俺の四畳半が最近安らげない件
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イポウンデーの歓待
黒い部屋に引き入れられ、俺はゆっくりと周囲を見回した。
いや、正確には黒い部屋ではない。黒い札に赤い、見たことない文字が書いてある。
札の中心には、漏れなく『目』が描いてある。
「……なんだ、これは」
「イポウンデーノ、最高ノ歓待ネ。ミミミット、奮発シタヨー!」
「するな」
イポウンデー王国とかいう、聞いた事もない小国の皇太子だというこの留学生に、どうしても『一番仲良シノ丹沢ヲ招待シタイ』と請われて渋々訪れた。俺の為にわざわざレンタルスペースを借りたというが…。
「ワカリマスカ?コノ部屋ニ満チル私ノ歓待ノ心」
「この不気味な札がミミミットというらしいことは分かった」
「ココニ書イテアル言葉ハ、日本デイウトコロノ『呪ッテヤル』」
「呪うだと!?」
「間違エタ『祝ッテヤル』デシタ!テヘ、日本語ムズカシイネー」
「呪ってやるのほうがしっくりくるビジュアルだがな…」
「真ン中ノ目ハ、『イツモ見テイルゾ』ノ意味デスネ」
「怖ぇよ!!!」
「イヤ良イ意味デネ」
「後学のために教えてやるけど『いつも見ているぞ』に良い意味なんかないからな!?」
「ナルホド、丹沢頼レルネー」
黒い札が無数に貼り込められた4畳半くらいの狭い部屋……これ完全に呪いの部屋なんだが、本当に『呪ってやる』の意味じゃないんだろうな。
「しかし狭い部屋借りたな…どうせ借りるならもう少し広いとこもあっただろうに」
「狭イ部屋デ、ヒシメキ合ッテ行ウ宴、イポウンデーデハ最高ノ歓待ネ」
留学生は悲しげに目を伏せ、ぽつりと呟いた。
「本当ハ、トイレト同ジクライノ個室デ顔ヲ突キ合ワセテ、ミミミットヲギッチリ貼ッテ香ヲ焚キシメテ行ウ宴ガ最高ノ親愛ノ証…デモ私、ソコマデハ丹沢ノコト信用シテナイ…ゴメンネ」
「いいぞ、その調子で俺をずっと信用しないでくれ。俺は信用ならぬ男だ」
「謙遜…日本ノ美徳…!!」
「今のは謙遜じゃなく拒否とかのほうがニュアンスが近いからな」
くそ…部屋に通されて5分足らず、もう既に帰りたくて帰りたくて仕方がない。
「ソウソウ、コレ忘レテタネ!イポウンデーニシカイナイ、珍シイ、アリノ死骸ト分泌液ヲ固メテ作ッタ香ヲ焚クヨ」
「やっ、やめ……ここレンタルスペースだろ!?怒られるぞ!!」
「火気厳禁?」
「あ、ああそうだ!」
「焚キシメルノハ止メルヨ、チョットダケ」
止める間もなく、奴は怪しい塊に火をつけた。蛋白質の焦げる匂いがあっという間に狭い部屋に充満した。
「……うっわ臭っ!!」
「火葬場ノ匂イニ一番近イラシイヨ」
「駄目だろそれ!!ふざけんな消せ!!」
リュックに入っていたペットボトルの茶をかけて火を消す。香から焦げたアリがパラパラ零れた。…駄目だ。もう限界きた。ちょっと早いけど限界きちゃった。
「……悪いけど俺もう帰る」
ドアにかけた俺の手を、皇太子ががしっと掴んだ。
「チョット待ッテ!イポウンデーノ歓待、途中デ止メルト!」
止めると?
「イポウンデーヘノ宣戦布告トミナサレル……」
宣戦布告だと!?
「……国単位で?」
皇太子は、こくりと頷いた。
「日本トイポウンデー、開戦スル…ダッテボク皇太子ダカラ…ゴメン、断ラレルトカ考エモシナカッタ…」
皇太子はポタポタと涙を落とし始めた。……何だよもう、泣きたいのは俺の方だよ。
「……これ、あとどれだけ我慢すればいいんだ……?」
「ホントハマダ沢山アルケド…アト一ツダケ!コレヲ食ベタラオシマイデイイヤ!」
奴はいそいそと鞄の中からタッパーを取り出した。…うわ、食べる系か。嫌な予感しかしないわ。
「コレ日本ニ売ッテナイカラ苦労シタヨー」
徐に差し出されたタッパーには、ちょっと無理な感じの赤黒い、肉のようなものが詰め込まれていた。
「――なんだ、これは」
「ニカカニカマカマ。イポウンデーノ固有種。節足動物ノ肉ヨ」
「聞いた事ねぇよ…」
一つつまんでみると、猛烈に生臭い。というか磯臭い。
「…海の生き物か」
「海ニモ、イルワヨ」
開戦は困るので無理やり口に持っていくが、吐き気がこみ上げてきて口の中に放り込めない。
「せめて焼いちゃだめか」
「焼クノネ。オススメシナイケド」
皇太子がぶつぶつ呟きながら、ガスバーナーみたいなものを取り出した。火気厳禁と言ったばかりだが、まあいいや。これで最悪、寄生虫とか食中毒とかは免れる……
「ぐっ臭っ!!!」
磯臭さに死臭を混ぜ込んだような強烈な臭気が立ち昇ってきた。もう吐き気よりもっと深い、今日の朝ごはんがこみ上げてくるような感覚が喉元をせり上がってきた。
「ぐっほ」
無理無理無理もう駄目だ開戦かホントゴメン!!俺は辛うじて傍らのリュックを掴むとドアの外に転び出た。
「丹沢ダメヨ、歓待終ワッテナイヨ!」
皇太子に取り押さえられながら入口でもがいていると、地味なスーツに身を包んだ中年くらいの女性が、かつかつと歩み寄ってきた。
―――レンタルスペースで異臭を発したり変な札を貼りまくったかどで、スタッフの人にぎっちり叱られたのだ。
帰り道。皇太子と並んで夕日の中をとぼとぼ歩く。
「ゴメンネー、ミミミット剥ガスノ手伝ワセテ」
「俺だけ帰れる雰囲気じゃなかったろ…」
ニカカニカマカマを食わずに済んだのは幸いだったが、俺の頭の中を『開戦』という言葉がぐるぐる回る。
「…イポウンデーって、どのくらいの規模の国なんだ」
「総人口386人ノ海洋国家ヨー」
―――え?
「…おいなんかバチカン市国より小さいな!?ど、何処にあるんだそれ!?言葉のニュアンス的にはポリネシアっぽいよな」
「広島ノチョット左アタリ」
「それ瀬戸内海じゃねぇか!!」
「外周10キロノ島ネ」
「南セントレア市みたいな立ち位置か!?何でお前片言なんだよ!!」
「?言葉ゼンゼン違ウヨ?」
「開戦て何する気だったんだ!?386人で!!武器とかどうすんの!?」
「天然ノ、武器庫ガアルヨ…」
「怖ぇ!あの辺でミサイルとか作ってんの!?」
「島ノ中心部ニ竹藪ガ」
「終戦直前の疲弊した日本かよ!!」
「竹槍持ッテ国会周辺ヲ包囲トカスルヨ」
「国会を300人で包囲出来ると思ってんの!?ちょっとしたデモ行進のほうが怖いし人数多いからな!!」
「以前チョットダケ開戦シタ時『霞ヶ関駅前で珍騒動』テ新聞ニ掲載サレタヨ」
「国会まで辿り着けてないじゃん!!切ねぇよ!!」
とりあえずお口直しに皇太子とココイチでカレー食って今日は解散した。
今日の事を民俗学をやっている親父に話すと、
「あちゃー、イポウンデーの歓待受けちゃったかー」
と言われた。
「イポウンデーは昔、どっかの小さい国と朝貢関係にあった」
「あれより小さい国?」
「昔は大きかったんだよ。場所も今とはだいぶ違うし。…で、その朝貢に訪れた使者をいびる為に、ありとあらゆる嫌がらせが発達した。俺たちの歓待を断ったら開戦だぞ!という脅しとセットで」
「なにその嫌な国」
「で、使者が訪れるたびに繰り返していた嫌がらせが儀式化してあの形に落ち着いた」
「なんて嫌な着地点だ」
「そんなこと繰り返してたから、その国を怒らせてしまってガチの反乱を受けた。国は散り散りとなり、生き残りが瀬戸内海のどっかに逃げ延びたんだ」
「当たり前だ滅びろくそが」
「その結果、意味は失われて儀式だけが残った。今の若い世代はイポウンデーの歓待を最高の歓迎の形と勘違いしているというのは聞いていたが本当だったんだなぁ…」
「なに人の不幸でしみじみしてんだよ」
「ははは…お前、ニカカニカマカマ食ったのか」
「食わずに済んだ」
「良かったな。あれ食ってたら1週間は臭いが取れないぞ」
「何で!?何でそこまでされて最高の歓待とか思うの!?」
「ニカカニカマカマは一応高級食材だからな。どこの国にもあるだろ、すごい臭い食材が」
皇太子直々、イポウンデーの歓待を受けられるなんて、ごく一部のマニアの間では羨望の的だぞと言われたが、俺はもう二度と歓待を受けたくない。皇太子にも固く禁じておいた。竹槍でも何でも持ってくるがいい。
後書き
次回更新予定は、来週です。
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