銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第六十九話 運、不運
■ 帝国暦486年9月20日 兵站統括部第三局 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
「養父を助けて欲しいのです」
「?」
ユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガーはボロボロ涙を流し始めた。
「今朝、養父が倒れたのです。胸を押さえて苦しみだして……」
胸を押さえて苦しむ? 心臓か?
「医師が来て、狭心症だと言っていました。戦争など無理だと」
狭心症……。
「養父を止めてください。養父は次の出兵を諦めていないのです。お願いです、中将」
「フロイライン、元帥閣下はご自宅ですか、それとも病院に?」
「自宅です」
「では、行きましょう」
「はい。有難うございます」
応接室を出ると、視線が俺たちに集中する。若い娘を連れ、おまけに娘が泣いているとなれば無理も無い。しかし、俺には気にしている余裕も無かった。非難がましい眼を向けてくるヴァレリーに出かけるから後を頼むと言うとユスティーナを連れ歩き出した。
地上車に乗り、元帥の自宅に向かう。無粋な事に護衛が二人、一緒に乗ってきた。興味深々といった表情で俺たちを見ている。失礼な奴らだ、後でキスリングに注意しなければなるまい。残り二名は別の地上車で追ってくるようだ。
ミュッケンベルガー元帥の自宅、いや屋敷と言ったほうが良いだろう、屋敷は軍の名門貴族らしく大きくはあるが華美ではない。どことなく重厚な雰囲気を漂わせるつくりの屋敷だ。なるほど、人も住む家に似るものらしい。
元帥は寝室で休んでいる。ユスティーナは軽く寝室のドアをノックすると声をかけて入室した。俺も後に続く。
「お養父様、ユスティーナです」
「失礼します」
元帥はベッドに横たわっていた。思ったより元帥の顔色は良い。俺が居るのに驚いたのか上半身を起した。
「ヴァレンシュタイン中将……、ユスティーナ、彼に話したのか」
「はい」
「仕様の無い奴だ……。中将、此処へ。ユスティーナ、中将と二人だけにしてくれるか」
「はい」
ユスティーナは俺にすがるような視線を向けると一礼して出て行った。
「お休みのところを申し訳ありません、お顔の色が良いので安心しました」
「薬を直ぐ飲んだからな」
薬を直ぐ飲んだ?
「? 今回が初めてではないのですか?」
「違う、ヴァンフリートの後だ。そのときは発作ではなかった。胸に痛みがあったので診察を受けたのだ。その時、狭心症だと言われ薬も貰った」
「ニトログリセリンですか」
「うむ」
この男が艦隊決戦に拘ったのは自分の軍人生命が短い事を知っていたからか……。
「その後、一度発作が有った。幸い誰も居なかったのでな、気づかれる事なく済んだ。だが今日は、ユスティーナに見られてしまった」
軽く苦笑しながらミュッケンベルガーが話した。
「今回の遠征、お止めいただくことは出来ませんか?」
「それは出来ん。卿も判っていよう」
判っている。しかし、この男に倒れられては困る。この男が健在であることが必要なのだ。
「では、総司令官は他の誰かにお願いしてはいかがでしょう?」
仕方ない、次善の策だ。
「誰が居る?」
「メルカッツ提督です」
ミュッケンベルガーがメルカッツに対して好意的ではないことは判っている。しかし、もう好き嫌いを言っている場合ではないだろう。
「駄目だな」
「しかし」
「勘違いするな、中将。私はあの男が嫌いではないのだ、だがそれは受け入れられん」
「?」
どういうことだ?
「宇宙艦隊司令長官に必要なものがわかるか?」
ミュッケンベルガーが穏やかな表情で問いかけてくる。必要なもの? なんだろう?
「私には勤まるが、エーレンベルクとシュタインホフには宇宙艦隊司令長官は務まるまい」
「威、ですか」
「そうだ、あるいはそれに変わる何かだな」
満足そうに元帥は頷いた。
“威” 兵を死地に追いやり、兵がそれに服従する事が出来るだけの“威”、あるいはそれに変わる何か。カリスマ性と言っていいかもしれない。確かにエーレンベルクとシュタインホフには無いだろう。そしてミュッケンベルガーには有る。
「メルカッツにはその何かが足りんのだ。艦隊司令官としては私より有能かもしれん。多分、三個艦隊までならあの男のほうが上だ。しかし宇宙艦隊司令長官としては私に及ぶまい。宇宙艦隊司令長官には用兵家としての力量よりも兵を服従させる何かが必要なのだ」
「……」
「あの男に軍功を挙げさせることは出来ぬ。これ以上昇進させれば、必ずあの男を宇宙艦隊司令長官に、と言う声が上がる。それはあの男にとって不幸だろう。私が指揮を執るほか無いのだ」
メルカッツは将ではあっても将の将たる器ではないという事か。
リップシュタット戦役でメルカッツが十分に働けなかったのも、単に貴族連合のまとまりの悪さだけが原因ではなかったのかもしれない。ミュッケンベルガーの言うとおり、確かに何かが足りない。堅実ではあるが大軍を鼓舞するだけの華が無いのだ。
「私が見る限り、今の帝国で宇宙艦隊司令長官が務まる人間は二人しかおらん」
「二人ですか」
一人はラインハルトだな、聞くまでも無い。あとの一人は……。
「一人はミューゼル大将、そしてもう一人は卿だな」
「……」
「卿なら帝国軍三長官、どれでも務まる、しかしあの男は宇宙艦隊司令長官だけだ。戦場では輝くが、後方では周りと軋轢を生むだけだろう」
「……」
「しかし、宇宙艦隊司令長官はそれでよいのだ。戦争で勝てれば良い」
ラインハルトなら勝つだろう。戦争の天才だ。
「今度の戦いだが、勝てると思うか?」
「こちらが優勢だと思いますが、勝敗は判りません」
「そうだな。……多分勝てるだろう、ミューゼル大将はミューゼル上級大将になる。その時点で宇宙艦隊副司令長官に推挙するつもりだ」
「……」
宇宙艦隊副司令長官……。
「卿の編制した二個艦隊だが、今度の戦いで功を上げれば指揮官たちは昇進させる。ミューゼル大将の配下に置くつもりだ」
「!」
「新しい副司令長官には新しい指揮官が要るだろう。私と共に戦ってきた古参の指揮官では、彼も使い辛かろう」
「最初からそれをお考えだったのですね。道理で二個艦隊の編制をすんなりと受け入れられた訳です」
「渡りに船ではあったな」
そう言うとミュッケンベルガーは苦笑した。俺も笑わざるを得ない。
「年が明けたら、彼に遠征を指揮させる。勝てば、元帥位と宇宙艦隊司令長官が彼のものになる。私はその時、引退するつもりだ」
「……」
「卿はミューゼル大将を助けてくれ」
「……承知しました」
「それとユスティーナを説得してくれ、あれに泣かれるのは辛い」
「承知しました」
元帥との話を終え、部屋を出る。ユスティーナが待っていた。
「いかがでしたか。養父は出兵を取りやめてくれたでしょうか?」
「……申し訳ありません。残念ですが説得は出来ませんでした」
「そんな」
ユスティーナの顔が悲痛に歪む。こんな顔は見たくない。
「今回だけです。次はありません。ご理解ください」
「でも」
「大丈夫です。元帥は必ず無事に戻ってきます。その後はずっとオーディンでフロイラインと一緒に居ます。だから今回だけは元帥のわがままを許してください」
ミュッケンベルガー邸を辞去し、俺は暗澹たる気持ちで兵站統括部に戻った。何故気付かなかったのだろう。帝国暦486年の第四次ティアマト会戦を最後にミュッケンベルガーの軍事行動は無くなる。そして帝国暦487年はラインハルトだけが軍事行動を起す。
宇宙艦隊の半分を奪われた男が何故、軍事行動を起さなかったのか。本来なら張り合うように遠征を起してもいいはずだ。アスターテ会戦で帝国が動員した兵力は二万隻。ミュッケンベルガーが軍事行動を起す余力は十分にあったろう。
ミュッケンベルガーは病気だったのだ。そのことが彼の軍事行動を止めた。彼がアムリッツア会戦以後、引退を決めたのもラインハルトの器量を認めたこともあったが、健康が主原因だったのだろう。
どうしたものか。今の時点で俺が取るべき道はなんだろう。ラインハルトを失脚させることが出来るだろうか? 難しいな。ミュッケンベルガーはラインハルトを後継者にしようとしている。もみ消すか、不問にする可能性が高い。
リヒテンラーデ侯もミュッケンベルガーが病気だと知れば、次の宇宙艦隊司令長官に恩を売ろうとするに違いない。彼にとっては実戦力を持つ人間が必要なのだ。その上で俺とラインハルトを競い合わせようとするだろうな。
つまりラインハルトの失脚は難しいということか、運が無いな。ミュッケンベルガーも俺も運がない。そしてラインハルトの運の良さには嫌になる。不公平も極まるだろう。ケンプたちを抜擢したのも結局はあの男のために司令官を準備したようなものか。馬鹿馬鹿しくてやってられんな。
あの男の下で働く……俺に耐えられるだろうか、そしてあの男も耐えられるだろうか。難しいな、何処かで必ずぶつかるだろう……。リップシュタットまでだな。それが終わったら退役する。少なくとも共通の大きな敵がいる内は、何とか協力できるだろう。気休めにもならんがそう信じて生きるしかない……。
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