バーチスティラントの人間達
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トレイターさんの本
「ちすちすー!元気かな?」
爆風と砂煙が止み、ようやく人の姿が目視できた。朗らかな笑顔で少女――たぶん僕よりちょっと年下くらい――がエフィさんに笑うと、不機嫌そうに彼女は返した。
「相変わらずやかましいおばかなのです。遊びに来るんだったら茶菓子と大事な要件を持ってこいなのです。」
「うちに茶菓子なんてあったら真っ先に司書さんに献上するもんね!」
司書、と聞きトレイターさんの表情が一瞬強張った。もちろんラーマも、僕も。
一度だけ僕は、"司書"と遭遇したことがある。数か月前にある一国が破壊されたとき、臨時の斥候として僕が選ばれたのだった。まだ名声も地位もなかった僕は『戦力がそこそこあるが、死んでも特に影響のない志願兵』として抜擢されたのだろう。
まだ魔導師の伏兵がいないか辺りを警戒していたとき、ふらっとただの通行人の如く金髪の女性が僕の前を通った。随分と華奢で眉目秀麗な彼女に思わず足を止めたが、そもそもここに人がいることはおかしいと理性が判断し、声をかけた。
――すみません。民間人の方は城壁の外に避難してください。
その声に彼女は僕の方を見たが、それだけでまたどこかへ歩き出した。僕が再び声をかけようと女性に近づこうとすると、
――あなたは、私を知らないのね?
と振り向きもせずに言った。知らない、と素直に答えると、
――正直でよろしい。あなたはきっと、私達を脅かす兵士になるわね。
そう微笑んだ。もしや、と剣の柄に手をかけようとしたが、その瞬間に体が全く動かなくなった。女性の方を見ると先程抱えていた本ではない別の本が女性の手元にあり、開いた状態で不思議な光を発していた。
――今は殺さない。無知な人間は殺す価値もない。
そう冷たく言い放った後、女性は冷徹な目で僕に言った。
――今後私を見たら逃げることね。万能の叡智を欲するのなら、話は別だけど。
そんなことを思い出していると、"遊びに"来たらしい魔導師の少女……リコリスはぽんと手を打った。
「そーそー、司書さんで思い出した!今日はちゃんとご用があるんだよー!」
この言葉に、ディスプレイの向こうのティレイアも含め全員が耳を傾けた。
「何なのです、それを先に言えなのです。そしてすぐに帰るのです。」
「冷たいなぁエフィちゃんは……。ね、今エフィちゃんの旦那さんその辺にいない?」
思わずトレイターさんが立ち上がりかけたが、反射神経の高いラーマが速攻で肩を押さえた。
「いないと言えば、お前は帰るのですか?」
「うーんや?いるって分かってるけど聞いてみたんだよ?だって、『最前線基地にいるから行ってこい』って司書さんに言われたし!」
ばれてたか……と全員が肩を落とし、ラーマの手を退けてトレイターさんがコテージから出る。僕もラーマも、念のため外に出た。
『……私も外の状況を把握したいのですが。』
そんな勤勉なティレイアの声は無視して。
「確かに俺はここにいる。で、用件とは。」
そうトレイターさんがリコリスに問いかけると、びしっと片手の本を指さして元気に言った。
「その本返せ、だって!」
「……断る。この本は俺のだ。」
呆れたようにそう返すと、リコリスはポケットから紙切れを引っ張り出した。それを熟読し始めたあたり、きっと"質問リスト"なのだろう。エフィさんから罵倒されるだけの知能だ。
「えーっと、じゃあ、『なぜ?』?」
「だから俺のだと……。それに、返せるものじゃない。この本は……。」
トレイターさんが何か言いたげにするが、俯いて言葉を切った。リコリスが続きを催促しても、首を振るだけだ。
「この本はトレイターにとってものすごーーく大事な本なのです。大事なものを返せと言われる筋合いはないのです。この答えで満足なのです?」
そうエフィさんが強い口調で言うと、リコリスは数歩下がった。
「わ、分かった分かった!……だってさ、司書さんっ!!」
そう叫ぶと、彼女は上空に雷撃を放った。それが合図だったかのように、突如そばに人影が現れる。
「ご苦労。あとは私がやるわ。」
数か月前に聞いた声。数か月前に見た姿。
「"司書"……!?」
思わず僕がそう漏らすと、ふっと彼女は視線をこちらに向けた。
「……ああ、確かあなたには会ったことがあったわね。随分と昇格したじゃない。」
くすっと笑うと、"司書"はトレイターさんに近づいていった。アルマとラーマは突然のことに、硬直してしまっている。
「ねえその本……並の人間が扱えるものではないのだけれど。」
そう彼女が言うと、僅かな緊張を含んだ表情のトレイターさんが口を開いた。
「あなたが何と言おうと、俺はあなたの配下に就く気も意志を変えるつもりもない。俺はあくまで、あなたの"幻書"をただ狙い続ける。……場合によっては、すべての書物の知識を持つあなたをも。」
「そう、残念ね。……あなたからその本を引き離すことは無理だと知った上で今日は来たのだけれど。」
ふぅ、と彼女が短いため息をつく。そして、
「ま、それが本題ではなく。ちょっとお願いがあってきたの。」
と言った。この言葉に、トレイターさんが両手で本を抱えた。
「ドリーマーから聞いたのだけれど。……あなた、私の記憶の一部をその幻書の力で奪ったことがあるそうね?」
トレイターさんとエフィさんが、目を見開き硬直した。これは僕や双子も、初めて聞いた話だった。
「それを返してほしいのよ。元は私のものなんだし。それに、どうやらその記憶が大切なものらしいのよね。」
僕はトレイターさんの方を見た。明らかに緊張と恐怖、そして、悲壮を感じさせる表情だった。
「…………断る。その記憶は、あなたが持ってはいけないものだ。」
そう小さな声で呟くと、"司書"はその様子を嘲笑うように言った。
「その記憶はあなたを脅かすものなのね?単なる恐れから奪ったのかしら。」
「違う!僕は……っ!」
「トレイター!!!」
甲高くエフィさんが叫ぶ。その声に、はっとした様子でトレイターさんが顔を上げた。
「……そう、だ。そう思うなら勝手に思えばいい。どのみち、返す気はない。」
そう言いきると、"司書"はふんと鼻を鳴らした。
「そう。なら私もこれ以上用はないわ。……明日、覚悟なさい。」
そう告げると、リコリスとともにどこかへ転移していった。
「……トレイター、さん?」
"司書"が去った後、顔を伏せ僅かに震える彼に声をかけながら肩に手を添えると、
「…………ごめん、かっこ悪いところを見せたね。」
そう、自嘲気味に微笑んだ。
「この争いは僕が望んで始めたものだ。様々な人に迷惑をかけているのは分かってる。だからこそ……今更後悔しても、遅い。全部元に戻すことは、もうできないんだから……。」
言い聞かせるようにトレイターさんがそう呟いた言葉の意味を、僕は理解することはできなかった。
いや、僕が理解しても、きっと意味がない。エフィさんに引きずられるようにして僕達のコテージを去ったトレイターさんを見送ると、僕は先程の言葉を忘れるためにラーマに訓練を持ちかけた。
この戦争は、魔導師との何百年前も引き延ばされていた決着をつけるためのもの。
そう、頭に刷り込ませるために。
後書き
結局リコリスが誰なのか全く紹介せずに終わってしまった(´・ω・`)
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