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八神家の養父切嗣

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五十四話:全て遠き―――


 まさに雌雄を決しようとしていたところで相手の自害。なのはは硬直したまま何が起きたのか分からずに呆然と立ち尽くす。それは自害した本人も同じらしく声も出すことが出来ずに自らの胸を見下ろしていた。

【あははははは! くふふふふッ! どうかね? 悲願成就を目前にして自ら命を絶つという気持ちは?】
「……馬鹿な…スカリエッティ(・・・・・・)…だと?」

 顔は映し出されないもののその声はスカリエッティのものに違いがない。何よりも歪みきり狂った笑いはあの男以外に出せるものではない。だが、男は自らを殺した者の正体を知ってもなお理解できないでいた。なぜ自分はこうして裏切られたのかと。

【その通り。今はまだ姿をお見せすることができないのが心苦しいが確かに君達が“世界平和”の為に生み出した無限の欲望(アンリミテッド・デザイヤ)だよ】
「なぜ……お前が…? 世界平和を…成すのだ…と……」
【なに、私をここまで育ててくれたお礼さ。願いを手にする直前に自らが生み出した“()”によってその身を終わらす。人の生を超えた時を生きた正義の味方(・・・・・)の最後にはこれ以上ないものではないかい? くくくく】

 どういった理屈か切嗣に殺されたスカリエッティは生きている。どこまでも快楽的な悪に身を染めながらその生を謳歌している。なのはと男は彼が殺されたことなど知らないがそのおぞましさだけは肌で感じ取っていた。特に男の方は今になってようやく悟っていた。自分達はとんでもない―――化け物を生み出してしまったのだと。

「……他の二人は…私の友は……どうなった?」
【おや? それを私に言わせるかい? 一言だけ言わせてもらうと―――惨めな死に様だったよ】

 顔は見えないというのにこの上なく嬉々とした表情が思い浮かぶ。残る二人は既にスカリエッティ側に始末された。その過去の業績に見合わぬ呆気なさで。誰もが羨む栄誉も何もなく。ただただ、死は平等に誰にでも訪れるのだと教えるように殺された。

 その言葉になのはは相手を知らないなりにも怒りを見せ声だけが聞こえる宙を睨み付ける。だが、その反対に男は取り乱した様子もなく、ただ受け入れるように目を瞑り、足を引きずって聖杯のもとへ歩いていく。それはさながら砂漠で旅人が水を求めて歩くかのように。

「まだ…だ。私が…いる…世界を平和に……愛で満ちた…誰も……泣かない…世界を…!」

 即死でもおかしくない傷を負っているというのに男は歩き続ける。その全てをかけて追い求めた夢がすぐそこにあるのだ。例え死神であろうと彼の歩みを止めることはできない。その狂ったような執念に流石のなのはもただ見送ることしかできなかった。しかしながら、男の歩みもまた―――無限の欲望を楽しませる舞台装置に過ぎない。

【ああ、教え忘れていた。その器では―――願いは叶わないよ】
「………え…?」

 聖杯にまさに触れようとしていた手が止まる。男の表情は言い表すとすれば“絶望”。混じりけ一つない純度の高い絶望。その顔をスカリエッティは顔のない満面の笑みで見つめ嗤う。

【いや、正確には君達の思い描くようには叶わないと言うべきかね。確かにその器には願いを叶える程度の魔力は籠っている。しかしだ、残念なことに溢れ出した魔力を受け止める型がないのだよ。型がなければ溢れ出るだけで形を成さない。簡単なことだろう?】

 本来であれば型の部分に切嗣のレアスキルである固有結界を使う予定であった。新しく創られた世界という型に願望を流し込み理想の世界を作り出すことこそが彼らの新の目的だ。だが、スカリエッティはそのことを最高評議会に伏せていた。誰が来ても絶望的な結末を生み出せるように。

「馬鹿な……そんな…馬鹿な…」

 死の間際となり、目の前で希望を砕かれたことで男は原初の願いを思い出していた。目の前で泣いている子どもがいた。ただその子どもを泣き止ませたかった。一人ぼっちのその子を抱きしめてあげる愛が必要だと思った。だから世界を平和にしようと、愛に満ちた世界を創ればきっとその子は泣き止むと考えた。

 誰かの愛ある腕に抱きしめられるはずと。そのためだけに走り続けた。だが、ある時に振り返って彼は気づいた。その子の姿がもうどこにもないということに。救いたかった者は消え去りただ理想だけが残った。他の二人も同じようなものだった。だから彼らは何があっても理想を遂げようと誓った。そうでなければ―――この手の平には何一つして残らないのだから。

「愛のある世界は……一体…?」
【愛のある世界? おかしなことを言うね。既にこの世界は愛にあふれているじゃないか】

 己の理想に、愛に溢れた世界を求めた男の言葉にスカリエッティは心底不思議そうな声を出す。世界には悲しみが満ち溢れている。人が人を殺し、人が人を喰い散らかす世界。そんな世界のどこに愛があるのかと男は憤怒の形相を見せる。しかし、スカリエッティはその表情とは全く逆の実に楽しそうな声で告げる、この世の心理を。

【愛と憎しみは表裏一体。それらはコインの裏表のようにどちらでもコインという本質に変わりはない。人間は終わりのない闘争の歴史の中で数え切れないほどの愛を生み出してきた。そしてそれらを奪った者へ憎しみを抱いてきた。この世界を見たまえ】

 どこからともなく争い合う人間の映像が流される。初めは愛する者を守るために誰もが戦う。だが、次第に人々は殺された仲間の仇を討とうと躍起になる。そして本来タブーである非戦闘員である兵士の愛する家族を虐殺し始める。しまいには理由など忘れ憎悪の感情だけで相手を惨たらしく殺し始める。どちらも―――愛する者のためと言いながら。

【世界は変わらず闘争に満ちている。人が人を愛し(憎み)憎み(愛し)続けている】

 終わらない闘争。どちらが先かと言われれば卵が先か鶏が先かで意見は割れるだろう。だが、しかし。一つだけ分かることがある。人が闘争を終えられない理由が。それは誰もが誰かを愛しているから。愛が憎しみを生み出す元となり、憎しみが愛へと移り変わる。人類史とはそうして紡がれてきたのだ。故に―――


【間違えるな、愚か者。世界が産み落とされた時から世界は―――憎しみ()に満ち溢れているッ!】


 愛なき世界に闘争はないし、闘争なき世界に愛など存在しないのだ。
 彼らの願いもまた矛盾し、叶うことなどない願いだったのだ。

「それでも…それでも…ッ!」
【ああ、願いたければ願えばいい。まあ、型を持たぬ膨大な魔力は世界にとって毒のようなものだ。願いを叶えても全ての人類を殺して闘争なくすぐらいが関の山だろうがね】

 もはや、そんなガラクタには用はないといわんばかりの態度で男を突き放すスカリエッティ。真に願望を受け止めるべき器はここには存在しないし、彼らに渡すつもりもない。初めから騙すつもりで用意しておいた物を渡しただけだ。冷静に考えれば何の意味もない徒労かもしれない。だが、その徒労こそがこの甘美な絶望を演出してくれたのだ。無駄なことに時間を割いた価値は十二分にあるというものだ。

「私は…私は…!」
【全てを滅ぼして願いを叶える。それもまた一つの選択だ。私としてもそれはそれで楽しみがいがある】

 世界を滅ぼす代償に願いを叶える器を前に立ち尽くす男。スカリエッティは実に楽しそうにささやきかける。悪魔との契約、願いと引き換えに全てを貪り尽す詐欺のような取引。その契約を前にして男は突如として雄叫びを上げる。

「―――おおおおおおっ!!」

 まるで剣を振り上げるように杖を掲げ、ただ一直線に聖杯に振り下ろす。驚き声を上げるなのはのことなどもはや眼中にないように狂ったように聖杯を打ち砕いていく。次第にその足場が崩れ去り自身諸共に落ちていきながらも彼は一心不乱に(願い)を砕き続ける。遂にその姿が完全に闇に消えてからも狂ったような雄叫びだけが響き続けていた。そう、彼は自らの宿願を捨て―――世界を取ったのだ。

【ふは…はははははは! 流石は正義の味方だ。己の全てを捨ててでも手に入れたかった悲願よりも世界を取るか! 傑作だ! そうまでして求めたものを親の仇のように壊すとは。ああ……これだから生命は愛おしい…!】

 男の死に様の輝きにうっとりしたような声を零すスカリエッティ。これがこの醜悪な芝居を演出した人間の口から出ているのだからおぞましい。まるで神が信仰心を試すために敬虔な信者に試練を与えその信者が苦しみながらも信仰を続ける様に狂喜するようなものだ。今の彼はまさに“神”の如き気分であった。人間を自由に操り慈しむ(弄ぶ)のは神の特権。その極上の快楽を今まさに彼は味わっているのだ。そんなどこまでも人を馬鹿にした生き方、在り方になのはは激怒した。

「ジェイル・スカリエッティ―――今ようやくあなたを外道と理解しました」
【それは光栄だね。私は災いをなす者であり、悪魔であるからね。外道で当然さ】

 先程までの死闘が嘘だったかのように静まり返る玉座の間。しかし、なのはから発せられる冷たい闘気が場を満たしその場に居ないスカリエッティを射殺さんと研ぎ澄まされる。だが、当の本人に届くことはなく、また届いたとしてもその程度でどうにかできる相手でもない。

「すぐにあなたを捕まえに行きます。覚悟しておいてください」
【ほう、それは楽しみだ。では、そんな君に最後に良いことを教えてあげよう。ゆりかごを止めたところで運命は変えられないよ】
「……どういう意味ですか?」
【そのままの意味さ。あの器は偽物。だが、私も世界を塗り替えること自体は目的としていてね。そうであれば……後は分かるだろう?】

 嫌らしい笑みが簡単に連想される声でスカリエッティは暗に告げる。本物の聖杯、もしくは同等の能力があるものが既に彼の手の中にあるということを。そして管理局側が本命と思い込んでいたゆりかごは“囮”であったということが。

「だとしても、今からあなたを探し出すまでです」
【くくく、そうでなければな。舞台が盛り上がらない。だが、その前に一つ余興と行こうじゃないか。クアットロ、後は任せたよ】
【はーい。しっかりと承りましたわ。では―――陛下、お目覚めの時間ですよ】

 通信が切り替わりこれまた残忍で楽しそうな笑みを浮かべているクアットロに代わる。彼女もまた捕まえなければならない存在だと思い出すなのは。しかしながら、その思考はわが子の悲鳴により一瞬でかき消される。衝動的に顔を向けたその先には体から明らかに子供の身には釣り合わない大量の魔力を放出し苦しんでいるわが子の姿があった。

「ヴィヴィオ―――ッ」
【さぁ、陛下。周りの人達はみーんな陛下のママを苦しめるわるーい人達ですよ。だからぁ―――全部(・・)壊しちゃいましょう】

 聖王家の特徴である虹色の魔力が目を焦がすように輝きヴィヴィオが姿を変える。小さかった体は成人女性のものとなり、その身にはかつて聖王オリヴィエが身に着けたとされる黒き鎧が纏われる。そして憎しみだけに染まった瞳。娘の変わり果てた姿に思わず声を失うなのは。

【では、親子水入らずで楽しんでくださいねぇ】

 愛し合う者同士が殺しあう光景にどこまでも邪悪な笑みを浮かべながらクアットロは通信を切る。そしてディエチに念話を飛ばす。

(ディエチちゃん、万が一にも陛下が負けそうになった時は、お願いね)
(わかった。不意打ちでもなんでもするよ)

 体力を削られたところでさらなる強敵と戦う。さらに死角から自身を狙う狙撃手も存在する。簡潔に言えばなのはの現在の状況は―――絶望的だった。





 切嗣の体がグラリと揺らぐ。グレアム達との戦いは誰がどう見ても不利だった。3対2という数の不利、さらに言えば前線を退いたといえど海のエースが三人、しかも相手は自分の魔法の師匠なのだ。どう考えても不利だ。その考察を裏切ることなく切嗣とアインスは傷ついた体を庇うように膝をつく。

「もうそっちに勝ち目はないでしょ。諦めて投降しなさい」
「そうそう、悪いようにはしないから。……もう、頑張らなくてもいいんだよ」

 敵であるにも関わらず憐みと親愛の籠った目を向け近づくリーゼ達。誰がどう見ても切嗣は限界だった。故に近づこうとしたのだがグレアムに手で制される。

「お父様?」
「……君はただの肉体的苦痛で膝を折る男じゃないだろう?」
「フ……流石はギル・グレアムといったところか」

 企みがばれたことに軽く笑う切嗣。しかし、受けた傷はすべて本物だ。常人であればリーゼ達の見込み通り動くことなどできない。その状況から逆転できる何かを彼は隠し持っている。その疑惑がグレアムに警戒を抱かせた。

「アインス、もう隠す必要はない。頼む」
「ああ、わかった」

 その言葉と共に切嗣の傷が目に見える形で再生を始めていく。その光景に思わずあり得ないとグレアムは思ってしまう。彼には治療魔法は使えない。さらにあれほどの傷を一瞬で治していく魔法など聞いたことも見たこともない。

 そこまで考えてアインスの存在を忘れていたことに気付く。ユニゾンすることで治療魔法を使えるようにし、また夜天の書としての知識にある古代魔法も実用可能にする。彼女はまさに切嗣に足りないもの全てを兼ね備えた存在であるだ。



『―――Avalon.(アヴァロン)



 かつて理想に焼き殺された男は立ち上がる。
 決して届くことのない“全て遠き理想郷”へと歩き続けるために。
 
 

 
後書き

スカさんはそう簡単には死なない。光りある限り影が消えないように。
さて、ようやく最後が見えてきました。まあ、まだクライマックスではないのですが。 
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