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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第五十三話 クロプシュトック侯事件(その1)

■ 帝国暦486年5月25日  新無憂宮「黒真珠の間」 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「ユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガーです。ご迷惑だったのではありませんか」
「そんな事はありません、フロイライン。申し遅れました、小官はエーリッヒ・ヴァレンシュタインです」

若い女性に謝られるとすぐ許してしまうのは悲しい男の性だ、俺だけの問題ではないだろう。俺は改めて彼女を見た。ミュッケンベルガー元帥とはあまり、いや全然似ていない。身長は百七十センチには届くまい、俺のほうが少し高いようだ。年齢は二十歳にはまだ間が有るだろう。

目鼻立ちの整った細面の顔に黒髪、グリーンの瞳をしている。眼が大きく、ちょっと目じりがたれ気味だろうか、そのせいで表情はやさしげに見える。驕慢さ、高慢さは何処にも感じられない。薄いピンクのドレスがよく似合う。さて、何を話そう?

「元帥閣下はどちらへ行かれたのでしょう?」
「なんでも、エーレンベルク元帥に呼ばれたそうです。私を連れて行くことは出来ないと言われて……」
次の遠征についての打ち合わせか……、いかんな、何を話せば良い?
「そうですか、……失礼ですが元帥閣下とは余り似ていらっしゃらないようですね」
「ええ、養女なのです」

養女、なるほど。馬鹿、何をつまらない事を聞いている。彼女はトパーズのイヤリングをしていた。黒髪とグリーンの瞳によく似合う。
「つまらない事を聞きました。失礼をお許しください」
「ケルトリング家をご存知ですか?」
ケルトリング家?

「確か、ミュッケンベルガー家とは縁戚関係にあったと思いましたが」
「はい。私の祖父はヘルマン・フォン・ケルトリングといって、養父の父、ウィルヘルム・フォン・ミュッケンベルガーの従兄弟だったのです。ケルトリング家の男子は反乱軍との戦いでほとんど戦死し、家は衰退しました。私の父も五年前に戦死しました。母はそれ以前に病死していましたので、一人になってしまった私を養父がミュッケンベルガー家に迎えてくれたのです」

ケルトリング家か……かつて軍務尚書まで輩出したケルトリング家は軍の名門といって良い。ミュッケンベルガー家より格が上だったろう。しかし、同盟軍にブルース・アッシュビーが現れた事がケルトリング家を没落させた。当時、軍務尚書だったケルトリング元帥は二人の息子をアッシュビーに殺され、本人も第二次ティアマト会戦の前に病死している。彼女の祖父へルマン・フォン・ケルトリングは戦死した二人の息子の一人だ。

「ご苦労をなされたのですね」
「いえ、それほどでもありません」
話が途切れてしまう事に困惑していた俺を救ったのは、ある男の声だった。
「エーリッヒ」


■ ナイトハルト・ミュラー

珍しいこともあるものだ。エーリッヒが女性と二人きりで話している。雰囲気も悪くなさそうだ。邪魔するのは悪いかと思ったが、ミューゼル大将もケスラー少将も彼と話したがっている。それに、どんな相手なのか見てみたいという気持ちも有る。思い切って声をかけてみよう。

「エーリッヒ」
「ナイトハルト」
エーリッヒはうれしそうな声を上げた。ハテ、その女性をもてあましていたな。悪い奴だ。
「元気そうだな」
「おかげさまでね」

俺たちの挨拶に割り込むようにミューゼル大将が話しかけてきた。
「久しぶりだ、ヴァレンシュタイン中将。皇帝陛下御不例のときは色々と姉の事で気遣っていただいたようだ。礼を言う」
「いえ、仕事ですから、お気遣いは御無用に願います。伯爵夫人にお会いなされたのですか?」
「うむ、色々と姉より聞いた。感謝している」

なんとなくぎこちないな。どうもミューゼル大将はエーリッヒを意識しているようだ。競争相手と見ているのだろうか。俺と同じような事を考えたのかもしれない。ケスラー少将が話題を変えようとした。

「ところで中将、そちらのフロイラインを紹介してもらえないだろうか?」
「そうですね、こちらはユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガー嬢。ミュッケンベルガー元帥の御令嬢です」

「はじめまして、ユスティーナです」
「これは、ラインハルト・フォン・ミューゼル大将です」
「ウルリッヒ・ケスラー少将です」
「ナイトハルト・ミュラー少将です」

みんな驚いている。まさかミュッケンベルガー元帥の娘。この場でエーリッヒが相手をしているってことは、元帥も公認って事か? ま、若手じゃ、エーリッヒかミューゼル大将だが。
「まさか、元帥閣下の御令嬢だとは思いませんでした。失礼ですが余り似てはいらっしゃいませんね」

ケスラー少将が話しかける。ミューゼル大将も同感なのだろう、微かに頷いている。そんな俺たちを見てエーリッヒとフロイラインは顔を見合わせ苦笑した。
「?」
皆が不審に思っていると、エーリッヒが
「先程、小官も同じ事をフロイラインに言いました」
と言い、もう一度フロイラインと顔を見合わせ苦笑した。

それで緊張がほぐれたのだろう。他愛もない会話がしばらく続いた。一番の話題はなんと言ってもミュッケンベルガー元帥のプライベートだった。俺たちは皆元帥のプライベートを知りたがり、自宅でも威厳に溢れているのかとか、嫌いな食べ物があって残したりしないのかとフロイラインを質問攻めにした。彼女は笑いながら答えてくれたが、それによると、どうやら元帥は自宅でも元帥のままらしい。

「それにしても、今日は珍しい方に会いますね」
ケスラー少将の言葉にエーリッヒが問いかける。
「フロイラインの事ですか?」
「それもありますが、クロプシュトック侯に会ったのですよ」
「……クロプシュトック侯ですか、どちらでお会いになったのです?」

妙だな。エーリッヒの顔から笑みが消えた。緊張しているのか?
「会場の入り口です。出て行くところでしたね」
「間違いありませんか、ケスラー少将」
「ええ、間違いありません」

ケスラー少将もエーリッヒの緊張に気付いたのだろう訝しげにしている。ミューゼル大将もフロイラインもだ。
「どうしたんだ、エーリッヒ?」
「後だ、ナイトハルト。ケスラー少将、クロプシュトック侯といえばここ三十年ほど宮中からは遠ざかっていたはずですが?」
「ええ、中将の言うとおりです。陛下の御即位以来、宮中からは遠ざかっていました。それで珍しいと……」

エーリッヒはじっと考え込んでいる。俺たちの視線などまるで気にしていない。どういうことだ? クロプシュトック侯がどうかしたのだろうか?陛下の即位以来、宮中からは遠ざかっていた? なにが引っかかっているのだろう。

急に周囲がざわめいた。周りを見渡すと、ブラウンシュバイク公がこちらに向かってくる。公の後ろにはフレーゲル男爵もいる。ミューゼル大将が形のよい眉をしかめるのが見えた。無理も無い、フレーゲル男爵は俺も嫌いだ。そのときだった、エーリッヒがブラウンシュバイク公に近づき話しかけたのは。

「ブラウンシュバイク公、小官はヴァレンシュタイン中将です。少しお時間をいただきたいのですが」
「無礼であろう。中将になったからといって、平民の分際で伯父上に話しかけるとは」
フレーゲル、何様のつもりだ。鼻持ちなら無い奴だ。ミューゼル大将が嫌悪の表情を浮かべる。

「公爵閣下、大事な話なのです」
「下がれ、下郎」
「待て、フレーゲル。ヴァレンシュタイン中将、わしに何の用だ」

周囲もこちらを見始めている。フレーゲルはそれを意識してやっているようだが、さすがにブラウンシュバイク公はまずいと思ったようだ。陛下に万一の事があれば帝都の治安はエーリッヒが預かる事になる。エーリッヒを敵に回せばどうなるか、オッペンハイマー伯、リッテンハイム侯、クラーマー憲兵総監を見れば明らかだ。

「有難うございます。最近、クロプシュトック侯が公爵閣下の御屋敷を訪ねなかったでしょうか?」
「それがどうかしたか」
「訪ねたのですね」
「うむ」

「何がいいたいのだ、クロプシュトック侯が伯父上を訪ねたとて貴様には関係なかろう」
「その折、クロプシュトック侯は公爵閣下に高価なものを贈られませんでしたか?」
エーリッヒはフレーゲルの邪魔など全く相手にしていない。何が有るんだ一体。俺もミューゼル大将もケスラー少将もいぶかしげに顔を見合わせた。

「それがどうかしたか」
ブラウンシュバイク公は少し嫌な表情をしている。衆人の前で話したくない話題なのだろう。周囲の人間が少しずつ、こちらに近づいてくる。
「他の方々にも贈られたのでしょうか、例えばリッテンハイム侯とかですが」
「……そうかもしれんな」

今度は眉をしかめた。自分以外の人間に近づいたと指摘されるのは面白くないのかもしれない。
「閣下、陛下や御側近の方々にとりなしを頼まれませんでしたか?」
「うむ、頼まれた。わしだけではないぞ、おそらくリッテンハイム侯も頼まれたはずだ」
「最近、クロプシュトック侯に変わった事は無かったでしょうか?」
「伯父上がそのような事知るわけが有るまい、いい加減にしろ!」
「やめよ、フレーゲル」

ブラウンシュバイク公は妙だと思ったようだ、誰でもそう思うだろう。思わないのはフレーゲルぐらいのものだ。エーリッヒは何かを知りたがっている。彼の視線はずっとブラウンシュバイク公に当てられたままだ。多分その答えをブラウンシュバイク公が持っているのかもしれない。
「そうだな、変わった事といえば息子が戦死したと聞いている。この間の戦いでだ」

「跡取りはいるのでしょうか」
「いや、いないはずだ。養子を取るのではないかな、もうよいか、中将」
「クロプシュトック侯の事で伯父上を煩わせるなど、何を考えているのだ貴様は! 貴様は戦争でもしていればよいのだ。我らの事に口を出すな!」

「小官も口など出したくはありません」
「なんだと」
顔を真っ赤にして怒るフレーゲルにエーリッヒは静かに答えた。
「ですが、困った事に出さざるを得ないようです。クロプシュトック侯が此処に爆弾を持ち込んだかもしれません」
「爆弾」その言葉が黒真珠の間に静かに広がっていった……。







 
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