授業なんてどうでもいい、なくてもいい
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多田くんは意外と真面目らしい
次の日の朝、いつも通り10分前に教室に入ると多田くんが私の席にやってきた。まず、HR前に多田くんがいることに驚いた。受験生になって、ようやく意識の内に潜む遅刻魔を除去したのだろうか。それは素晴らしいことだ。そんなことを考えていると、多田くんが言った。
「三ツ橋、午後に俺の講義があるから受けとけよ」
なんのこっちゃ。私が黙っているのをどう受け取ったのか、多田くんは呆れた表情を作った。
「お前、何を想像してんの?あっちの講義じゃねえから。こっちの講義だから」
「どんだけ日本語ヘタクソなのよ。あっちもこっちもクソもないよ。ていうか、何も想像してないから」
ていうか、想像って何だ。
多田くんは「どうだか」と言ってから、ちゃんと説明した。
「土曜のバーベキューのために、前もって『脱マニュアル人間』の助言をしといてやる」
多田くんにしては真面目な話だ。私は若干の驚きに多田くんを見つめた。彼が「俺なんか変なこと言った?」と不満げな顔をした。私は素直に告げた。
「なんか多田くん真面目だなあ、って思っただけ」
「当たり前だろ。こっちは痴漢罪かかってんだ」
ああ、それが一番の理由か。態度には出さないが、意外とダメージとなっているらしい。
「それに、これはあくまで受験対策だからな。面倒だから1回で動機を作っておきたいんだよ。じゃ、そういうことでよろ」
ウェイ系特有のかけ声を残して、多田くんは教室を出て行った。バッグから教科書やノートを取り出して机に入れながら、私はふと思った。それは最初のときから水平に続き、答えが出る様子のない疑問。
果たして、これは単なる動機作りなのだろうか。
多田くんには何か目的があるのではないか。私はその線を濃いと思っている。ならば、その目的に私はどういう形で関わっているのだろうか。その目的は何を持って達成されるのか。私、多田くんの友達、クラス、バーベキュー。見えない。彼の真意が全く見えない。
意識の隙間にスッキリしないものを引っかけたまま、私は普段通りに授業を受けた。
結局、多田くんは教室に帰ってこなかった。当然、どの授業でも彼は欠席扱いだった。
*****
放課後の教室。最近はよく見慣れた光景となってきた。今までは学校に残るとしても図書室で自習をする程度で、それ以外は家に直行して勉強し、塾に行っていた。もちろん塾はサボっていないが、家に直行して勉強をする時間は多田くんとの関わりで潰さざるをえなかった。
多田くんは窓際の机に座り、校庭を眺めながら呟いた。
「いやー、頭いてえ」
このうえなくどうでもいい。そのセリフ、なくてもいい。しかし、会話のきっかけが思いつかないのでそれに乗っかっておく。
「頭痛持ち?」
「いや、違うけどさ。なんつーかもう、勉強じゃないのに疲れるって嫌だわ」
なんのことだか分からないが、多田くんは珍しく疲れているらしい。照原くん辺りの友達と授業をサボっておいて、他に何を疲れるんだろう。
多田くんは「ふっ」と息を吐いて机から降りた。そして私に目を合わせると、黒板の方に向かった。
教卓前に立つと、彼は回れ右をして私に振り返った。そして、大きな声で宣言した。
「講義をします!」
「張り切ってるね」
「そうでもしないと頭痛に負けちゃいそうで際どいマジで」
多田くんは白のチョークを手にして、カツカツと音を立てながら字を書いていった。箇条書きだ。意外と字が上手くて驚いた。前に友達から聞いた話を思い出す。勉強をしない人って、普段からあまり字を書かないから一字一字を丁寧に書くんだって。だから勉強してる人より字が上手いらしいよ――。
まさにその通りだった。
「よし、できた。三ツ橋これ写メって毎日1回読めばたぶん上手くいくよ。やったな!」
ふっと我に返って、私は黒板に書かれた文を見た。写真を撮る前に、一文ずつ目で追っていく。
『マニュアル人間攻略書!!
1. 自分の立ち位置を考える!周りのやつの動きを確認する!
2. 誰かに与えられた仕事をこなすんじゃない、自分に仕事を与えるんだ!
3. 周りが正しいわけじゃない!自分を信じてその役割を全うしろ!
4. 分からなかったら素直に誰かにヘルプミー!
5. 仕事が終わりそうだったら周りを見て、次の行動を模索しろ!
これができれば、三ツ橋はマニュアル人間を辞められるよ!(たぶん)』
気合いの入ったデカい文字で書かれたそれは、意外と本気のアドバイスだった。私は写真を撮るのを忘れて、一文一文を身に染み込ませるようにじっと見つめていた。
実のところ、図星だった。私が問題だと思っていることや他人に言われたことがそっくりそのまま書かれていた。それほどまでに、私は典型的なマニュアル人間と化していたわけだ。
人に何べんも質問するのは申し訳なく、かといって何をすればいいのか分からない。とりあえずテキパキ動いている人の合図待ちで、逆に片づけのときは黙々と作業を始める。片づけはすなわち終了だから、目指しているところが明確だから、誰にも聞かなくたって動ける。
特に、3は私の頭を揺さぶるくらいに響いた。心の中で何度も反芻した。そうだ。私は自分の行動にどんな間違いが含まれているかが不安で、他人の許可なしに動くのを恐れていた。間違ったら、連帯責任で他人に迷惑をかけることになるから。じゃあどうすればいいのよ。間違えずに動くにはどうすればいいのよ。その答えが、多田くんによってあっさりと浮かび上がった。
「おーい、どうした?炭酸の抜けたまずいサイダーみたいな顔になってんぞ」
そんな顔はしていない。私は顔に動揺を出さず、淡々とした調子で黒板の字を撮った。まさか、同じクラスの不良が私の脳内に渦巻く悪循環の腫瘍を消してくれるなんて思ってもみなかった。
私は素直にお礼を述べた。
「ありがとう。毎晩読んでから寝るよ」
「おう、ぜひそうしてくれ。いやあ、三ツ橋の素直な態度見るの久々だなあ」
「久々も何も、話すようになってからそんなに日は経ってないじゃん」
「そういうツンツンしたところが良いのかなあ、アイツは」
何を言っているんだろう。私が多田くんをまじまじと見ていると、彼は失敗したように「あっ」と漏らして固まった。私たちは互いに何も発さず、教室に広がる空白を噛み締めていた。
やがて、多田くんがポツリと言った。
「……アイツって、誰のこと?」
「知らないよ。ていうか、多田くんが言ったんじゃない」
「あー、たぶん三ツ橋の気のせい。彼氏欲しすぎて幻聴が聞こえたんだよ、たぶん。彼氏募集中ってやつだ、うん。あーっとそうだ。俺これからハトに餌やらねえといけないんだわ。駅前で待ってんだよ。んじゃ、しっかりマニュアル人間直せよじゃあなー」
口を開く隙を一切与えずに、多田先生は引きつった笑みを湛えながらダッシュで教室を出て行った。利害が一致しているだけの私たちなのに、どうして彼がとっとと退散するんだ。自己中にも程がある。まあ、テンパっているのは目に見えていたから深く責めるつもりはないけれど。あんなに嘘が下手なんじゃ、二股とかはできないだろうな、多田くんは。
一人残った私は、やはり隣席を見てしまった。『アイツ』は誰なんだろう。私はどう関係しているんだろう。多田くんはどんな人とも仲良く喋るから特定するのは難しい。でも、多田くんのあの言葉はいったい――。
目を閉じて、ふうと長い息を吐き出す。一人で悩んでも仕方ない。顔を上げた私はバッグを肩に提げて、毅然とした足取りで教室を後にした。
校舎を出て、放課後の陽が眩しく照りつける校庭を眺めた。野球部が真ん中で練習している。先輩が後輩のノックを指導している最中だった。その中に、私は桐山くんの姿を捉えた。彼は後輩を厳しく叱ったり、パシリにしたりするタイプではない。本人がそう言っていた。『俺は人に偉そうな顔をする前に、自分をしっかりしないといけないんだ』。真面目なんだなあ、と意外な一面に驚き、印象に残った。それは去年の5月、初めて話したときのことだった。
あれからもう少しで1年が経とうとする。クラスでの私と桐山くんは赤の他人以上友達未満をずっと延長したままで、数直線の数値が動く気配はない。どうすれば数値は友達より先の値を見い出すのだろう。答えは分かっているのに、頑張れる自分の姿が想像できない。
土曜日のバーベキュー。見えない『アイツ』と桐山くん。考えれば考えるほどに煮詰まっていく。私はもう一度だけ息を吐いて、校門に向かって歩き出した。今日はやけに暑い。
後書き
8話であるが故の週1投稿。時間稼ぎって大事です。
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