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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百十一話 シャンタウ星域の会戦 (その3)

宇宙暦796年8月19日  2:00 イゼルローン要塞 ドワイト・グリーンヒル


スクリーンには後背から襲われ崩れ立つ左翼部隊と次々と爆発する同盟軍艦艇が映っている。早すぎる。帝国軍の別働隊が来るのはもっと後のはずだ。フェザーンに騙されたのか?

総司令部は凍りついたような沈黙に包まれている。誰も顔を合わせようとはしない。皆この現実を認めたくないのだろう。私が視線を向けると、皆顔を背けるようにして視線を外す。馬鹿どもが! これがお前たちのやったことの結末だ。どう後始末をつけるのだ。

「嘘だ……」
呟くように言葉を出したのはドーソン司令長官だった。椅子に座ったまま口をだらしなく開け呆然とスクリーンを見ている。どうしてこの男が総司令官なのだ? これならロボス大将の方がはるかにましだった。

「総司令官閣下、撤退命令を出してください」
「撤退……」

総司令官は呆けた様な口調で“撤退”と呟いた。その後ようやく正気づいたのか、誰かを探すように室内を見渡す。誰を探しているのかは想像がつく。自分で判断も出来ないのか、馬鹿が……。

「フォーク准将、准将は何処に行った?」
総司令官が探すフォーク准将は総司令官の前にいる。 背中を向けてスクリーンを見ているのがそうだ。それすらも分らなくなっている。

情けなさを押し殺して撤退の許可を願った。
「閣下、撤退命令を出してください。このままでは九個艦隊残らず全滅します。撤退させてください!」
出来るだけ落ち着いて話すつもりだったが最後は叱りつける様な口調になった。

「駄目だ、撤退など許さない。帝国軍を倒すのだ。右翼はどうした、なぜ右翼は敵を打ち破らない。左翼が攻撃に掛かれないではないか。何故右翼は敵を攻撃しないのだ!」

現実無視のあまりの発言に皆がその男を見た、フォーク准将……。私に答えたのは総司令官ではなく、フォーク准将だった。

「別働隊など居ない! ヴァレンシュタインがこんな所に居るわけは無いのだ! 右翼は何故敵を攻撃しないのだ! 私を馬鹿にしているのか!」

「フォーク准将、いい加減にしたまえ! 我が軍の左翼は既に壊滅状態だ。貴官の言う左翼部隊など何処にも無い!」
私が叱り付けると、フォーク准将は体を反転させて私を見た。両目が焦点を失い、顔面が蒼白に成っている。

「嘘だ、有り得ない、こんなの嘘だ、中将が、総参謀長が、あ、あ、ひぃー、ひぃー」
うわ言の様に言葉を呟くと突然顔を両手で覆って悲鳴を上げながら座り込んだ。

余りの異様さに皆怯えたように顔を見合わせた。静まり返った部屋の中にフォーク准将の悲鳴だけが流れる。しばらくの間、彼の悲鳴だけが聞こえた。

「総参謀長、部隊を撤退させてくれ」
消え入りそうな声でドーソン司令長官が撤退を許可した。椅子から立ち上がり、顔を背けるように歩き出す。

「閣下、どちらに行かれるのです?」
「わ、私は、部屋で休む、後は総参謀長に頼む」
こちらを見ることも無く背を丸めて逃げるような姿に思わず怒声が出た。

「それでも総司令官ですか! 総司令官なら最後まで兵に対する責任を果たしてください! 誰が彼らを死地に追い込んだのです!」
ドーソン総司令官は私の怒声から逃げるように部屋を出て行った。

部屋を見渡すと他にも逃げ出したそうな顔をしている人間がいる。いつからこの国は無責任な人間の集まる国になった?
「遠征軍に撤退命令をだせ!」
怒りの所為だろう。思わず声がきつくなった。私の命令とともに固まっていた参謀たちが動き出す。

しばらくして部屋に入ってきた人間がいた。後方主任参謀、アレックス・キャゼルヌ少将だ、部下を連れている。彼はシトレ元帥の副官だった事、ヤン中将と親しい事もあって総司令部の中でも冷遇されていた。

後方支援任務用に部屋を貰い仕事をしていたが、何のことは無い、総司令部へ出来るだけ居るなと言われたようなものだった。もっとも本人はまるで気にしていなかったが。

「総参謀長、遠征軍が酷い状況になっていると聞きましたが?」
「見ての通りだ」
「これは!」

キャゼルヌ少将はスクリーンを見て一瞬唖然としたが、気を取り直して問いかけてきた。
「総参謀長、撤退命令は?」
「先程出した」

「それは補給部隊にもですか?」
「いや、そちらには未だ出していない。ボーデンに居るのだったな」
「?」

キャゼルヌは訝しげな表情でこちらを見る。まさか……。
「違うのか、私はボーデンに居ると思ったのだが」
確かシャンタウ星域の安全を確保してから動くはずだ。

キャゼルヌの顔に憐憫とも言える表情が浮かんだ。どうやら私は総司令部の中で情報一つまともに与えられなかったようだ。

「四日前にボーデンを出ています。後二日もすれば補給部隊はヴィーレンシュタイン星域に到達します」
「馬鹿な」

シャンタウ星域からヴィーレンシュタインは五日もあれば着く。帝国軍が勢いに乗って攻めてくれば補給部隊はあっという間に拿捕されてしまう。何故そんな急ぐ必要があったのだ。

「護衛艦はつけて有るのか」
「三十隻ほどつけてあります」
「三十隻?」

「小官も足りないと言いました。しかし」
そう言うとキャゼルヌは蹲ったままのフォークを見下ろした。私も思わず彼と同じものを見る。

フォークはキャゼルヌが連れてきた壮年の男に診察を受けている。どうやらキャゼルヌの部下ではなく、軍医だったようだ。たまたま一緒になったのか……。

私達の視線を感じたのだろう軍医が立ち上がって名乗った。ヤマムラ軍医少佐、彼の言う所ではフォーク准将は転換性ヒステリーによる神経性盲目なのだという。

わがまま一杯に育って自我が異常拡大した幼児に見られる症状らしい。冗談だと思ったが、ヤマムラ軍医少佐は大真面目だった。同盟の作戦参謀が小児性ヒステリーとは……。

ヴァレンシュタインが知ったらどうするだろう。多分信じないだろう、私は目の前で見ても未だ信じられない。こんな馬鹿げた事が本当に有るのか?

もうたくさんだった。小児性ヒステリーの参謀と無責任な総司令官、それに支持率向上を狙う無責任な政治家、こいつらが三千万将兵を死地に追いやろうとしている。直ちに撤退させなければならない……。


宇宙暦796年8月19日   2:30 第十三艦隊旗艦ヒューベリオン ヤン・ウェンリー


総司令部から撤退命令が届いたのは味方の左翼がいいかげん叩きのめされた後だった。撤退命令も“左翼に構わず撤退しろ”と言う物で左翼が全滅するのを前提とした命令だった。無残な事になった。左翼が全滅すればその後は我々の番になる。その前に撤退しなければならない。

退却するにしても第十三艦隊だけでは無理だ。どうしても第五、第十、第十二の力が要る。四個艦隊が一つになって撤退しなければならない。ばらばらに撤退すれば敵に追撃を受け悲惨な結果になるだろう。

「第二艦隊、旗艦パトロクロス、爆発しました」
オペレータの声が艦橋に流れる。パエッタ中将が戦死した。第二艦隊は統一した指揮はもう執れないだろう、後は敵の思うままだ……。

ビュコック提督との間に通信を開いた。スクリーンに映るビュコック提督の顔には疲労が強く出ている。
「ビュコック提督、撤退の指揮をお願いします」
「それは良いがどうやって撤退する? 容易に退かせてくれる相手ではないが」

「四個艦隊で敵を押し込みましょう」
「押し込む? 突破を目指すのか?」
「そうです。それが出来れば左翼部隊も救えます」


帝国暦 487年8月19日  3:00 帝国軍 クレメンツ艦隊旗艦ビフレスト アルベルト・クレメンツ


「敵、前進してきます!」
「なに!」
「正面だけではありません! 敵の右翼全面攻勢に出ました!」
「馬鹿な、この期に及んで何を考えている」

オペレータの悲鳴のような声と共に敵が攻勢をかけてきた。第五艦隊だけではない、敵の右翼全てが攻勢をかけてきた。すさまじい勢いだ。撤退前の牽制の攻撃ではない。

こちらを潰してから撤退しようとしている、いや、突破して味方の後背を衝こうとでも考えているのか。まだ勝つ気でいるのか。

ここはミュラー、メルカッツ提督と共に敵の攻勢を支える。此処を耐えれば味方の勝ちだ。もう直ぐ敵の後背にヴァレンシュタイン司令長官率いる別働隊が来るはずだ。そうなれば今攻勢をかけている敵も崩れざるを得ない。

一時間ほど敵の攻勢が続いた後、前面の第五艦隊の攻勢が僅かに衰えた。息切れか、或いはこれ以上此処にいることが不安になったか、どちらにしても反転攻勢をかける時だ。

「敵は攻勢の限界に達した。反撃に出る。全艦攻撃せよ!」
俺の号令に艦隊は整然と反撃を開始した。第五艦隊は僅かずつ後退する。それにつられるように味方は前進した。

何度か小競り合いのような一進一退があった後、崩れるかのように敵が後退を始めた。一瞬で敵との距離が開く。味方は引きずられるように前進し始めた。

「全艦に命令、前進を止めろ、両翼を見ろ、包囲されるぞ」
俺の命令に、オペレータ達が慌てて艦隊に命令を伝えている。それと共に艦隊の前進速度が落ちた。

敵の第五、第十艦隊は後退しているが、第十二、第十三艦隊は攻め込んだままの状態を維持している。敵は凹陣を形成している。今第五艦隊を追えば第五艦隊に頭を抑えられ、第十二艦隊に横腹を突かれるだろう。

メルカッツ提督の艦隊も動けずにいる。おそらくは撤退するための陣形に違いない。しかしこれだけの敵だ、うかつに入り込めば袋叩きにされるだろう。突破できればいいが、先ず無理な話だ。

敵は徐々に後退していく。ミュラー、ロイエンタール、ミッターマイヤーの艦隊が敵の両翼に攻撃をかけるが、敵は崩れることなく、整然と後退していく。このままか、このまま逃がしてしまうのか……。



宇宙暦796年8月19日   4:00 第五艦隊旗艦リオ・グランデ アレクサンドル・ビュコック


今のところ撤退行動は上手く行きつつある。敵の中央は追ってこられずにいるようじゃ。敵を全力で押し、こちらの力を見せつけた後で凹陣を敷いて撤退する。もちろん突破できればそれに越した事は無いが先ず無理じゃろう。

ある程度距離を稼いだら急速後退し、方向を変え別働隊の後ろを衝く。あるいはその動きを見せる。上手く行けば左翼部隊を少しじゃが助ける事が出来るはずじゃ。当然追撃は厳しいものになるじゃろうが、全滅するよりはましじゃ。

「閣下! 左方向に新たな敵です! 第十二艦隊に向かっています!」
「なんじゃと!」

オペレータの声に慌てて戦術コンピュータの擬似戦場モデル、そしてスクリーンを見た。そこには黒一色の艦隊が猛然と第十二艦隊目指して突き進んで来る姿がある。艦橋が凍りついた。

「ボロディン……」
思わず、呻く様な声が出た。それと時を同じくして敵が攻撃を仕掛けてくる。火球が第十二艦隊を襲い、艦列が崩れる。凹陣が崩れた、次に来るものは……。一瞬だけ眼をきつく閉じた。

「前面の敵、攻撃をかけてきます!」
オペレータが悲鳴のような声を上げる。やはり来たか……。第十二艦隊の乱れを見た前面の敵が攻勢をかけてくる。ようやく死線を脱したかと思ったが、まだ死神からは逃げられんようじゃ……。






 
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