銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百四十八話 曙光
帝国暦 487年10月19日 オーディン 新無憂宮 ラインハルト・フォン・ローエングラム
早朝から新無憂宮に呼び出された。呼び出し人は国務尚書、リヒテンラーデ侯。ヴァレンシュタイン司令長官も呼び出された理由を知らないようだ。なにやら厄介な事件が起きたらしい。
宮内省の役人に案内されたのは南苑の端にある一室だった。部屋の前で警備兵が立っているが、はて、なにがある? 司令長官と顔を見合わせ、部屋に入る。
「遅くなりました。ヴァレンシュタインです」
「ローエングラム伯です」
部屋の中は薄暗く、陰気な雰囲気を醸し出している。密談には相応しい場所だろう。中央には大きな会議卓と椅子があり何人かが思い思いに座っている。
国務尚書リヒテンラーデ侯、財務尚書ゲルラッハ子爵、軍務尚書エーレンベルク元帥、統帥本部総長シュタインホフ元帥が既に居た。見慣れぬ貴族がリヒテンラーデ侯の傍に寄り添っている。もしかするとマリーンドルフ伯だろうか? 娘がヴァレンシュタイン司令長官の下に居るが……。
他にも見慣れぬ軍人が二人居る。いや、一人はブラウンシュバイク公の屋敷で見たことがある。確かフェルナー准将のはずだ、となるともう一人もブラウンシュバイク公の部下だろうか?
俺とヴァレンシュタイン司令長官はシュタインホフ元帥の傍に座った。司令長官がシュタインホフ元帥に小声で何が有ったのかを尋ねたが、シュタインホフ元帥も知らないようだ、首を振っている。
「揃ったようですな、では始めるとしますか」
財務尚書がリヒテンラーデ侯に話しかけ侯は一つ頷くとブラウンシュバイク公の部下を見て話し始めた。
「まずは自己紹介から始めてはどうかな、それから説明をしてもらおうか。何故このようなことをしたのか」
リヒテンラーデ侯の言葉にフェルナー准将がもう一人の方を見て頷くと笑みを浮かべながら話し始めた。なんとも油断の出来ない笑顔だ。
「小官はブラウンシュバイク公に仕えるアントン・フェルナー准将といいます。そして彼はリヒャルト・ブラウラー大佐、リッテンハイム侯の部下です」
リッテンハイム侯の部下? ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が改革を前に手を結んだという事か? つまりかなり追い詰められている、そう見ていいだろう。
「今回、ブラウンシュバイク公夫人アマーリエ様、御令嬢エリザベート様、リッテンハイム侯夫人クリスティーネ様、御令嬢サビーネ様、陛下へのご機嫌窺いをなさりたいとのことでございます」
ご機嫌伺い? なるほど、陛下を説得して改革を廃止、あるいは骨抜きにしようということか。姑息な事を考えるものだ。
「建前はよい、本心を言ってはどうじゃな。それとも先程私に言った事は嘘なのか?」
リヒテンラーデ侯の言葉にフェルナー准将は苦笑しながら首を横に振った。
「恐れ入ります、では本心を……。これ以上、御婦人方をブラウンシュバイク公邸、リッテンハイム侯邸に留め置く事は危険だと思われます。皇帝陛下の御血筋の方の身を守るためにも、陛下の下にお返ししたいのです」
危険? 反逆するからその前に返しておく、そういうことだろうか?
「なるほど、このままではブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は暗殺される、そういうことかな?」
「はい、残念なことですが」
ゲルラッハ子爵とフェルナー准将の会話に部屋がざわめいた。暗殺? なるほど、旗頭として担ぎ上げるのは、皇族のほうが都合が良いだろう、彼女達と自分の身を守るためには返したほうが良いのは確かだ。
「どう思うかな、ヴァレンシュタイン元帥」
リヒテンラーデ侯が問いかけた。皆の視線が司令長官に集まる。おそらく司令長官は断りたいだろう。受け入れればそれだけ貴族達の暴発は遅くなるに違いない。それは望ましい事ではない。
「受け入れましょう。名目は陛下へのご機嫌伺いです、断る理由はありません。それに陛下も改革の実行を決めたとは言え、御婦人方の安否は心配なはずです」
司令長官の言葉に部屋の空気が緩んだ。ヴァレンシュタイン司令長官が反対すると考えたのは俺だけではないようだ。司令長官の言葉が続く。
「それにしても上手い手を考えましたね。彼女達はトランプのジョーカーのようなものです。あるゲームでは最強だが、別のゲームでは持っているだけで負けになる。今のゲームはババ抜きですか」
ヴァレンシュタイン司令長官の言葉に部屋に笑いが起きた。
「失礼だぞ、司令長官。ババ抜きなどと言っては気を悪くされる方がいよう」
「軍務尚書の言うとおりだ。女性というのは年寄り扱いされるのを嫌がるからな」
エーレンベルク、シュタインホフ両元帥の笑い混じりの窘めにまた笑いが起きた。両元帥は結構女性に詳しいようだ。
「それで良いのだな、ヴァレンシュタイン。彼らは時間稼ぎをするつもりじゃが」
リヒテンラーデ侯も苦笑交じりの声で司令長官に視線を当てながら尋ねた。
「構いません。貴族達の暴発はこんな事では止まりません。時間稼ぎには到底ならないはずです」
笑いが収まり、皆の視線がヴァレンシュタイン司令長官にまた集中する。
その視線を気にすることも無く司令長官は穏やかな表情のまま、フェルナー准将に話しかけた。
「アントン、ブラウンシュバイク公邸は来客が多いようだね。彼らが何を言っているかここで話してくれないか、遠慮はいらない」
フェルナー准将は困った顔を一瞬だけ見せたが、直ぐに笑みを浮かべ直して答えた。
「良いだろう。リヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥は陛下を惑わし、帝国を私物化しようとしている。そのために先ず、帝国の藩屏たる我等貴族を無力化しようとし、ルドルフ大帝以来の国是をも否定しようとしている、そんなところかな」
「それだけかな、金融機関の事は言っていないか?」
「金融機関?」
「そう、貴族専用の特殊銀行、信用金庫の事だ」
ヴァレンシュタイン司令長官の言葉にフェルナー准将は不審そうな表情をしている。芝居ではないようだ、しかし、特殊銀行? 信用金庫? 一体どういうことだ?
疑問に思っているのは俺だけではないだろう。部屋に居る人間は皆不審そうな表情をしている。
「アントン、多くの貴族は貴族専用の金融機関から大金を借りている。無利子、無担保、無期限でね。この金融機関だが来年の三月末で廃止される」
「……まさか」
フェルナー准将の表情が歪んだ。そんな准将を見ながらヴァレンシュタイン司令長官が言葉を続ける。
「そう、借りたものは返さないとね。無期限というのは返さなくても良いということではない。もう直ぐ債務者たちに金融機関から通達が行くはずだ。三月末までに借金を返済せよ、返済は十一月から三月までの期間に五回に分割して支払う事、とね」
フェルナー准将もブラウラー大佐も顔面を強張らせている。ブラウラー大佐が問いかけてきた。
「司令長官閣下、貴族達はそのことを知っているのでしょうか?」
「ボルテック弁務官に金融機関の廃止とそれに伴い借金の返済を実施すると伝えました。おそらく弁務官からフェザーン商人へ、そして貴族達に伝わったはずです」
司令長官の言葉にブラウラー大佐の顔がさらに歪む。そんな大佐を見ながら司令長官が言葉を続ける。
「貴族達の殆どが大金を借りています。その金をフェザーンの投資機関に預けたり、場合によっては自分で金融機関を営む事に利用している。そしてそこから得た収入で彼らは私兵を養い、贅沢な暮らしをしているのです」
司令長官の口調は徐々に冷笑を帯びてきた。そしてフェルナー、ブラウラーの表情はさらに歪みを帯びた。
「……」
「彼らの多くは領地経営から上がる微々たる収入になど重きを置いていません。当然領地経営に関心など持っていない。どうすれば税収が上がるか、どうすれば効率的に領地経営が出来るかなど知らないでしょう」
「……貴族達の収入源を断ったわけか」
「その通りだ、アントン。返済が進むにつれて彼らの収入は減る事になる。二回も払えば今持っている兵力を減らさざるを得ない状況になるだろう。彼らにそれが受け入れられると思うかい?」
「……」
「到底無理だ、つまり年内に暴発する事になるだろう。彼らは遮二無二ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯を巻き込むに違いない」
ヴァレンシュタイン司令長官は首を振りながら自分で答えを出した。俺も同感だ、彼らに我慢など出来ないだろう。
「……」
「彼らが、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯にその事を言ったかな? 言わないだろう、貴族としての誇りがあるからね。帝国の藩屏などと言っているが、本心は今の贅沢で自侭な生活がしたい、それだけだ」
ヴァレンシュタイン司令長官の言葉に部屋が沈黙した。この中にはリヒテンラーデ侯、ゲルラッハ子爵など大貴族の一員が居る。しかし司令長官の言葉に反論しない、同感だと思っているのだろう。俺も同じ思いだ、彼らがこの帝国にいても何の価値も無い、百害有って一利も無い。滅びれば良いのだ。
「アントン、残念だがこの策は時間稼ぎにならない。おそらく卿は時間を稼ぎつつ、貴族達を宥め有利な条件を作ろうとしていたはずだ。私を暗殺する、あるいは私とローエングラム伯の間を裂く」
「……」
「だがその手が効力を発揮する前に貴族たちが暴発する。ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯もその暴発からは逃げられない……」
司令長官の言葉が沈黙した部屋の中に流れた。
確かに、司令長官を暗殺しても俺が代わりに貴族達を討伐するだけだ、余り意味は無い。仲違いには時間がかかるだろう。それに門閥貴族討伐に関して仲違いなど有り得るとは思えない。
「……俺の負けか?」
「元々条件が悪すぎるんだ。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を本気で助けようとする貴族がどこにいる? 皆利用しようとしているだけだ。これで勝てたら不思議だよ、卿の所為じゃない」
呟くように“負けか”と言うフェルナー准将に対してヴァレンシュタイン司令長官は何処か怒ったような口調で慰めた。先程までの冷笑など欠片も見えない。
士官学校時代からの親友だと聞いている、どんな思いで敵味方に分かれたのだろう。もし、俺がキルヒアイスと対立する事になったらどうするだろう……。
「フェルナー准将、ブラウラー大佐、主人の事を思うなら小手先の策ではなく、我等に恭順してはどうかの」
リヒテンラーデ侯の言葉にフェルナー准将、ブラウラー大佐が顔を見合わせた。
「恭順を表明した時点で逆上した貴族達に暗殺されかねません。それに……」
「?」
フェルナー准将は途中で口ごもった。その後を続けたのはブラウラー大佐だった。
「これまで門閥貴族の雄としてその勢威を振るったわれらの主を恭順したからといって受け入れてくれましょうか? 何かにつけて疑われ、仲間を見捨てたと蔑まれるのは必定、そのような思いはさせたくはありません」
だから、生きる道を、勝ち残る道を探し続けたという事か……。
部屋を沈黙が支配した。皆、難しい顔をして黙っている。恭順すれば暗殺されかねない。運良く逃れても裏切り者と蔑まれ疑われるだろう。誇りを持って生きれば待っているのは破滅……。誇りとともに滅ぶのか、蔑まれても生きるのか……。
「疑われず、蔑まれなければ恭順できる、そういうことか……」
沈黙を破ったのはリヒテンラーデ侯だった。
「何か良い手は無いものかの」
リヒテンラーデ侯が呟くように吐いた。誰かに問いかけたわけではない、しかし皆の視線がヴァレンシュタイン司令長官に集中した。その視線を受け司令長官は僅かに眉を寄せ溜息をついた。
「難しいことを仰いますね。万一、二人が反逆しなければ、地方での反乱が頻発しますよ。鎮圧するのにどれだけ時間がかかるか、分かっていらっしゃるんですか、リヒテンラーデ侯?」
「そう言うでない。あの二人が反逆すれば、エリザベート様、サビーネ様は反逆者の娘になる。皇族でありながら反逆者だ。後々生きていくのが難しいことになろう、陛下もお苦しみになるに違いない。何とかならんかの」
「……私個人の考えです。誰とも相談した事も有りませんし、受け入れてもらえるかどうかも分かりません。それでもよろしいですか」
「うむ、かまわん」
「ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も現状の門閥貴族としての地位を保ちながら生き残ろうとしています。それでは無理ですね、いずれ暴発に巻き込まれ滅びます」
「……」
「門閥貴族として生き残ることを考えるのではなく、新帝国が成立する事を喜びそのために何が出来るかを考えるべきでしょう。そこから生き残る道も見えてきます。先ずは領地替えでしょうね」
「領地替え?」
何人かが、戸惑うかのような声を上げた。領地替え、現在の所領を代えるということだろうか?
「ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も大貴族で皇位継承権を持つ娘を持ちオーディンの近くに所領がある、そのことが周りの貴族たちを引き付けています。ならばそれを無くしてしまえば良い」
意味は分かるが具体的には何処に移すのだろう、思わず問いかけていた。
「司令長官、具体的に何処に移すのです」
「辺境ですよ。出来るだけイゼルローン回廊近くに移します」
「回廊近くに移すというのか」
声を上げたのはエーレンベルク元帥だった。門閥貴族の雄を辺境に、それも回廊近くに移す。都落ち、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
「ええ、イゼルローン要塞が反乱軍に奪われて以来、帝国辺境は常に反乱軍侵攻の危機にさらされています。帝国の藩屏たる両家は帝国の安全を守るために辺境への領地替えを陛下に願い出る、そんなところですね」
防衛と言っても反乱軍は大打撃を被ったばかりだ。実際に防衛戦を行なう事など先ず無いだろう。そう思っていると司令長官も同じことを言い始めた。
「まあ、現状では防衛戦は無いでしょう。しかし、いずれ反乱軍へ大攻勢をかけるときが来ます。そのときにはイゼルローン方面から攻撃に参加し、イゼルローン方面進攻軍の先鋒を務めてもらう事になる。新帝国成立のために血を流すのです。そうなれば誰も両家を蔑むような事は無いでしょう」
「……」
「それに辺境の開発はかなり大変です。人口も少ないですし、十分な産業基盤も無い。両家とも税を払いながら開発を行ない、軍も維持もしなければなりません。容易ではないでしょうね」
「無理だ、税を払いながら開発を行い軍を維持するなど不可能に近い。それでは自滅しろと言っているようなものだ」
フェルナー准将が呻いた。ブラウラー大佐も同意見なのだろう、しきりに首を振っている。他にも同意するかのように頷く人間がいた。
「軍は削減すれば良い。両家とも一個艦隊程度にまで削減すればかなり違うはずだ。艦艇そのものは帝国軍が買い取る、兵も帝国軍に戻れば良いだろう」
「……」
「軍を維持するのは長い期間じゃない。自由惑星同盟に攻め込み、彼らの軍事力を殲滅するまでだ。長くても三年後には終わらせる。その後は軍を地方の哨戒艦隊程度にしてしまえば良い。そのほうが経費も削減出来、痛くも無い腹を探られなくて好都合だろう」
なるほど、その頃にはブラウンシュバイク公爵家もリッテンハイム侯爵家も課税、軍の維持、惑星の開発で体力を失っているだろう。政治勢力としての影響力も小さいものになっているに違いない。
「しかし、どうやって貴族達を振り切る。連日屋敷へやってくるんだ。辺境へ領地替えなどと言ったらどうなるか……」
フェルナー准将が困惑した表情で呟く。確かにどうやって周りを欺くか、それが問題だろう。
「何も言わずに領地に戻れば良い。そして辺境への引越しの準備だ、後は周りが勝手に反乱の準備だと勘違いしてくれるよ、アントン」
「卿は気楽だな、他人事だと思っているんだろう」
司令長官は声を出さずに笑った。フェルナー准将も笑う。ようやく部屋の空気が明るくなった。それを受けてリヒテンラーデ侯が周囲に話しかけた。
「現在の領地を返上し辺境の開発に力を注ぐとなれば政事を担う我等文官もその至誠は認めねばなるまいの。その上で新帝国成立のために遠征軍にも加わるか……、どうじゃな、皆ブラウンシュバイク公家、リッテンハイム侯家の恭順を認めるかの」
リヒテンラーデ侯の言葉に特に反対する声は無かった。フェルナー准将、ブラウラー大佐はヴァレンシュタイン司令長官の案を持ち帰り検討する事になった。
部屋から解放され、ヴァレンシュタイン司令長官とともに廊下を歩いた。隣を歩く司令長官の顔色はあまり良くない。具合が悪いと言うわけではない。何か気になることが有るようだ。
「どうかしましたか」
「いえ、先程の件ですが、ちょっと」
思い切って訊いてみると、やはり例の件だった。俺自身あの案には必ずしも納得していない。
「司令長官も気に入りませんか? 上手く行けばあの二人は救えるかもしれません。しかし反乱は地方に分散し、制圧には時間がかかるでしょう。そうでは有りませんか?」
何処か非難めいた口調になっただろうか? 敵は分散させて討つのが用兵の常道だが、この場合はむしろ集中させて叩いたほうが効率は良い。その思いは司令長官にも有るはずだ。
「そうですね。確かにそれはあるかもしれません。しかし私が考えていたのはそうではないんです。本当にあれが上手くいくかどうか、それを考えていたんです」
「……」
司令長官が考えていたのは例の案が上手く行くかどうかだった。
「十分に考えたわけではないですからね。何処かに穴があるような気がするんです。失敗すればアントンは悲しむでしょう。私は彼のそんな顔は見たくないんです」
そう言うと司令長官は立ち止まって溜息をついた。どうにも憂鬱そうな表情だった。
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