或る皇国将校の回想録
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第四部五将家の戦争
閑話掌編 龍塞の猫
前書き
Twitterのお題で書いた物を手直しした掌編です
本当に短いのでご容赦くださいませ。
皇紀五百六十八年の八月に入ったころであった。坂東一之丞はその日、既に〈皇国〉が失った龍下国まで“体”を伸ばしていた。
天龍族の若頭領とも呼ばれる彼が安全な龍塞から〈帝国〉軍が勝鬨をあげ、占領下においた前線まで“散歩”に出たのは単なる気まぐれではない。
勿論、北領まで天を駆けた時から今に至る大きな流れの発端になったとはいえ自分が撃たれた事を忘れたわけでもない。むしろより戦争の実態を学んだからこその行動であった。
坂東をはじめとする天龍達は“導術”を使い会話をする。それを扱う“資質”を持った一部の人間、導術を敵視する拝石教徒達の〈帝国〉がどう扱うか、それを己が目で確かめる為であった。
坂東の予想以上に〈皇国〉の導術士達は手回しが良かった。驚くべきことに民草たちの生活に溶け込んでいた術士達の大半が戦火を浴びる前に消え去っていた。だが一部の不運な者達がどのように扱われているか。坂東にとっては不快であるが彼の考えを現実の物とするには十分であった。
であるが故に、坂東は〈帝国〉軍に遭遇せぬよう神経をとがらせ、導波の探知に神経を割いていた。それがこの奇妙な出会いを引き起こしたのだろう。「おや?」 坂東にとってはほんの十数日前まで慣れ親しんだ“波”であった。すなわち彼の友人が愛する剣牙虎の“波”である。
周囲に人間の“波”がない事を確かめ、坂東は荒れ果てた農村だった土地に尾を着け、はぐれた“猫”の尾を検める。切断跡はない、軍が飼っていたものではない。”彼女”の主は――不幸な同居“猫”を連れてゆく余裕もなく〈大協約〉の保護下にある龍岡にでも逃げたのだろう。
剣虎兵に煮え湯を飲まされている〈帝国〉軍が飼い主のいない剣牙虎をどう扱うか、彼は好意的に考える事はできなかった。さてそうなると捨ておくのも後味が悪い
そして、坂東は妹達の事を思い出した。三つにもならぬ妹が剣牙虎についてあれこれと聞きたがっていたことを。さてどうしたものか――
彼の知る剣牙虎らより一回り若々しい眼前で思考を巡らせる天龍の匂いを嗅ぎ、機嫌よく喉を鳴らすと、坂東の眼を見て「にゃあ」と鳴いた。坂東がまじまじと眼前の子猫を見つめるともう一度、彼女が鳴いた。坂東はその身を震わせて導波をあげて笑った。あまりにも何もかもをあまりに、しかつめらしく考え過ぎているような気分になった。
それから幾度か冬を越し、龍州がどうにかかつての平穏と喧騒を取り戻し始めた頃であった。一匹の剣牙虎を連れた天龍達が龍州のある町に姿を現し、商店を切り盛りする一家にその剣牙虎を「良い“行儀見習い”でした」と送り返したという奇妙な噂が龍州に広がり始めた
“天龍が愛した剣牙虎”――『白天』と名付けられた淑女は非常に行儀がよく、また龍にも人にも愛想よく振る舞い、幼子の機嫌を取ることすらもでき、挙句の果てには導術を解するほどであったなどとすら噂されていた。この珍奇な慶事は天龍の素性もあった為か執政府までこの件を好意的に取り上げ〈皇国〉全土に龍州復興を象徴するものとして喧伝されたのであった。
その翌年に訪れた天龍達が観光資源と化した剣牙虎と『白天饅頭』などといういつの間にやら平積みにされた銘菓をみて「なんとも人という物は」と笑うのはまた別の話である。
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