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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百三十四話 哀しみは優しさを誘う……

帝国暦 487年10月 4日   オーディン ブラウンシュバイク公爵邸 ラインハルト・フォン・ローエングラム


 眼の前でヴァレンシュタインとアイゼナッハが踊っている。ステップが非常に軽い。おそらくアイゼナッハはヴァレンシュタインの重みなど感じていないのではないだろうか。目の前で踊る二人に周囲の令嬢達から嘆声が上がる。

「黒って似合う方が纏うと本当に綺麗ですのね」
「ええ、元帥閣下は本当に黒がお似合いですわ」
「黒は元帥閣下の色ですものね」

確かにヴァレンシュタインは黒を好んでいる。黒髪と黒眼、マントも黒だ。本当は地味にくすんでもいいのだが彼の場合は黒が良く似合う。肌が白い所為だろう、顔立ちがくっきりと見えるのだ。寒色の黒を纏いながら柔らかく微笑む姿は確かに周囲の目を引くだろう。

ビッテンフェルト、ミュラー達も先程までの不愉快そうな雰囲気を捨て、十分に今を楽しんでいる。一方でブラウンシュバイク公達は何処か不機嫌そうな表情をしている。先程までヴァレンシュタインと話していた公の部下もこちらにやって来たが似たような表情だ。

分かっているのだ、俺がブラウンシュバイク公を中心とした貴族どもに嵌められかけた事は。だが、まさか十六歳の少女を、自分の娘を使ってくるとは思わなかった。

エリザベート・フォン・ブラウンシュバイクはごく普通の少女だった。自分が道具として使われていることなど欠片も理解していないだろう。哀れな女だ。そんな女を邪険に扱う事はさすがに出来なかった。

あのままだったら、確実に艦隊司令官達と俺の間には気まずさが生まれたに違いない。もちろん俺が門閥貴族に味方するなど有り得ないし、彼らもそんなことを信じるとは思わない。しかし、それでも気まずさは生まれたと思う。

俺はまたヴァレンシュタインに助けられたようだ。まさかこの場で彼がロイエンタールと踊るとは思わなかった。俺にはあのような切り返しは出来ない。悔しさと安堵が胸に満ちる。

ヴァレンシュタインとアイゼナッハのダンスが終わった。二人は何を思ったか皆の所ではなく、俺達の居るほうに向かって歩いてくる。周囲からざわめきが上がった。

「ブラウンシュバイク公、今宵はお招きいただき有難うございます」
「おお、元帥も楽しんでいるようで何よりだ」
「はい、楽しませていただいております」

ヴァレンシュタインとブラウンシュバイク公がにこやかに会話をする。両者とも腹の内はともかく外見は親密そのものといって良いだろう。食えない男たちだ。

「ところで、皆さんダンスはなさらないのですか」
「……」
ヴァレンシュタインが貴族の令嬢達に微笑を浮かべながら声をかけると彼女たちは困ったように周囲の男たち、おそらくは父親を見た。

なるほどやはり父親に止められているのか。踊っていいのは俺だけなのだろう。
「士官学校でもダンスは軍人の嗜みの一つとして教えますよ。私達を見ればお分りでしょう。如何ですか、彼らと踊っては」

そう言うとヴァレンシュタインは艦隊司令官達のほうに顔を向けた。
「馬鹿な、平民風情と踊れるか、無礼にも程があるぞ」
「そうだ、図に乗るな」

貴族たちが口々に嘲笑と侮蔑を与える。一瞬にして雰囲気が険しくなった。令嬢たちも気まずそうに視線を逸らす。ヴァレンシュタインの後ろにいるアイゼナッハの視線が厳しくなったが、ヴァレンシュタインの表情は少しも変わらない。柔らかな微笑を浮かべたままだ。

「卿らは男同士で踊っていれば良いのだ」
「そうだ、良く似合うぞ、今度はマントではなくドレスでも着たらどうだ」
下卑た笑いが起きた。

貴族達がさらに侮蔑を加えた。異変を感じたのだろう。ミュラーを始めとした艦隊司令官達が不安げに見ている。ヴァレンシュタインは気にした様子も無くブラウンシュバイク公の部下に話しかけた。

「アントン、私達は公に招待された客だと思ったが違ったようだね。何処か手違いがあったらしい」
ヴァレンシュタインの言葉に貴族たちが嘲笑を浮かべながらアントンと呼ばれたブラウンシュバイク公の部下を見た。公の部下は一瞬だけ辛そうな表情をしたが直ぐ無表情に戻り、ヴァレンシュタインに答えた。

「……、いえ、そんな事はありません、宇宙艦隊の方々を招待したのはブラウンシュバイク公です」
部下の言葉をブラウンシュバイク公は苦い表情で聞いているが否定はしなかった。もしかすると苦い表情は貴族たちに対するものかもしれない。

「その言葉を聞いて安心した。ブラウンシュバイク公、もう少しで私達は招待されたのは間違いだと思ってこちらを失礼するところでした」
「止めはせんぞ。今からでも帰ったらどうだ」

馬鹿な貴族が嘲笑交じりに言葉を発した。その言葉にヴァレンシュタインは声を上げて笑った。
「ブラウンシュバイク公、この方たちは私を怒らせたいのか、それとも笑わせたいのか、どちらだと思います?」

そしてブラウンシュバイク公の答えを待たずに俺に笑いながら言葉をかけてきた。

「それにしても、この方達は随分と勇気があるとは思いませんか、ローエングラム伯。宇宙艦隊司令長官を侮辱する人間がいるとは思いませんでした」
「……」

「それともただ思慮が足らないだけなのかもしれませんね。カストロプ公、ブルクハウゼン侯爵、ジンデフィンゲン伯爵の事をお忘れのようです」
「……確かに司令長官閣下の仰る通りです」

楽しそうな口調のヴァレンシュタインの言葉だったが、何処か冷笑を感じたのは俺だけではあるまい。貴族達の顔は瞬時に凍りついた。今更ながら自分たちが侮辱している相手が何者なのか思い出したらしい。愚かな……。

「皆さん顔色が悪いですね。御気分が優れませんか? せっかくの親睦パーティなのです。もう少しお付き合いいただきたいですね」
周囲の青い顔を見ながらヴァレンシュタインがいかにも心配するような口調と表情で声をかけた。

父親たちの様子が変わった事に気付いたようだ。令嬢たちは不安そうに男たちの顔を見ている。そんな彼らを見ながら、ヴァレンシュタインはブラウンシュバイク公に笑顔で話しかけた。
「ブラウンシュバイク公、フロイラインとダンスをしたいのですが、お許しいただけますか?」
「!」

穏やかに発せられたヴァレンシュタインの言葉に周囲が緊張した。貴族達は顔面を強張らせてブラウンシュバイク公を見た。ブラウンシュバイク公も彼らの視線を感じているだろう。

しかし公は厳しい表情でヴァレンシュタインをじっと見ている。心配になったのだろう。ロイエンタール、ミッターマイヤー達が少しずつ、ゆっくりとだがこちらに近づいて来た。

「エリザベートと踊りたいというのか?」
「はい」

ヴァレンシュタインは穏やかな笑みを浮かべながらブラウンシュバイク公の視線を受け止めている。緊張など微塵も感じられない姿だ。それなのに空気が痛いほど緊迫している、耐え難いほどだ。

ヴァレンシュタインの背後に艦隊司令官達が集まった。皆厳しい表情をしている。貴族たちの表情は青褪める一方だ。ヴァレンシュタインはマントの襟元を直しながらブラウンシュバイク公に話しかけた。

「やはりお許しはいただけませんか」
「そうではない」

ブラウンシュバイク公は少し考えると部下と視線を合わせ微かに頷いた。部下たちも公に頷き返す。
「エリザベート、どうかな、元帥がお前にダンスを申し込んでいるが」

ブラウンシュバイク公の言葉にエリザベート・フォン・ブラウンシュバイクは少し頬を染めて
「喜んで」
と答えると、ヴァレンシュタインに向かって歩を進めた。


帝国暦 487年10月 4日   オーディン ブラウンシュバイク公爵邸 エリザベート・フォン・ブラウンシュバイク


ヴァレンシュタイン元帥とダンスを踊る。まさか本当に踊る事になると思わなかった。夢を見ているような気持ちだ。他の皆も艦隊司令官達と踊っている。私達が踊っているので、皆も許されたようだ。皆踊りたがっていたから喜んでいると思う。

親睦パーティが開かれる、ヴァレンシュタイン元帥がいらっしゃる、そう聞いたときは本当に嬉しかった。絶対に元帥と踊る、そう思ったのにお父様は駄目の一点張りで許してくれない。

代わりにローエングラム伯となら踊っても良いと言われたけど、正直余り嬉しくなかった。ローエングラム伯はとっても美男子で素敵だけれど、少し怖い感じがする。

女の子の中にはそんなところが素敵だって言う子もいるけど私はちょっと苦手。それに比べると元帥はいつも穏やかに微笑んでいて優しそう。全然軍人らしくない所がとっても素敵。

今日もまた素敵な所を発見。皆が元帥は怒ると怖いって言ってたけれど本当だった。さっき皆元帥の前で青くなっていたから。でもあれは皆が悪いと思う。元帥が怒るのは当たり前。シャンタウ星域の会戦の英雄をあんな風にひどく言うなんて信じられない。

「あの、先程は済みませんでした。せっかく来ていただいたのにあんな失礼な事を言うなんて……」
「全然気にしていませんよ、フロイライン」

元帥は柔らかい微笑を浮かべたまま答えてくれた。やっぱり素敵。
「フロイラインは私が怖くありませんか」
「いいえ、全然怖くありません。元帥はとても良い方だと思います」

私の言葉に元帥は軽く苦笑した。私はそんなに変なことを言ったのだろうか?
「私、元帥に御礼を言いたかったんです」
「御礼?」

元帥は不思議そうな表情で私を見た。やだ、かわいい。
「フレーゲル男爵のことです。元帥が助けてくださったと聞きました」
「……ご存知なのですか」

私は元帥の言葉に頷いた。
「本当に有難うございました。父はとても喜んでいました」
「……」
「父はフレーゲル男爵を息子のように思っていましたから」

元帥がターンに合わせて体を寄せてきた。
「そのことは余り言わないほうが良いでしょう。公に出来ることではありませんから」
囁くように言葉をかけてくる。思わず頬が熱くなった。元帥、お願いだから余り近づかないで。

「元帥、どうして私と踊りたいなどと言ったのですか? もしかして父を困らせようとなさったのですか?」
もしそうなら少し寂しい。父を困らせるためだなんて思いたくない。

元帥は微かに笑って私に答えてくれた。
「少しそれもありますね。でもアントンからフロイラインが私と踊りたがっていたと聞きました。それが大きいと思います」
「まあ」

「多分、これが最初で最後のダンスでしょうね。ブラウンシュバイク公も私達を呼ぶことは二度と無いでしょう」
「……」

「フロイラインと踊れてよかったと思います。貴女が私の想像よりずっと素敵な女性で良かった……」

元帥は少し寂しそうな表情で呟いた。元帥はずるい。私を困らせるような事ばかりする。もう直ぐダンスも終わりなのに、だんだん元帥が好きになる。どうしよう……。もう少し、もう少しだけ元帥と踊っていたい……。


 
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