藤崎京之介怪異譚
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last case.「永遠の想い」
Ⅲ 同日 PM.8:39
大聖堂へと戻った俺と奏夜は、共にアウグスト伯父の部屋にいた。
そこにはアウグスト伯父だけでなく、宣仁叔父と父の征一郎も来ていた。
「そうか…そんなことがあったか…。」
俺は見たままを三人へと話していた。その話を聞いたアウグスト伯父は俯き、呟くように言った。
「話さねば…からぬかのぅ…。」
「アウグスト伯父様…それはどういうことです?」
俺が静かにそう問い掛けると、前に座る三人は顔を見合わせた。決心着きかねると言った風に、その表情には苦悶の色が見てとれた。
暫くして、俺は言いあぐねている三人へと問った。
「僕は…何なんですか?」
その問いの刹那、三人の表情が凍った。
その変化は奏夜にも伝わったようで、彼はその表情を険しくして俺の問いに重ねた。
「兄貴に…何があるんだ?それは兄貴だけでなく、俺達にも関わることなのか?」
俺達…とは、妹と弟のことを指して言ったのだ。俺に秘密があったとすれば、それは自ずと自分達にも影響すると考えたのだろう。
暫くは沈黙が続いた。それは重く、まるで永遠にこうなのではないかと思う程だった。
窓の外は一条の光もない漆黒の闇が支配し、風だけが声を上げている。それはまるで助けを求める人の声のようで、俺は時間の重さに押し潰される感覚に陥っていた。
「京之介は…。」
その深い沈黙を破ったのは宣仁叔父だった。
「京之介は…告げられし者なのだ。」
「告げられ…って…。」
宣仁叔父の言葉に、俺も奏夜も困惑した。
たが、そんな俺達を前に、宣仁叔父は話を続けた。
「あれは…京之介のうまれる数年前。兄上と私は、ある御告げを聞いた。世の奇跡は廃れているため、私達はそれをサタンの声だと思った。だが不思議なことに、その声はこう言ったのだ。」
そこで宣仁叔父は言葉を切り、一呼吸置いてから再び話し出した。
「内容はこうだ。"汝らの中の女児、異教の者と結びて男児をなす。その男児、捨て去られし力を宿す者なり。それは悪しき力を退ける力であり、また、聖を退ける力でもある。諸刃の剣はその意思に関せず、振るわれる方へと傷をつけるであろう。"」
「そんな…!」
俺は思わず立ち上がった。今語られた言葉が真実ならば、それはとても恐ろしいことだ。意思に関せず…と言うことは、自分、すなわち力を持つ者の意思に関係しないと言うこと。それは自分以外の周囲に委ねられている…と解釈しても過言ではない。
それも無意識に…だ。そこには善悪の区別なんてない…そういうことなんだ…。
善意あるものが集まれば、それは容易く誰かを傷付けたりはしない。だが、それは不可能に近い筈だ。悪意が全く無い人間が、一体この地上のどこにいる?無意識下であっても、やはり悪意は存在している。
だったら…今までのことは…俺が…?
「京之介…お前のせいではない。そう思うことこそ、人の身にあっておこがましいというものじゃ。」
俺の心を見透かしたように、アウグスト伯父がそう言った。
「しかし…。」
アウグスト伯父の言葉に返そうと口を開きかけた時、それを遮るように奏夜が俺へと言った。
「兄貴。兄貴は誰かを殺したいと思うほど憎んだことあるか?」
「いや…それはない…。」
奏夜の問いに、俺は複雑な気持ちで答えた。今まで、奏夜が俺にそんなことを問うことなんてなかったから。
「だったら、兄貴は善なんだと思う。俺は…そんな憎しみを持ったことがある。いや…世界の殆んどの人間はそうじゃないか?それもまた人の感情だし、全くそれがないとは言い切れない。俺が見る限り、兄貴にはそうした邪な感情が極端に薄いんだ。だから…神への信仰心、愛が揺らがない。」
奏夜はそう言って、どこか寂しそうに微笑んだ。
すると、今度は宣仁叔父が言った。
「そうだな。私達でも憎しみを捨て切れているわけではない。だが、京之介には生まれながらにして、他者への愛が備わっていたように思う。」
皆はそう言っているが、俺はそこに違和感を感じた。なぜ…そんなことを言うのか分からない…。
確かに…俺は人を殺したいほど憎むと言うことはなかった。しかし…それが善であると言えるのだろうか?
否。それは断じて違う。
俺はただ、運が良かっただけなんだ。だから今までそういう感情を持たずにいられただけなんだ…。
「僕は…そんな大層な人間じゃない。単に運があっただけだ。」
俺が自嘲気味にそう言うと、奏夜はつかさずそれに返した。
「兄貴。文子叔母さんと初めて会った時のこと、覚えているか?」
「…ああ。それがどうかしたのか?」
「あの時、文子叔母さんは母さんのことを酷く罵った。だけど、兄貴はこう言ったんだ。"貴女は母さんが嫌いなんですか?それとも異国の方が嫌いなんですか?それとも、自分が嫌いなんですか?"ってな。」
「そんなこと…言ったかな…。」
「言ったんだよ。そしたら文子叔母さん、今度は兄貴を罵り始めはしたけど、次の兄貴の言葉で黙っちまったんだ。"人は生まれる時、時も場所も人間関係も選ぶことは出来ないんです。それは罪なのでしょうか?もしそうだとしたら…とても哀しいですね…。"」
そうだ…そんなことを言った気がする…。
あれは高校へ入ったばかりの頃。その時は丁度、父と母が揃って家に帰ってきていた。
あの当時、両親は親戚とは疎遠だった。いや、わざとそうしていたんだ。二人の結婚は、双方の親戚一同には歓迎されていなかったからだ。
そんな家族でも、一部の親戚や友人達は歓迎してくれ、実家には毎日のように誰かしら遊びに来ていた。
父と母には、それだけの人脈があったのだ。
そんな中で育った俺は、淋しいなんて思う余裕も無かった。遊びにくる人達が皆、ずっといる家族の様に思ってたんだ。
だが、ある日。そこへ一人の女性が現れた。その女性は家へ来るなり、母に向かって罵詈雑言を吐きかけた。父が止めに入ったのだが逆効果で、止めに入った父にさえも罵声を浴びせ、俺はそれが嫌で口を出したんだ。
その女性が叔母と知ったのは後のことだが、あの時、叔母が俺の言葉をどう受け止めたかは分からない。ただ、俺が口を出した直後、彼女は黙ったまま出ていってしまった。その数日後には、彼女の主人が訪れて母と父に平謝りをしていたが…。
あの時以降、何回か叔母と会っているが、今一つ馴染めないままでいる。まぁ、悪い人じゃないんだが、どこかしらに壁を感じてしまう。俺自身、見掛けは外人だからな。そのせいかも知れないが…。
「だが、あれは騒ぎを収めようとしただけだ。特に善意を持って言ったというわけじゃない。」
俺が溜め息混じりにそう言うと、今度は今まで黙っていた父が言った。
「京。そんなこと考えずに言ってしまうのが、お前の良いとこなんだ。それに救われたのは、なにも文子だけじゃない。お前は知らず知らずの内に、多くの人を癒しているんだぞ?それがどれだけ素晴らしいことか分かるだろ?」
父がそう言うと、アウグスト伯父も微笑みながら頷いていた。だが、アウグスト伯父は直ぐに陰りを帯びた表情になり、そして俺に言った。
「これが…お前の母がわしらに告げずして婚姻を結ぶしかなかった理由じゃ。わしらはの、"邦人"をどう解釈すべきかに悩んでおった。それで文化圏と宗教圏の違いではないかと考え、基本的に白人以外とは関わらせなんだ。じゃが、とある親族の晩餐に招かれた際に、アンナは京一郎君と出会ってしもうた。元々無理なことは承知しとったが、こうも容易く運命に飲み込まれようとは…。」
まるで苦痛にでも耐えるような表情で、そうアウグスト伯父が言った。俺はそんなアウグスト伯父へ返した。
「これは伯父様方のせいではありません。いいえ、最初から誰のせいでもないんです。神が運命を定めることはありません。ですが、そうならなければならないものもあるんです。イエスが死を受け入れたように、我々もまた、それに倣わなくてはならないのかも知れません。」
今まで、自分が何であるのか気にはしていた。いや、そうじゃない…。自分が普通ではないことに目を背けていた…と言うべきだろう…。
もし、今まで起きた事件の全てがそんな俺のせいだとしたら…。俺はこの先どうすべきか?
思えば大学のあの事件以来、俺はこの手の事件に巻き込まれ続けてきた。何故だ?
確かに…あの時、あの印を俺は打ち消すことが出来た。あの時以来、俺の音楽はなぜか悪意を払拭する力を宿したように思う。
「だったらあれは…やはり俺のせいだったのか…?」
俺がそう一人呟くと、それに奏夜が敏感に反応して言った。
「兄貴…未だ大学ん時のこと引きずってんのか?ありゃ、兄貴のせいなんかじゃねぇよ。何度も言ってんだろ?あれは…」
「いいや。あれは俺が居たから…生まれてしまったから起きたことだ。俺が生まれなければ…あいつは死なずに済んだ筈だ。」
「兄貴、いい加減にしろよ!」
奏夜は怒鳴った。そうして後、奏夜は面と向かって俺に言った。
「いいか?河内さんは兄貴が好きだった。一番の親友だったから兄貴を助けたんだ。そんな河内さんの心、兄貴は無駄にする気かよ。」
いつになく厳しい表情で奏夜は言った。その言葉に、俺は宮下教授のことを思い出した。
宮下教授はあの時、今の奏夜と同じように叱ってくれた。あの事件の後、俺は暫く大学を休んでいたが、そんな俺を心配して宮下教授はよく家に顔を出してくれた。
いや、宮下教授だけでなく、今はバラバラになってしまっているサークルの仲間達も何かにかこつけては来ていた。そんな皆に、俺は少しずつ癒されていたのだ。時には帰国した相模も顔を出してくれ、沢山の土産話を聞かせてくれたんだったな…。
だから…俺は立ち直ることが出来、そうして今があるんだ…。
「だから…伝えとうなかったんじゃ…。」
俯いたまま黙していた俺と奏夜に、アウグスト伯父が静かに言った。
隣にいた宣仁叔父や父もまた、一様に沈鬱な表情を見せて俺を見ていた。
「京。お前の誕生にどんな意味があれ、お前がこの先どうしたいかだ。私が言うのもどうかと思うが、お前の人生はお前のものだ。他人の言葉だけに従って生きる必要はない。お前自身が判断し、決定すれば良い。」
父はそう言った。無責任なようにも聞こえるが、これが父の愛だと解っていた。父が俺を心底心配してくれてるのはよくわかる。普段は世界を飛び回っている父が、ここ数ヶ月に幾度もここへ足を運んでいるのが証拠だ。忙しい筈なのにな…。
「そうだね、父さん。俺は…皆といたい。ただ音楽をして、皆と一緒にいられさえすればいいんだ。」
俺はそう返した。だが…心はそれが不可能だと告げていたが、俺はそれを態度に見せず、それに抗って願いを言葉にしたのだ。
「そうだな…そうすれば良い。たとえお前がどうなっても、お前は私の息子に代わりないんだからな。」
「そうだ。京、お前は我らの可愛い甥だ。のぅ、兄上。」
「そうじゃよ。何も心配せんでいい。京、お前は自身の思う通りにせい。」
皆はそう言ってくれるが、やはり俺の心はこの幸福が消え去ることを確信していた…。
俺はただ…ほんの少しの幸福で良かった。普通で良かったんだ。神やら悪魔やら関係なく、ごく普通でありたかった。友人と休日に遊びに出掛けたり、家族で食卓を囲んだり、弟や妹達と買い物してみたり…時には喧嘩なんかも…。
「そうだね。僕はそうなるよう、この先も全力を尽くすさ。」
「兄貴…。」
俺の言葉に、奏夜は泣きそうな顔して笑っていた…。
そうだ…俺は俺のことよりも、周りにいてくれた皆を守りたい。俺が狙いであるなら、今度は伯父達や家族にまで及ぶかも知れない。
俺は今まで、その人達に助けられ、守り続けられて生きてきたんだ。それじゃ、今度は俺がその恩を返さなくてはならない。
もう…充分にそう出来る力がある筈だ。
そして…河内にも…。
俺はそうした思いを胸に、皆に微笑みながら言ったのだった。
「ですが、未々皆の力を借りると思うのでね。」
「当たり前じゃ。お前など未々ヒヨッコじゃからのぅ。」
アウグスト伯父がそう言うと、今までの重い空気を払拭するように笑いが起こった。
だが、その漆黒の陰は直ぐそこまで迫ってきていた。俺はそれを感じ取り、意を決して空を見上げた。
窓から見えた夜空には、無数の星を従えた月が笑っていた。その光はどこまでも優しく、星の瞬きは祈りを捧げているようにさえ見えた。
その空は何事もないかのように、ただ…そこにあるだけだった…。
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