ソードアート・オンライン 少年と贖罪の剣
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第十五話:罪纏う神裁の剣
前書き
大変長らくお待たせいたしました。お久しぶりです。人生でどうしても避けては通れぬ試練を突破していたらこんなにも間が空いてしまいました。
ちなみにSAO編は今話を入れてあと2話!最終話は明日辺りに投稿しようと思います
「行くぞッ!」
腹の底から叫ぶ。これが開幕の合図。同時、キリトとアスナが疾走を開始した。禍ツ神の左右へ別れ、その背後にいるヒースクリフへと–––––
直後、轟音と衝撃が空を切り裂いた。巻き起こった突風に吹き飛ばされそうになり、剣を地面に刺してなんとか耐える。
キリトとアスナも同様だ。なんとか転倒するのを耐えているが、今襲いかかられたら一溜まりもない。
だが、目の前に屹立する禍ツ神はただ黙したまま。背負っていた二本の長槍を床に突き刺しただけで、オレ達を圧倒してみせたのだ。
背筋に冷たいものが流れる。この世界に汗という概念はない。だが、そう錯覚してしまう程、オレは恐れを抱いていた。
「–––––ハッ」
そんな自分を、小さく嗤い飛ばす。
何を。今更、何を恐れると言うのだろうか。
「レン?」
不審そうにこちらを見るキリトを無視して、突風が収まらぬ内に剣を地面から引き抜く。
「くっ……!」
凄まじい風だ。今にも吹き飛ばされてしまいそうな暴風。今にも膝を屈してしまいそうで。
おもしろい。
「フッ……!!」
手に握った紺色の剣を、腰溜めから一息に振り上げる。
ソードスキルでもない、ただの斬り上げ。ただし、オレの持つ技術とステータスの全てを乗せた一閃。
護神柳剣流剣術–––––《瀧曻》。
そう、この世界に囚われる前。オレの我儘で通わせてもらっていた剣術道場で教わった技術。
最早、二年も通っていないオレが使う事は許されないだろうが、これが終わった後、師匠に頭でも下げに行こう。だから。
「–––––禍ツ神よ、そこを退け」
風が止む。吹き荒れていた暴風は瀧曻に切り裂かれた。
さあ、道は開けたぞ。
「オレが奴を引き付ける」
キリトとアスナが頷く。
濃紺の柄を握り締める。
「行くぜ、エスピアツィオーネ」
この贖罪の剣と戦った期間は、余りにも短い。それでも、ネロから貰ったインゴットからリズベットが作り出したこの剣は、オレの持つ剣の中で最も重大な意味を持つ。
そう、この剣の銘の通りだ。
オレが殺めたアイギスへの''贖罪''。そしてそれは、この世界を終わらせてこそ完遂される。
「剣たちよ!!」
背後に現れるはオレがこの世界で集めた剣の軍。無敵だと自負することができる幾本もの剣。その総ての切っ先を、目の前の敵へ向ける。
最早、ここに来て出し惜しみなど愚策。切り札の発動を狙って動けば、間違いなく死ぬ。ならば今あるものを使い尽くす。後先のことなど考えなくていい。
今、この瞬間。オレが持つ全てを掻き集め、打ち倒す!
「舞えッ!!」
号令を下された剣軍は一斉に疾走を始めた。だが一本一本に態々指示は出さない。故にこれは様子見。剣軍の第一波が禍ツ神に殺到すると同時、ありったけの力を込めて地面を蹴る。
「シッ!」
限界まで捻った体を解き放つ。渾身の力を込めた斬撃を、禍ツ神の胴へ叩き込んだ。
剣を落としそうになる程に硬い手応え。赤い斬撃痕が初めて刻まれ、禍ツ神の凶々しい目が、俺を捉えた。
「っ!?」
突き刺さる怖気。強張る体を無理矢理操って、どうにかエスピアツィオーネを体の前に翳し–––––
「ぐあッ!?」
激痛。打撃を受けた両腕から衝撃が全身を走り抜けた。
技巧も何もない。ただ単純に腰から抜き放った刀をこちらへ斬り上げただけ。
固定物のない空中では、その斬撃の勢いを殺すことなどできない。オレの体は容易く吹き飛ばされ、壁に激突した。
「レンッ!!」
キリトの声が頭に響く。痛む体を無視して、直ぐさま立ち上がる。
「オレのことは気にせず早く行け!」
対空させた剣軍を再び射出する。そうだ、自身の役目はキリトとアスナを無傷でヒースクリフの前まで辿り着かせること。
それのみに、専心する。
「スゥッ」
短く息を吸い込み、地面を蹴る。今この瞬間、感覚はいらない。痛みも、剣の重さも、全てを置き去りにして–––––
「フッ!」
振り下ろされた大刀の横腹を弾き軌道をズラす。顔のすぐ横を奔った豪剣に戦慄しつつも、その足を止めることはしない。
距離が縮むにつれて禍ツ神の攻めは激しくなる。だがキリトとアスナはもう少しでヒースクリフの下へ辿り着く。
そして、あの二人ならば、ヒースクリフを斃せると信じている。
だから–––––
「邪魔を、するなァッ!」
剣に宿した光を解放。エクスカリバーよりも威力は落ちるが、その分速射と連射に優れた『リライトスレイヴ』。
迸る光の剣が禍ツ神の胴を斬り抉る。最上級のインゴットで生成されたであろう堅固な鎧を打砕き、漆黒の肉体に赤い裂傷を刻んだ。
初めて得た会心の手応え。
だが、それを喜ぶ余裕はない。
大刀が振り下ろされた。回避は間に合わない。そう判断してエスピアツィオーネの腹を突き出す。
「ぐぅッ!?」
–––––とてつもなく、重い!
剣から伝わる尋常ではない重量に思わず膝を折る。渾身の力で押し返そうとしても、それよりも倍の力で以って押し返されてしまう。
それでも!
「ッ、ラアァッ!」
相手の呼吸を読み。
持ち得る全ての力を使い。
現状の技術を駆使し、一瞬のみ禍ツ神の大刀を押し退ける。
その一瞬を見逃さない。剣同士の接触が離れた刹那、エスピアツィオーネを大刀の側面に添える。
再度、先程の倍以上もの力が加わった斬撃がエスピアツィオーネを滑り火花が散る。
受け流された大刀はその勢いのまま床を粉砕した。もしこれを喰らったら一溜まりもないが、そんな『たられば』の話をしてもどうにもならない。今は躱すことができたのだから、それでいい。
そして。
「足元がお留守だな…!」
再び光の剣を撃ち放つ。渾身の斬撃を受け流されたことで身動きの取れない禍ツ神の足甲を切り裂く。
そのすぐ下を、黒と白の色彩が駆け抜けて行った。
「頼んだぜ、キリト、アスナ……!」
役目は果たした。
後は、生き残ることのみ。
† †
「茅場ぁぁぁぁッ!」
黒衣の少年が吼える。親友が切り拓いた道を駆け抜け、遂に辿り着いたのだ。この悲劇の根源、ソードアート・オンラインの創始者、茅場晶彦の下に。
黒と白の剣が疾る。有無を言わせぬ斬撃、恐らくはこの世界で最も速く、重い一撃が茅場目掛けて振り下ろされる。
「ようこそ、キリト君」
だが、その程度で斃せる敵である筈もない。
薄い笑みと共に掲げられた純白の盾が、至高の一撃を完全に防いでみせた。
「そして、アスナ君」
「ッ!」
正に不意打ちであった筈の側面からの刺突をあっさりと片手剣で防がれ、アスナが驚愕に目を剥く。
「いやはや、全くもって彼には畏れ入る。よもや、アレを一人で抑え込んでしまうとは。確かにHPは減らしたが、その他の筋力やらは元の数値のままなんだがね」
「そんな雑談を聞いている暇はありません。団長、貴方は私達が倒します」
今の二人に時間はない。急がなければ、一人であの怪物の相手をしているレンが死んでしまう。それだけは、決して認められることではないのだ。
「ああ、いいだろう。君達も私の下へ辿り着いた紛れもない勇者だ。さあ、来るがいい。君達が積み上げてきたその全てを以って、私を打ち倒してみせてくれ!」
「言われずとも、そうするッ!」
黒白の剣が神速となって茅場を襲う。それを純白の盾で叩き落とし、キリトの背後から突き込まれるレイピアの刺突を躱す。
盾と同色の剣が、真紅の光を宿す。
「アスナ!」
「うん!」
茅場の所有する神聖剣というソードスキルはほぼノーデータだ。分かっているのは唯一、レンに防がれた単発垂直斬りのみ。
だが。
「二人なら…!」
細剣、ランベントライトに青い輝きが灯りアスナの右腕が撓る。
紅と碧が激突する。筋力では茅場がアスナを上回る。だが剣技の正確さで言えば、アスナが茅場を超える。
故に、少しの角度をつけて差し込まれた青き細剣は、茅場の剣を軌道を完全に逸らした。
「キリト君!」
ソードスキルは規定の型から外れればその輝きを失う。それはこの世の創造主たる茅場でさえ例外ではない。
アスナにより剣の軌道を無理矢理ズラされた茅場は態勢を崩し–––––
「舐めてもらっては困るな」
アスナの目に、剣と同じ、真紅の光を宿した十字盾が写った。
「っ–––––!」
忘れていた。茅場、いやヒースクリフの持つ神聖剣は、剣盾一体の謂わば二刀流。例え剣の軌道をズラされようが、盾さえ所定の位置にあれば、そのソードスキルは問題なく発動する。
「舐めるなって、それはこっちのセリフだぜ…!」
されど相対する者もまた、二刀を操る剣士である。紅の閃光を迎え撃つように、青の剣尖が迸った。
盾の打突と直剣の刺突。着弾点はほぼ二人の中間。ただ、無理な体勢から繰り出したせいか、ヒースクリフの盾が押し切られた。
「ぬぅ…っ」
一対一の勝負ならば、仕切り直しもできただろう。だが、ここには、もう一人いる。
「セヤァァッ!」
再び青いレイピアにペールブルーの輝きが宿る。今度は外さぬと、ヒースクリフの胸に左手を翳す。
–––––勝てる!
「下がれアスナッ!!」
そのキリトの声がアスナに届いた直後、彼女の目の前に、巨大な何かが振り下ろされた。
強烈な風圧に体勢を崩し、そのソードスキルは霧散する。巻き起こった煙を掻き分けながらアスナが見たのは、遥か頭上から打ち下ろされた長大な刀身だった。
「そんな……!」
それは禍ツ神が腰に差していた長刀の一振り。それが今、彼女の前にあるということは、つまり–––––
「レン君!?」
煙が立ち込める背後を振り返る。薄っすらと晴れてきたその先に、壁に背を預け瞳を閉ざすレンの姿があった。
まだ、HPが完全に消滅した訳ではないのだろう。だが、残りわずかなそれが掻き消されるのも時間の問題だ。
「アスナ!」
キリトの声に、アスナの意識が引き戻される。目の前に迫った白剣の刺突を紙一重で躱し、なんとか奇襲を仕掛けてきたヒースクリフから距離を取る。
「流石に、狂騒状態に至ったコレを倒すには至らなかったか」
よく見れば、禍ツ神のHPはその殆どを失いかけていた。そのせいか、見開かれた瞳は赤き燐光を宿し、背に背負っていた双槍も抜き放たれている。
間違いなく、レンはこの化け物を一人で抑え込み、あまつさえ、追い込んでいた。それなのに、自分達は間に合わなかったのだ。
「所詮、彼もそこまでだったということか。残念だが、これで引導を渡してやるとしよう」
† †
ヒースクリフが右手を上げ、それに連動するように禍ツ神も右手の刀を振り上げた。その先には動かぬレンの姿。
その光景を、ディアベルは地に伏せて見守ることしかできなかった。
かつて己を救ってくれた恩人の、死の間際。夢にも見なかった、英雄の呆気ない死に様を––––––––––
「レンッ!!」
声が重なった。
しかし、一体誰と–––––
「はあああっ!」
痺れる身体を懸命に動かしながら見たのは、振り下ろされた大刀を横から突き穿つ蒼の長槍。それを操る人物は、ディアベルも知る人物だった。
「ユメさん! 何故ここに…!?」
「オレっちが連れてきたのサ」
「アルゴさ、ぐっ!?」
頭上から、聞き慣れた声がした。その人物は身動きのとれないディアベルの腰に座り込み、緑色の液体の入った瓶を彼の眼前に置いた。
「ヒースクリフの野郎に麻痺られるのと同時に転移結晶で戻ってきたヤツがいてナ。一頻りの事情を聞いて、一緒にいたユメっち連れて駆けつけたって訳サ」
なるほど、幾らこの空間が結晶無効空間といえど、扉が閉ざされたとしても、部屋の主たるボスさえいなくなればその効果は消えて無くなる。だから
転移結晶も使えたし、後から来たアルゴやユメがこのフロアに入ってこれた。
そのクリスタルで帰還したプレイヤーは、臆病ながらも結果的に、レンの命を救ったということだ。
「そして、コレがこの世界で作れる最高ランクの解毒薬ダ。幾らゲームマスターが仕掛けてきた麻痺だとしても、この世界の上限は超えてないハズだからナ。多分、麻痺は解ける」
「なら、コレを早く皆に!って痛い!」
アルゴのゲンコツがディアベルの頭に落ちた。身動きのとれないディアベルは、その勢いで地面に顔を打ち付けるハメになる。
「最高レアがそう易々と作れて堪るかヨ。
……ソレが最初で最後なんダ」
この世界屈指の情報屋、『鼠』と『猫』が持てる知識と人脈と金と脅しを総動員して、やっと作れたのがこの一本だ。
だからこそ、この解毒薬で復活できるのはこの状況を覆すことができるジョーカーでなければならない。
アルゴはそれになり得るのは初めからディアベルくらいだと思っていた。この世界で生きるプレイヤーの命が、全てのし掛かるのだ。
だから、問わねばならない。
「お前に、死んでも戦う覚悟はあるカ?」
その覚悟を。その身を犠牲にしてでも、戦い続ける、あそこで寝ている大馬鹿と同じ意思を持つことができるのかと。
答えはすぐに帰ってきた。
「そんな覚悟はない」
「お前…!」
ハッキリとディアベルは断言した。
死ぬ覚悟はないと。レンと同じ意思は持てぬと。
–––––ならば、ダメだ。この薬を、この男に渡す訳にはいかない
落胆を覚えながら、ディアベルの眼前に置いた解毒瓶に手を伸ばす。アルゴの指先が瓶に触れる寸前、青い腕甲に覆われた手が瓶を掴み取った。
「ディアベル!」
そのまま、麻痺に抗いながらディアベルは解毒薬を飲み干した。痺れが、徐々にだが薄れていくのを感じた。
無理矢理起き上がろうとするディアベルの腰からアルゴは飛び降りる。
「死ぬ覚悟なんか、俺にも、レンにもないさ。
絶対に皆は助ける。そして俺達も生きて帰る。その為の覚悟なら、疾うにできている」
青い聖騎士は再び立ち上がる。身体に残る不快な痺れを噛み殺して、その両手に騎士たる象徴を握り直す。
「ありがとう、アルゴさん。待っていてくれ、直ぐに終わらせる」
† †
「ぐっ……!」
右脇腹を抉る大刀。
左肩を穿つ大槍。
一撃のみで致命傷足り得る禍ツ神の乱舞を、ユメは紙一重でやり過ごしていた。意識はこれまでにない程に加速している。身体はいつもより軽いし、手に握る愛槍も不思議と重さを感じない。
それでも、紙一重で凌ぐのが精一杯だった。
所謂『ゾーン』という状態に突入しているにも関わらず、敵の攻撃の度に命の灯火が消し去られようとしている。
「……っ、まだ!」
だが、自分がここで倒れる訳にはいかない。後ろには彼がいる。こんなにボロボロになるまで一人でこの化け物を追い込んでいた、守るべき彼がいる。
例え、この命を落としてでも–––––
「う、おおおッ!」
その覚悟を、ディアベルは認めなかった。
裂帛の気合いを以って、大刀を盾で弾き返し、大槍を剣で叩き落とす。衝撃と轟音が、フロアを揺らした。
それでも禍ツ神は止まらない。叩き落とされた大槍の代わりに、もう一本の刀を抜き放ち、大きく一歩を踏み出す。
二本の大刀に、血の如き朱が宿る。
「ユメさん、俺の後ろに!!」
アレは不味い。マトモに喰らえばHPなど欠片も残るまい。剣を鞘に戻し、両手で盾を握り締める。
『■■■■■■■ーーーーッ!!』
地の底から轟く雄叫びと共に、限界まで引き絞られた身体が解放された。恐らくは大刀二本による単発右薙。
全身全霊を以って、踏ん張れば––––––––––
「ぁ……ッ」
大刀と盾が衝突した刹那、ディアベルは仮想の肉体が崩壊する音を聞いた。
声を上げる余裕もない。世界を断ち切りかねない一撃で、ディアベルは盾ごと弾き飛ばされた。砕け散る盾の破片を撒き散らしながら、壁に激突する。
「ディアベル…!」
幸いにも、彼にはまだ意識があった。崩壊した盾の代わりに剣を抜き、それを杖代わりに立とうとするが、未だ麻痺が抜けきらないのも相俟ってか、その身を再び起こすことは叶わない。
それでも、目の前の少女に危機が迫っていることは分かった。叫ぼうとして、しかし声が全く出ないことに気づく。
ユメがそれに気づいた時はもう手遅れだった。スキル使用後の硬直から復帰した禍ツ神の大刀が、ユメに向かって振り下ろされていたのだ。
『■■■ーーーッ!!』
回避も、防御も間に合わない。ユメに出来たのは、目を見開くことだけだった。
だが何時だって。そのどうしようもない絶望を、己の身一つだけで覆してきた男がいた。
別に、その男が特別だったという訳ではない。ただ一つ。彼には、彼を構成する強固たる意思の力があるのみだった。
だからこそ強い。だからこそその魂は砕けない。
何時だって、その男は英雄の如く。
「是、射殺す百頭ッ!」
先程の禍ツ神の一撃を上回る、正真正銘、世界を断ち切る九連斬。その絶技に断てぬ物は無し。己の身に走る激痛に表情を歪めながら、しかし、今度も男は護りたいモノを護ってみせた。
護る為ならば、黄泉の淵からでも、冥界の門からでも戻って来る。誓いを果たす為ならば、地獄の番犬すらも斬り裂いてみせよう。
「–––––ありがとう、二人とも。後はオレに任せてくれ」
終世を誓った英雄は、何度でも立ち上がってみせるのだろう。
† †
「かッ……は…」
全身が焼付くように熱い。
脳の許容量を超えた痛みが熱に代わってオレの意識を塗り潰そうとしている。
今、この仮想の肉体は熱に支配されていた。ただ熱い。只管に、狂いそうな程の熱を感じるのみだ。
それが逆に、まだオレは生きているのだと実感できる。
それだけで十分だ。この体が世界に繋ぎとめられている限り、まだオレは戦うことができる。
視界が狭く、暗い。
–––––ああ、右目が潰れたか。
剣戟が遠く聞こえる。
–––––恐らく、聴覚が逝かれたのだろう。
左手に何もないな。
–––––どうやら斧剣は落としてしまったらしい。
「だから、どうした……!!」
右目が潰れたなら左目を見開け。
聴覚が逝かれたなら他で補え。
剣がないなら取り出せばいい。貯蔵なら幾らでもある。だが、ここで握る剣は決まっていた。
「来い!」
その剣は罪の証。罪の結晶。
仲間の血に塗れた、忌まわしい漆黒の剣。それでも。いや、だからこそ、今この瞬間に相応しい。
「……投影開始」
容赦なく叩き込まれるのは、この剣に刻まれた罪の記憶。オレが殺してきた者達の最期。
今まで、この記憶を恐れ避け続けてきた己とのトラウマを、真っ向から対峙する。
ああ、どいつもこいつも見覚えのある顔ばかり。人の良さそうな笑みを浮かべやがって。
知ってるよ。お前達の誰一人として、オレを恨んでいないってことなんか。
ああ、分かってるよ。
お前達への贖罪を乗り越えて、オレは必ずこの世界を終わらせてみせる。
「贖え、罪纏う神裁の剣!!」
その血塗れの真名を呼ぶ。
呼び掛けに答え、罪の名を冠する剣は黒い霧を吹き散らした。やがてその黒霧はオレを飲み込み、そして喰らった。
クリミナルエスパーダのスキルはソードスキルではなかった。
これはステータスアップの効果。その一刀に全てを宿す一斬必倒の剣。
振るえるのはただ一刀。それで倒せなければオレは死ぬ。
だが、
「それで、十分…!」
漆黒の剣の柄を握り締める。
残りHPが少ないのか、禍ツ神は未だ狂騒状態にある。だがもう、そんなことは関係ない。オレは、ただこの一刀をアレに刻む。それのみに専心する。
『■■■■■■■■ーーーーッ!!』
「エクスカリバー–––––!」
『卑王鉄槌』。
極光は反転する。
全てを染め上げる白は、全てを飲み込む黒に変質する。漆黒の剣から、夜の闇よりも暗い黒が溢れ出した。
禍ツを纏う神が惹かれる程に、その闇は純黒を宿す。
地を蹴る。衝撃で地面が砕け散るのも厭わず、ただ魂の命ずるままに駆けた。
その様はまるで黒き流星だ。
気づけば、既に禍ツ神の懐深くにいた。
さあ、
振り降ろせ–––––!!
「–––––モルガァァアアアンッ!!」
† †
放たれた反転極光剣によって、その空間は闇に覆われた。光など存在しない。そんなものは、この純黒の前ではみんな無に帰す。この世界で、輝くことは叶わない。
だがその闇を、ここにいた誰一人恐ろしいと思わなかった。それは知っているからだ。この闇は何れ消え去るものだと。終世の英雄の前に立ちはだかった壁を喰らい潰し、光が戻って来るのだと。
そして、その闇は直後に放たれた光に切り裂かれた。
反転極光剣は、クリミナルエスパーダの効果が消えた刹那に極光剣へと立ち戻ったのだ。
『■■■ーーーーッ!?』
それは神の断末魔。
世界を終わらそうとする強靭な意思の前に、虚ろな武神は敗れたのだ。
全身を覆う甲冑ごと、脳天から叩き斬られた武神は、その身を膨大な光の粒子として消えた。
「……は、はは」
消え去って行く禍ツ神の巨体を見ながら、茅場は呆然としていた。
第九十九層。真の勇者以外は全て殺してしまうつもりで配置していたチート級の化け物が、たった一人によって撃滅された。
なんという、規格外の人間なのか。彼の持つ『無限剣』も使いこなせば十分異常なスキルだ。だが、このスキルが付与されるプレイヤーは、『この世界で最も重い通信障害を負っている』プレイヤーのはず。
つまり、茅場の想定では、無限剣を所持するプレイヤーは決して最前線で暴れる攻略組ではなく、中層や下層で生活する人間達が無意味に使い潰すものだった。
確かに、彼の通信障害は酷いものだった。脳とナーヴギアの接続不良によるペインアブゾーバの機能不全、それによって引き起こされる強制シャットダウン未遂。
だがそれら全てを乗り越えて、彼は遂に神すらも打ち破ってしまった。
正直に言って、想定外。だが、望外の喜びでもあった。
そう、あらゆるハンデを乗り越えて、彼は真の英雄となった。茅場の望んだ通りに。
–––––素晴らしい。
讃えよう。賞賛しよう。
新たな英雄に栄光を。新たな神話の創造に、万雷の喝采を。
「まだ、終わってない!!」
その余韻を切り裂くように、黒の剣士の声が響いた。
そうだ。まだ、終わっていない。まだ、終わらせたくない。
「うおおお!!」
キリトの剣は先程よりも鋭くなっている。最早、茅場に最初の頃の余裕はない。
「はああ!」
それに加えて、絶妙なタイミングでアスナの援護が殺到する。裁ききれない刺突が、純白の鎧を撃ち欠いていく。
正に阿吽の呼吸。互いが互いの足りない部分を補い合い、茅場に反撃の隙を与えない。
それでも、黒の剣士と閃光の二人がかりの攻撃を辛うじてとはいえ防いでいる茅場の技量も凄まじいものである。
だが攻めに転じることはできない。僅かにだが、確実に減り続ける命の残量に、茅場は賭けに出ることにした。
「この世界、終わらせるにはまだ惜しいのだッ!」
キリトの剣が下段から振り上げられる。アスナの迎撃に回していた盾は間に合わない。ならば。
–––––時を盗む。
茅場にのみ許された、システムのオーバーアシスト。世界でただ一人加速した茅場の盾が、キリトの剣の射線上に現れる。
–––––時が戻る
「っ、うおおお!」
尋常ではないスピードで戻ってきた盾に瞠目しつつ、その剣を力尽くで振り抜く。だが、その鉄壁を突き崩すことはできず。ただ甲高い金属音を響かせただけだった。
再び、今度は背後にいるアスナからの攻撃を防ごうと、時を盗み–––––
「なに…?」
背後にアスナの姿がない。
一体、どこに–––––!?
「上よ」
頭上から、青い輝きが降り注ぐ。今のアスナに放てる最速の刺突。だが再び時を盗んだ茅場の盾が迎撃に成功してしまう。
右手に伝わる硬い手応えに、アスナは笑みを浮かべた。
「届けえええええ!!」
しまった、と気づいた時にはもう何もかもが遅かった。
振り上げられた漆黒の剣が、鎧ごとヒースクリフの身体を叩き斬った。
まるで時が止まったようだった。
斬撃の余韻が続く間、この場にいた誰もが息を呑み–––––
そして、ヒースクリフのHPはゼロになった。
† †
「ああ、残念だ」
静寂に包まれた空間で、その身を光に変えながら白き魔王は呟いた。
心の底から、残念に思うと。
「だが、私はゲームマスターとして言わねばならない」
鐘が鳴り響く。いつもの定刻に鳴るものではない。勇者の、勝利を讃える福音だ。
「おめでとう、プレイヤー諸君」
その表情にいつもの冷たさはなく。しかし慈愛の笑みでもなく、ただ穏やかに、どこか達観したように微笑んでいた。
「君達の、勝利だ」
そう言い残して、茅場の身体は全てがポリゴンの欠片となって散った。
–––––ゲームはクリアされました
無機質な機械音声がそう告げる。
恐らく今の放送でアインクラッド中に行き届いただろう。
そう、今この瞬間。
数えきれない程の悲劇を生み出した悪夢のゲーム、ソードアート・オンラインは終わりを迎えたのだった。
to be continued
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