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銀河英雄伝説~悪夢編

作者:azuraiiru
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第五十五話 強かな男の狙い



帝国暦 489年 5月 13日  オーディン  新無憂宮  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



最高司令官閣下が新無憂宮の一室に政府閣僚を集めた。閣下は帝国宰相を兼任しているからその事に問題は無い。そしてシュテルンビルト子爵夫人、ノルトリヒト子爵夫人、ペクニッツ子爵にも召集をかけた。閣僚達は皆居心地が悪そうな表情をして椅子に座っている。

三人の貴族はいずれもゴールデンバウムの血を引いている。本来なら呼び付けられるような存在ではないし下座に坐る様な存在でもない。その事を考えているのだろう。そして三人の貴族達も居心地が悪そうに椅子に坐っている。彼らは以前と違って絶対的な権力、権威を保持していない事を席の位置で改めて示された。何故ここに呼ばれたのか不安なのだ。

そして私とマリーンドルフ伯爵令嬢も会議への参加を命じられた。宰相閣下の両脇に並ぶ。マリーンドルフ伯爵令嬢の顔は強張っていた。おそらくは私も同様だろう。これから何が話されるか、あの三人が呼ばれた事で想像がつく。それを考えると胃が痛くなる様な感じがする。

「皆、揃ったようですね」
最高司令官が口を開くと皆が彼に視線を集中した。それを気にかける事も無く最高司令官が言葉を続けた。
「少々厄介な問題が発生しました。それについて我々は話し合わなければなりません。宮内尚書、皆に話してください」

ベルンハイム男爵が困惑した表情でノロノロと立ち上がった。皆の視線が集まる中、気不味そうに三人の貴族に視線を走らせる。
「先日、宰相閣下の御命令で陛下の遺伝子、血液を調べました」
皆が顔を見合わせ、そして最高司令官閣下をちらっと見た。しかしそれだけだ。誰も口を開こうとしない。

「理由は陛下は未だ御幼少、当分御世継ぎを儲ける事は出来ません。もし陛下の遺伝子、血液に異常が有りそれが陛下の御命に係わる場合、我々は早急に後継者を選定しなければならない。それが宰相閣下の御考えでした」
ベルンハイム男爵が沈痛な表情で話す。話しの内容はおかしな事ではない。しかし閣僚達、貴族達は凍り付いた様に動かない。宰相閣下が“厄介な問題が発生した”と言った事を思い出したのだろう。

「陛下の遺伝子、血液を調べた結果異常は見当たりませんでした。陛下は至って健康であらせられます」
彼方此方で身体の力を抜く姿が見られた。甘いわよ、貴方達。厄介な問題が発生したと言ったのを忘れたの? フロイライン・マリーンドルフも微かに冷笑を浮かべている。第一、発言者のベルンハイム男爵は頻りに汗を拭いているのが見えないのかしら。

「その際、ある事実も確認されました。陛下は亡くなられたルードヴィヒ皇太子殿下の御子ではありません」
“馬鹿な”、誰かが呟いた。
「事実です。先帝陛下とも血縁関係が無い事が確認されました。陛下はゴールデンバウムの血を引いていないのです」
ベルンハイム男爵が首を横に振って答えた。また皆が凍り付いた。

「ご苦労でした。ベルンハイム宮内尚書。質問は有りませんか」
最高司令官の言葉に男爵がノロノロと椅子に座った。そのまま視線を避けるかのように俯いている。誰かがゴクッと喉を鳴らす音が聞こえた。どう受け取れば良いのか分からないのだろう。最高司令官閣下も無言のままだ。多分、皆の反応を確認しているのだろう。

「その、よく分からんのだが、このような場合どうなるのかな。宮内尚書、御存じなら御教示願いたい」
困惑しながら宮内尚書に問い掛けたのはオスマイヤー内務尚書だった。ベルンハイム宮内尚書が顔を顰め大きく息を吐いた。多分、宮内尚書という職に就いた事を今ほど後悔した事は無いだろう。

「このような事は前例が有りませぬ。どうなるかと言われても……、お答えしかねます」
「しかし卿はこの問題を一番最初に知った筈。如何すべきかも考えたのではないかな」
内務尚書の問いに何人かが頷く姿が見えた。宮内尚書がまた顔を顰めた。本音を言えば知った事かと言いたい気分だろう。

「本来であれば畏れ多い事では有りますが廃立され新たな皇帝が即位されるべきだと考えます」
何人かが頷いた。そして三人の皇族が身体を強張らせるのが見えた。新たな皇帝は三人の家から選ばれるだろう。だがその事を喜べない現実が有る。三人はそれを理解している。

「現時点で廃立は考えていません」
「……」
静かな口調だった。だが最高司令官閣下の言葉に誰も反駁しない。ただ何人かが顔を見合わせたのが見えた。“現時点で”、意味深な言葉だ。最高司令官は廃立を否定はしていない。

「文武百官が陛下の御即位を寿いだのです。それに陛下の御即位に伴い内乱が発生し大勢の人間が犠牲になりました。今更あれは間違いでした、新しい皇帝をとは言えません。ですがこの事実は公表します」
今度は閣僚の殆どが顔を見合わせた。物問いたげな視線を最高司令官閣下に向けている。

「良からぬ者が陛下を利用しようとするかもしれません。例えば陛下を誘拐して新たな政府を樹立する。それによって現政府に反対する人々を結集する」
ざわめきが起きた。なるほど、最高司令官に反発する人間、特にゴールデンバウム王朝に忠誠を誓う人間なら行う可能性は有る。伯爵令嬢が大きく頷くのが見えた。

「私の顔を潰すという意趣返しの意味でも行うかもしれません」
「……」
「しかし陛下がゴールデンバウムの血を引いていないなら誘拐の対象にはなりません。至って安全です」
酷い言い方だ。要するに皇帝なんか誰でも良い。でもゴールデンバウムの人間が皇帝だと誘拐されるかもしれないから別な人間を皇帝にしておこう、そう言っている。閣僚達も頷いてはいるけど複雑な表情だ。でも明確に反対を表明する人間は居ない。傀儡の皇帝なのだ、その事を誰もが理解している。

「事実が表明されれば危険なのはそちらの方々です。いずれも後継者は女性ですからね、帝国を私物化する悪い宰相から姫君を助けだす。そして帝国を正しい姿に戻す。そんな事を考える馬鹿が出るかもしれません」
三人の顔が大きく強張った。そんな事になれば如何なるか、それを考えたのだろう。

「オスマイヤー内務尚書」
「はい」
「そちらの方々に警備、護衛の手配を御願いします」
「承知しました」
内務尚書が答えると最高司令官が頷いた。そして視線を三人に向けた。

「多少御不自由をおかけする事になりますが御理解頂きたいと思います」
「お気遣い有難うございます」
「御配慮感謝いたします」
「有難うございます」
三人の貴族が口々に礼を言った。多分警備、護衛と言うのは監視も含まれている筈。三人もそれを理解しているかもしれない。それでも不満を言わないのは誘拐されるよりはましだと思っているからだと思う。最高司令官を怒らせる怖さを彼らは良く知っている。

最高司令官はペクニッツ子爵とベルンハイム宮内尚書に残る様に指示を出すと会議を終わらせた。子爵と宮内尚書の顔が強張っている。二人だけが残る様に言われた、明らかに怯えている。あまり良い事とは思えない。
「ペクニッツ子爵、正直に答えて下さい。金銭的な問題を抱えていませんか?」
「は、あの、いえ」
ペクニッツ子爵があたふたしている。もう無理、諦めて正直に話なさい。

「金銭面での問題で馬鹿共に付け込まれても良いのですか?」
「実は、ぞ、象牙細工の……」
「借金が有るのですね。幾らです?」
「その、七万五千帝国マルクです」
情けなさそうに子爵が言うと最高司令官が頷いた。

「他には有りませんね」
「有りません」
「分かりました。宮内尚書、予備費から払って下さい」
「承知しました」
宮内尚書はほっとした様な表情をしている。子爵も情けなさそうだけどほっとしている。

「シュテルンビルト子爵家、ノルトリヒト子爵家には帝国政府から百万帝国マルクが年金として支給されています。ペクニッツ子爵家に何も無いと言うのは少々不公平ですね。いずれ時期を見て同じ待遇にしましょう」
「有難うございます」
あのね、喜んでるけど分かってる? 時期を見て、そう言ったでしょ。つまりその時期ってのはゴールデンバウム王朝が滅ぶ時だと思うんだけど……。気付いてないわね。これじゃ滅ぶはずだわ……。



宇宙暦798年 6月 13日  ハイネセン  統合作戦本部  アレックス・キャゼルヌ



お茶の一時、ラウンジに置いてあった週刊誌を手に取った。表紙は若い女性が微笑んでいる写真を使っている。しかしその表紙には帝国の皇帝がゴールデンバウムの血を引いていないとタイトルが書かれていた。表紙とタイトルがなんとも不似合いな事だ。

銀河帝国は皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世がゴールデンバウム皇家の血を引いていない事を発表した。しかもDNA鑑定の結果も公表している。それが本当にエルウィン・ヨーゼフ二世のDNAなのかという疑問は有る。だがそれを除けば鑑定結果におかしな点は無かった。それが医学関係者の評価だ。

皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世はゴールデンバウム皇家の血を引いていないのかもしれない。だがそれだけだった。皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世は廃立されるわけでもなく今も皇帝の地位にある。そして帝国は混乱する事無く存在している。

おそらく彼はゴールデンバウム王朝最後の皇帝になるだろう。だがその皇帝が実はゴールデンバウム皇家の血を引いていないとは何と皮肉な事か。エーリッヒ・ヴァレンシュタインがゴールデンバウム王朝の幕を閉じる前に既に幕は閉じられていたのだ。

この問題に関しては同盟政府もはっきりしたコメントを出していない。エルウィン・ヨーゼフ二世が皇帝に相応しくないと言えば血統による皇位継承を認める事になる。ルドルフの遺伝子妄信を認めかねないのだ。皇帝に相応しいとは言えないが相応しくないとも言えない。

せめてエルウィン・ヨーゼフ二世に実力が有ればとは思っているだろうがそれを言えばヴァレンシュタインの簒奪を認めかねない。傀儡、しかも正当性の無い傀儡の皇帝。誰のための、何のための皇帝なのか。不思議な存在だ。こんな奇妙な存在がこれまで存在しただろうか……。

「それ、見てるんですか」
聞きなれた声だ。顔を上げるとヤンとアッテンボローが居た。
「休憩か、二人とも」
二人ともおかしそうに笑いながら同じテーブルの席に着いた。
「まさかキャゼルヌ少将がゴシップ記事に興味があるなんて思いませんでしたよ」

「ゴシップだと思うか、アッテンボロー」
「そう思いますね。簒奪する前にゴールデンバウム皇家の権威を落としておこう、そんなところでしょう」
アッテンボローが肩を竦めた。元々ジャーナリスト志望だからな、詰まらんゴシップ記事には拒否感が有るのだろう。だが……。

「俺はそうは思わんな」
二人が俺を見た。
「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン。嫌な奴だが詰まらん嘘を吐くような奴じゃない。DNA鑑定なんて簡単に出来る、嘘を吐いても直ぐばれるんだ。この記事、多分事実だろうな」
アッテンボローとヤンが顔を見合わせた。

「ヤン、お前さんは如何思う?」
「さあ、何とも言えませんね」
ヤンが髪の毛を掻き回した。
「ですが確かに嘘だとは決めつけられない。これが嘘ならちょっと底が浅過ぎるのは確かです」
アッテンボローは幾分不満そうだ。

「しかしこれが事実だとしてわざわざ公表する意味は何です、先輩」
「そうだな、……反ヴァレンシュタイン勢力を混乱させられるだろう。本来皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世は彼ら反ヴァレンシュタイン勢力の忠誠心の向かう先だった。皇帝への忠誠心が彼らを一つに纏める筈だった」
「……」
ヤンがまた髪の毛を掻き回した。

「ところがエルウィン・ヨーゼフ二世はゴールデンバウムの血を引いていない。皇帝になるべき人間じゃないんだ。反ヴァレンシュタイン勢力は誰に忠誠を捧げるか、そこから始めなければならなくなった。混乱するだろうし一つに纏まるかどうか……。時間がかかるだろう。それだけでもヴァレンシュタイン元帥は有利だよ」
「なるほど」
アッテンボローが頷いた。

「廃立しないのはその所為ですか。廃立すれば新たな皇帝を立てなければならない。当然だがその皇帝はゴールデンバウムの血を引いている。つまり反ヴァレンシュタイン勢力が新たな皇帝の名の元に纏まり易い」
「その可能性は有ると思うね」
“強かだな”とアッテンボローが溜息を吐いた。

「そう、強かだよ、アッテンボロー。彼は驚くほど強かだ」
「……」
「ヤン、お前さんの言う通りかもしれない。だがな、俺はヴァレンシュタイン元帥の狙いがそれだけとは思えない。別な事も考えているんじゃないか、そう思っている」
二人が俺を見た。

「皇帝が誰であろうと関係ない。帝国を統治しているのは自分だ。そう帝国人達に宣言しているんじゃないかな。エルウィン・ヨーゼフ二世が皇帝の地位にあればある程ヴァレンシュタイン元帥の影響力、支配力は強まる。彼がエルウィン・ヨーゼフ二世を廃して自らが皇帝になった時、それを簒奪と言えるのか? 真の実力者が偽の皇帝を廃して皇帝になっただけだ。帝国を正しい形にした、そうなるんじゃないか」
今度はヤンが溜息を吐いた。

「有りそうですね、それ」
「……」
「今のヴァレンシュタイン元帥にとっては敵の撃破以上に足元を固める事が大事なのかもしれない。エルウィン・ヨーゼフ二世はそのための道具か。情け容赦ないな」
ヤンが嘆息した。沈黙が落ちた。その沈黙を振り払うかの様にアッテンボローが頭を振った。

「父親、誰なんでしょうね」
「貴族だとは思うけどね、生きているか死んでいるか」
「死んでいれば幸いだな。生きていれば地獄だろう」
自分の不義の息子が帝国を終わらせる道具になっている。苦しいだろう、だが誰にも話す事は出来ない。話せば身の破滅だ。心の中に秘めて生きて行くしかない……。



 
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