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STARDUST∮FLAMEHAZE

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第二部 WONDERING DESTINY
CHAPTER#16
  DARK BLUE MOONⅧ ~Scar Faith~


【1】


「消え、た……!?」
 大形な龍を模したオブジェが見下ろす美術館前で
花京院と合流したマージョリーは、
告げられた報告に困惑の表情を隠さず問い返す。
 館内はもう閉館時間の為、至る所の照明が落とされている。
 前衛的なデザインの街灯が淡く照らすエントランスで、
暗闇と静寂の中を流れる夜風がそっと互いの髪を揺らした。
「ええ、突然 『写真の中の』 姿も地図の印も」
 そう言って花京院は、ジョセフの 『念写』 した写真を美女に手渡す。
「……」
 その中に確かに映っていた筈の忌むべき徒も、
右斜め位置に記載されていた地図もミエナイピンセットで取り去ったかのように、
今はきれいさっぱり掻き消えていた。
「オメーが探してる間に、どっかから逃げちまったんじゃねーのか?」
「在り得ません。ボクのスタンド 『法 皇 の 緑(ハイエロファント・グリーン)』を美術館内に潜行させ、
地下やスタッフルームに至るまで隈無く徹底的に探し尽くしました。
ソレに前以て細く延ばしたハイエロファントの触手を “結界” にして、
この敷地内に張り巡らせて於いたので件の人物が掛かれば認識出来た筈です」
 他に一つ、妙に気にかかったコトと言えばスタッフルームのソファーの上で、
紫色の髪を携えた幻想的な雰囲気の美少女が仔猫のように眠っていたコトだが、
まぁコレは関係ないだろう。
「もう、この街からは、逃げてしまったんでしょうか……」
 無言の美女に対し遺憾な表情で、花京院は呟く。
 もしそうだとするなら、完全に自分のミスだ。
 万全の態勢で監視を行っていたとは言え、相手が自分の想像だにし得ない
『能力』 を遣って逃走を試みた可能性は否定出来ない。
ソレならばその責任は自分に在ると翡翠の美男子が歯噛みする中、
「ま、ソレは無いわね」
写真を胸ポケットにしまった眼前の美女が、端然と両腕を腰の位置で組みながら告げた。
「“結界” なら、もう既にこの私が張って在るのよ。
此処に来てすぐ、この街半径数キロ以内をグルリと囲むようにね。
まぁ、簡単な封絶の応用ってトコ。
ソレには “ヤツ(ラミー)の存在のみに反応する”特殊な自在法が編み込んである。
他の徒は素通りできる故にその効力は絶大よ。
だからヤツがこの私に気づかれず「領域」を突破するコトはまず不可能。
間違いなく、ヤツはまだこの街のどこかにいるわ」
 流石に同じ 「標的」 をずっと追跡してきた歴戦の巧者。
 その事前事後に対する工作は万全のようだ。
「そうですか。では、次はどうします?」
 マージョリーがそう言うのなら、その事柄に異論の無い花京院は再び問い返す。
「アンタ、見掛けによらずタフねぇ」
 中性的な外見とは裏腹に、大の男でも音を上げるような 『仕事』 を
尚も精力的に続行しようとする美男子に、美女はグラスの奥を丸くする。
 そし、て。
「今日は立て続けに、二度も戦ったから流石に少し疲れたわ。
完璧を期す為に、続きはまた明日にしましょう」
「そうですか」
 翡翠の美男子は、別段拍子抜けした様子もなくそう告げる。
「もう随分、暗くなってしまいましたしね。
今日のホテルはもうどこかに決まっているのですか?
良ろしかったらそこまでお送りしますが」
 何気のない、しかし男であるなら当然の花京院の申し出に
マージョリーは今日何度目か解らなくなった紅潮を覚える。
「ま、まだ、ね。ま、適当に、見つけるわ」
「そうですか。では、明日の待ち合わせ場所はアノ海岸沿いで良いでしょうか?
もっと別の場所が良いというのならそれに従いますが」
「そ、そうね、良いんじゃないかしら。それで」
 まるで己の秘書であるかのように、てきぱきとした花京院の受け答えとは裏腹に、
マージョリーはただ応じているだけなのにしどろもどろとなる。
「では、ソコに明日の9時と言うコトで。お疲れさまでした。
ミス・マージョリー。今日はよく休んでくださいね。さようなら」
 そう言って自分を労う爽やかな笑顔の後、
深く一礼して背を向ける翡翠の美男子。
「……」 
 そして夜の闇の中、徐々に遠くなっていく、その後ろ姿。
 今日は、コレで終わり。
 そう、おわり。
 オワリ。




“また、あした”




(――ッ!)
 突如心の裡で噴き出した、激しい情動。
 その 「理由」 を認識するより速く、マージョリーは声を発していた。
「ま、まちなさいッ! ノリアキ!」
(?)
 想いの外大きくなってしまった呼び止めに、
花京院は静かに振り返り自分の傍へと駆け寄る。 
「どうかなさいましたか? ミス・マージョリー」
「べ、別に、どうってコトも、ない、けど、けど」
 再び眼前に現れた、夜の中より色濃く映る琥珀色の瞳から逃れるようにしながら、
マージョリーは妙に高い声を絞り出す。
「き、今日は、アンタ、も、よ、良く、頑張った、から。
だから、だから、食事、くらい、御馳走、して、あげるわ」
「はぁ……」
 相変わらず脈絡のない美女の申し出に、花京院はキョトンとした表情で応じる。
「さ、さぁ、行くわよ、ノリアキ。急がないと、混んじゃうから」
 そう言って花京院の腕を強く掴み、マージョリーはネオンとイリュミネーションで
華麗に彩られる夜の街へと彼を連れ出す。
 白く粧われた頬を微かに染めて花京院の腕を引くマージョリーの顔は、
実際の年齢以上にあどけなく視えた。




【2】


「“屍拾い” ラミーに会っただと?」
「おう。たまたま入った美術館の中で、偶然な」
 シャナとアラストール(主に後者)が協力して周辺区域の修復を行い、
戦闘で灼け破れた互いの制服も肉体のダメージも自在法で治した為、
承太郎とシャナは今( 一応) 異国の学生同士として周囲の眼には映っている。
 最も両者の疵痕は、治すというより 「埋める」 に近かった為
完治というにはほど遠いが取りあえず街並みを移動しつつ情報交換をする位には
回復出来ていた。
「それで、貴様が彼奴(きやつ)を追う “戦闘狂” の討伐役を買って出たわけか」
 その荘厳なる口調に裏打ちされた深い洞察力で、
アラストールは告げられた事実と前後の状況から
背後の因果関係を明察する。
「ンな御大層なもんじゃあねぇよ。ただの成り行きさ」
 承太郎はそう言って視線を遠くに向ける。
 何故か無性に煙草が欲しくなったが今は我慢した。
「ふむ。しかし結果的には彼奴に借りを作った形になる。
いずれ返礼をせねばならぬな」
「そーしてやれよ。大事な知り合いなんだろ」
「……」
 承太郎の言葉には応じず、代わりにアラストールは先刻の強敵、
“蹂躙の爪牙” マルコシアスと “弔詞の詠み手” マージョリー・ドーについての
詳細を彼に述べた。
「……想像以上にヤベェ連中みてぇだな。目的の為には手段を選ばねぇ。
DIOのヤローと繋がってねぇのが、せめてもの救いか……」
「だが、楽観は出来ぬと考えた方が良い。
彼の者 『幽血の統世王』 の配下には、
既に承知の通りかなりの数の紅世の徒が集結しつつある。
彼奴らにとっては正に垂涎を欠く事の無き蝟 集(いしゅう)
この先、その存在を放置するとは到底想えぬ」
「“裏切る為に” 配下に降って、その間に他の人間も襲い出す可能性があるってコトか。
肉の芽で下僕にされるにしろ、他の 『スタンド使い』 と組むにしろ、
確かにぞっとしねぇな」
「だからそうなる前に徹底的に叩き潰す!
向こう100年はもう、二度私達に楯突こうなんて想わない位完膚無きまでに!!」
 唐突に背後から、スタンドよりも近い場所であがる少女の声。
 青年が美貌を向けたその超至近距離に、シャナの可憐な風貌があった。
「ンなカッコで言っても、いまいち締まらねー台詞だがな」
「うるさいうるさいうるさい。黙って歩く」
 先刻、修復を終えて元通りになった廃ビルの屋上から立ち去ろうとした時、
少女が自分に向けた言葉はただ一言、 「疲れた」
 躰の傷が痛むのか、ならもう少し休んでいくかという自分の問いに
彼女は駄々をこねるように同様の台詞を語気を強めて何度も言い放つのみ。
 その後ワケの解らぬ数回の問答を経て、現在のような形に落ち着いた。
 己の背にシャナをおぶって、宿泊先のホテルにまで帰るというモノである。
 海岸沿いの、繁華街からはやや逸れた道だが、それでも人通りはそれなりに有り
只でさえ目立つ二人は周囲の注目を一心に浴びるコトとなる。
 好奇の視線と無分別な言葉、その意味が解らないのがせめてもの救いだった。
「……」
 背から感じる、少女の鼓動と体温。
 長い髪がサラサラと首筋にかかるのが、妙にこそばゆい。
 自分でもらしくないコトをしているとは想ったが、
でも疲れたというのならソレは本当だろうし
何より肝心な時にはいてやれなかった自分だから、
コレ位のワガママを聞いてやるのは別段苦ではなかった。
 それに、不調なら不調なりに、この少女はよく頑張ったと想うし、
今までこうして誰かに “甘える” コト等、一度もなかったのかもしれない。
 なら、甘えるだけ甘えれば良い。
 今までは出来なかった分、好きなだけ。
 背や胸くらいなら、貸してやれる。
「あ、あの、もしかして、重い、かな? 私」
 己を背負ったまま無言で歩を進める承太郎に憂慮したのか、
シャナが気を揉んだような口調で問いかける。
「……」
 何を言うかと想えば、こんな小さな躰の一体どこに、
身の丈に匹敵する大太刀を縦横無尽に(ふる)う力が在るのかと承太郎は返す。
「軽過ぎるくれーさ。もっときっちりメシ喰わねーと、
いつまで経ってもデカくなんねーぞ」
「う、うるさいうるさい。ヴィルヘルミナみたいなコト言うな」
 目の前にある承太郎の帽子をポカスカやりながら、
シャナはその白い頬を真っ赤にして言った。
「前にオメーが言ってた、スッゲー強ぇっていうあのメイドサンか?
今どこにいるか解らねーんだったよな?」
「うん……」
 シャナは手を止め、再び承太郎の肩に顔を置く。
 大海に沈んだ『天道宮』 で、不器用に生真面目に、
そして深情に自分に接してくれた、一人の優艶なフレイムヘイズ。
 逢いたい。
 ただ純粋に、そう想った。
 こんな気持ちで逢うコトは、向こうは望まない筈だけど。
 でも、逢いたい。
 最初にする事は、一番始めに伝える事は、もう、決まっているから。
「逢えるさ」
「!!」
 その自分の心中を見透かしたように、承太郎がそう言った。
「生きてりゃあ、いつかきっと。
オメーにとって大事な相手なら、
向こうにとってもそうだろうからな」
「う、うん!」
 何の確信も根拠もない言葉だけど、承太郎がそう言うのなら、本当のように想えてくる。
 首筋に絡める腕に力を込め、麝香の残り香が立ち昇る首筋に少女は再び顔を埋めた。
 天には、無数の星々と眼の冴えるような満面の月。
 耳元で間断なくさざめく波の音、潮の匂い。
 そびえ立つビル群や水面を走るクルーザーのネオンサインにライトアップされ、
たくさんの宝石を()かしたように煌めく異国の大海原。
(キレイ……)
 以前、紅世の徒を討滅した時には何も感じなかった風景を、
今はその漆黒の双眸へ鮮やかに映しながら少女は呟く。
 それと同時に。
「海は、いいよな……」
 いつのまにか立ち止まり、同じ方向を見ていた承太郎が独り言のように呟く。
「海、好きなの? おまえ」
 青年に背負われ、同じ方向を見つめている少女が澄んだ声で訊く。
「まぁ、な。この、どこまでも続いてるンじゃあねぇかっていう海原を見てると、
『運命』 だの 『宿命』 だのと考えるのが、何だか取るに足らないちっぽけなモンに
想えるようでよ……」
「……」
 潮風と波音に委ねるように一度その瞳を閉じた青年は、
やがて独白のように純然たる意志を込めて告げる。
「いつか、この大海原を、自由に駆けてみたい。
誰に邪魔されるコトもなく、自分の想うがまま、その遙か彼方まで」
「承太郎……」
「『海洋冒険家』 ってヤツか。ソレに、なってみたい。
きっとこの世界には、オレの想像もつかねぇようなモノ凄ェもんが
まだまだ眠っている筈だから」
「それが、おまえの 『夢』 ……?」
「あぁ」
 緩やかな表情でそう問うシャナに、承太郎も同じような口調で返す。
 そして、波間にたゆたうしばしの沈黙の後。
「……不思議だな」
「え?」
「こんなことを話したのは、おまえが初めてだぜ……」
(――ッッ!!)
 月明かりに照らされながら、そう言って淡い微笑を浮かべる青年の風貌は、
美しく気高く、そして何よりも絶対的な存在として少女の瞳に映った。






【3】


 紆余曲折あって、結局美女が腰を落ち着けた場所は
自分が予約を取ったホテルの地下2階に在るBARだった。
 落ち着いた大人の雰囲気をより一段シックに洗練した造りの店内に、
高級そうなソファーやスツールが余裕たっぷりに備えられ、
夜の気品を携えた照明が淑やかに降り注いでいる。
 鈍い光沢のあるカウンターの向こうでグラスを磨いたり
シェイカーを振っているバーデンダーも、
臨時雇いの者ではなく熟練の技巧をその腕につけた本職らしかった。
 その背後に無数の酒瓶が一見無造作ながらも機能的に並び
静かに今宵の来訪者を待っている。
「……」
 隣の大人の色香に彩られた美女はまだしも、
明らかに学生服姿の自分には不相応である店の雰囲気に、
花京院 典明はその表情に微かに強張らせる。
 しかし己の細い左腕をがっきりと拘束 (傍目にはただ組んでいるだけに見えるが)
されているので後退するコトは叶わず、
そのまま美女に促され店内のカウンター席に腰を下ろすコトになった。
 落ち着かない心持ちのまま店内を視線の動きだけで見回す花京院を後目に、
美女は慣れた手つきでメニューを開き、
ウェイターを呼びつけあれこれと注文を始めている。
 夜とは言えソレが深まるまでにはまだ時間がある為、
店内に人影は少なくソファーには誰も座っていない。
 食事の為に入った筈の店ではあるが、本来 『そうゆう店』 ではなく
純粋に酒を愉しむ場なのであろう。
 最も未成年である自分の見解なのでその正当性は定かではないが。
「……キ、ノリアキ」
 他愛もない思考に耽っていた自分の脇で名を呼ぶ声がし、
顔を向けた先で美女が開いた革表紙のメニューを差し出していた。
「アンタの注文は? 取りあえず飲み物だけでも先に頼んでおきなさい」
「え、えぇ、そうですね」
 そう応じてメニューに視線を移すが、一体何を注文すれば良いモノやら。
記載された文字を読めないわけではないが、
当然こんな店には今まで入ったコトがないので
眼に入るスベテは意味不明な言葉の羅列だ。
 なので花京院は丁寧な手つきと物腰でオーダーを取っている若いウェイターに、
アルコールの入ってない飲み物はあるかと流暢な広東語で聞き、
柔らかな笑顔でメニューを差す彼に従いよく解らない名前のカクテルを注文した。
 やがて初来店だというのにボトルを入れたマージョリーの前に
大量の氷で充たされたアイスペールとグラスが置かれ、
その他新鮮な魚介類の冷製やチーズ、生ハム、生肉の盛り合わせ、
パフェの器に盛られたサラダや個性的な彩りのパスタ等が次々に置かれていく。
 多様で華やかではあるが、どうみても全て酒 肴(しゅこう)であり健全な夜の食事とは言い難い。
 しかし折角の美女のお招きであるし、何より熟練の 『スタンド使い』 である自分は
最大一週間は飲まず食わずで活動出来るので、花京院は何も言わず表情にも出さなかった。
 そして目の前に運ばれた、微かにミントの香りのする液体で充たされた
フルート型のグラスを手に取り静かに美女へと向き直る。
「……」
 マージョリーもソレに倣い、何故かムッとしたように頬を紅潮させるという
器用な表情でアイリッシュ・ウイスキーの注がれたロックグラスをこちらに向ける。
「では、何に乾杯するとしましょうか?」
 あくまで礼儀作法に習い、店内に降り注ぐ淑やかな照明の許
神秘的に煌めく瞳で己を見つめる美男子に
「な、なんでも良いわよ。テキトーにアンタが決めて」
美女はぶっきらぼうに返す。
「ン……そうですね。では」
 花京院は一度瞳を閉じた後グラスを掲げ、
「今日という 『運命』 に」
澄んだ声と共に美女の差し出すグラスと合わせる。
 静謐な音が響き渡り、その場は時が止まったかのように、
極めて森厳な雰囲気で充たされた。
 まるで、古き名画のワンシーンで在るかのように。
 少し雰囲気に酔ったのか、自嘲気味な笑みを浮かべてグラスから口を放す翡翠の美男子。
 しかし。
 その彼の穏やかな心情はこの数十分後、急転直下で変動するコトになる。
……
…………
………………
「ッハ、ハハハ、アハハハハハハハハハハハ!!!!」
 まるで年端もいかない少女であるかのように、
マージョリーは今日初めて、あけっぴろげな笑い声をあげた。
 その原因は言わずもがな、来店して一時間も経っていないのに
速くも半分近くに減ったボトルの中身である。
「ふぁ~、久ぁ~しぶりにぃ~良い酒ェ~、
いいわぁ~、ここぉ~、気に入っちゃったかもぉ~♪」
 (とろ)けるよう、否、既に溶けた後のようなフニャフニャした笑い声で、
美女は合わさる氷の音と共にグラスを傾けている。 
 最早通常の、高原で気高く咲き誇る一輪の花ような雰囲気は残らず消し飛び、
ただ酒気に戯れる無邪気な女がいるのみだった。
「本当に、お酒がお好きなんですね」
 露の浮かんだカクテルグラスを前に、花京院は穏やかな笑みと共に言う。
 無論彼女の唐突な豹変ぶり(笑い上戸というヤツだろうか?)
に驚かなかったと言えば嘘になるが、心底楽しそうに酒を嗜むマージョリーを見ていると
余計なコトを指摘するのは無粋に想えた。
「そうぉ~ようぉ~、酒とぉ~、戦いがぁ~、無かったらぁ~。
この世なんてぇ~、生きるにぃ~、値しないわぁ~」
 トロンとした表情で歌うように哲学じみたコトを口走った美女は、
そのまま残りが三分の一ほどになった花京院のカクテルに手を伸ばす。
「あ、あの、ソレは……!」 
 飲み物の確保とは全く別の意味でマージョリーの挙動を制しようとした
美男子を無視し、彼女はそのまま中の液体を一息で飲み干す。
「なぁ~にぃ~、これぇ~、ただのぉ~、
フルーツ(しぼ)ったシラップじゃないのぉ~」
 半分閉じかけた瞳のまま、美女は(もぉ~等と言いながら)
そのマニキュアで彩られた細い指先でグラスに氷を入れ、
次いで琥珀色の液体と同じ原産地の水で割り、
ガラス製のマドラーで軽くかき混ぜて元に戻す。
「はぁ~い、ノリアキの分~」
 まるで児戯のように、無垢な満面の笑顔でソレを勧めるマージョリー。
 しかし当然中身は空想の産物ではなく現実の酒なので花京院は想わず息を呑む。
「あ、あの、お気持ちだけ、受け取っておきます。
ボクはまだ、未成年なので、ミス・マージョリー」
と、真っ当な正論で美女の勧めを辞退しようとしたがすぐに、
「なぁ~にぃ~? 私のぉ~、酒がぁ~、飲めないってぇのぉ~? ノリアキィ~」
と、酒席では一番言ってはいけない台詞を座った眼で訴える。
「……」
 やがて両者無言の膠着状態に陥り、自分から瞳を逸らさない美女に根負けしたのか、
花京院は緊迫した面持ちのまま不承不承グラスを手に取る。
 そして己の端麗な口唇に運ぶ刹那、飲み口にルージュの痕が眼に入ったので
そこは作法のようにそれとなく避け慎重に中身を呷る。
「……!」 
 枯れた、渋みのある複雑な味に微かな甘さ。
 口当たりが想ったよりも滑らかだったので別段飲めなくはない。
 だがしかし、酒に於いて真に怖ろしいのは 『その後 (良い見本が目の前にいる)』
なので花京院は軽く口に含んだ程度でグラスを置こうとするが、
ジッと己を凝視する深い菫色の双眸がそれを許さない。
「……ッッ!!」
 コレなら 『能力』 の解らないスタンド攻撃を受けた方が余程マシだという心情のまま、
中性的な風貌の美男子はその瞳を閉じてグラスの液体を一気に嚥下(えんか)する。
「良~いィ、呑みっぷりだったわぁ~。
やっぱりぃ~、男はぁ~、こうじゃないとねぇ~」
 (てら)いのない笑顔のまま、美女は子供のように手をパチパチとやっている。
「……」
 無言のまま深く息をつき、口直しにアイスティーの類でも注文しようとした
花京院のイヤリングで飾られた耳元に、
「それじゃあ~、 “二杯目” を作るわねぇ~。
どっちがどれだけ呑めるかぁ~、勝負よぉ~、ノリアキィ~」
「ッッ!!」
信じがたい事実が飛び込んできた。
 




【4】

 ソレから約3時間後、 花京院 典明は故郷を発ってから
最大最強の危難に遭遇していた。
 途中承太郎に連絡を入れ、自分はかなり遅くなるという旨を伝えた後
今は見事なまでに酔い潰れてしまったマージョリーを肩に背負い、
だらりとなった右腕を胸元で抱え半ば引きずるようにしながらフロアを歩く。
 自分も相当量の酒を呑まされた筈だが、何とか美女を(熟練のホスト顔負けの話術で)
巧みに(なだ)(すか)したコトにより、何とか前後不覚になるのだけは避けられた。
 最も、美女と二人で完全にボトル一本空けてしまった為、
正直足下は妙にフラつき視界も滲むようにボヤけている。
 普通は直進するのもままならぬ深酔いの状態ではあるが、
ソコは何とか歴戦の 『スタンド使い』 のみに宿る強靭な精神力で
崩れ落ちそうになる躰をなんとか支える。
 正直かなりしんどいが、しかし絶対に倒れるワケにはいかなかった。
 高級ホテルの煌びやかなフロアとはいえ、
その一角で絶世の美女が一人酔い潰れていたら、
世に蔓延る邪な男の誰かに間違いなく “お持ち帰り” にされてしまうだろう。
 幾ら凄絶極まる能力(チカラ)を持つフレイムヘイズだとしても、
この状態で抵抗出来るかどうかは甚だ疑問だ。
 ソノ自分でもよく解らぬ使命感の許、
肩にかけた “グリモア” の重さに辟易しながらも
翡翠の美男子はマージョリーの予約した部屋
(よりにもよって最上階のロイヤル・スイートルームである)を目指す。
 頬にかかる、酒気の入り交じった悩ましげな吐息。
 鼻腔を取り巻く、パヒュームの残り香と入り混じった女の香り。
 暑いからといって大きくはだけた胸元の豊かな双丘が
不遠慮に背へと押し付けられるが、そこにまで気を回している余裕はない。
 本当に、今の自分は糸一本で鉄骨を支えているようなもので、
いつ崩れ落ちてしまっても不思議はない。
 そして倒れたら、もう二度と立ち上がるコトは不可能だろう。
「悪ィなぁ~、カキョーインよぉ~。いつもはここまで呑まねーんだが、
一体何がそんなに御機嫌だったのかねぇ~、我が麗しの酒 盃(ゴブレット)はよぉ~、
ヒャッヒャッヒャ」
 自分の腰元からマルコシアスの戯弄するような銅鑼声が聞こえたが花京院は無視した。
 手伝ってくれない(手伝えない?)のならせめて黙っていて欲しい。
 ただでさえ周囲の人目を引く状況だというのに、
尚かつ喋る 『本』 を訝る者の対処にまで回す気力はないのだ。
 その、とき。
「……ゥ……」
 耳元のすぐ傍で、消え去りそうな美女の囁きが聞こえた。
「……ルル……ゥ……」
 想わず視線を向けたその先、閉じたマージョリーの瞳から、
透明な雫が一条(ひとすじ)音も無く流れ落ちる。
 ソレは己の学生服の肩口へと伝い形をなくす。
 同時に彼女の胸元から、鈍い光を称える銀色のロザリオが零れた。
「……」 
 家族か誰かの、名前だろうか?
 確かフレイムヘイズは己の肉親なり恋人なりを紅世の徒によって存在諸共喰い殺され、
その 『復讐』 を動機に人間としてのスベテを捨て “変貌” する者が
多いとアラストールから聞いたコトがあった。
「やれやれ、想い出しちまったか。
或いは、アノ “嬢ちゃん” との、
『在りもしねぇ』 幸福な未来の夢でも見てんのかね」
 珍しく真面目な口調でマルコシアスがそう言う。
「ミス・マージョリーの、御姉妹か誰かですか? ソレを紅世の徒に……」
「イヤ、そうじゃあねぇ。 『そーゆーんじゃあ』 ねーんだ」
 花京院の足並みに合わせて振り子のようにゆらゆら揺れる本が、
複雑な心情と共に告げる。 
「結果的には同じコトになっちまったが、紅世の徒に身内を喰われたワケじゃあねーよ。
『もしそうだったなら』 逆にソッチの方がどれだけマシだったかよ……」
 微かな悲哀を滲ませて言葉を紡ぐ紅世の王の言葉を聞きながら、
花京院はもう一度自分に寄り添うマージョリーの顔を見た。
 頬を朱に染め微かな吐息を漏らすその眠れる美女は、
どこにでもいる一人のか弱い女性にしか見えなかった。




【5】
 
 長い時間と労力を費やし、やっとのコトで辿り着いた美女の寝室。
 内装は瀟洒なメゾネットタイプで一人で泊まるには充分以上に広い。
 ハロゲンランプの優しく暖かな光に包まれた部屋の中脇に設置された
豪奢なダブルベッドの上にマージョリーを下ろし、
寝返りを打つと危険なのでグラスも外し脇のチェストに置いておく。
 上 掛 け(カバーレット)もかけようとしたが暑いのかマージョリーがすぐに突っぱねてしまうので
仕方なくそのままにした。まぁイオンミストを大量に放出する高性能のエアコンが
常時回っているので風邪を引く心配はないだろう。
 これにて、花京院 典明のフレイムヘイズ付きの 『仕事』 はようやく終わり。
 その手当代わりというわけではないが、喉が渇いたので冷蔵庫の中から
ミネラル・ウォーターを取りだし革張りのソファーに腰を下ろしてそれを飲む。
 何より少し酔いを醒ましてからでないと、帰りの道すがら路上でブッ倒れるのは
今度は自分かも知れない。
「よぉ~、御苦労だったなカキョーイン」
 手前の、木目の美しいウォールナットのテーブルの上で、
人目を気にする必要がなくなったからかマルコシアスが革表紙をバタバタ鳴らしながら
磊落な声をかける。
「えぇ……」
 立場上、美女の保護者のような者だと認識しているこの異次元世界の魔獣を、
だったら少しは手助けしてくれても良いだろうにと花京院は (いぶか) るように見る。
「でもよぉ~、正直 “役得” だったろぉ~?
同じ男として、オレも気を遣ってやったンだぜェ~」
「ハァ?」
 本気で解らないといった表情で、花京院はペットボトルを口に運ぶ手を止める。
「我が麗しの酒 盃(ゴブレット)の魅惑の姿体(ボディ)
圧迫祭りの密着御輿(みこし)でよぉ~。ほれほれ(とぼ)けンなよこのドスケベヤロー、
ヒャーーーーッハッハッハッハッハ!!!!!!」
「……」
 マージョリーのように本気で(しかもスタンドで)殴ってやろうかと想ったが、
花京院は胸三寸に収め話題を変える。
「ところで、 “ルルゥ” と言いましたか。その少女について、少し訊いても良いですか?
ミス・マージョリーとは、一体どのような関係だったのです?」
 本人のいない所で彼女の過去を詮索するのは無神経だと承知していたが、
答えは返ってこない事を予想して花京院は訊いた。
 正直、ただ単純に 『うるさい』 のだ、この放埒な紅世の王は。
 普段の時でもかなり鼓膜が痛いのに、消耗したこの状態で余り聴きたい声ではない。
 っていうか、それ以前にあんまり騒ぐとマージョリーが起きる。
「……視て、みるか?」
 先刻の軽薄な物言いとは一転、重くナニカを含んだような口調でマルコシアスは告げる。
「え?」
 意外な返答に花京院が応じる間もなく、神器 “グリモア” の口が開き
そこから群青の炎が狭霧のようにフッと吹き出し、彼の中性的な美貌を取り巻く。
 次の瞬間。
(!!)
 花京院の脳裡に遍く無数の光景が、閃光のようにフラッシュ・バックした。
 砕けて黒焦げになった石塀、見るも無惨に焼け落ちた幾つもの(はり)
視界の全てを覆い尽くすほどの勢いで立ち込める黒煙の乱流の中、
煤と血に塗れた異常に白い手が見えた。
 場面は変わって、どこかの草原の中。
 その目と鼻の先には、先刻の惨劇の渦中に在ったと想われる石造りの建物が
原型を留めず灰燼と化している。
 破滅の旋風が吹き抜ける中、眼前に在るモノが何の脈絡もなく
狂暴な金属音と共に降り立った。
 ソレは、覆い被さるように手足を大きく広げ、轟々と銀色の炎を全身から噴き上げる、
赤錆た西洋の甲冑。しかし先日目にした騎士のスタンド、
銀 の 戦 車(シルバー・チャリオッツ)』 のような荘重とした雰囲気は微塵も無く、
ただただ禍々しさと(おぞ)ましさだけがその存在から迸っていた。
 やがて、がらんどうの鎧の中から、ザワザワと多足類のような
夥しい数の蟲が這い擦り出し、内側から噴き上がった淀んだ銀色の炎により
バガンッと開いた兜のまびさしの中から、優に百を超える眼がこちらを見据えていた。
 嘲笑うように、蔑むように、苛むように、(せせ)らうように、卑しむように!
 同時に響き渡る、この世のモノとは想えない、地獄の蓋が開いたかのような女の絶叫。
 その光景を、丘の上から見下ろす影。
 眼の冷めるような闇蒼の月を背景に、鍛え絞られた剥き出しの痩躯を
ヴァイオレントなレザーで覆い、刃のような群青の髪と瞳を携えた、
美しき餓狼を想わせる一人の男。
 その視線の先には。
 先、には。
 白いワンピースのような服を鮮血と焼塵で汚し、血涙と共に泣き叫ぶ一人の女性と、
その彼女の胸の中、静かに瞳を閉じる栗色の髪の少女が在った。
(!!)
 心象に映る幻影に、花京院は想わず手を伸ばそうとする。
 その理由は解らない。意識すらも追いつかない。
 だが、次の刹那。
「!?」
 唐突に途切れる、追憶の断片(カケラ)
 同時に戻ってくる、現実の風景。
 否、先刻の光景も、かつてこの世界のどこかで、確かに在った現実なのだ。
 髪形もその色も違うが、間違えようがない。
 深い、菫色の瞳。 
 あの、地獄のような光景の中で、ただ一人絶望の叫びをあげていたのは、
紛れもなく……
「今の……ヤツ、は……!」 
 驚愕、困惑、畏怖、何れの感情も強く渦巻いていたが、
静かにしかし何よりも熱く、翡翠色の焔のように
花京院の裡で燃え盛っていたのは 『怒り』 であった。
 激しい苦悶に身と心を灼かれ、泣き叫ぶ女を見て 『ただ愉しんでいる』
紅世の徒に、形容し難い嫌悪と義憤が湧いた。
「“銀” って、オレ達ァ呼んでる。アノ時ほんの少し垣間見ただけで、
一体どこのどんな “徒” なのかその名前すらも解らねぇ。
それから数え切れない程の徒も王もブッ殺してきたが、
その存在の切れっ端すら浮かんでこねぇんだ」
「では……今も……どこかで……」
 躰を包む怖気と共に、花京院は鋭い視線でマルコシアスを見る。
「高笑いしてやがんのかもな。マージョリーの “疵” を肴にしてよ」
「……」
 想わずテーブルを叩きそうになったが、
自分が憤っても何もならないので花京院は抑える。
「何故、ボクにそんなコトを教えたんですか?」
(不可抗力とはいえ) 訊いたのは自分だったが、
心中に走った衝撃の為にそのコトは忘れていた。
「さぁ~て、何でかねぇ~。ただ何となく、
『オメーには話しといた方が良いんじゃねぇか』 って想ったんだよ。
理由なんぞ知らねー。考えンのもメンドクセー」
 ぞんざいにそう返す 『本』 に、誰かに似てるなと花京院はフ、と微笑を漏らす。
「ただ、今日のアイツ、マジに喜んでた。
いつもは部屋で一人静かに飲んで、オレとも二言三言話すだけなのによ。
あんなガキみてーに笑って、バカみてーにはしゃいで。
そーゆー事ァ、紅世の徒のオレにゃあしてやれねーからよ」
「……」
 いつもあんなカンジではないのか、少々意外そうな表情でベッドの上の美女を見た
花京院は、やがておもむろに立ち上がる。
「そろそろ、お暇します。さようなら、マルコシアス。また明日、ですね」
 まだ完全に酔いが抜けたわけではないが、さっきよりは大分マシになったので
ドアの方へと向ける足を、マルコシアスの無粋な声が制した。
「おいおいおいおい、“イイのかよ?”
男と女がメシ食って酒飲んだら後ァヤるコト決まって」
「次に 『そういう事』 を言ったら、 “エメラルド・スプラッシュ” を
撃ち込ませて戴きます。どうか忘れないでくださいね」
 細い腕を腰の位置で組んで軽快に振り返った美男子は、澄んだ声でサラリと告げる。
 一抹の嫌味もない爽やかな笑顔が、何故か一層の凄味を視る者に感じさせた。
 そし、て。
「おやすみなさい。ミス・マージョリー。良い夢を……」
 ドアの手前からベッドの上の美女にそう告げた花京院は、
音を立てないよう静かにその部屋を後にした。
 扉が閉まる刹那、美女の口唇が寝息と共に微かに動き、誰かの名前を口にした。


←To Be Continued……
 
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