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或る皇国将校の回想録

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北領戦役
  第十九話 流し雛の奏上

 
前書き
新城直衛 皇主へ北領における軍状報告の奏上を行う

式部官 宮城の儀礼を取り仕切る老年の男性

駒城保胤 駒州公爵家長男にして陸軍中将である新城の義兄
     新城に奏上を依頼する。

駒城麗子 保胤と蓮乃の間に産まれた子供 かわうぃい

守原英康 かつての北領鎮台司令官 護州公爵・守原家当主の弟である陸軍大将
     守原家が権益を握る北領を奪還すべく総反攻を計画している

守原定康 守原家長男・英康の甥 陸軍少将

草浪道鉦 陸軍中佐、守原家陪臣の中でも随一の切れ者として通っている。 

 
皇紀五百六十八年 四月四日 午前第十刻 宮城内 謁見の間前
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 新城直衛


 〈皇国〉陸軍の礼装に身を包み謁見の間へと歩いていく新城直衛はあまりにも肌に合わない場所に辟易としていた。
 ――僕には、合わないな。
 礼装を着た義兄や豊久を思い出して自然とそう思った。
――義兄は扉の向こうに参列している。 豊久は――今頃はどうやって労役の手を抜くか腐心しているのだろう、本来収まりがつく筈なのは逆だろうに――
 苦笑を堪え切れずに唇を歪めて扉の前にたどり着く。
 そこには還暦に近い皇室式部官が二人の侍従武官を従えて待ち受けていた。式部官が探るように尋ねる。
「少佐、宜しいかな?」
 ――畜生、こういうのはアイツの役目だったのに、あの手紙の所為だ。あの野郎、無事に帰って来たら一杯やる前に殴らせてもらおうか。
 未だに肝が座らずに内心では、恨み言を零しながらも、新城は頷く。
 その様子を観察し、落胆した様子で式部官が口を開く。
「先に頂いた軍状報告の文面から受ける印象とは随分違いますな。
御国の最精鋭である第十一大隊の生え抜きと聞いておりました。余程の偉丈夫かと思っておりましたが」
 ――まぁ確かにそう取れる様に書いたのは僕だがそれにしても随分な言い方だ。

「ご期待に添えず申し訳ありません、式部官殿。もっとも、僕はそれを得意としているのだが。」
 新城の言葉に式部官は鼻白んだがすぐにそれを長年の経験で押さえ込むが、それを見逃さず、御付武官達はしてやった、と言いたげな微笑を浮かべた。
 軍の内では新城の評判は悪く、どの様に思われているかは想像に難くない。
だがそれ以上に同業者の団結意識が勝ったようだ。
 彼らが目礼をし、銀装飾を施された扉に向かう。
 式部官がその重厚な扉を厳かに開いた。

「駒州公御育預、〈皇国〉陸軍独立捜索剣虎兵第十一大隊大隊長、
〈皇国〉陸軍剣虎兵少佐兼〈皇国〉水軍名誉少佐・新城朝臣直衛殿。軍状報告御奏上の為、御入室!!」
 式部官が扉の様に重厚で厳格な声で告げた。

ふと思った。
 ――位階を持たない陸軍軍人が此処に呼ばれるのはこの指の動かし方まで形式詰めの式部官が勤めて以来初めてではないだろうか。
そんな事を考えながら謁見の間へと歩を進めた。


午前第十刻 宮城内 謁見の間
玉心ニ親シク接スル者 新城直衛


青檀に銀装飾を施した荘重な壁、奏上者の進むべき道を示す緑絨毯。
 ――皇家の求める有難味に満ち溢れた空間だ。
 新城ですらも建築芸術として感嘆を禁じ得ない程の場であった。
彼の視界には先導しようと前に歩む式部官が、そしてその左右には文武百官が立ち並んでいる。
 五将家の一角である安東家からは、東州公にして東州鎮台司令の安東光貞とその叔父にあたる兵部大臣、安東吉光が対面(文官の並ぶ左側)に居る。

 駒州公であり、新城の義父である、駒城篤胤大将、その嫡男であり、新城の義兄にあたる駒州鎮台司令官の駒城保胤中将が駒城家から。
 西原家からは西州公である西州鎮台司令官の西原信英大将が参列している。
宮野木家からは背州鎮台司令官の宮野木清麿中将が居る。
 そして守原家からは元北領鎮台司令の守原英康大将がいる。
守原家の次子であるが肝心の当主である長康が病に伏せており、実質的な当主はこの男だ。そして当主の息子である守原定康も参列している。
 そして五将家の分家筋や、陪臣格の者が左右、特に武官が並ぶ右側の大半を占めている。
軍監本部総長志倉久正大将は宮野木の分家筋であるし、転身支援の海上護衛の指揮を執っていた〈皇国〉水軍東海洋艦隊司令長官である浅木中将も同様だ。
将校の高等教育機関である帷幕院院長である西津忠信中将は西原家分家筋である。要職を占めている者は能力の優劣はあれど五将家とその分家筋であった。
近衛もそれは同様である、近衛総軍司令官の神沢中将も安東の分家であるし、禁士隊司令の栗原少将も西原家の分家筋にあたり、そして衆兵隊司令の実仁少将が並んでいる。
 数少ない例外は皇州都護鎮台司令の佐久間中将、龍州鎮台司令の須ケ川大将の二人である。この二人は要地の勢力争いと妥協の結果として五将家に仕えずに潰れかけていた旧諸将家から見繕われた人物だ。
武官たちの中で、衆民が名を連ねているのは水軍だけであった。水軍の軍令機関である統帥部総長の大咲大将、そして皇海艦隊司令長官である杉原中将がその筆頭である。
 そして左の文官達に関しては新城の知識はけして深いものではなく。精々が先日見知った弓月由房が内務省の高級官僚団と思しき列の中に居る事が判別できただけである。
だが、それでも最も玉座に近い所に座す者は新城も一瞬で理解する事ができた。
天龍――龍族利益代表である。

 新城は、自分の義理堅い友人の同族から視線を正面へ戻す。
緑絨毯の道を歩きだすと予想以上に深い絨毯の沈みこむ様な感触が切欠となったのか新城の背を汗が流れ落ちる いや、儀式を儀式らしくする、絨毯の外から響く式部官と皇主の無力な権威を浴する者に続く侍従武官達の足音故だろうか、彼らが歩むたびに音響が謁見の間に響き、それが逆に儀式の静謐で荘厳な空気を演出している。

 そして、遂に先導する式部官が立ち止まった。新城は式部官から三歩先へと歩み、玉座の前に立ち止まり――新城は唯一人で皇主とまみえた。
 飾りを一切つけていない軍礼装を纏う体は小柄だが全身から無形の威厳を発しており、無表情ながら優しげな印象を与える丸みを帯びた目が新城を見つめている。
 ――この状況を楽しんで、否、僕に興味を持っている。僕が何をするのか知っているのだろう。
 ――義兄上か、未だ一度も顔を合わせていない実仁親王か。何もかも打ち合わせ通りか。
あぁ、そうか、つまりこれは儀式なのだ。滅びかけのこの国で名目上の君主が生き延びる為の。ただ周囲への恨みを避ける為だけの儀式。
 ――さしずめ俺は人形といったところか。 皇家に掛かる厄を擦りつけて流される雛人形か畜生!どいつもこいつも自分以外の何もかもを叩き売りしている、ならば其奴らの値段は幾らだ?  お膳立てされたこの儀式は?  俺の値段は? その値段は誰が決める?
 自身の値段を決められない事が腹立たしい。

「少佐」
式部官が不審そうに囁くと考えこんでいた新城は儀式へと意識を戻し、半直角の礼をし、五寸数えて頭を上げる。
 皇主は軽く頷くと玉座に腰を沈めた。全ては滞りなく伝統と形式に沿ったものであった。
式部官は満足そうに頷くとまさに式部官に必要な荘重な声を張り上げた。
「新城直衛殿、軍状報告御奏上なされます!」
懐から奉書を取り出し、それを見て新城は唇を歪めた、
――手は震えていない。
それに僅かな安堵を感じ、虚栄と虚飾に彩られた軍状報告を淡々と読み上げる。
 余りにも酷いそれに自嘲すら感じながらもそれを止めることはない。何しろ自分が請け負った厄介事なのだから。



三月十三日 午後第二刻 駒城家下屋敷
駒城家 育預 新城直衛


 北領から生還した英雄の一人である新城直衛は――大いに困っていた。
初姫様――新城の義姉と義兄の娘――が膝の上で眠っているのだ。
もう半日近く遊び相手をしていた千早はぐったりとしている。
 ――剣牙虎を消耗させるとは、大した女傑だ。
「どうぞ」
扉をたたく音に答えると、駒城の家令が畏まった態度で新城に言伝を伝えようとするが
「失礼します、若殿が――」
新城の膝の上を見て言い淀む。駒城家次期当主の一粒種であるのだから無理もない。
「用件は?」
「はい、若殿が、お越し戴けると有難いとの仰せでございますが--」
 ――どうしたものか、起こすのもなんだろう。
「若殿にこの有様だから此方にお運び願いた「ちあや。」」
 初姫――駒城麗子が目を覚ました。
――どんな夢をみていたのやら、それにしても第一声が千早とは、余程気に入ったらしい。いやはや、大した姫様だ。

 家令と面を見合わせると互いに笑いが込み上げてくる。ひとしきり笑いが部屋に満ちた。
笑い声がおさまると新城は笑みを浮かべたまま伝言を変える。
「姫様と千早が一緒でも宜しいのなら直ぐにでも伺うと若殿様に伝えてくれ」

 家令が扉を開けると、龍州産の子犬が駆け寄ってきた、毛並みが良いおそらくは、義兄上の誕生祝いとして馬堂家から贈られたのだろうと新城はあたりをつける。
 龍州犬は猟犬として知られるが番犬も兼ねて、あの家では専門の使用人を雇い熱心に何匹も飼われている。成長すれば一間半にもなるが――。
「――――!!」
まだまだ、今は千早に全身を一舐めされる位に小さい。
「こら、そんなことでどうする。」
 苦笑して悲鳴を上げて部屋の隅へと逃げ出した子犬を叱りながら保胤は義弟を招き入れる。新城が椅子に座ると麗子を父の下に帰して差し上げる。

近寄った愛娘に保胤は、微笑んで頭を撫でる。抱き上げはしない、将家の父としてはこれでも破格の触れ合いであった。
麗子はよちよちと千早の方へと向かっていく、その様子を見て先程の子犬も近寄っていった。
それを辛抱強く受け入れる千早。
少々うんざりして見えるが気にしない様にしよう。

 その様子を二人で見ていると義兄が思い出したように口を開いた。
「あれに、雄猫を見つけてやらねばな」

「そうしたいのは山々ですが、好みが厳しいらしくて、一度は血みどろの喧嘩になりかけました」

「主人と似て始末におえない、か」
 珍しく人の悪い笑みを浮かべる義兄に新城は肩をすくめてこたえる。
「不徳の致すところで」

 ――主人の場合は幼年学校では同じ班の友人が、それ以降は豊久が面倒を見てくれていた。願わくばまた面倒を見てくれればとおもっている、全く我ながら不徳極まりない輩だ。
 しばらく世間話を続けていると家令が黒茶を持ってきた。
 その黒茶を黙って飲みながら保胤は何やら逡順している。
「――お前に良い知らせがある」
決心がついたのか、口火を切った。
「何でしょうか?」
「馬堂の世継、彼が俘虜となっている事が確認出来た」
「それは――」
「確かだ、官僚が来月には確認に出向く。豊守は自分から行きたがっていたがね、流石に将官を送るのは面倒にすぎる」
 新城の口安堵の息がもれる。
――何はともあれ無事を素直に喜ぼう。その程度の人情は俺にもある。
「お前にも素直に喜ぶ事があったか。」
 保胤は他人事の様に言っているが本人も嬉しそうに言っている。
「彼は、将校としてどうだった?」
 義兄が陸軍中将の顔で尋ねる。
「そうですね。慎重過ぎるきらいがありますが、まず間違いを犯しません。
優秀な幕僚と十分な時間さえあれば連隊位は上手く扱えるでしょう。」
 ――奴ならば幕僚を執拗に吟味して文句を言いながらも問題なく動かすだろう。北領での実績があれば部下たちが服従するには十分であるだろう。
「そうか」
 満足そうに頷くと、意を決したのか細巻を取り出し、新城に勧める。
火を点け、新城も旨そうに紫煙を燻らせる。
――やはり上物だ。
「それで、義兄上。僕に何かやらせたい事があるのでしょう?仰ってください」
「やはり解るか」
 ばつの悪そうな顔をする保胤に新城は首肯する。
「えぇ、何か面倒な事でしょう?
生きるか死ぬかと云う事なら幾ら何でも考えますが、そうでないならばやりますよ」
「全く、お前は妙な所だけ正直だ」
 嬉しさ半分呆れ半分といった様子で保胤は細巻の灰を落とす。
「一命を賭してなどとは、僕にはとても言えません。
やはり僕は根っからの将家ではありませんからね。
それに、命というやつは、うまく使えば長持ちします。それについて、随分と勉強しました」
 ――その逆は物心ついた時には、既に知っていた様にも思う。
「そうだろうな、私よりも遥かに詳しいだろう。」
 そう答える保胤は、痛切な何かを堪える様な顔をしていた。
「だからこそ、お前を幼年学校に、軍に入れる事は反対だった」
「確かに、あの時、義兄上は反対なさった。
嬉しかったですよ。僕の事を真剣に考えてくれた人は、それこそ両の指で数えられる位しか居ませんから」
 一緒に大殿の書斎で本を読みあさっていた豊久は話を聞くだけであった。それが彼なりの真摯さだった事は新城も理解している。
 その後、家臣団の大半が反対に回っても馬堂豊長は沈黙し、主家の判断に口を挟むつもりは無い、と言うだけだった。つまりはそう言う事だったのだろう。
「お前は人前では滅多に口を開かなかった。
私には軍人向きとは思えなかった、それにお前は面倒事を背負い込む質だからな」
 嘆息し、義弟の現状に目をやり、言葉を継ぐ。
「見事に騙されたよ。此処までの戦上手とは思わなかった。
だが面倒を背負い込む質というのは当たったな。
何しろ私まで面倒を背負わせようとしているのだから」
 自嘲するように言葉を吐き捨てる。
「お気になさらずに、義兄上。」
 新城が大声で答える。保胤は、新城がほぼ唯一と行っていい素直に人柄を慕っている人物である。
「それで義兄上の仰る面倒とは?」
 声を戻して本題に入る。
「北領での大敗に――いや、お前達の大隊にとってはまごうことなき勝利だが
その軍状報告を皇主陛下に奏上してもらう。」
 申し訳なさそうに次期駒州公が言った。
「待ってください。それは北領鎮台司令官であった守原大将の役目でしょう?
よしんば大隊長が行うにしても、豊久が――大隊長が生きている事が分かっているのならば」
 理由は察しがつく、だがそれならば尚、あいつの役目の筈だ。
「馬堂豊久少佐は未だ生死不明だ。
少なくとも明日、お前が正式に奏上を行う事を取り決めるまでは、な。
 ――お前でなくてはならないのだ」
 義兄の顔に浮かぶ苦渋の色が深まっているのを見て、新城の臓腑に苦いものが満ちてゆく。
「陸軍内では夏季総反攻論が主流を占めつつある。
軍監本部でどうにか押さえ込もうとしているが鎮台からの突き上げが厳しい。」
 矢張り――そうか。
「信じられない、と言えれば幸せなのでしょうが」
「理由は分かるか」

「えぇ、義兄上や豊久に他の将家と言う者を懇切丁寧に教えていただきましたから。
特に能力が伴った参謀将校の厄介さは」
 平時における軍後方は陰惨な戦場である。
「――だからこそ、馬堂少佐が適任なのだろうが、まぁ兎にも角にもそういう事だ」
 嫌そうな顔のまま言葉を切った。
「要するに、陛下に奏上仕まつる際に総反攻とその不愉快な首謀者について何か述べれば宜しいのですね?」
「そうだ」
 ――成程、だから豊久では駄目か。
「将家に、とりわけ守原には恨まれます。
駒城とは無関係、僕の独断での行動ですか?」
「あぁ、そういう事になる。」
 義兄が、悲痛な表情で頷いた。

「馬堂家は強い。 ならば育預を、ですか?」
 駒城家が持つ五将家随一の財力を支えているのは代々の馬堂家であった。
少なくとも畜産業の振興に大きく関わって居たのは確かであり、そこから様々な産業振興を行うべく働きかけていたのも馬堂家の派閥だ。そして馬堂豊長・豊守は官界だけではなく、軍需を通して財界や衆民院でも独自に親駒城勢力を作り上げている。 軍という枠組みから出れば家臣団筆頭格である益満家よりも世俗への影響力は強い。
「頼む! 皆まで口に出させないでくれ!私は――自分が情けなくなる。」
 苦渋に歪んでいた顔がさらに歪んでいた。
 ――余程苦痛なのだろう。
「申し訳ありません。」
 そっと目を逸らし、千早達と戯れる初姫に目を向けて笑みを浮かべる。
「そうなると、僕はどうなるのですか? 駒州の後備ですか?」
 ――軍に再編するのなら直ぐに戻るかもしれない。剣虎兵予備士官はかなり手薄の筈だ。
「駄目だ。奏上が駒城と無関係である以上、露骨に庇う事は出来ない。
駒州鎮台の中でも口さがない者はいる」
 育預、詰まる所それに尽きる。――少なくとも明確な理由を求めるのならば。
「それでは何処に?」
「陸軍には置けない、近衛だ。」
 陸軍ではなく近衛、つまり――。
「となると、衆兵ですか。」
 よりにもよって近衛衆兵か。 畜生、口出しする阿呆がいるせいで。
 大方、佐脇か河田が急先鋒だろう。
 畜生、どちらも餓鬼の頃からろくな事をしない。
――見ていろ、その内必ず、絶対に――。
「あまり考えるな。」
 義兄の声で目を上げる。
「何かを考えている時、いつもお前の顔に陰が出る。
まぁ常の仏頂面も見栄えは良くないが。」
 ――こうして心配そうに見られるのはいつまでたっても慣れないものだ。
新城を外見通りに見ているような人間なら腰を抜かすような事を内心思いながら、新城は素直に首肯し、頬の筋肉を意識して緩める。
「気をつけます」
 ――失敗したな、どうにも子供の頃から可愛がられた相手には気が緩む。
「少なくとも、実仁殿下はお前の事を心配していた。せいぜい上手く後楯になってもらえ。
いいか、けして生意気な態度をとるなよ」
 ――親王殿下、か。信用できるのか出来ないのか。少なくとも当面は味方であると有難いが。
「義兄上の御言葉とあれば」
首肯すると保胤は微笑しながら叱責する。
「それを生意気と言うのだ。」
 温かい叱責の言葉だった。あぁやはりそうだ。
「僕の後楯は義兄上と義姉上だけですよ。」
 麗子がちょこちょこと歩みよってきたのを抱き上げる。
「これからも、せいぜい甘えさせて貰います。」
 あやしながら本音を伝える。
「及ばずながら、力になろう。」
 僅かなりとも罪悪感を打ち消せたのか保胤が嬉しそうな声を出す。


 ――そう、危険を呼び寄せる奏上、そして〈皇国〉の最弱軍への転属。俺はこの面倒事を自ら背負い込んだのだ――


「――なれど敵騎兵の追撃を察知す。
前任大隊長これに対し、旺盛なる戦意をもって僅か百名の将兵を直率し遅滞戦闘に当たる。
小官、前大隊長の命を受け、残存部隊の指揮を代行し転進に成功す。
独立捜索剣虎兵第十一大隊はこの時をもって北領における戦闘を終結せり。
この戦における大隊の戦死者は約八百名、これ、大隊の定員に届く数なり。」

 回想に浸りながらも新城は自身が書いた事を最後まで読み上げていた。
 ――全く酷い文章だ。事実を歪曲し、誰も彼もが立派に軍務を果たした事にしてある。
いや、少なくとも兵に関する限りは真実であるが。
 ――自国を焦土と化した事も伏せて美辞麗句で飾り立てている、愛国心など欠片も持ち合わせていない僕がただ同情を引く為に――最低の喜劇だ。

だが新城は自身がどう思っていようと、この喜劇はまだ閉幕は出来ない。
式部官が予定通りに儀式を進行させようと此方に体を向けるがそれを無視して白紙の部分に目を向ける。
 今、新城を止められるのは皇主だけだった、実仁達が描き、保胤が承諾した第二幕が始まる。
新城は無意識に息を深く吸い込んだ。
  ――これからが本番だ。これを終わらせ、自分がどうなるのかは分らない。
 しかし今の新城は自身の選択がいかような結末を導こうとも続けるしか無かった。



同日 午前第十二刻 守原家 上屋敷 喫煙室
守原家陪臣 草浪道鉦中佐

 宮城より上屋敷へと共に戻った守原定康の機嫌は最悪だった。
彼に付き従って居る個人副官――宵待松美中尉相当官がどうにか宥めようとしているのを横目で見ながらも、草浪道鉦陸軍中佐は無表情ながらも内心では安堵していた。
 彼自身は守原家に連なる陪臣として総反攻計画に携わっていたが内心ではまったく同意していなかった。
 ――これで、総反攻は潰された、と考えて良いだろう。自分を含め、守原派の中でも不安視する者が居たのだ、先を見通せばどれ程無謀なものか、誰だって分かる。
 だが、草浪の考えと裏腹に守原を継ぐ筈の護州公子は先程から生まれてから一度も戦塵に晒した事の無い秀麗な顔を怒りに歪めている。
「何が北領の失陥は執政府と上級司令部の無能による、だ!!
たかが百姓上がりの家の養子風情が!!」
――随分な怒りようだ。あの男のように副官をいたぶる趣味がないだけましだ。
草浪の溜息に応えるように扉が開き、守原英康が入って来た。そして、それに個人副官が付き従っている。
「何なのだ、あの男は」
 彼もまた憤懣やる方無いといった様子で椅子に腰掛ける。
「新城――ですか?」
 草浪は自分でも分かり切った事を聞く、その口調は忠臣のもの、と言うには些か無感情なものであった。草浪道鉦中佐はこの二人に好んで仕えているのではなく、元々は五将家が主権を握る間際に守原へ臣従した弱小将家の主であり。現当主である道鉦自身も長康様に引き立てられたものであり、この二人とは職務上以上の付き合いは殆どない。
草浪道鉦が忠義を感じるのは守原長康が当主である守原家であり。この二人はあくまでも守原長康の代理、それも極めて不愉快な、と草浪道鉦は捉えていた。
「他に誰がいるのだ。奴の巫山戯た奏上で守原家は侮辱された。
復仇の機会であった総反攻もこれではどうなるか分からん」
守原英康が裏で抱え込んでいる危機感は単なる名誉の復仇ではなかった、北領の権益を失った今、戦時に耐える経済力を失い、遠からず守原も安東の様に経済危機を迎えるだろう。
総反攻を起こしたらその前に家が物理的に崩壊した可能性が高いが良くも悪くも守原英康は行動的な人間であった。
「あの男には、色々ありますから」
 そう云いながらも草浪は内心苦笑する。
――色々、か。便利な言葉だ。
それは単なる怠惰とは言えなかった、確かに一つ一つ並べたてるには新城直衛は面倒が多過ぎる。過去は勿論、交友関係まで面倒に満ちている。

「そんな事は誰でも知っている。」
 少し肩透かしをくらった様子で定康少将が話す。新城直衛の(推定)年齢と同じ28歳であるが、つい先月少将に昇進している。
つい二月前まで中尉だった男との差は――。
「奴は育預、つまりはただの衆民だ。産まれからして、我々とは違う。
駒城は良馬の産地を抑えただけの百姓上がりだ。
フン、あの家では拾った汚い餓鬼でも有難がるのだろう」
 侮蔑するように定康が吐き捨てる。

「その百姓に! 拾われた輩に!
我々は!守原は!してやられたのだ!」
 英康大将が机に拳を叩きつけた。音を立てて、名匠の造り上げた茶碗が割れる。
「大体、何故あの育預なのだ?
あの家の子飼いの輩があの大隊の指揮官だった筈だ。
それに伯父上を公然と侮辱する奏上をあの式部官が認める筈がない。」
 頭が冷えたのか、定康准将が冷静に疑問を挟む。

「それについてですが。」
 草浪は淡々と報告を行うべく口を開いた。
「何だ、道鉦?」
 英康が発言を促す。
「私が調べた所、あの軍状報告は後半に白紙がありました。
恐らく新城少佐は白紙を読んだのです」
 反射するように定康准将が命ずる。
「ならば奏書を手に入れろ。白紙を読み上げる等、認められるか!」
「それも不可能です。実仁殿下が御自ら奏書を“後学の為に預かりたい。”と受け取られたそうです」

「実仁殿下だと! そうか!そういう事、か。」
英康大将が呻く。

「はい、駒城保胤中将は実仁殿下と幼年学校の同期です。
駒城家が殿下と協力関係にあるのでしょう。それならば、新城少佐を使って総反攻を潰した後は、彼を殿下の下に逃す可能性があります。」
 内心、草浪も舌を巻いていた。
――上手い手だ、流石の守原も近衛衆兵への影響力は弱い。もっとも持つ必要が無かったからでもあるが。
「陸軍が危険ならば近衛衆兵、こそこそと衆民らしく弱兵の巣穴に隠れるのか」
 定康准将が鼻で笑うが、何か考えついたのか、一瞬、悟性の光を瞳に閃かせ、草浪へ顔を向けた。
「道鉦。駒城の子飼いの大隊長はまだ帝国の手にあるのだな?」
 予想外に力強いその視線を受けた草浪は狼狽を抑えながら常のとおりに淡々とした口調を意識して答えた。
「――はい、内地に戻るまでは後半月から一月程あるようです」
 それを聞いた守原定康は会心の笑みを浮かべる。
「ならば我々のする事は決まった」
 ――我々、か。
守原英康の足下に屈み込み、割れた茶碗を拾う個人副官と目があった草浪は――自分もその存在を無視していた事に気がつき、なんとも厭な気分になった。
 
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