奈緒あふたーっス!!
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奈緒あふたーっス!!02
数分後、僕と歩未の二人は向かい合って食卓に座っている。
かつての僕達もこのようにして毎日歩未の手料理を食べていたらしいのだが、これもまた完全に記憶にないので、歩未に申し訳ないという気持ちと寂寥の思いが己の内側に馳せていくのを感じる。
「じゃじゃーん!アユ特製の秘伝のオムライスですよー。記憶を失う前の有宇お兄ちゃんの大好物だったので、お口に合うと思うのですぅ!」
腫れた目元をひきつらせて無理に笑顔を作る歩未の言葉は過去ではなく前を向いていた。
「では、ご堪能下され!」
両手をパッと広げる妹に穏やかな眼差しを向けると、少女は再び微かに瞳を湿らせる。
「いただきます」
「ハイなのですぅ!」
そのオムライスにはケチャップでメッセージが書かれている。
おかえりなさい!
そのメッセージの意味を今の自分なりに咀嚼して受け取り、オムライスの中腹にスプーンを突き立てて掬いとり口の中へと放る。
ふと何か懐かしい感じがした、といえばいいのだろうか。
内側に広がる卵の風味と、ホロリとほぐれる柔らかさ。
米は水分も適量でしつこくなく、食感を豊かにしてくれる。
だが最も僕の深いところに引っ掛かったのは、この甘い何かである。
僕は大好きだったらしいこのオムライスの記憶を失っていて、今も口内で何が起こっているのかさっぱり分からない。
それなのに…
「なんで…なんでこんなに満たされるの?これが懐かしいって感情なのかい…?分からない。分からないのに…なんでこんなに涙が止まらないのかな…」
その涙は頬を流れ、顎先からテーブルやオムライスに滴り落ちていく。
ふと何かが背中にあたる。
「やっぱり有宇お兄ちゃんは覚えてくれたんですね。たとえ記憶がなくても有宇お兄ちゃんはアユにとってどこまでも有宇お兄ちゃんなのです」
「あぁ…。あぁ」
後ろから僕を抱く歩未の体温を背中に感じ、嗚咽を漏らしながら何口も何口もオムライスを口へと運び、味わって食べたはずなのにあっという間に完食していた。
食べている間、歩未はずっと僕の背中を包んでくれていた。
「…くん…」
誰かが呼ぶ声がする。
「…有宇くん!!」
「どわーーーっ!!!」
「うぎゃああああああ!!!いきなり叫ぶな!!ビックリしただろーが!!」
「ご、ごめん!」
目の前に奈緒の顔があったことに驚いて叫び、それに驚いた奈緒が飛び退くといった漫画のようなワンシーンの後に奈緒は僕の顔を覗き込む。
「大丈夫ですか?」
「う、うん。少し前のことを思い出してただけだよ」
「そうですか。それなら良かったっス」
奈緒は心配そうに眉を垂れてさせていたが、やがて僕の言葉を素直に受け入れ笑顔に戻る。
「そんなことより、もう着いちゃいますよー」
「そんなに歩いてきたのか」
「有宇くんがボーッとしてるからですよ」
「だね」
今日は僕と奈緒の初デート。
なのだが、そこに奈緒の兄である一希が加わっている理由は、とある人物に会うという目的も含まれているからである。
そしてその人物とは…
「うおおおおおおお!!スッゲえええええ!!!マジもんじゃねぇっスかあああああ!!!!!!」
興奮する兄一希の視界の中にはただ一人の女性だけが映っていて、それ以外は己の世界から消えている。
と想像するに難くないほどの熱が彼から放出されている。
そしてその先にいるのは…
「ウィーッス。ZHI ENDのボーカル、Sara Shaneでーす」
その時バクン!!!という激しい音と共に心臓が揺れ動くのを感じた。
僕はこの人を知っている。
いや、勿論記憶には無いのだけれど感覚的に分かる。
澄んでいるのに重低音を響かせ、果てしなく遠い彼方まで届くような水平で孤独なこの人の声を僕は憶えている。
神経が激しく波打つ感覚がだんだん小さくなり、やがて血液は平常通りのトクン、トクンという脈を打つ程に冷静になる(精神統一の能力の助けもある)。
「あ、あの…あなたは…僕を知って…いますか?」
言葉通り喉から出そうな程に前傾姿勢になり、少しよろめきながら右腕を伸ばすが、彼女の胸元僅か数センチ前で空を切る。
酷く喉が渇いて息が切れる。
瞳孔を開いたままの僕を見て(彼女は目が見えなかったのだが、この時の僕はそれを知るはずもなく、お互いに目を合わせていると感じていた。)彼女は微笑んだ。
「あぁ。知ってるとも、なぁ兄弟(ブロ)」
彼女は僕の肩に腕を回すと耳許でその籠る声を音は小さく、しかしはっきりと響かせた。
「え…」
「ええ!?有宇くん、Saraさんとは知り合いだったのか!?」
僕の動揺している声を一希がかき消すほどの声量で叫ぶと、Saraはチロリと舌を出して僕と奈緒を一瞥してから続けた。
「いいや、アタシはただアタシらのバンドを好きな奴等はみんな顔馴染みって言いたかっただけさ」
「おお!!!じゃあ俺とも知り合いってことっスね!いやぁ超感動っス!!」
一希が騒ぎ立てる中でSaraは有宇の肩に腕を回しながら、また耳許で呟いた。
「ライブが終わったらアタシ
らの楽屋に来な。マネージャーには話を通しておくから」
「え?」
「ん?」
よく分からない僕とあまりよく聞き取れなかったらしく首を傾げる奈緒をその場に残し、その人は片手を振って振り向かずに歩いていった。
一時間程経った頃ライブが始まり、覚えているのはやたら一希のテンションが高かったことと、僕自身がこのバンドの曲を知らないようで凄く懐かしい奇妙な感覚を味わったということだ。
ライブ後
「さ、あんたの気になってること何でも聞きな。コイツぁサービスさ。なんでも答えてやるよ」
「えっと…何故会った記憶もないのに僕はあなたを覚えているのかが分からないんだ。あなたは僕が記憶を失う前の知り合いか何かなのかい?」
「はぁっ!?記憶を失っただと!!?」
「っ!?」
身を乗り出して僕の肩を掴むSaraと僕の間に奈緒が割って入る。
「ちょっ、落ち着いて下さい!確かに彼は現在記憶喪失でここ数ヵ月より前のことは一切覚えていません」
Saraは有宇から手を放すと頭を抱えながら悶えた。
「ジーザス!!こいつぁ何てこった!!アタシはソイツに関しては何もしてやれねえなぁ」
「ソイツに関しては…?あの、どういうことでしょうか?」
Sara言葉に引っ掛かりを感じたらしい奈緒がそれを拾う。
「あぁ、それはちょっと待ってくれよな。乙坂有宇くんだったか?」
「はい」
先程楽屋に入るときに告げた名前を確認するSaraは声のトーンを一つ下げて言う。
「まずさっきの有宇の質問に答えるなら、答えはノーでありイエスとも言えなくもない」
「は?それは一体どういう…」
「有宇はアタシを覚えていないのに、何故かアタシを感覚的に知っている。それは有宇がタイムリープ能力者、あるいはその人間に親い(ちかしい)存在だからなんじゃないのか?」
「「!?」」
「その反応はイエスとみた。違うか?」
不敵に右口角を吊り上げるSaraはこの上なくこの場に適した不気味な雰囲気を醸し出している。
「はい。彼は死んだ妹を救うためにタイムリープの能力を使って過去に戻り、それが成功して今に至っています」
「おお!あの妹を救えたのか!!!ソイツぁ是非とも会ってみたいぜ!!」
ガッツポーズをこちらに向けるSaraは自分のことのように心の底から喜んでくれる。
「でも、それをどうしてあなたが…」
Saraは奈緒の台詞に被せて言う。
「どうして能力すら持たない大人のアタシがそれを知っているのか…」
ゴクリと息を飲む二人。
「アタシは昔タイムリープ能力者だった…」
Saraの口から紡がれた言葉に、奈緒が身を乗り出す。
「!?それでも、もうその年齢なら能力を失ってるはずですから時空移動は出来ないはずじゃないですか」
「あー、違う違う。アタシはコイツを能力の後遺症だと考えているんだけどな。確かに能力は消えた…というか使えなくなっちまったんだけどな。だけどこの能力は一つ遺産を置いてったんだよ。それは時空移動の知覚さ」
サラリと呟かれた低音の言の葉に僕らの背中に冷たい何かが流れる。
「つまり、それは能力者がタイムリープした瞬間に気付き、自身は記憶を保持したまま活動出来るということなの?」
パチンと指を鳴らし、親指を突き立てこちらに人差し指を向ける彼女は風の吹き抜けるような細い息を一つしてから返答した。
「Cool ザッツライトだ。ZHI END 自体は同じ道を辿る分岐点は把握してるから問題なかったけどよぉ、毎回毎回結構苦労したぜぇ。誰かがタイムリープする度にアタシはZHI END の初まりのきっかけを作るために痛い思いをしなくちゃなんねぇんだからな」
僕はあまりよくは知らないが恐らくそれの誰かとは僕の兄さんのことなのだろう。
Saraにそれを伝えるべきか迷っていると、思考が一歩先に進んでいる奈緒が自らの緊張を解く意味も含めて口を開いた。
「あの、タイムリープ能力者は元々彼のお兄さんなんです」
「ん?それはどういうことだ?兄弟揃ってタイムリープの能力を持ったってのか?」
さすがのSaraも驚きを隠せずに目を見開くが、奈緒が首を横に振ってそれを否定する。
「いいえ。彼の能力は略奪。つまり、能力者から能力を奪い取ることが出来るんです」
「ソイツぁアメイジングだぜ!!ちなみに今はどんな能力持ってるんだ?少しでいいから見せてくれよ!」
有宇の顔面に向かって突っ込むように身を乗り出すSaraを再び奈緒が制し、再度首を横に振る。
「すみませんが、あまり話したくありません。えっと…それが彼が記憶を失っている原因なので」
奈緒の視線が右斜め下に落ちる。
「…奈緒だったか?アンタの声でよく伝わってきたよ。すまなかったな」
「いえ」
「いや、いいんだよ奈緒。この人には聞いてもらおうと思ってるんだけど、どうかな?」
「あなたがそう言うなら、私は構いませんが…大丈夫ですか?」
「ああ。今の僕には記憶がないって感覚すらよく分からないからね」
その言葉を聞いて引き下がる奈緒は俯き、その瞳は滲んで揺れていた。
「僕は…」
そう切り出すとSaraは穏やかな表情で僕を見つめる。
「僕は今、世界中の全ての能力者から奪った能力を持っている」
唖然とした表情をしたSaraが次の瞬間には飛びかかってくるのが目に入った。
「Oh my god!マジ…なのか?」
瞳が猫のように縦線になっているSaraの驚きように一歩引く僕に対し、奈緒は一歩進んで淡々と答える。
「マジっス。恐らくその何万もの能力が脳を圧迫して記憶が無くなってしまったのだと思います」
奈緒の言葉を受けたSaraが右手で顔の右半分を押さえながら「かぁーっ!そうだったのかぁ…」と叫んで項垂れる(うなだれる)。
この人のテンションには未だに慣れない。
「アタシが無神経過ぎたんだろうな。いらねぇことを聞いちまって悪かったな」
頭(こうべ)を垂れる彼女に僕は出来る限り不安が伝わらないよう、精神統一の能力をフル稼働する。
「いや、あなたに相談したいことがあるから、それに必要不可欠なのであなたは全く悪くない。だから頭を上げて?」
『有宇が記憶喪失から来る不安を隠してまで庇ってくれたこと、声色で分かってしまう。ありがとな』
テレパス能力により彼女の思考が僕の脳に注ぎ込まれていくのを感じた。
この人には例えどんな能力をもってしても敵わないな。と思った。
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