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幽霊でも女の子

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1部分:第一章


第一章

                   幽霊でも女の子
「夏涼しくて冬は暖かい」
 それがこの部屋の売り込みであった。
「いい条件でしょう」
「まあね」
 三田政之は不動産屋の太った親父の話を少しドライに聞いていた。
「売り込み言葉の定番だね」
「お兄さん随分とすれてるね」
「だっていつも聞く言葉だから」
 そのすれた調子でまた言うのだった。
「そうじゃないの?おじさんだってその言葉今まで数えきれない位言ってるでしょ」
「よくわかってるね、本当に」
「親戚に不動産屋さんいるしね」
 そうした理由からであった。彼がこうして不動産の商売に対して醒めているのは。そのクールな調子は全く変わる様子がなかった。
「それでなんだ」
「その人には部屋を紹介してもらわなかったのかい?」
「この前喧嘩してね」
 憮然として親父に答える。茶色の長い髪の下にある細い目が随分と険しくなる。不機嫌であるのがその目を見ただけでわかる。
「それで御前には部屋なんか紹介するかって言われたんだ」
「そうだったのかい」
「また心が狭くてね」
 そう言って親戚を批判しだした。あまり褒められたことではないが彼には自覚がない。
「自分の娘とデートしただけでさ」
「デートしただけでそんなに怒るかね」
「ついでに結婚していいかって冗談で言ったら」
「そりゃ悪いに決まってるな」
 親父はそこまで聞いて納得した。当たり前だこの馬鹿と顔で政之に言っていた。
「冗談でも言うものじゃない」
「ちぇっ、そうだったのかよ」
「それでわしのところに来たのか」
「ああ。いい部屋ある?」
 今度は横柄な態度で親父に尋ねた。
「あったら教えてよ。その夏涼しくて暖かい部屋」
 これだけではなくさらに注文をつける。
「風呂トイレ台所付きね」
「それは今時当たり前だろ?」
「それで月二万」
「待てこら坊主」
 今の月二万には親父も流石に憤慨した。
「今時そんな家賃の部屋があるか」
「敷金礼金もなしでね」
「御前さんはわしをからかってるのか!?そんな部屋が・・・・・・いや」
「何だ、あるじゃない」
 親父が視線を左に泳がせたのを見てすぐに察した。性格はかなり問題があるが頭と勘はいいことがわかる。あまりいい方向には使っていなくとも。
「だったらさ。何処なんだよ」
「ああ、そこでいいんだな」
「昔に何があっても平気さ」
 彼は己の図太さを自覚して言うのだった。
「だったら教えてよ」
「わかった。これだ」
 そう言ってあるアパートの部屋を紹介してきた。
「ここに入れ。いいな」
「じゃあ後は引っ越すだけだね」
「そのかわり後で文句を言っても知らんぞ」
 親父は険しい顔で政之に忠告した。
「何があってもな。ただし出て行くのは勝手にしろ」
「ヤクザと同居でも平気さ」
 しかし政之はそう言われても全然平気であった。まるで蛙の面に小便であった。本当に態度が全く変わりはしないのだ。
「そのヤクザ屋さんノイローゼにして出て行ってもらうしね」
「ヤクザだと思うのかい」
「そうじゃないのかい?」
 政之は親父の剣呑な口調からそう考えていた。しかしそれはどうやら違うようであった。
「まあそれは行ってからのお楽しみだね」
「また随分と意地悪いな、あんたは」
「御前さんの性格に比べればましだよ」
 親父はこう政之に言い返した。冗談ではないといったふうであった。
「全く。御前さんみたいな奴ははじめてだ」
「タフだとは言われるね」
「いいふうに考えるんじゃないよ、あんたは図太いっていうんだ」
 この親父も結構な性格として周囲から評判であったが政之はそれ以上であったのだった。
「そんなあんたなら絶対大丈夫だね」
「その部屋でもか」
「というかあれだろ」
 また政之を剣呑な目で見てきて言ってきた。
「あんたは戦場でも死体が側に転がっていても平気だろ」
「銃弾が来ないところで寝て死体はどっかによけておけばいいさ」
 彼はその嫌味に満ちた問いに平然として答えた。
「それだけじゃないか」
「だろうな。じゃあほれ」
 ここまで話したうえで鍵を出してきた。
「それでこれが地図だ」
「駅からすぐ側なんだな」
「そうさ、駐車場もある」
「いたせりつくせりな部屋だな、何か」
 政之はさらに満足した。本当に全然平気である。
「これで月二万かよ」
「普通はここで幾ら何でもおかしいだろうって思うもんなんだがな」
「そのおかしいことに平気ならそれでいいんだよ」
 政之はまた平然として親父に言葉を返すのであった。
「あんたには悪いけれどな」
「ふん、じゃあとっとと行っちまいな」
 親父はこう言い捨てて彼を行かせた。
「家賃は毎月こっちに送るだけでいいからな」
「手渡しじゃなくてもいいのか」
「あんたの顔は二度と見たくないんだよ」
 ここまで嫌いな相手に貸す部屋だ。やはり絶対に何かがあるのであるがそれでも政之は平気な顔をしたままであった。しかもこれが虚栄ではないから凄いのである。
「わかったな。じゃあさっさと行っちまいな」
「わかったよ。まあこっちにはちょくちょく来させてもらうぜ」
「こっちとしてはそんな気遣いは一切不要なんだがね」
「気遣いじゃないさ。ここのお茶とお菓子が美味いからさ」
 今出されているお茶とお茶菓子について述べてきた。
「随分いいものを出してるね。幾ら何でも部屋を貸している人間が来たらこれ位出してくれるよな」
「あんただけは特別に出さないでいたいがね」
 そうは言っても出さないわけにはいかない。彼も商売人だ。最低限のルールは弁えているのである。かなり不快なものを感じているにしてもだ。
「その時はな。ただ何もなくて来るんじゃないよ」
「理由は作るものさ」
 また悪びれずに言う政之だった。
「それじゃあそういうことで」
「母さん塩だ塩」
 政之が席を立ったところで親父は店の奥に顔を向けて叫んだ。
「こんな性格の悪い奴ははじめて見た。縁起でもない」
「それはいいことで」
 政之はその親父を振り返りもせずにこう言うのであった。彼にしてみれば振り返って見るまでもなかった。どんな顔をしているのか手に取るようにわかっていたからだ。何はともあれこれで彼は格安の価格で別格の部屋を手に入れることができたのであった。
 
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