッ!!」
 しかし迎え撃つ魔人もまた尋常に(あら)ず、
直打法、旋回法、無転法、(いず)れの技巧(ワザ)にしても “受ける側” からすれば
視えていても 「点」 にしか映らない叢刃の嵐を、楯と成り得る巨大な数珠を揮り乱し、
力、武具、旋風の総力に拠って龍の忍術(ジュツ)をスベテ弾き飛ばす。
 ザグゥッッ!!
「ぬぅ!?」
 しかし魔人は忘れていた、如何に鮮烈で有ろうとも天空に飛翔するこの男は
(しのび) ” で在るコトを。
 虚から実を生み、実を虚に(かす)ませる、相手を欺き、翻弄し、幻惑する事が
忍の本質で在るコトを。
風 車 手 裏 剣(ふうしゃしゅりけん)
 通常の十倍サイズの巨大手裏剣に、最新鋭の科学技術で合成された
極細(ごくさい)の“ミエナイ” 鋼線を巻き付け放つと同時に
(避けられても)相手の死角から返ってくる不知(しらず)の刃。
 両腕部を剥き出しにし身体にも密着(フィット)している忍装束の
一体どこに仕込んでいたのかは謎だが、超忍、リュウ・ハヤブサは
先刻の叢刃を 「迷彩」 にし既に魔人の背後から命を狙っていた。
 悪を誅戮(ちゅうりく)し邪を滅殺(めっさい)する、
本来忍が持ちえない 『正義』 の心象。
 両手に握られた不可視の鋼線に引き絞られた刃が、
一度刺さったら抜けないようわざと刃引(はび)きされた忍具が、
ギリギリと魔人の背肉と首骨に喰い込み討滅の使命完遂へと(にじ)り寄る。
 が、しかし。
「こそばゆいわッッ!!」
 本来激痛(いたみ)でショック状態に陥ってもおかしくない刃の(さいな) みを、
魔人、清盛は己の()が裂けるのも厭わず掴み、
そのまま肉に突き刺さった状態で剛力(ちから)を込め、
中ほどから薄刃の如く破砕する。
 不屈の覚悟。
 魔道に堕ちたとはいえ、嘗て日本(ひのもと)を掌握した猛将の武魂に一点の曇り無し。
「――!」
 その精神に感応しながらも、畏怖に近い感情を抱きながらも
超忍、リュウ・ハヤブサは魔人の間隙を縫って懐に瞬転し、
己が最大の秘儀を厳正に執行する。
 秒速の(まにま) 、凄まじい威力の “火焔” が魔人の全身を呑み込み焚焼(ふんしょう)する。
炎波(えんぱ)の術』
 本来可燃性の高い粉塵と火薬とを特殊な配合にて混じ合わらせ、
振り撒いたソレに研磨した爪や犬歯を()ち合わせて発火し、
相手を跡形もなく爆砕焼塵する絶技。
 しかしその遣い手が “龍の忍者” で在るならば、
同じ忍術(じゅつ)でも知識、経験、才能、練度、
更に全身から発する闘気、烈気、猛気の加圧に拠り、
仙儀(せんぎ)に匹敵する威力を出すに至る。
「ぬがああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
 さしもの魔人もこの忍術(じゅつ)には苦悶を余儀なくされた。
 邪を滅する龍の咆吼、その巨躯を吹き飛ばし肉の表面大部分を灰燼にせしめた惨状、
否、ソレに堪え切り絶命しなかった魔人こそ称え()るべきかもしれない。
 尚、この龍の忍者(しのび)にはあと一つ、如何なる強者(つわもの)をも一撃で屠る、
壮絶の 『超絶技』 が存在するが、今回、ソレを詳解する(いとま) は無いようである。
「任務、完了……」
 忍らしからぬ、凛冽な深みを持った美しき声。
 ソレを言霊とするように、妖気で封じられた唐門の重厚な門扉が触れもせずに開く。
 その前に立つ、ただならぬ雰囲気を漂わせる二人の男。
「見事な技よ、異界の客人」
 右眼に紫色の紋様を持ち、荘重な官衣に身を包んだ老賢者、
方儀の宗匠 “左慈(さじ) 元放(げんほう)
「見つけたぜ。清盛」
 片や説明不要、日本人(ひのもとびと)なら誰もが()っている剛の者、
『軍神』 九郎判官義経(くろうほうがんよしつね)の忠実なる従者、“武蔵坊 弁慶”
 両者の放つ廉気(れんき)戦気(せんき)により、
人外の魔物すらその歴然足る脅威にたじろく。
 龍の忍者(しのび)の功績により、剥き出しとなった敵本陣。
 しかし魔人は、黒炭となった皮膚を引き()らせながらも尚(わら)う。
「今ぞ好機! 我ら西涼(せいりょう)の武にて邪を討ち滅ぼさんッ!」
 辺境叛逆の 「(にしき)」 蜀国 『五虎大将軍』 が一人
馬超(ばちょう) 孟起(もうき)
「魔に魅入られし汚名! 今こそ我が武勇にて(すす)がん!!」
 ()に比する類無き “信の者”
仁・智・勇を兼ね備えし武士(もののふ) “真田 幸村”   
「ようやく大将首のお目みえか!! (オトコ) 福島ァ!!
一騎打ちを所望だぜぇッッ!!」
 血気蛮勇、太閤秀吉の斬り込み刀にして
弱きを護るに己の一命すら厭わぬ義侠の雄、
“福島 正則”
「福島さん、もう少し小さな声で、耳に響きます」
 その脇で己の数倍の目方(めかた)の大男を窘める貴人、
清純さと妖艶さを併せ持つ麗女 “王元姫(おうげんき)
「ま、メンドクセーがコレで最後だ。
とっとと終らせちまおうぜ!」
 前述の麗女の想い人、風来の中に不撓(ふとう)の刃を隠し持つ烈士、
司馬(しば) (昭) 子上(しじょう)
 以下、三国、戦国、仙界の英傑が一同に会する熾烈の戦場(いくさば)
 魔人の呪術による封門が解かれたいま、
後は互いの野望と矜持が真正面からブツかり合う殲滅戦となる。
「笑止!!」
 超忍の奇襲を受けながらも微塵も揺るがぬ魔人の気炎、
(くら)き光を宿す数珠を振り翳すと同時に空間が歪曲、
縁の無い異相空間と化すと同時に禍々しい法陣が多数出現、
ソコから渾沌の下僕(しもべ)足る無数の妖魔が夥しい数で召喚される。
「征け皆の者!! 陋劣(ろうれつ)なる魔の一角!
今こそ我らが刃にて崩さん!!」
 人界と仙界の英傑を一手に束ねる智囊(ちのう)の軍師、
太公望(たいこうぼう)姜子牙(きょうしが)” の一声により
大気を震撼させるように挙がる鬨の喊声(こえ)
呆戯(ほざ)け!! 小 童(こわっぱ)共!!
この平 清盛が御 首(みしるし)!! ()れるものなら()ってみいッッ!!」
 魔人の一喝により、大地を蹂躙させるが如く挙がる魔の叫声。
 そのまま両軍入り乱れ、赤血()黒血()(あら)
人魔の號戦(がっせん)が火蓋を切る。
 もう、正義も悪も無い、ソレすらも超越した彼岸の彷徨(カナタ)にて、
武力(チカラ)妖力(チカラ)が相克する。
 (ほとばし) る鮮血、飛び交う四肢、踏み(しだ)かれる臓腑、際限なく落ちる頭首(こうべ)
嘗て、織田・徳川、浅井(あざい)・朝倉両連合の戦の際、血で紅く染まったとされる姉川だが、
ソレ以上の凄惨さを以て、(トキ)は無情に加速する。
 その大戦の最中、妖妃(ようひ)() 妲己(だっき)”、神 童(かみわらべ)卑弥呼(ひみこ)”、
斉天大聖(せいてんたいせい) “孫悟空” の介入により戦乱は更に混迷の度合いを深めたが、
人魔一歩も譲らず戦況は完全な膠着状態に陥った。   
 その様相を(つぶさ) に見据える 『影』 が一つ。
「正直、しんどくなってきたけどまだまだいっくぜぃ! バァン!!」
「まだ降参しないのかい! 悪い子だねッ! お仕置きだよッッ!!」
「我が龍剣!! 死を怖れぬ者だけ掛かってこい!!
そりゃそりゃそりゃそりゃそりゃあああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
 猛将、武田 信玄に仕える名も無き少女、“くのいち”
 天下人秀吉と数多の優将を陽陰双方で支える優愛の細君、
北の政 所(まんどころ)、“ねね”
 そして、超忍 “リュウ・ハヤブサ”
 闇に生きる、忍者(しのび)までもが前線(おもて)に立つ異邦の戦場。
 その只中で、彼女は一心に息を潜めていた。 
 元来非情に徹しきれぬ、 “忍び” には向かぬ心性故に味方が傷つく度に
その鼓動が激しく脈打つ。
 しかし軍師太公望に与えられた使命を完遂させるため、
皆の流した血を無駄にさせないため、彼女は身を削るような心痛(いたみ)に堪える。
(早く、“来い”……!)
 戦気というよりも祈るような心情で、彼女はただその 「機」 を待つ。
失敗は許されない、勝機は一瞬、故に仲間内では随一の速力を持つ自分が選ばれた。
 その手に握られし忍び刀 “天神仙月刀(てんじんせんげつとう)
この世ならざる 「原界(げんかい)」 の深層にて、異界の強者を討ち果たせし折に
手に入れた仙界武器。
 此度の使命のためにその練度は極限まで引き出され、
尚且つ宿った 『属性』 も万全を期す。
 後は魔人の首を掻き斬るのみ、その為に必要な 「機」 を、
代償となる犠牲を、彼女は悲痛な覚悟で見つめていた。
「ぐわぁーーーーーーはっはっはっはっは!!!!!!!!!
尻の青い若輩共め!! 魔と合一せし我が妖力(チカラ)!!
存分に味わうがいいわァッッッッ!!!!」
 魔人の嗤笑(こうしょう)、同時に浮かび上がる巨躯、
その周囲を大天蓋状の暗黒破壊空間が膨張しながら覆っていき、
ソレに囚われた者は一切の身体の自由を奪われ完全な無防備状態を余儀なくさせる。
『無双秘奥義』
 受けた躯の火疵(キズ)さえも力にして、
魔人は究極の暗黒邪法儀を完成せしめた。
 その裡に宿る 『属性』 により発現未導の状態にも関わらず
暗黒に囚われた兵卒達が紙屑のように燃えていく、
先刻の 『炎波の術』 にも劣らない熱量。
 然る後。
「喝アアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!」
 魔人の狂声、膨張した暗黒空間が万象の終焉が如く一斉に弾け、
ソレに捲き込まれた者は骸は疎か塵芥すら遺すコト無く、
その存在が 「消滅」 した。
 その被害総数3262、味方を含めれば5000を超える、
只の烏合の衆ではない、過酷な修練と修羅場を潜り抜けてきた精鋭部隊が、
それを統率する将兵が、組んだ陣ごと文字通り灰燼に帰した。
我輩(わがはい)こそが!! 真の無双なりッッ!!」
 万を超える争乱の中に、突如生まれた空白の真空地帯。
 消滅こそしなかったが甚大なる損傷(ダメージ)、戦闘不能に陥った英傑も多数。
 通常の(いくさ) ならば、ほぼ大勢が決したと断じざる負えない壊滅的惨状。
(いま――ッッ!!)
 堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、幾千の同胞の骸を踏み越えて、
霧 幻 天 神 流 忍 術 天 神 門(むげんてんしんりゅうにんじゅつてんしんもん)』 継承者、
“かすみ” は闇を狩る一振りの刃と化した。
 如何なる “(ワザ)” と(いえど) も、その威力が強大なら強大なほど、
激烈なら激烈なほど、ソレを撃ち放った直後は身体が硬直し
無防備状態になるのは避け得ない。
 ソレが先刻ほどの 『無双秘奥義』 とも()らば、
魔人、清盛と云えどその例外ではない。
 本来必要なき憂慮、魔人の秘奥義を受けて立っていられる者などこの世に存在し得ない。
 しかしそれ故に。
 視界に留まるスベテの存在(モノ)を滅殺してしまう威力が故に――
(みんな、ごめんなさい……)
 露草色の忍装束、両腕部と大腿部が完全に露出し
豊艶な胸元も(戦闘に支障がない程度に)開いた、
“くの一” の蠱惑を沁み渡らせる姿態。
 そしてその極限まで研ぎ澄まされた動体視力が、
秒速の随で倒れし者達の 「符牒」 を正鵠に捉えた。
(――ッ!)
 平に握られた拳、その先で立つ親指。
 その意味、意図――




「か弱い乙女だけで、私らだけに解る(いくさ)中の 「合図」 決めとこうぜィ!」
「あの、“こう” ですか? 私はともかく妹は両手を使う事も多いですから」
「だいじょぶ♪ だいじょぶ♪ 何か面白そうじゃん♪」
 アノ 『赤壁(せきへき)』 の直接の原因となったとも()われる、
傾城傾国の双美姫、“小 喬(しょうきょう)” “大 喬(だいきょう)
「ちょっとダサくない? まぁあんまり複雑でも困るケドさ」
 艶武両道、幻想の美少女にして花関索の愛姫、“鮑 三 娘(ほうさんじょう)
「こっそり玄徳様だけには教えちゃ……ダメよね、やっぱり……」
 天下三分の鼎立、そして漢中王劉備復権の為に捧げた悲憐
弓 腰 姫(きゅうようき)」、“孫 尚 香(そんしょうこう)” 
「ほむ。わらわは了解なのじゃ。
して、一体どれが 「勝ち」 なのじゃ? 教えよ」
 咲きて散る花、天真な気質ながらも 「もののあはれ」 を
具にみつめていた無垢なる清姫、“(細川) ガラシャ” 
「こぉ~らぁ~! この私を差し置いて、何女子会ヤってんの!」




 倒れた者、意識のない者、生死の境を彷徨っている者すらも、
それでも、尚――





(終~了~……間近……でも……)
(一人任せにして……ごめんね……帰ったら……
おいしいご飯……だよ……)
(マジ……在り得ないン……だけど……)
(小喬!? 小喬ッ! かすみさん! お願いです!)
(大…丈夫……かすみ……ちゃんなら……出来る……よ……)
(失敗しても……弓腰姫が……いる……からね……)
(眠い……のじゃ……かすみ……あとで……起こして……たもれ……)
(うぅ……熊姫って……いう……な……ぁ……)




(ありがとう……!)
 それぞれの差す指先が、その想いの一極に集束する。
 涙で滲んだ視界の中、辛さも、恐れも、魔人の脅威すらもスベテ吹き飛んだ。
「ぬう?」
 斜交から音速で飛来するその 『影』 を、今の清盛が解する術は何もない。
 だから強いて言葉にするならば、神憑(かみがか)り的な野性の勘、
或いは天下人のみが持つと云われる強運、剛運、天運としか呼びようが無い。
 意図はなく、ただ “何となく” 向けた瞳の微動(うごき)
ソコに己の首を狩る忍びの姿はない。
 極限の速度の中でもその刹那に(ひそ)む忍びの(ワザ)
常人の(ことわり) を超えて可動する身体運用能力にて、
重力の法則を振り切り直線軌道を無理矢理 「急昇」 へと変化、
急速な蒸気の噴出が如くしかし無音、振り向いた相手の(うなじ) が剥き出しになる
立体的な機動を可能足らしめる。
 然る後、その動作に伴い旋回させた体幹の構えにて、
錐揉み状に回転しながら標的の生命に牙を突き立てる。
(平 清盛……御命頂戴……ッ!)
 失策の懸念など微塵も無い、在りよう筈がない、
皆が血を流して切り開いた道。
 仲間がくれたこの瞬間(いま)だから!
(覚悟……!)
 その時彼女は、完全な 『影』 になっていた。
 忍者(しのび)の理想形、音も熱も匂いも、心さえも、
完璧に消し去った完全なる 『影』
 無情噴き荒ぶ戦場の狂乱の只中で、誰がソレを識り得よう?
 あの斉天大聖・孫悟空ですら、呼ぶ(こえ)(カタチ) にならなかった。
 魔人の首筋に迫る仙界忍び刀、しかし『影』 で在るが故にか?
或いはやはり清盛が持つ――
 現代の街灯が齎す光源、戦乱に巻き込まれ罅割れ捻じ曲がっていたにも関わらず、
その照射が二つの影を折り重ねてしまっていた。
 グガァァッッ!!
 意識では追いつかぬ影の振り翳し刃を、
何と魔人は己の頭骨(ずこつ)で受け止めた。
 噴き散る黒き鮮血と脳漿、しかし歯を食い縛り骨格までも肉の如く締め付け更に硬質化、
かすみの放った絶殺の逆手抜刀薙ぎ払いを血に(まみ)れたその天頂部にて防ぎ得る。
 正に強運、否、“兇運”
絶命必至の一撃を、重篤以下にまで減衰させてしまった。
 此れぞ魔人の底力、頭蓋骨は刀剣にては滑り易く
直撃してもそう簡単に 「即死」 しない。
(――ッ!)
 しかし今のかすみは 『影』
 影は心を持たない、ただ命ぜられるがままに動くだけ。
 太公望ではない、己にスベテを託した仲間のために。
 足掻くならこの割裂(ひら)いた疵口から 『無双奥義』 を叩きこむ、
『天活』 の 『属性』 に拠って強化した“秘奥義” を。
 魔道冥府に堕ちろ清盛!
「オン……オロチ……」
 この間何と四半秒に充たず、刹那の更に深奥にて、
忍者(しのび)(ワザ)と魔人の猛執が交錯する。
「アラミタマ……」
 さしもの魔人も驚嘆すらあげられない、現状を認識しているかすらも危うい、
だが野望か本能か、それともコレが真の武士(もののふ)が持つ武魂なのか!? 
「ソワカッッ!!」
 絶体絶命の窮地に陥ってこそ初めて発現し得る、
魔人の 『切り札』 が一人の忍者(しのび)を覆い尽くした。 
(――な!? こ、コレは!?)
 想定外の奇禍に晒されても声を発しなかったのは流石と云えよう、
しかし魔人の巨躯、焼け爛れた肉に浮かびあがった
渦巻く螺旋の如き呪われし梵字。
 己の生命に危機が迫った時、自動的に発動する 「神具」 と同じく、
清盛はあらゆる戦況に万全の備えを講じていた。
 だが意外、陥穽(かんせい)()めた魔人の側が苦渋の形相。
 宙に顕れた漆黒の球、その外環と内環に縛鎖の如く絡みついた
呪紋と呪印に囚われたかすみを忌々しげに睨む。
「うおのれぇぇぇ……! 
九郎義経を終焉(おわり)無き奈落の淵に叩きこむ筈だった我が禁術(じゅつ)をッ! 
四方(よも)やこのような乱波(らっぱ)如きに遣う破目に為ろうとはぁぁぁぁぁ!!」
(な、なに……?)
 空間に封縛されて動けない、コレから自分は死ぬのか? 
まだ何の苦痛(いたみ)も伝わってこないが。
 死地に在って揺るがず冴える、忍者(しのび)の特殊本能を他観するかすみの心情とは裏腹に。
「選りすぐりの妖魔三千を!
熔鉄(ようてつ)生贄(ニエ)としてようやく創りあげたモノをぉぉぉぉぉ!!
愚息数匹(しい)られても! 
これほどの怒りは滾るまいぞ太公望おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!!」
 太公望は知っていた?
 自分はこの禁術を徒費させるため 「捨て石」 にされたのか?
 いやそれならば――
 錯綜する思惑を無視して空間が歪み始める。
「かすみ! アンタは私がッ!」
(みなごろし) だ! 崑崙(こんろん)(まつ)わる(すべ)ての存在(モノ)!!
この我輩が根絶やしにしてくれるわァァァッッ!!」
 凝縮する球体、相転する空間、手が、脚が、己の躰のスベテが、
何の体感もないまま硬質な様相を呈して消えていく。
 暗瞑(あんめい)する視界の中、耳に残ったのは魔人の狂喚と、刺客(いもうと)の悲痛だった。


















【二】

 熱――
 頭蓋に残る厭な痛みと三半を揺らされた嘔吐感に交わる不快感。
 白磁のような肌をより蒼く染めて、かすみはそこで眼を醒ました。
 気を失っていたのかうつ伏せの状態、
でも微小な苛みが有る程度で躰に傷は負ってない、
骨も折れていない、おそらく内臓も大丈夫だろう。
 視線も向けず身体も動かさず、更には周囲の人の気配まで探ったかすみは
おもむろに躰を起こした。
()――ッ!」
 立ち上がった瞬間に頭蓋を突いた刺激、
そして爆音に対処出来なかった時のように耳鳴りがスゴイ。
 直近に人の気配が無いにしても、治まるまでは動かない方がよさそうだ。
「ここ、は――?」
 耳鳴りの所為で自分の声までが遠い。
 虚ろな感覚、(ぼや)ける視界、
遠間で何かザワザワと聴こえる気がするが判別できない。
 思考も霞がかって働かない、というより全身が気怠く何もかもが億劫だ。
(――ッ!)
 しかしそれら少女の甘えを一瞬で吹き飛ばす忍者(しのび)の本能。
 年季の入った木の床に転がった仙界武器。
「清盛は――ッ!?」
 発した言葉も追い越してかすみは忍び刀を掴み、
片膝をついた状態で迎撃体勢を執る。
「ぅっ――!」
 同時に手と脚、両方を炙る火熱。
 刀の柄が、足元の床が焼けている?
 否、違う! “燃えているのだ” いま、自分が居るこの 『場所全体』 が。
「こ、此処は――ッ!?」
 今度こそ完全に覚醒したかすみの身体機構。
 見らば周囲は黒白の煙に包まれ、柱、梁、天井、至る処に炎が類焼し、
足元の床はいつ崩れるかもしれない程に燻っている。
 遠間に聞こえたのは大気のざわめきではない、人間(ひと)の喚声だ。
 ソレも武力と武力のブツかり合いではない、
多数が少数を一方的に殲滅する、ただの殺戮、虐殺!
 何故自分が此処にいるのか? それ以前に一体此処は何処なのか?
他の皆は? 少なくとも姉川ではない。 無事なのか?
清盛の禁術。仙界人(せんかいびと)は死者すらも。義経の永久封印?
哪吒(ナタ)のような存在を怖れて。戦わずに勝つため?
無限の彷徨(ほうこう)で絶望に陥れる。
 許容出来ない過負荷の認識、虚、実、定かでない事象の奔流に
思考がランダムに点灯する。
 構造と装飾から、何処かの寺社らしいが果たして 「現実」 の場所なのか?
 あの魔人・清盛が、ただの空間転移の術を 『切り札』 として
軍神・義経に遣うコトなど在るだろうか?
 今のかすみにそれら疑問の解答(こたえ)を知る(すべ)はない。
 しかし、その声は、「(うた)」 は、時代(とき)を超えて紡がれるように。


 
“人~間~五十年~”



 耳慣れた声、しかし微かな異和感。



“下天のうちを~比ぶれば~”


幸若舞(こうわかまい)敦盛(あつもり)』 人仙寄り添う饗宴の際、
“アノ人” が吟じ、その余りの美事さに喝采を受けた詞章。




“夢幻の~如くなり~”



(信長公!? なら、此処は 『本能寺』 !?)



“一度生を享け~”



 思いつきにしても短慮に過ぎるとは想ったが、
しかしこの状況で他の解答は選べない。



“滅せぬものの~あるべきか~”



「罠」 だという可能性が消えるわけではない、
だがかすみは殆ど祈るような気持ちでその声の方へと駆けた。
 何故ならその詩が終わる意味は――
(ダメ……!)
 矢が突き刺さり破れた円窓からも火矢が殺到する回廊を疾風の如く、
焼けた畳を飛び越え豪奢な鳳凰の襖絵を開いた刹那。
「是非も無し……」
 炎の揺らめきを映す白刃を、躊躇なく腹に突きたてる男の姿があった。
「信長公ッ!」
 歴史の必然とはいえ、どうしてという気持ちを抑えきれずかすみは叫んでいた。
 名匠に研磨された脇差は、抵抗(あらがい)なく肉を裂き臓腑を穿つ。
 刺さった場所、出血の量、それに伴う内腑の匂い、
もはや助からない、仙界人は傍にいない、なら出来る事は――
「“千鳥(ちどり)” ……か……?」
 割腹からの自決、喉元に向かっていた刃を止め、
朦朧とした双眸で信長は自分を見た。
(――ッ!)
 死の際に在ろうとも、その眼光、発する気配、覇気、
何よりその深奥に宿る武魂、存在は正に覇王、天下人 “信長”
 しかし、どこか違う。
 自分の知っている “アノ人” とは、どこか、何故か――
「フッ……今わの際に見る、幻か……」
 少し落ち着きを取り戻したのか、
白装束のその信長は自分を眇めるようにみつめ。
「いつのまにやら胸も脚も豊穣になって……
成長したな、千鳥……」
「かすみです」
 あはれに充ちた空間が妙に緩んで、
かすみは何故か言葉を発していた。
「フム、であるか。
するとおまえは、光秀の放った “忍び” か?
ワシの(しるし)を討るか、名物の類を蒐奪(しゅうだつ)してこい、
おそらくそんな所であろう」
 (ちが)、かすみが否定しようとした瞬間。
「残念だったな。ワシの天下 「糖」 一の野望は誰にも妨げられん。
めぼしい珍菓や果物は既に秀吉(サル)に命じて各地要所に転配……」
「いりませんそんなもの」
 場に二人しかいないからなのか、自分が指摘役になっているのを
かすみは複雑な心情で認識する。
 信長は下戸で甘党だったという話があるが、
宴での豪放なアノ人を知っているので妙な隔意が生まれる。
「ところでそち、良い匂いがするな?」
(?)
 腹から血を滲ませながらも、そこで信長の瞳に剣難な光が宿る。
「あぁ~、その大きな胸の辺りだ。
そうそう、もそっと開いてよく見せい」
(!)
 意図せず胸に於いた手に、その信長は高慢に指示する。
 信長が好色だったという話は聞かないが、
(一説によると “衆道” の気があったとはいうが)
今わの際で生存本能が異様に活性しているのかもしれない。
 しかし死に逝く者の頼みとはいえそんなことは、
かすみが身を護るように退こうとした瞬間。
「その胸の中に “甘いもの” を隠し持っているだろうぉ~!
さっさと出せぃ! 出さんと撃つ!」
「嗅覚犬並み!?」
 忍者(しのび)が潜伏の際に持つ 「兵糧丸」
 里を抜けた自分は掟に縛れる事がないので、
原形に好きなスイーツの材料や香料などを混ぜてアレンジしてある。
 しかし匂いでバレては意味がないので
万全の対処を施し甘香を消してあるのに、それを探し当てるとは。
「どうぞ……」
「うむ!」
 まぁこれくらいなら(後でくのいち、小喬辺りがうるさいと想うが)
かすみは兵糧丸の入った小袋を胸元から取り出し信長に渡す。
 その信長は鬼気とした雰囲気を放ちながらも
顔は子供のように嬉々でいっぱいだった。 
 血で濡れた指に摘まれるクルミ大の球体、
色はショコラを模してそれぞれカラフルだ。
 この当時、砂糖は貴重品でありその精製度も現在とは比較にならない、
故に公家縁(くげゆかり)の者でも滅多に口に出来なかったという
超高級品である。
 ソレを新奇な気鋭を持ち甘味好の信長が食したならば――
「む、ぬ、おぉ~……ッ!」
 創痍の総身から迸る大活力!
 一説によると信長は未知なる甘味を食した際、
全身から力が漲り黄金(きがね)の光を放ち
たった一人で如何なる城塞をも粉砕したと伝えられるが、
「血! 血ッ! 血行が良くなって出血が激しくなってる!!」
流石に異聞の類で在ろう。
「ぬう、何たるいと、尋常為らざる甘味。堪能したぞ……」
 青白い顔で残りを懐にしまい込む信長に、
あの世には持っていけませんよ、とかすみは心の中で指摘する。
「褒美を取らす。このワシの首、持っていくが良い」
(!)
 想わぬ返答に絶句するかすみ。
「なんならこの寺に有る名物の数々でも良いぞ?
堺と薩摩の商人が持って逃げたやも知れぬが構わん、斬って奪えい。
生臭い(やから)に持たれるよりはそちの方が器も喜ぼう」   
 死の際に在っても、敵である者 (そう想われている) に対してこの心胆。
 これが天下人。
 野望達成まであと一歩、殆ど偶発とも言える不運で果つる
絶望の最中に於いてすら、微塵も己が揺らがない。
「だが “楢柴(ならしば)” の(ふた)は安物とすり替えておけよ!
あの世で光秀バーカ! とワシが言ってやるためになッ!」
 それに何かちょっとカワイイ、とかすみは想った。
「違います。私は、」
 死地在る忍者(しのび)には在り得ない行動、
しかしかすみは殆ど無意識に、手にした武器を納めていた。
 表情にも温かな微笑みが交じり、ゆっくりと信長との距離を狭めていく。
 助けられないならせめて自分が介錯を、
そのような冷たい覚悟は霧散し、
穏やかな最後を迎えさせてあげたい
という気持ちが清水のように湧き出した。
 その二人の距離が半ばまで迫った頃。
「信長様ッッ!!」
 少女の悲痛な声が場を(つんざ)いた。
 そう、少女。
 かすみの眼にはそうとしか映らなかった。
 直前まで解らなかった気配、
疾走する足音、猛火と外の喚声に消されたとしても、
信長の存在に戦闘態勢を緩めていたとしても、
あの “リュウ・ハヤブサ” ですら
こうも無造作に自分の背後を取る事など出来ない。
 ソレをこんな年端もいかない少女が?
 小柄な(からだ) 、黒く長い髪、忍びには不釣り合いな大きな髪留め(リボン)
 しかし“斬る気” ならその認識すらなく断頭されていた――
恥辱にも似た喪失感に、自我の一画が脆くも崩れ去る。
 しかしそんなかすみの葛藤など知らず少女は、
「明智様が謀反って、そんなわけないって、
本能寺に手勢はないって、来たら火の海矢の雨大戦(おおいくさ)
それより信長様血が! あとこのキレイな(ヒト)誰!?
うわ~ん!」
涙目になって手をジタバタさせながら支離滅裂な台詞を
一呼吸(ワンブレス)で言い切った。
「混乱するのは解るが落ち着け千鳥」 
 痛てて、と言いながら信長はその少女に身を向けた。
(この()が、“千鳥”)
 死を覚悟した信長が、最後に名を呼んだ者。
 それが、信長の忍び。
 最後に、覇王が求めた者。
「信長様!!」
 その少女、千鳥はかすみの存在に眼もくれず
影も無いまま信長の傍に瞬移した。
「信長様!! どうして!! どうして!?」
 視れば、千鳥の簡易な紺色の忍び装束は、
夥しい量の血に(まみ)れていた。
 沁み込んだ血で、ドス黒く映るほどに。
 当然と云えば当然、本能寺(ここ)に潜んでいなかったのなら、
「外」 からやってきた事になる。
 歴史的事実でも証明されているように、
ましてや名将、明智 光秀の采配。
 乾坤一擲の造反故に、鼠一匹逃れる隙間は無い。
 忍び込むなど夢のまた夢、周到に配備された
火縄の 「殺し間」 で蜂の巣にされる。
“ソコを” 突破してきた。
 鉄壁の包囲網、その一陣を皆殺しにして。
“にも関わらず” この少女、千鳥にさしたる外傷は見当たらない。
 在るのは、夥しい(むくろ) の後、その痕跡。
 想像を絶する武力、そして忍力!
 しかし、とてもそのようには――
「もう少し、あと一歩だったじゃないですか!?
それなのにどうして? こんな……」
 震える声と落ちる涙によって、語尾が(かす)れていく。  
 無念、だったのだろう。信長と同じ位、この少女も。
 本来忍びに在ってはならない心情ではあるが、
それでも。
「そう泣くな、千鳥」
 信長はそう言って、大きな髪留めで結われた千鳥の頭を撫でた。
 魔王と怖れられた男にこんな優しい声が出せるのか、
それほど慈愛に充ち充ちた言葉だった。
「思い出すな。桶狭間(おけはざま)を。
アノ時の一番手柄は、毛利でも利家でもなく、お前だったな?」
「そんな事ありません! 私は信長様の命に従っただけ!
私なんか、こんな私なんか……!」
 今この場にいられなかった、護るべき主君を護れなかった、
それが彼女の心を苛むのだろう、今までの功績など関係なく。
 その悲痛に心が感応し、かすみも瞳を潤ませた刹那。
(でもちょっと待って! “桶狭間!?”
じゃあこの()何歳!?)

 桶狭間の戦い=永禄3年 (1560年)
 本能寺の変=天正10年 (1582年)

 絶対年下だと想ってた、とかすみがドン引きする中で
少女にしか見えない忍びとその主君は言葉を交わす。
 これまでの、戦いの軌跡。
「金ヶ崎でも、姉川でも、本当によく戦ってくれた。
今のワシがあるのも、全てお前のおかげだ」
「そんな、私は信長様のお手伝いが出来るのが、嬉しかっただけです!
私なんかいなくても、信長様はきっと……!
だから、だから私は……」
 修羅の覇道、それは並大抵ではない、
きっと、筆舌に尽くし難い苦難の連続だっただろう。
 しかし彼女にとっては、 『希望』 だったのかもしれない。
 どれだけ血に塗れ、数多の罪過に汚れようとも。
 そうでなければ、忍びが戦地で泣いたりする筈がない。
「延暦寺で言った事、忘れてはおらぬな?
お前の(ごう)は、全てワシが持って行く。
だから決して、気に病むでないぞ。
閻魔を火縄で脅しても、そうさせる故な」
 そう言って信長は、(わらべ)のようにくっくと笑う。
帰蝶(きちょう)、とは、逢えまいが、の」
「大丈夫です!」
 顔を全面涙で濡らしながらも、千鳥は決然とした表情で言った。
「帰蝶様なら! 例え地獄に堕ちても鬼の方々や閻魔様と仲良くなってます!
極楽なら仏様に甘えて救ってくれます!
誰も信長様をイジメたり出来ませんッ!」
 必死の表情でそう叫ぶ千鳥に、
そうなのか、そうなの? と、信長かすみが小声を漏らしたのはほぼ同時だった。
 アノ妖艶で倒錯的な 『濃姫』 を知っているだけに、
かすみは繫がらないイメージに困惑する。
「フ、フフ、そろそろ、眼も、(かす)んできよったわ……」
「信長様!!」
 千鳥は悔恨に充ちた表情で、冷たくなる信長の身体を抱く。
「こんな、こんなの、あんまりです!
やっと、やっと信長様の天下が見えてきたのに!
本当にあと一歩なのに! 今までやってきた事、
犠牲になった人達が全部……」
「千鳥よ、何か勘違いをしているな?」
「え?」
 信長の意外な返答に、千鳥は無論かすみも眼を瞠る。
 無念ではないのか? この二人の間に今まで何があったのか、
自分が立ち入る事は許されないが裏切りの果てに自決を強いられて、何故?
 本能寺を手薄にしていた事もそうだが、
この男はどうして、こんな状況に陥っても穏やかでいられる。
 まるで、まるで何かを、やり遂げたように――
「ワシが、お前に 『約束』 した事はなんだ?」
「約……束……」
 自分が聞いても、いいのだろうか?
 二人の、二人だけに交わされた、唯一の 『誓約』
「この日本(ひのもと)を手中にし、絢爛足る栄華を極める事か?
それとも、この国を足掛かりにし、大陸への覇道を突き進む事か?」
 史実では、そうなっている。
 少なくとも “自分が知っている信長” は。
 豪壮な甲冑、世界を覆いつくさんほどの覇気、
故にその野望は他国へと向かい、
ソレを阻止せんが為に動いたのが明智 光秀。
 あの長い髪の美丈夫に、一点の悪意(しみ)すら視る事は出来なかった。
 しかし“この世界の” 信長、は――
「戦乱の世を……終わらせる事……」
 決して誰も知り得ない歴史の傑物の真実が、
一人の忍びの口から零れた。
「そうだ、千鳥。
ワシは、“ワシ達” は、『その為に』 今日まで戦ってきた。
そして、遂にそれを手中に納める所までやってきたのだ」
 宥めるように千鳥の頭に手を置きながら、
清らかさすら感じる声で信長は言う。
「故に、その世を統治(おさ)める者は、
何もこの “信長である必要はない”
信忠、勝家、秀吉(サル)、或いは毛利、光秀で在っても構わぬのだ」
 そう告げる信長の顔に、恨みや憎しみ、一切の負の感情は見られなかった。
 魔王、鬼、羅刹、あらゆる忌名(いみょう)(あだ)なされた男、
しかしかすみが見たその男の顔は魔王どころか――
彼奴(きやつ)らとて、ようやく収まった100年の戦乱を、
再び起こそうとするほど愚かではあるまい。
そうする者、新たなる火種を持ち込もうとする者は、
全てワシらとお前が討ち倒したのだ。
後に来る “平穏” の世。
そこにもう、信長は必要ない。
寧ろ戦に疎き者、戦を嫌う者、民の身を第一に考える者こそが治めるべきなのだ。
存外、家康(タヌキ)辺りが良い治世をするやもしれぬぞ」
「信長……様……」
 無念ではない、後悔すらない、ただその事を、その事だけを、
信長は最後の力を尽くし一人の忍びに伝える。
「解るか? 千鳥」
 問われた者は、差し出された震える手を両手で包み込んだ。



「ワシらの “勝ち” だ」



 悲哀の色はなく何よりも勇壮な表情で、信長は千鳥に言った。
 その二人の両手に際限なく落ちる、透明で温かな雫。
「100年以上続く、“乱世” という化け物。
それに、ワシとおまえは勝利したのだ」
 敗北ではない、皆が(いくさ)を怖れずに、ただ当たり前に、
人としての生を全うし、笑って暮らしていける世界。
 渦巻く戦乱の只中で、誰しもが願い、しかし打ちのめされ、
奪われ、踏み拉かれ、そして諦め、
それでも捨てる事が出来なかった想い。
 昨日は親が死に、今日は子が死ぬ悲劇の連鎖。



“誰かこの乱世を終わらせてくれ――”



 それを、成し遂げた。
 誰もが不可能だと想っていた事を。
 悪鬼羅刹の如く怖れられたこの男が、
その傍らにいた一人の忍びが。
 それがこの二人の(いくさ)だったのだ。
「だから、な? 泣く必要は、ないのだ。
もう、誰も殺さなくてよい。傷つかなくてよい。
乱世は、終わりだ」
 その光景は、父親と娘のような、
掛け替えのない同志のような、或いは――
「今まで、本当に苦労をかけた。許せよ」
 誰にも触れる事は赦されない、神聖なものを感じた。
「信長様、死なないでください……!
信長様がいなくなったら、私は、私は一体、どうすればいいんですか?
何も、解りません。どこにも、いけません……!」
「フ、フフ、バカモノ。
もうワシが命じる事は、何もない。
やっと、自由になれるのだぞ。
それとも、ワシの甘味を求め、諸国を奔走するつもりか?」
「ハイ! それでいいです! こきつかってくださいッ!」
 千鳥はもう信長へ縋りつくように、
懸命に命を留めるように、か細い力を込める。
「フ、フフフ、ならば、命ずる」
 そして、信長の口から零れる、最後の誓願(ねがい)



「お前が作った平穏な世で、一人の娘として、達者に暮らせ」



 言葉も発せず、顔をあげる千鳥。
「子を成し、縁を育み、いく久しく、健やかにな」
 信長はそう言って、千鳥の頭を優しく撫でる。
 今までしてあげられなかった分、何度も、何度も。
 天下泰平の、世は成った。
 ならば、己が望む事は、一つだけ、
“一つしかない”
 その場所が――



“お前の作った世界だ。お前の生きる世界だ”



 尾張の山麓で共に見た、最初の追憶(こうけい)
 涙は止まり、正負定かならん瞳で己を視る少女。
 それは、まだ血に染まる前の、最初の彼女だった。
“最初の千鳥” だった。
「最後に逢えて、嬉しかったぞ。
これでもう、何も、思い遺す事はない」
 修羅さながらに、戦国の世を駆けた、一人の男。
 冷酷無惨、残忍無比、魔王と後世まで(そし)られ続ける存在。
 しかし、その男も、最後の最後、
ようやく 「人間」 に戻る事が出来た。
「人間」 として、終わる事が出来た。
 傍らにいる、一人の忍びによって。
是 非 も 無 し(これ以上はない)……ありがとう……ち……どり…………」
 垂れ下がる腕、重くなる身体、こんなに、こんなに細い、
こんな身体で、今日まで? ずっと、ずっと……!



 天正十年、六月二日。
 京都、本能寺にて。
 織田 信長、死す。
 享年四十九歳。



「信長、様……?」
 身体から伝わる、感覚で解る。 
「信長……様……」
 今まで、一番身近で感じてきたモノだから。
「何で、笑ってるんですか?」
 千鳥の裡で甦る、最初の光景。
「私にも、教えてくださいよ? ねぇ? ねぇ?」
 止め処なく溢れ出る、追憶の奔流――



「珍しいな? 幼子(おさなご)一人で水練とは」
「おぼれてるんです!!」

「濡れた髪がうっとうしかろう。先ほどの礼だ」
「……」

「五年前よりは、成長したな」
「おぼえてて、くれたんですか……?」

「ほうびをいただけるのですか?
なでなでしてください!!」
「やっすいなあ、お前」

「何もしない戦国大名なんて、それだけで罪だと思うんです」
「よく言った、千鳥」

「ワシは「尾張の大うつけ」 側にいるのはお前くらいが丁度いい」
「信長様……」

「“指示通りに動く忍びではなく”、“自ら考えて動く忍び” になれ。
そう信じているという事だ」
「わかりました! がんばります!!」



 手の温もりが、まだ残ってる。
 あの時と同じ温もりが、まだ――



「お前が仕え始めた頃言った……
“忍びの本分” を、もう一度聞かせてくれ」
「生きる事です!! 必ず生きて帰ります!!」

「信長……さ……ま……」
「千鳥……?」

「千鳥……なんという姿だ……」
「そうなんです。すいません……
もらった髪留め、失くしてしまったんです」
「そうじゃない!! 傷!! 傷!!」

「武田 信玄は、死にました。
生きて情報を伝える事が出来ました。
私は、負けたけど、勝ったんですよ……」
「千鳥……お前が命を賭けて手に入れたそのたったひとつの情報は、
織田家の命運を希望へと導く情報だぞ!!」



 織田、信長様。
 私の、命を捧げた人、私の全て。
 貴方がいたから、今日まで生きてこられた。
 貴方がいたから、過酷な乱世の中でも、笑っていられた。
 ずっと、ずっと傍でお仕えした。
 お仕えし続けたかった。
 だって、だって私は―― 



“信長の忍びだから――”
『はい!! 私、信長様の忍びになります!!』



 張り裂ける鼓動、響き渡る慟哭。
「信長様あああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!
うああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!
ああああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
 その声は、泣きじゃくる童のようだった。
 冷たい母体(ぼたい)に抱かれる、嬰児(みどりご)のようだった。
「……」
 この二人を知らないかすみの頬にも、涙が伝った。 
 それまでの時を知る術はないが、人としての繋がりが有った、
消えない二人の想いが在った。 
 焼け落ちる劫火の中、炎は烈しく二人を照らしていた。
 もう戻らない、二人の 『絆』 を、焼き尽くすように。
「……」
 どれほど、時間が経っていたのか。
 共に焼け散るように身を寄せていた信長の身体から、
千鳥が離れた。
 これ以上ないという慈愛に充ちた所作で、
信長の亡骸を横たえ、その両手を組ませる。
「……」
 口唇が微かに動いたが、何と言ったのかは解らない、
否、知ってはいけないような森厳さを秘めていた。
 そし、て。
「明智……光秀……」
 かすみにも聞こえるはっきりとした声で、千鳥は呟く。
「明あああああああああああけええええええええ智いいいいいいいいいいいい!! 
光秀ええええええええええええええええええええええええ
ええええええええええええええええええええええええええええええええええ
えええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!」
 己からスベテを奪った、忌まわしき者の名をその小さな躰全体で叫ぶ。
 呪いのように。烙印のように。
 その存在を、己が魂に刻み付ける。
「殺して、やる……!」
 双眸が裂け、そこから滴る血の涙、
余りの憤怒と憎悪に、危うく微笑(わら)っているようにさえ視える。
「その四肢を()いで、生きたまま臓腑を引き擦り出して、
墓も遺らないほどに斬攪(かき)乱して……
明智に(まつ)わる総ての存在(モノ)
(ことごと) く 『根絶やし』 にしてやるぅぅぅ」
 己の全てを、支えていた存在。
 これまでの、苛烈な戦を切り抜けた、
その覚悟、信念、気魄、本能。
 その 「根幹」 となっていた存在が消滅した今、
その “力” の方向が無差別に暴走し、
千鳥(かのじょ)の精神は 「瓦解」 を選択した。
「千鳥さ――」
 いけない! かすみが歩み寄ろうとするより遥か(はや)く、
()に映らない斬閃が胸の致命点に襲い掛かった。
(あ、う――ッ!)
 声は、出なかった。
 気が付けば己の躰が瞬間移動でもしたかのように
飛ばされているだけだった。
 瀟洒な襖、焼け零れた柱、焦げた彫像、
それら一切を砕き散らして音は遥か後に来る。
 コレほど圧倒的、否、絶対的な撃ち込み、
趙雲 子龍、呂布 奉先、或いは――
「あぐぅ!!」
 外壁を突き破り戦火の只中まで吹き飛ばされ兼ねなかったかすみの躰が、
巨大な重金の塊で止められた。
 三宝尊(さんほうぞん)、二対の仏と四人の菩薩、双剛の明王を配した燃え盛る伽藍(がらん)堂。
 金箔が溶け落ち眼球が剥き出しになった仏像が、無慈悲に見据える灼熱の死地。
 その向こう側から(くら)い、何よりも(くら)い影がゆっくりと、
本当にゆっくりと忍び寄ってくる。
 逃げる事は出来ない、背を見せた瞬間お前の首は刎ね飛ばせると、
その影の放つ 『殺威』 が宣告()っている。
「息が、ありましたか……
流石は明智の忍び、往生際が悪いのは主譲りですね」
 まるで闇と同化しているよう、ドス黒い忍び装束、
最愛の者の血も、しかしそんなものとは関係なく、否、
彼女自身が闇そのもの。
「違います! 私はッ!」
 言いかけて驚愕した、先刻、辛うじて受けた仙界武器、
不壊の神器に亀裂が走っていた。
「どうでもいいです……本能寺(ここ)に居る者は、全て殺しますから。
信長様を死に追い遣った者、愚かで浅ましい逆賊、全て……!」
「待って! 信長公はッ!」
「う・る・さ・いッッ!!」
 闇の向こうで迸った、殺威、殲威、惨威、
三つの絶気(ぜっき)の集合体が闇を吹き飛ばした。
 闇より深い怨嗟(やみ)で殺ぎ飛ばした。
 二人の 『絆』 の象徴で在った、白い髪留めも、
千切れて闇に飛散した。



凄絶(せいぜつ)の千鳥”



 その姿を目の当たりした瞬間、
かすみがアノ “超忍” 以上の畏怖と戦慄を抱いたのは
必然だった。
 ソレほどの絶威が、凄威が、かすみの躰を、否、空間全体を劈いた。
 雑兵の妖魔なら、視ただけで心の臓が止まる。
 漆黒の髪、漆黒の双眸、漆黒の戦衣(せんい)、漆黒の凄絶威!
 その姿、敢えて形容するならば、
漆黒の大翼で八 百 万(やおよろず)を翔け、この日本(ひのもと)を司る遍く日輪の化身、
三肢(さんし)の神鳥【八咫烏(やたがらす)!!】
 その凄眼()が、かすみを視ていた。
 闇よりもっと深い深淵(やみ)から、引き擦り込むように――! 







【三】



 神・翼・絶・翔ッッ!!



 音など無の彼方に()き飛ばし、
神鳥は文字通りの神速でかすみの細い首を殺ぎ飛ばしに掛かった。
 小細工も何も無い、ただ最短距離を最速で翔け抜けるという、
単純だが究極の居合いが術理(じゅつり)
 かすみがその一撃を防ぎ得たのは彼女の総力を無視して単なる僥倖、
“おそらくは” 首だろうという思考、そして千鳥が、
“既に屠ったモノ” として外縁に 「()」 を向けていたからに他ならない。
 軋り哭く忍刀と仙刀、間近で千鳥の双眸を直視する戦形(カタチ)になった
かすみは、心肺を軒並み鷲掴みされたような衝戟(しょうげき)を受けた。
 その()には、“何も映っていなかった”
 アレほど烈しく絶気を放っていたにも関わらず、
いざ己の首を刎ね飛ばさんとするその刹那は、
人としてどころか “塵芥としてすら” 認識していない。
 呼吸に意識が無いように、瞬きに意志が無いように、
“ただ殺すだけ”
 足元の眼にも映らぬ微生物を潰すように、
何の気にも留まらない。
「う、うあぁぁぁッ!!」
 手首を複雑に返して刃を外し、かすみは遮二無二千鳥から距離を取った。
 そのまま彼女の眼を見続けているとどうにかなりそうだった。
 一切の光も、星雲すらも呑み込んでしまう “事象の地平”
正に 『無明(むみょう)』 そのものだった。
(もうダメだ……私が何を言っても、全て通じない。
本当に、明智に纏わるスベテを根絶やしにするまで、
彼女は眼につく全てを殺し続ける……!)
 生来の純粋な気質故に止めなければという思考が過ったが、
同時に私が? という半ば冗談にも似た諧謔(かいぎゃく)に口唇が緩んだ。
 無双武将複数に囲まれても、此処までの絶望感は無い。
 アノ魔人、平 清盛ですら及ばない。
 比するモノが在るとすれば、遠呂智(オロチ)妖蛇(ようじゃ)、或いは“渾沌(コントン)!”
「ひ――ッ!」
 上記の存在とは相反して、影から抜け出てきたかのように、
千鳥がかすみの背後にいた。
 どうして!? どうやって!? そんな無意識の驚愕すら間に挟んだら
かすみの胴体は二つに割かれていただろう。
 前転からの後転、そこからの側転を交えた立体機動、
仏像の砕けた片眼の位置まで飛翔したかすみに影が追い縋る。
「とっとと!! ()られろオオオオオオオオオオオオオオオオ
ォォォォォォォォォォ―――――――――――――ッッッッッッッッッ!!!!!!!!」
 先刻からの無音歩法、“深草兎歩(しんそうとほ)” の極限界層(レベル)
全て無に帰する激昂。
 以前の千鳥を知っている者なら言葉を失う変貌。
 八咫烏、漆黒の()爪、事実ソレだけの恐懼(きょうく)が込められた斬刀が
かすみの左腕を剪断した。
 二度と付かないよう、肘と手首が別れて。
 ジャグゥッッ!!
 二つの白い “腕だったモノ” が焼けた床に落ちてようやく、
ソノ斬切音はやってきた。
(――ッ!!?)
 致命傷、何がソレだと云うのなら、斬られた側も斬られたモノも、
その(さいな)みを 「認識」 出来ない点だ。
 神鳥の余りの(はや)さ故に、死に恐怖するコトすら赦されない。
 千鳥の激昂が無ければ、超反射的に躰を逸らしていなければ、
落ちたのは腕ではなく「全身」だったのだ。
 然る、後。
 バシュッ!
 ようやく、ようやくその四つの切断面から血が噴き出る。
 細胞が殆ど潰れておらず、且つ斬られたコトに細胞が反応(きづ)いてないので
出血というより重力による落下という意味合いが強い。
 不疵(ふし)の剛将、“本多 忠勝” の 『蜻蛉切り』 で在ってもこうはならない。
 体幹を崩さず着地したかすみは流石と言えよう、
しかし無感の蜜月は長く続かず、地獄の惨苦が鎌首を擡げる。
「う、あ……? ぁ……!」
「フフフ……」
 絶望の前に垣間見たのは、神鳥の倒錯(ゆが)んだ笑み。
「アハハッ」
 ようやくボタボタと滴り落ちる鮮血と、無邪気な笑い声。
「う、うあぁぁぁッッ!! あああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!!!!
アァァァァァァァァハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!!!!!!」 
 無い疵口と在る傷痕に心身共に蝕まれ、
啼き叫ぶ忍びと嬌声をあげる忍び。
 燃え盛る劫火、崩れ落ちる御仏、鳴動する伽藍。 
 黄泉の光景、或いは、煉獄の狭間。
 人としての理はない、ただ剥き出しの、(こころ)のみが在った。
「これで、オワリですね。明智の忍び」
 刀を翳す事もせず、劫火に漆黒の髪を靡かせる千鳥が告げる。
「四肢切断。助かる見込みは殆ど在りません」
 この当時、金瘡(こんそう) (外科) 医療に於ける麻酔はまだ存在せず、
更に廃疾(はいしつ)した部分を縫合するには内部の骨を切り詰める必要があった。
 故に大半の者が術式の途中でショック死するか、
それを免れても脳に甚大な損傷を受け廃人、
天寿を全うした者は皆無であったという。
 忍びの情け、以前の千鳥ならそういった者に介錯を施してきたのだが、
今の彼女には――
「仮に助かったとしても、腕を失くした忍びなど錆びた刀も同然。 
甲賀か風魔か歩き巫女か、何れの者かは知りませんが、
用済みとして処分されるか、抜け忍となって追われるのが関の山でしょう」
“殺せるのに殺さない” ソレは時として死よりも辛い地獄をその者に強いる事になる。
「そうして片輪のまま、明智の悉くが滅びて逝くのを見ているといいです。
何も出来ないまま、誰も救えないまま。
最後まで苦しみにのたうちまわって生きてください。
死罪なんて軽過ぎます」 
 果たして、自分へなのか? 己へなのか?
 主君を護れなかった忍びは自害すら赦されないとでも想っているのか?
「さようなら。無力で無様な一人の忍び」
 千鳥はくるりと無防備な背を向け、劫火の渦巻く回廊へと歩いていった。 
(くぅ――ッ!)
 何も解らないまま、解ろうとしないまま残酷無惨な仕打ちを受けた事に
怒りを感じなかったわけではない。
 これまで培ってきた己の武力(チカラ)を蔑ろにされた事に、
屈辱が無かったわけではない。
 そして何より、その恐怖が消えたわけではない。
 しかしソレ以上に――!
 仙器の柄に埋め込まれた 「宝玉」 が黄金色の光を放ち、
緩やかな血を流す傷痕、落ちた手首と肘にも連動して覆っていき、
それは時間を巻き戻すように、宙に浮いた斬塊が元の位置に戻っていく。
 そしてその切断面への業前が余りに見事だった為か、
「治癒」 と呼ぶには短過ぎる効力でかすみの腕は元通り指先まで
完全に動き出す。
(――ッ!)
 霊妙なる気配を敏感察知した漆黒の忍びが、
振り向かずに視線の動きだけ背後の様子を察知する。
宝珠錬金(ほうしゅれんきん)・神界黄金属性/快癒(かいゆ)
 己の武力による戦果、滾る覇気、散り逝く生命、
そのスベテを吸い込み別の領域へと『変換』して、
神医、“華佗(かだ)” の妙薬と同じ効果を得る至極の天恵。
 魔人、清盛を討つ以前、群がる妖魔を屠り溜め込んでいたモノだが、
まさかこんなに早く使う事になろうとは想わなかった。
「なん、です?」
 千鳥はそこで初めて、かすみに怪訝な表情を向けた。
「斬れた腕が元に戻る? 一体どんな “術” ですか?
風魔に “落花戻(らっかもど)し” ()る秘奥が在ると
御師匠様から聞いた事はありますが、
正直眉唾だと想っていました」
 忍びが己の(すべ)を明かす事は在り得ない、
充分承知していても千鳥は不可解な現象にかすみではなく武器を視る。
「で、どうするんですか?
どうせなら私が消えてから使った方が良かったと想いますけど。
“次は” 両腕斬り落とすから使えませんよ?」  
 眼前で起こった超常など眼中になく、
千鳥はその絶対的戦力差のみを背景に告げる。
“快癒” の効果は一度のみ、後は乱戦の最中効力を溜めようとしても
「即死」させられれば意味を成さない。
 異なる世界の彼女にその理を知る術はないが、
武力という力はスベテの世界に於いて平等。 
「アナタを、諌める権利なんて、私には無い」
 紡ぐ一語の間隙にすら、強襲を仕掛けかねない八咫烏の惨爪に
神経を削られ乍ら、かすみは告げる。
「でも、明智の悉くを『根絶やし』になんかしたら、
歴史が変わってしまう!!」
 ここに至って、かすみはようやく魔人、清盛の意図を理解した。
「時空」を超えて、無双武将の一人を時の彼方に放逐する、
一騎当千の戦力を完全に抹消出来るコトに加え、
その武将がその世界 (時代) で“生きよう” とすれば
その生きる場は戦場、必ず『歴史』 が捻じ曲がる。
別の言い方をすれば 『運命』 が。
 遠呂智の存在が時空間を捻じ曲げて異なる世界の自分達が邂逅したように、
嘗ての歴史が変わってしまえばソレが “異なる世界だったとしても”
必ず 「同一」 の存在スベテにその 「影響」 が及び、
最悪 『存在すらしなかった事になる』
 蓬莱姫(ほうらいひ) “かぐや” の行った、奇蹟の御業。
 本来 “死ぬ筈だった者” を、歴史の影から奪い返す。
 コレはソレと同じ、否、『逆』
“本来生きる筈だった者” を、歴史の闇から無理矢理簒奪する。
 同等の 『方策』 を数度も繰り返せば、時空に無数の爆弾が仕掛けられたようなモノで
遠呂智の世界に居る無双武将全員が跡形も無く消滅する!
 この世界に生きる、明智 光秀の娘、“明智 玉”
ソレは、後の(細川) ガラシャ!
 彼女が千鳥に殺されれば自分の知っているガラシャは?
それ以前に明智 光秀すらも、「山崎の戦い」 以前に討たれれば、
ソレに纏わるスベテの武将の『運命』が、
どれだけ大きく捻じ曲がるか想像も出来ない!
 そんな事は出来ない。
“そんな事はさせられない!”
 血を流し続け、戦い続け、ようやく掴んだ平穏な世界、
ソレを根底から壊す事など、千鳥(かのじょ)が一番やってはいけない事だ!
「理解してもらえるとは、想いません……
でも、光秀さんを “ここで” 討たせるわけにはいきません。
それに纏わる人達も。
その為に、アナタを止めますッッ!!」 
「ふぅん」
 かすみの決意の宣告に、神鳥は何の興味も抱かず、
寧ろ面倒そうな顔を浮かべた。
 霧幻天神流継承者として些か以上に遺憾だが、
実力、経験、技の練度、その他諸々含めて自分は千鳥(かのじょ)に及ばない。
“忍び” は 『侍』 ではない、故に勝つ可能性が無い者に挑む事は一番の愚挙。
 私は忍び、でもソレ以前に――!
「神界黄金属性、『誘爆』 『旋風』 『天活』 『気炎』 開放……!」
「……!」
 仙界武器に埋め込まれた宝殊が威光(ひかり)を放ち、
周囲の劫火よりも熱く燃え盛る。
 己の()ける “加護” をわざわざ口にしたのは、
千鳥に 「忍術(じゅつ)」 だと想い込ませるためである。
「並びに万有属性! 『三極』 『風斬』 開放ッ!」
 迸る五つの彩光、八咫烏漆黒の凄眼に、
初めてかすみの存在が認知された、塵芥から虫螻(むしけら)に昇格したに過ぎないが。
「そして!」
 下着の紐に仕込んだ苦無を取り出し、その柄を仙器の宝殊に叩きつける。
 粉々に砕けた 『快癒』 に代わり嵌めこまれた宝殊(モノ)
「残影無限属性、 『分身』 開放ッッ!!」
 六種の黄金属性、更に二つの稀少属性、
ソレがかすみの()に纏う凛気、廉気と相俟(あいま)って輝きだす。
 その姿、如何に形容すべきか。
 敢えて云うなら漆黒の八咫烏とは対極を成す、
天を守護する聖獣が一角、紅蓮の霊鳥 “炎帝(えんてい)朱雀(すざく)!”




“凄絶の千鳥”
“凄烈のかすみ”




 光輝(ヒカリ)闇黒(ヤミ)
 同じ“影” 同士である二人の忍びが対極の存在と為って
歴史の転換点で相克する。
 噴き(ばし)る烈気の拠って足元の床が崩れ、
重力を無視して浮かび上がる。
 相克の余波で尊像の表面に亀裂が走り後光もまた歪んでいく。
 閃く刃は(おの)が為か? ()が為か?
 譲る余地の無い想いの中、二匹の神鳥が飛翔する!
「……」
 凄まじいまでの時空の慟哭の中、
やはり闇の神鳥の機動(うご)きは無そのものだった。
 大気のように、水のように。
 風のように、土のように、火のように、そして影が如く、
ただ当たり前のように斬滅()だけが霊鳥の首に在る。
 完全状態の千鳥の動きに慣れてなかったとはいえ、
神界属性の加護を受けたかすみでもその一撃に対応出来なかった。
 僅かに小太刀が微動(うご)いただけ、
圧倒的殺威に躰が蠕動(ふる)えただけ、
刃本体は漆黒の爪先に掠りもしない。
 千鳥の躰は、既にかすみを屠った後の動作に準拠していた。
 次の一撃は、卑しき裏切り者共の胴を数十まとめて割かつためだと。
 故に――!
 音には成らぬ、神鳥同士の爪競(つまぜ)りを確かに聴いた。
 感覚の残響として両者はソレを共有したのだ。
「な――」
 とっくに千鳥が潜り抜けた間合いで小太刀を構える
かすみの背後で、表情も質感も無い光の輪郭が魔の惨爪を受け止めていた。
 その背後に同様の二つの躰が同じ構えで屹立している。
 コレが神界黄金属性 『分身』
 本体の動きに合わせてほぼ同時に、
同等の殺傷力を持ったモノが同じ動作を繰り返す。
 波紋のように、残響(ひびき)のように。
 コレによって属性保持者の戦闘力は4倍、
否、相手の鎧や防御を突き破るのでその比ではない。
 かすみ一人では千鳥の斬撃に対応出来なかった、
しかしその二陣、三陣は死の爪痕を封殺せしめたのだ。
「くっ!」 
 意志の無い分身に代わりようやく事態を認識できたかすみ本体が、
恐怖する暇もなくその麗美な脚線を払う。
 背後の者達も同様の蹴撃を放ち射程が倍近く伸びたにも関わらず
千鳥の残像にすら触れえない、余りの迅さに二箇所同時に存在するように
視えるため、寧ろ此方の方が正当な『分身』と云えるだろう。
(待ったらダメ! 行かなきゃ!)
 この状態に成っても尚、速さはまだ圧倒的に千鳥の方が上、
真正面からの交戦は悪手に等しいが彼女は異界の神器の存在を
知らないため困惑している、相手の術を知りソレを逆手に取ろうとするのが
忍びの(サガ)、ソコに附け込むしかない。
「はあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――
―――――――――――――――――――――ッッッッッッッッ!!!!!!!!」
 炎帝・朱雀の羽根吹雪もかくやか、速度ならリュウ・ハヤブサをも凌ぐ
永続的波及斬乱舞が神鳥を襲う。
 斃す事は本意ではない、歴史の迷い子である彼女を決して殺したくなどない、
でも “本当に殺す気で” 掛からないと交戦にすらならない。
 双刀の柄に埋め込まれた宝玉が燃えるように光を放つ、
焼き尽くし凍て付かせ(かづち)疾走(はし)らせる 『三極』 が
夥しい斬撃スベテに加わり、相手を防御を突き抜け
神仙すらも一刃にて屠る絶刀を生みだす属性 『風斬』 が
大山をも穿つ鳳吼(ほうく)と成す。
 遠呂智をも屠り妖蛇の首すらも敲き堕とし兼ねない絶刀の乱舞は、
神鳥の戦衣の切れ端にすら掠りもしなかった。
 代わりに空間が断裂し刹那の間とはいえ捻じれたその場から
亜空が顔を覗かせる。
 炎も氷も雷も、スベテその時空の褶曲に呑み込まれた。
「避けなきゃ、或いは危なかったですか……?」
「――ッ!」
 己の目測より遥か遠い位置、しかしソレすらも即座に詰めて、
千鳥は初めてかすみに警戒らしき色を浮かべた。
 忍びの本能。
 それを逆手に取るため急襲を仕掛けたかすみだったが、
ソレを制したのもまた同様の事象。
 相手の術が解らない、姿すら視せないのが忍びの戦闘であり
故に僅かな違和感、危機感を察知する洞察力、直感力こそが
最も要諦を成すモノ。
 桁外れの速度に眩まされていた、千鳥(かのじょ)の最も
畏るべき処はそのスピードではなく戦乱の時代と数多の修羅場に拠って
神掛かり的に砥ぎ澄まされた“忍びの力”
 先刻までの絶対的優位など霞の如く掻き消して、
極限の速度の中初太刀が達する前に転進の命を躰に下していたのだ、
おそらくは 『勘』 のみで。 
「アナタ、というより持ってるその武器に秘密が在るようですね。
私の “風切(かざきり)” も相当な業物なのですが、
どうやら次元が違うようです」
 そう、違う。コレは本来現世(このよ)に存在すらしない武器。
 人為らざる妖魔や神獣を討滅するために生まれたモノ故に、
人間相手に是非を問う事自体莫迦げている。
 だが相手は神鳥、コト此処に至っては――
「くぅ!?」
 何とか小太刀を搗ち合わせて「誘爆」を、
一瞬でも爆熱の煙幕に意識を逸らせれば着撃の好機(チャンス)は在る、
その思考が“甘過ぎた”事をかすみは下腹部に走る激痛で思い知らされた。
「がぁっ!?」
 神鳥の爪抉(つまじく)り。
 受けた損傷(ダメージ)を象徴的に表せば朱雀の炎軀に
八咫烏の鉤爪が突き刺さった状態だが、
刃から絶対に眼を逸らせないかすみの虚を千鳥は完全に突いた。
 返しの左脚、同等の鋭さに引き絞られた尖指が同じ個所に肉迫する。
 その尖端が掠っただけでも発狂するような痛みが脳幹を劈き、
周辺が弛緩する。
 身を捩ったその刹那に呼気をも許さぬ双號(ふたつ)の刃。
「あぅ!!」
 激痛で膝が抜けていたのは僥倖か? 
死んでなかったという驚嘆と焦燥と共にかすみは焼けた床を転がって
遮二無二距離を取る、寧ろ逃げる。
 もうダメだ、もう無理だ、転がりながら逃げる自分の身に
本体の視えない刃の斬閃が断頭台のように床を割る、
首と胴が別れた分身の姿は未来の自分。
 攻防が成立しないので『気炎』が全く意味を成さない、
神界黄金属性がスベテ通じない、入れ替える隙もない。
だからもう“撃つしかない”
「はあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!」
 半ばどころか九分九厘破れ被れの状態で、
かすみは 『無双秘奥義』 を放った。
 本来このような状態で撃つモノではない、
勝利を決定づけるために放つ切り札が
捨て石同然に開かれる。
 桜光狂咲。
 掌に宿ったあらゆる気の集合体が、
『天活』の属性で最大限にまで高められたモノが、
直撃すれば無双武将複数すら屠る光の咆吼が、
闇を切り裂き不滅の神鳥へと立ち向かう。
 ソレは、燃え盛る伽藍を貫き周囲で死闘を繰り広げる
敵味方全ての眼を釘付けにした。
 ソレこそ、魔王信長末期の咆哮、乱世の麒麟が天に昇ったと解した者も
いたかもしれない。
 しかしその真相(結果)、は。
「外れた、掠りも、しなかった」
 炎熱と斬空であちこち引き破れた忍装束に
解れた長い髪。
 合わせ鏡のような二人の姿は、その惨況に於いてまるで相反。
「全く、どこまで無茶苦茶なんですか? アナタは。
()から大筒(おおづつ)を放つ忍びなんて聞いた事もありません。
最も、私には通用しませんが」
【真の忍び】とは、“知らない(初見の)術” にも対応できる。
 それまでの経験、知識、技術、歴戦の勘、
それこそ数多の死に拠って磨かれた練成故に。
「アナタは、“気” が表に出過ぎるんですよ。
「殺気」は消せても、他の感情が常に付随してたら何の意味も為しません。
例えば、この期に及んでも私を討つ事を躊躇っている、とか?」
 胸中の正鵠を突かれ、少女は絶句する以外術を無くす。
「アナタの考えている事は、手に取るように解ります。
だから、仮に私と同等以上の速度を持ったしても無意味。
感情が先走って、攻撃も防御も“明け透け”になりますから」
 嘗ての己を見るような心情で、千鳥はかすみを眇める。
 このまま後十年もすれば、己を凌ぐ忍びに成り得るかもしれない、
だが、今ここで自分と出逢ってしまった事の悲運、非業。
「オワリにしましょう。いつまでもアナタに(かかずら) うわけにはいかないんです」
 神鳥、漆黒の羽撃(はばた)き、夜空に輝く星々さえも砕きかねない
万象必滅の構え。
八咫烏(やたがらす)闇葬黄泉(あんそうよみ)送り】 
 手にした双刃(やいば)は、そのまま冥府へと誘う神風(かぜ)と成る。
(もう……勝てない……) 
 彼我の実力差を明確に悟る事は、忍びとしての必須能力、
それがそのまま生き延びる事に繫がるのだがこの場合は
ソレが残酷に働き、既にして“詰み”の状態、
神鳥、死の間合いに己は完全に囚われ、攻める事も退く事も出来ない状況を
否応なしに認める結果となる。
(絶対に……勝てない……!)
 左腕(さわん)牙角(がかく)斜方稍々(やや)(ひら)
右腕、対 方(ついほう)射 顎 備(しゃがくそな)え。
 双刃(やいば)自体の殺傷(余波)で斬滅出来るにも関わらず、
最強の忍びは直刀による断頭を(むね)とする。
(なら――!)
 神・翼・殲・翔!!
 踏み切り等ではない、神速を生み出す脚力の圧殺に拠って、
空気、否、大気そのものが凝縮し、ソレがそのまま()移とも呼べる
斥力場を発生させる。
 故に足元の破壊は疎か微細の変化すら起こらず
極絶の時空間加速を可能足らしめる。
未来、過去、現在(いま)千鳥(かのじょ)を千鳥足らしめているモノはスベテ消えた。
 (ミライ)(カコ)瞬間(イマ)
その華奢な背に、スベテの哀しみを背負い天翔(あまか)けるは漆黒の八咫烏。
 紅蓮の炎、龍の咆吼。
 戦国最強の忍びが絶死儀を、現代最強の忍びが凄絶技が迎え撃った。
 超忍、リュウ・ハヤブサ、本来知り得ない影の交わりを
常人が知る術はないが、流派こそ違えどこの二人は懇意の関係。
 一方の恭敬の意を鑑みれば「師弟」と呼んでも良い間柄である。
 共に闇の世界に生きる者同士、超忍が直接術を伝授したとは考えにくいが、
かすみほどの才能が有れば、一度視ただけでその骨子を知悉するコトは可能で
あると想われる。
 超至近、先に撃ったのがかすみとはいえ
ほぼ零距離と云って良い粉塵爆炎、
ソレを秒速の(まにま)、スベテが引火する前に
神鳥の羽撃きが術の触媒諸共に吹き飛ばす。
 魔人、平 清盛すら焚焼した忍術(じゅつ)が完全に封殺される、
極限の速度にて千鳥の周囲は真空どころか“絶空”と化しているので
炎が“燃えない”は当然の事象、故に絶空には絶空にて抗するしかない。
 ソレが炎の(とばり)の向こう側に存在した。
(――!?)
 (こえ)すら無い絶息の領域、炎波からほぼ同時に刳り出していた
絶技が初めて神鳥の嘴に触れ得るコトを赦された。
()()()()
 名称こそ簡素では在るが、コレが、コレこそが、
龍の忍びリュウ・ハヤブサが携える極限最終奥義。
 その発現領域は刹那を更に凝縮した刻の瞬き、
殺傷刃圏も対象に肉迫しない限り無と成る業である。
 しかし、その制約と命を賭けて使命を果たすという誓約の結実は
壮絶にて絶大。
 魔導冥府の仇忍、鬼面の夜叉、邪鬼眼の王、
更には太古の眠りより甦った超原始生物“邪神”すらも、  
この絶技の威力から逃れるコトは出来ない。
 ソレ故にその肉体に掛かる負荷も尋常ではなく、
絶技(ワザ)の発動体制に入ってしまうと超忍、リュウ・ハヤブサをして、
空中で勝手に技が暴発してしまうという危険性を孕んでおり、
標的を討つ前に敵陣の直中で力尽きるという可能性も十二分に含んでいる。
 攻防の鉄則として、如何に動体視力が優れていようと、
数倍の速度差でもない限り“見てから避ける”というコトは成り立たない。
 ましてや相手は神翼の殲翔、何をか言わんや対応出来ないのが必然の帰結である。
 故にかすみは炎波を空蝉(うつせみ)に、超絶技を「前倒し」で放った、
命中(あた)らなくとも最悪けん制程度にはなる。
 兎に角、距離を置く事も出来ぬ死の間合い、その転進の選択と
両者の絶望的な速度差、ソレが神の気紛れの如き刹那の地合いで、
ほぼ奇蹟的に真正面から咬み遭う結末となった。
 神鳥と鳳龍の戦い。
 八咫烏の嘴と焔輝龍の顎が、時の凝縮点を超えて相克する。
 超雷速の葬滅を、辛うじて受け切れるは超忍の奥義のみ。
 薄き刃の無限とも想われる(つら)なりは、
重厚な龍の牙と成り黄泉の一閃を喰い止めた。
 噴き散る火花、否、光花(ひばな)
絡み合う刃と刃が咲き乱る生と死の繚乱。
 神鳥の驚愕や如何ばかりか? 
死に体、否、既に死人(しびと)と認識していた者真逆(まさか)の造反。
 その実力差故に輝龍の顎ごと両断せしむという感情が走るが反転、
千鳥は退く、超忍の奥義を恐れたわけではない、だが歴戦の忍びの勘。
 ヴァシュッッ!!
 奥義と滅儀が真正面から()ち合った相剋故に、
ソレに拠って生まれる真空、弾かれた斬空、相剋点で軋り上げる裂空、
三重の空牙(キバ)が、位相空間に滞った反動を受け無軌道に還元、散乱する、
その(さいなみ)を逸早く察知していたからであった。
「……」
 当然の如く、神鳥は無傷、だが攻めるだけで退くコト能わなかった
少女は惨憺たる姿。
 奥義を出し切った事によりある程度は空の斬裂を無効化出来たようだが、
それでも剥き出しの大腿部と両腕を初め躰の至る処に走った裂傷、
髪は解れ装束も千切れ半裸に等しき状態と成っている。
 最早完全に決着は付いた、圧倒的な実力差に加え手の内を出し切り
ましてやその戦闘力すら殺がれているのであれば、
為す術皆無(無し)、万、否、億に一つの勝機すらない。
「……フフッ」 
 だが意外、此処で、この土壇場に於いて両者の心象に明確な対照差が生じた。
 微細だが困惑を露わにする神鳥に対し、瀕死の少女の方が微笑(わら)ったのだ。
「なにが、可笑しいんですか?」
 即座に首刎ねてその断頭に訊いてやろうかと凄気を刺す神鳥に、
少女は裏腹の表情、霊鳥の加護ではない、ソレすら消え去っているにも関わらず
浮かべる笑みは、滲み出る「気」は――
理解(わか)ったからです。自分が何をするべきか」
「ぜえええぇぇぇぇぇッッ!!」
 言葉の終わり、戯言を、と認識する前に突っ込んで来ていた
逆手抜き斬りを、少女が初めて受け止めた。
「――ッ!」
 驚愕も僅か、即座に返しの側刃が仙刀ごと躰を弾き飛ばし
掠めた余波でも白肌から血が迸る。
「……」
 だが、蹌踉めきながらも少女は再び立ち上がった、
その口唇に、無垢な微笑みを称えたまま、
神鳥も何故追撃で殺さない? という己の不可解さに呼気を飲む。
「戦わなくていいんです。私達は。
この戦いに、勝者なんて存在しませんから」
「降伏する、という事ですか?
私がそんな要求を受け入れると?」
「いいえ。私はもう貴方に勝とうとは想いません。
そして、貴方にも、もう誰も殺させません。
本能寺(此処)で、終わるんです。二人の忍びの生命(いのち)が」
 呆戯(ほざ)くな、怒りと共に抜き出される神鳥の一閃、
少女はまたも受け止めるが威力は受け切れず肌から肉に刃が喰い込む。
(“骨で” 受け止めた!?)
 己の優位よりも感触から状況を明確に認識、
少女の想わぬ覚悟に驚嘆と僅かな共感、
しかし直上に蹴り上げられた足底(そくてい)が痛烈に顎を貫く。
(軽い……砕けた感覚(かんじ)がない……!)
 回転斬りの応用か、少女は奥義を防御に用い、口から血を飛ばしながらも
羽毛のように軽々と後方に着地する。
 破砕した骨片ごと衝撃を頭蓋に叩き込む
内部破壊を狙っていた神鳥は
言い様のない牴牾(もどか)しさに歯噛む。
 そうして、遥か格下の相手を仕留めきれない事実、
理解不能の焦慮と怒りで瞳孔が捲れ上がった。
「“気” が、滲んでいます……
“さっきまでの貴方” なら、
決して誰も勝てない相手だったでしょう」
 口唇を伝う血を手の甲で拭いながら、
かすみは言い含めるように優しく告げる。
「でも、やっと感情が滲み出てきた。
貴方は、誰よりも優しい人。
怒りのまま、憎しみのまま、誰かを傷つけるなんて、出来ない人」
 即座にまた無慈悲の斬刀が強襲する流れ、
だが意外、神鳥は初めて虚を突かれたように絶句した、
更に驚くべきは少女、まるで攻撃が来ない事を解っていたように、無防備状態。
「あ、アナタに! 私の何が解るんですか!?
私と信長様の、一体何がッ!」
 遮る事を、少女はしなかった。
 神鳥、否、千鳥の、感情(こころ)をそっと受け止めるように。 
 その様相は、先刻までの闘気に燃え盛っていた霊鳥とは違う、
スベテを慈しみ、衆生を救う、まるで、まるで――
 




()って、いますよ。同じ人達を、この眼で見てきましたから”




 異なる時代と妙なる時空で巡り合った、掛け替えのない友人(仲間)
 みんな、アナタと同じだから。
 強く、気高く、そして、温かいから―― 
「……」
 無言で差し出される、傷ついた右腕。
 帰りましょう、元いた場所に。
 辛いなら、私が傍にいてあげるから。
 苦しいなら、一緒に泣いてあげるから。
 みんながそうしてくれたように。
 だから、もう、孤独(ひとり)で――




「あ、ああ、ぁ……」
 絶対優位、無敵の神鳥に、致命的な狂いが生じた。
 ソレは取りも直さずその精神(こころ)
 武力がスベテを支配する戦場なら万の軍勢をも屠りかねない八咫烏、
譬え臓腑引き破れ、頭蓋の中身零れ落ちても、
ズタボロの惨状で一人でも多く道連れにする、
笑みすら浮かべて、その首断たれようとも、
“その後も”
 しかし、少女かすみが訴えたのは、その心。
 砕け散った裡に残った、僅かな欠片。
 戦術でも策略でもない、“忍び”という事も捨て去って、
彼女は信じた。
 同じ「人間」として。
 本当は、怒りではない、憎しみでもない、
そんなことのために、人の心は、ここまでボロボロになったりしない。
 真実(ほんとう)の彼女は、ただ怯えて泣いているだけだったのだ。
「あああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
――――――――――――――――――――!!!!!!!!!!!!!!!」
 地獄の蓋が開いたかのような、凄まじい絶叫が千鳥から発せられた。
 スベテは、愛すべき主君のため。
 だから、その命さえ護れなかった自分は、
自害する事も赦されず、戦場で、この上なく苦しんで死ぬべきだと想っていた。
 そうでないと、辛過ぎた。
 信長様が死んだ事を受け入れられない、受け入れたくない!
 だから共に、戦場で。
 最初のように、今までのように、最後まで――   
 だが、眼の前の少女の笑みは、アノ方と同じよう。
 戦いを止めて、ただただ自分の安息のみを願ってくれている素顔。
 どうして笑っているのか、笑ってくれたのか。
 ソレなのに、自分が今していた事は、しようとしていた事は――!
 本当の、「裏切り者」は、明智 光秀なんかじゃない。
 





 最後まで傍にいた、『自分』 だったのだ。





 
「うああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
 知らなかった、知りたくなかった真実。
 ソレが僅かに残った心の欠片さえも打ち砕き、
神鳥は底すら無いと想っていた更なる闇の深淵(フチ)に堕ちた。
 最早 『復讐』 ですらない、(まつ)らねば(しず)まらぬ『怨神』のように、
この世の一切を破壊する破滅の化身へと変貌を遂げた。
 刳り出す一撃はコレまでの最大級の威力を宿す破滅の絶刀、
悲嘆と嗟嘆、何より叫びが先に来たためかすみの防御は間に合った、
しかし今度は吹き飛ばされる事も叶わず仙刀の方が中ほどから
宝玉ごと殺ぎ飛んだ。
 胸元に走る真一文字の斬傷、膝をつくよりその周囲を影が、
漆黒よりも更に暗黒(くろ)い『影』が、狂ったように跳梁(ちょうりょう)する。
 全致命攻撃、辛うじての体術により両断こそ避け得たものの
少女の躰からは無情に朱の雫が繚乱するのみ。
「ぁ――」
 眼の前から千鳥が消えたコトを、少女は他人事のように認識した、
ただソレだけだった。
 ズグァシュッッ!!
 音など入る混む余地のない極速の(まにま)だが、
感覚としてかすみの脳裏に届いた。
 折れた仙刀を握った右腕、肩口から残酷無情にバッサリと、
流血すらも置き去りにして切り落とされる。
 痛みすらも追いつけない無明の局、
その狭間で少女はあぁ困ったな、もう戦えないなと心の中で呟いた。
「ぜあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」
 終局、無限劫火。
 地についた少女の先、極限を超える加速を生み出した神鳥が
小太刀を()突に吶喊(とっかん)してきた。
 最早成す術一切無し。
 先刻の背後で一刀両断出来たにも関わらず、
人ではない『災厄』には、その(ことわり)
無に差然(さしから)ず。
 しかしソレを知悉している少女が取った選択は――
 眼前に差し迫るの災厄に人が出来る事、は――




「……」
「……」
 最後の二人に与えられたものは、無言の交錯。
 少女は、避けなかった。
“避けられなかった” のではなく、
ただ、千鳥を受け止めた。
 無刀のまま、たった一人で、
彼女の痛み、哀しみ、スベテ、
華奢なその躰で受け入れた。
「……ぇ」
 深々と心臓を貫き向こう側へ突き抜けた血に濡れる小太刀。
 返しの左剣、本来とっくに首を刎ねている手は動かない、動けない。
「ど、どうして?」
 何をどうしようが五体はバラバラ、そのような残虐な気持ちが薄らいでいく、
嘘のように霧散、消えていく。
「……」
 対する少女は違わぬ笑みを浮かべたまま、
でももう喋らない、喋れない、滞った血流がようやくごぼりと
口唇から吐き出される。
 今わの際、今生との永別。
 それでも、それでも――
「……」
 残った左手が、千鳥の頬をそっと撫ぜた。
 甦る、感覚、これは、コレは、アノ人の手――



 



“アナタの悲しみは、スベテが私が連れていく”







「なんで、笑ってるん、ですか……?」








“辛かったでしょう。苦しかったでしょう”







 ずるりと小太刀が抜け落ち、背後へ倒れていく躰。
 名も知らぬ、一人の忍び。
 私が、殺した。
 憎しみのままに、絶望のままに。







“だから、おねがい”







 殺した。
 みんな、殺した。







“私で、おわりに”






  

 焼け落ちる伽藍。
 燃え尽きる三尊。
 赦しも無ければ報いも無い、永遠の辺獄(へんごく)
「う、えええぇぇぇぇ」
 そこに、ただ一人。
「う゛え゛え゛え゛え゛ぇぇぇぇぇぇぇ」
 子供のような泣き声。
「う゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……
う゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん」
 無明の戒めから解かれた神鳥が、泣き続けた。
 もう戻らないものを、返らない人々を、
ずっとずっと、待ち続けるように。


















【四】

 

「ぅ……」
 少女は、眼を開けた。
 生まれ落ちるように、淡い微睡みの中、ソレを疑問とは想わずに。
 覚醒と同時にヤってくる、鋭い痛み。
 そのまま身を起こす事も適わず、白いシーツに沈み込む。
 此処は?
 状況を認識する(いとま)もなく、
創痍の躰には響く喚声が飛び込む。
「かすみ!? 眼ェ覚ましたの!?」
 大きな簪に派手やかな装飾、豪将顔負けの威風を放つその顔には、
大粒の涙が零れるほどに浮かんでいる。
「甲斐さん……」
 無数の記憶が線で繋がり、困惑を呈す間もなく
「みんなぁ~!! かすみが眼ェ覚ましたよぉ~ッッ!!」
 自分が横たわる個室の外に大声が轟き、
次いで無数の人の気配が俊敏な足音と共に寄って来る。
「コルァ!! 乙女の寝室よ!! 男共は後々!!
シッシ!!」
 半裸に包帯だらけの今の姿にはありがたい配慮だが、
それでもあんまりなと呼気を漏らした瞬間、
その間をすり抜けて麗しき花々が自分を取り囲んだ。
「かすみちゃ~ん! 良かったよぉ~。
かぐちゃんがようやく時空の狭間から引っ張り上げたと想ったら、
全身ボロボロなんだもん~」
「でも、本当に、良かったです……!」
 感情を露わにする妹と、感極まって嗚咽する双美姫。
「小喬さん。大喬さん」
「でも本当、良かったわ。劉備様からありったけの華佗香貰ってきたけど、
それでも意識が戻らなかったから」
 安堵した表情で、瞳を指先で拭う弓腰姫。
「尚香さん」
「にしても、太公望のヤツが珍しく気前良かったよね。
仙界秘蔵の霊薬ただで回してくれてサ」
「ほむ。あの者があのように必死になるのは初めて見たのじゃ。
絶対に死なせてはならん! と怒っていたのじゃ」
「鮑 三娘さん。ガラシャさん」
“消えてない”
 良かった、と初めて胸をなで下ろした後、
少女はようやく自分の躰に意識がいった。
「腕が……」
 引き攣るような痛みはあるが、アノ絶刀に斬られた腕が元通り再生している。
 無論自分が生きている事が答えだが、
“アノ後” 自分の知らない「ナニカ」が起こり、
ソレが時空に放逐された己の「座標」をかぐやが感じ取ったのだろう。
「に、しても、うわごとでちどり、ちどりって言ってたけど、
一体誰のことにゃ? 「向こう」で逢った忍びかにゃ?」
「もしかしてその莫迦にやられたの? その傷。
安心して。このアタシがきっちり落とし前つけてあげるから」
 口調は磊落だが一流の忍び、その斬り傷から同様の者と判別したのだろう。
「にゃはははははは。かすみが苦戦する相手なら
“熊姫” じゃ秒殺だにゃ」
「ぬわんですってぇ~! アンタから先にケジメつけてあげようか!」
「こら! 暴れない! 怪我人の前ですよ!」
 いつものように追走劇を始める二人を、
魔王信長の愛妹、「市」が窘める。
「いいえ。その必要はありません」
 片手を伸ばした甲斐姫、そして全員の視線がかすみに注がれた。
「多分、アノ人が……千鳥さんが、私を助けてくれたんです。
そうでしょう。かぐやさん?」
「はい」
 いつのまにそこにいたのか? 
 優美な礼装の紬を纏った蓬莱姫が、手を淑やかに組んで応じた。
「アノ時、かすみ様の波動を辿っていたのですが、
いつの時代のどの場所に飛ばされたかも解らない、
(しるべ) 無き「座標」を特定するのは不可能でした。
全ては私の不徳の致す処、申し訳御座いません」
「いえ、いいんです。助けようとしてくれただけで」
 アノ魔人、清盛が夥しい犠牲の果てに生み出した禁儀、
相手に打開する術など与える筈もない。
 飛ばした本人すらも何所に行くか解らない、
無限の時空の流離なのだから。
「本当、かぐちん。三日も不眠不休で探してたんだよ。
時間を置けば置くほど禁儀の感得が薄れるとかなんとかで」
 両手を後頭に組む甲斐姫の前で、かぐやはまだ俯いている。
「ですが、どうしてもその(よすが)すら見つけられず、殆ど諦めかけた時、
時空を震撼させるほどの、凄まじい波動を察知致しました」
 やっぱり、記憶は無く自分が今生きている事さえも曖昧だが、
ソレはアノ人以外考えられない。
「かすみ様のモノではなかったのですが、
宝珠と仙器の存在をその裡に感じ取ったので、
四方やと想い其処に『道』を繋げたのが、功を奏しました」
「本当にみんな心配したんだよ!
布で縛ってあったけど腕切れてたし、全身傷だらけだし、
それに胸に……」
 想い出してしまったのか再び涙ぐむ妹を、
姉が頭を撫でて宥める。
「きっと、アノ人が、私を治そうとしてくれたんですね。
宝珠も仙器も、その者の力量に応じた加護を与えてくれる。
私なんかより、遥かに格上の忍びでしたから」
 脳裏に甦る、彼女の姿。
 絶大的な漆黒の気配。
 だが今は、その脅威よりも何故か泣いている彼女の姿が思い浮かんだ。
「ムカつかないの? そいつに殺されかけたんでしょう?」
「……」
 今の今まで、失念していた。
 でも、解ってくれたと想うから。
 彼女が、本当に大切な人の「願い」を
取り戻してくれたと想うから。
 だから、今はただ、その後の彼女を悼むだけだ。
「もう、逢う事は無いと想います。
でも、アノ人の事を、忘れたくはないと想います。
己の使命に殉じた。
最愛の人がいなくなっても、その心だけは護ろうとした。
本当に、強くて気高い、最後の忍びがいた事を」
 そう言って視線を向けた先。
 窓の向こう、自分のいた世界と変わらない、清冽な空。
 この無限へと続く蒼天(ソラ)の彼方に、彼女もいるのだろうか。
 私は、此処にいます。
 誰にも聴こえない言葉で、かすみはそう呟いた。









【五】
 



 そして、時は流れる。




 天正十年 山崎の戦い。明智 光秀、死す。

 天正十一年 賤ヶ岳の戦い、北ノ庄城陥落。柴田 勝家、お市の方、自決。

 天正十四年 羽柴 秀吉、名を豊臣 秀吉に改める。

 天正十八年 北条家滅亡。豊臣 秀吉、天下を統一。  

 天正二十年 豊臣 秀吉、朝鮮出兵を開始する。

 慶長三年 豊臣 秀吉、死す。

 慶長五年 徳川 家康、上杉討伐のため大坂城より出陣。





 時代は、天下分け目の関ケ原へ――!
 







「やはり、生きていたのですね?」
 長い白銀の髪、氷徹の瞳、灰色の忍び装束。
 (よわい)はもう壮年を疾うに過ぎている筈だが、
視る者を、屈強な武士(もののふ)ですら魅了する
豊潤な姿態。
「アナタも、あの頃と何も変わっていませんね」
 開けた草原(くさはら)、この数里先では血みどろの戦が
既に火蓋を切っている、静寂の光景。
「上田城で奮戦なさる、真田様をお助けに行くのですか?」
 出逢った場所は戦場、にも関わらず旧知の間柄のように
彼女は訊く。
「答えると、想いますか? アナタは?」
「そうですね。私も、決めかねています。
秀吉様、引いては信長様の意志を尊重なさる、石田様。
信長様の夢、あくまで天下泰平の世を築こうとする家康様」
 どちらも、懇意在る人。
 求めているものは、信じているものは、
どちらも同じくらい純粋で尊いのに、
それでも戦わねばならぬ歴史の非業。
「つまり、“どちら側にもつく可能性が有る” という事ですね?」
 白銀の忍びが手にしていた仕込み杖、
己を幾度となく切り裂いた宿命の刃が、
ギラリとその本身を露わにする。
 アノ時と同じ、否、ソレ以上の殺威を(ふる)わせて。
「ただ一つ言える事は、アナタがついた側が、間違いなく勝つという事。
亡きお屋形様の意志を継ぎ、命を賭して貫こうとする幸村様の本懐。
ソレを阻む者を駆逐するのが、今の私の役目です」
「やはり、何も変わっていませんね、アナタは……」
 紺色の忍び装束、両の手の小太刀、風に揺れる髪留め。
 彼女もまた、何も変わっていない。
 アノ時の追想と同じように、あどけない少女の姿のまま。
「決着は、つけたいと想っていました。
武田が滅んでも、織田家が滅亡しても、
それだけは変わりません」
「忍び故に、ですか。
ソレからは、お互い、逃げられないようですね」
 天下の趨勢を決する一戦、その数日前、
歴史の裏で、その闇で、後の勝敗を断じる決戦が行われていた。





“凄絶の千鳥”
“冠絶の千代女”  





 歴史に名すら残らぬ、最強の忍び同士が、
後の生死定かならん極限の死闘を繰り広げる。
 その勝者は何れか、或いは共に斃れたか、
後の彼女達の足跡を知る者はいない。
 歴史の影に生き、闇の中で消えていく。
 ソレが忍びという者だから。








 人間というモノが存在する限り、
この世から「戦争」というモノが根絶する事は在り得ない。
 そして歴史の勝者が、常に正義で在るとは限らない。
 しかし――
 その混沌の中で、身命を賭して戦う者が、また悪で在るとも言い切れない。
 友のため、子供のため、家族のため、国のため、多くの人々の平和のため。
 破壊のためではない、絶望のためではない。
 この世の不条理に、立ち向かうため。
 筆舌に尽くしがたい理不尽に、抗うため。
 その想いを、誇りを、強さを、信念を、優しさを、覚悟を、
その精神を未来へと繋げるため。
 戦国(たたかい)の世は、続く――!

〈了〉 





 
 

 
後書き
はいどうもこんにちは。
誰も彼もが忘れ去り、作者のワタシもこんな顔で('A`) ←
放置していた作品を、なんとか完成させてみました。
「前編」描いてからなんでこんなにかかってしまったのかというと、
簡単です。ワタシが「千鳥」強くし過ぎたンですw
ヤられちゃお話にならないし、かといって和解してしまうのも違うと思うし、
何よりもう片方の子を「元の次元」に戻さないといけないので
その点で筆が滞りがちになり、不貞腐れていたというのが本当の所です。
まぁ、最終千鳥、でもって信長公が死んだ直後なら、
コレくらい強くても違和感ないかなぁ~とは想ったのですがネ。
(コレだと望月 千代女はドンだけ強いンだ?)
まぁ元々は純粋で優しい娘なので(どこぞの○ビ○ャ○とは違い・・・・('A`))
必死で止めてくれる者がいれば眼を覚ましてくれるかなぁ~とは
思った次第です
(流石に助蔵じゃ無理だろう・・・・('A`)
○タレだけど頑張ってるから嫌いじゃないケド、
どこぞの莫迦と違って)
取り敢えず当初の目的は全部果たした、
描きたい部分は全部描き切ったとそこらへんは満足しております。
(自分でも意外なほどリュウさん好きな事に結構驚いた・・・・('A`) )
続編はありません。
ただ平和になった世界で、彼女が笑っている姿を少しでも想像して戴けたら、
描いたワタシとしても身に余る光栄で御座います。
ではまた別の作品で逢いましょう。
ソレでは。ノシ  
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