Muv-Luv Alternative 士魂の征く道
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第四八話 かたわれどき
窓から見える空を見上げる――春先の空は澄み渡り流れる雲に、散りばめられたように舞う花弁が時折目に入る。まるで風が見えているかのような錯覚すら齎すその光景に吸い込まれそうになる。
そしてその空の向こうに異国の空の下に居るであろう彼へと思いを馳せる。
「……俺の知らん間にそういう顔も出来るように成ったんだな。」
「巌谷中佐…!」
「一応ノックはしたんだがな……」
突然の声掛けに跳ねるように振り向いた唯依の視界に飛び込んできたのは苦笑する自らの親代わりでもあった巌谷 榮二技術中佐だった。
彼はその厳つい顔つきからはあまり予想できないフランクな仕草で頭を掻きながら困った表情をする。
「失礼しました!」
「構わんよ。だが、あの唯依ちゃんがあんな色っぽい表情をするとはね―――俺がもう20、いや10若ければ口説いていたかもしれんな。」
「お戯れを、其れよりも巌谷中佐こそ良きお相手は居ないのですか?」
巌谷の軽口にちょっとだけ頬を紅潮させてしまう。なので半ば強引に話題を変える。
「……唯依ちゃんに其処を突かれるとは思わなかったよ。」
「ふふふ、おじさまもよいお年なのですからそろそろ身を固めたほうがいいですよ。」
「俺より先に結婚していった勝ち組連中のセリフだよ、それは。」
唯依の思わない口撃に頭を抱える巌谷。急所を的確に一突き、そして抉ってくる言葉に唯依を揶揄って可愛がっていたころが懐かしくなる巌谷。
だが、良い傾向だ。彼女が一人の女として成長しているのを痛感させられる巌谷。
「……変わったな唯依。」
「―――はい、初めて人を……好きになりましたから。」
左手の薬指に嵌められた木目模様の指輪を愛おし気に見つめる唯依。木目模様以外は特に目立って特徴のない指輪…だが、異なる金属の織り成す揺れるような模様はどこか落ち着いた上品さを醸し出して指輪なのに和風という不思議な雅さを齎している。
「それが奴からの贈り物か……どうしてなかなかいいセンスじゃないか。」
「ありがとうございます。」
朗らかに微笑む唯依。割と甲斐性はちゃんとしてるようだと感想を下す巌谷。
「それにしても、その表情を見ると俺たちの心配は杞憂だったみたいだな。立場故、お前に望まぬ決断をさせたと栴納さんも俺も心苦しかった。」
「小父様……ご心配してくださりありがとうございます。」
―――また違う。巌谷の知っている唯依ならばこういう場面では心配をかける自分の不甲斐なさを悔いながら謝罪する。
なのに、今目の前にいる唯依は心配をしてくれたことに礼を述べる。本当に、変わった。
何が唯依を変えたのか、きっと唯依が自分で選んだ男の妻になろうとする意志もあるのだろうが其れだけでは今までの唯依を変えるに足りないだろう。
きっと、唯依が抱えている歪みに真正面から向き合い、諭していった存在がいるのは明々白々。
……親代わりを自負してはいても、自分は彼女を導いていなかった事に気づかされる。自分たちが碌にしてやれなかった事をたった半年程度で成し遂げてしまった存在への嫉妬が無いと言えば嘘になる。
しかし、そういう人間――――真実に、唯依という女の幸福だけを真摯に願った人間にしかそれは出来なかった事だろう。
自分にはそういう事が出来なかった。
(やれやれ……男としては完全に負けてるなこりゃ。)
唯依に成長を促した男に対して感嘆の念を抱く巌谷、正直に言えば唯依はかなりめんどくさい物件だ。
その立場故の制限に加え、彼女自身の気質も普通の人間であればかなりの負担になるのはわかりやす過ぎるほどに明瞭だ。
そんな人間に心底惚れこんだとしても、この娘の抱えていた歪みをこうも解消するのは一朝一夕ではない。
それを正確に見抜く観察眼に、それと真摯に向き合う姿勢を必要とする。そういった諸々を纏めて男の度量と呼ぶのなら彼女が良人に選んだ男の度量は自分を超えている。
「……手術は一か月後だったか?」
「はい……。」
「すまんな、恋路を邪魔する趣味はないんだが……」
申し訳なさそうな巌谷の言わんとする所は言葉にせずとも分かる、忠亮の手術が上手くいき完全復帰してもそのころ唯依はXFJ計画によってユーコンに居る。
すれ違ってしまう。
好きな人と長い間会えないのは正直言って寂しい。
だが、共に同じ未来を目指しているのだと知ってる。そしてその思いを抱き続ける限りいつか、それは叶うと信じている。
共に在ることが今は出来なくても、心は寄り添っているはずだ。
「中佐のせいじゃありません。これは私が決めた事なのですからどうかお気に病まないでください。
それに忠亮さんと私は例え今、別れていてもその先には共に笑って過ごせる未来があるはずだと信じていますから。」
「驚いたな、お前からそういう言葉を聞けるとはな。」
何処か力強さを感じる笑顔、それに本当に強くなったと感想を抱く。
ただ堪えるだけだった今までと違い、その先を見据えれるようになっている。希望を信じて、其処に全力を尽くせる強さ。
今までは張り詰めた糸のようだったのが、いつの間にかしなやかな弦の様になっている。
今回のXFJ計画は唯依の成長の機会となると考えていた、そしてそれは同時に幾ばくかの不安を抱える事でもあったが今の唯依にならば大船に乗った気分で任せられる。
「まったく、ついこの前まで子供だと思っていたのだがな………いつの間にか大きくなったな。」
「だって、もうすぐお嫁さんに成るんですから。何時までも子供じゃいられません。」
「成るほど俺も年を取るはずだな。―――今のお前ならばアイツも安心して眠れるだろう。」
少しお道化て言う唯依。その柔和で春先の陽光を連想させる笑顔はとても魅力的だ。
彼女がこんな風に笑うのを知らなかった。
本当に、もう10・20若ければ口説いていただろう。だが、そんなトンビが油揚げを浚うような根性では本当のいい女は振り向くはずもない。
―――今回の事は自分を見つめなおす良い機会なのかもしれない。
「いや、お前の白無垢を見れんと悔しさのあまりおちおち寝てられんと化けて出るかもな。」
「それは困りますね。」
巌谷の前言を撤回する冗談に苦笑するのだった。
「…………」
「あら、黄昏ちゃってどうかしたのかしら?」
不意に声を掛けられ、自分のカルテを見ていた女史へと視線を動かす。
国連軍の軍服の上に纏った白衣、後頭部で髪を結ったポニーテイルなど色々特徴はあるが、それを差し置いても妙な色気が彼女を女医として見るのを拒否しているかのような雰囲気がある。
「何でもないさ香月先生。ただ、アイツはどうしてるだろうかと気になっただけだ。」
「それほどに想っているのに、こんな手術を受けようなんて――本当にいいの?」
静かに何かを見通すような目でベットにある己を見下ろしてくる香月モトコ。優秀な脳神経外科医であり、あの横浜の魔女香月夕呼の姉が。
「構わん、自分の女を自分の手で守る―――それが男の本懐だろう。戦う力を取り戻せるのなら文句はない。」
「幼稚ね、守るという行為が大好きでその行為に酔いたがる。それはそれで可愛いわね。けれど置物の様に扱われる女の人格は無視していない?
それならばあなたは自分の矜持を守っているだけの小さい人間よ。」
「禅問答でもしたいのか?そのこと自体、俺は自然だと考えるがな。
こと、戦闘に於いて女は男よりは強くは成れない。それは単純な生物学的事実。その実例に事欠かないのは言うに及ばんだろ。
ならばそのような価値観が生まれたのは至極自然なことでしかあるまい。」
これは別に男尊女卑というわけではない。純然たる事実として男女の性差がそのまま能力傾向に反映されているだけの話なのだ。
例えば戦術機とて、女衛士が最近まで少なかったのは単純に成りたがる人間が少ないのに加えて、耐G性や空間認識力や方向感覚に性差が存在しているからに他ならない。
また戦術行動においても、女は直感的≒感情的であるのに対し男は推理的≒論理的に偏った傾向が存在する。
もっと言えば、女性衛士の徴用は所詮、男の衛士の減少と増大するBETAという驚異に対する数合わせに過ぎないのが本質だ。
BETA戦役が終わればその比率は徐々に是正されるだろうことは想像に難くない。
「それにアイツには悪いが、己は己の理を持って望むがままに動くのみだ。互いが思いあっていれば多少の食い違いはあれど結果は付いてくるものだ。」
「もしついてこなければ?」
「それはその程度の関係だったという事。いや、或いはそうなることが自然という事だったのだろう。
何にしろ己を通した結果に後悔するなど、煮え切らない半端モノのすることだ。」
まるで、仕合に挑む剣客のような空気を纏った忠亮の言葉。この頑固さは筋金どころか鉄骨入りだと感心半分、あきれ半分の感想を抱く。
「……もう、覚悟は決めたって顔ね。野暮だったかしら?」
「男の覚悟に水を差すという意味では野暮というより無粋だろうな。」
「そうね。じゃあ、無粋ついでにインフォームド・コンセントと行きましょうか。」
少し砕けた様子が変わり、一人の医者としての顔が出てくる。
「今回の手術で行われるのは補助人工心肺、および右腕への義手アタッチメントのインプラント手術。
すでに日本での貴方の疑似生体移植時点で土台となるチタンインプラントの埋め込み手術は終えているから、もうあなたの骨組織とチタンが完全結合しているはずよ。」
チタンは極めて生体適合性が高い素材だ。放っておけば骨組織がチタンを半ば取り込む形で結合して完全に骨格の一部となるのだ。
そして、通常の状態でさえ高い生体適合性を持つチタンだが、光学処理を施すことでその適合率は飛躍的に向上し、尚且つ老朽化という楔からも解き放たれる。
つまり、人体の生体と器物を繋ぐのに最適な素材と言えるのだ。
「そして、これが本命……補助人工心肺とその後の機能拡張デバイスとを統合コントロールするために脊髄に指向性たんぱく技術を流用した有機ナノマシンとマイクロチップから成る特殊インプラントを脊椎に埋め込むわ。」
之こそ本命、脊椎に埋め込んだマイクロチップを介し、戦術機のメインコンピュータと脳を接続する。
そして、同時にこのマイクロチップと補助人工心臓を接続し、失った神経節の代替えとする。
「おそらく、術後完全に定着するには最低でも半年―――そして、僅かでも有機ナノマシンの設計が間違っていれば良くて半身不随、最悪死ぬわ。」
「ここ一番の大勝負だな、己の命……あんたに預ける。」
不敵に笑い皮肉ると、直後に戦士としての貌で告げた。
「驚いたわね自力本願である貴方が他人に命を預けるなんて言い出すとは思わなかったわ。」
「あんたが医者だからな。その矜持を信頼せずしてどうする、己も曲がりなりにも専門家だからな。」
軍医として本土奪還作戦に随伴し、満身創痍で運び込まれた彼を手術したころからの付き合い。
故に、彼の本性は割と見抜いていた―――ここまで特異であり却って分かりやすかったくらいだ。だが、その予想を覆される言葉と全幅の信頼を表す言葉に思わず心が動かされるのを感じた。
「――殺し文句ね、医者である以上それを言われると後には引けないわね。」
部屋を出たら煙草を吸おう白衣のポケットから取り出した箱から煙草を一本口に銜えると白衣を翻して退室するのだった。
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