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天使の箱庭

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シーン2

二人の清掃婦が掃除用具を手に部屋へ入ってきた。

「ええ? 内藤ちゃん、あんたハナゲさんにプロポーズされたん? 
 あのハナゲさんに?」

「ハナゲハナゲ言うな。花の家と書いてハナイエ。ちゃんと呼んでよね。
 知らない人が聞いたら違う字が浮かぶじゃない…」

二人はバケツを置き、モップで床を拭きはじめるが、口は減らない。

「ほんで、なんて返事したん?」

「そりゃもちろん、イエス、アイ、ウィル。」

「へぇ~。そやけど、花家さんちゅーたら、あのバーコード頭の、トンボメガネかけた
 超ハイウェストの… あんた、いくら行き遅れた言うたかて、焦ったらあかんでぇ。」

「目と目が合った瞬間、いきなり稲妻が走ったの!」

そう言うと、モップの柄の上で指を組み、祈りのポーズで目を閉じる。

「あのちっこい目と?」

「きっと運命の出会いだったのよ。イエス、フォーリンラブ。」

「何がフォーリンラブや。いい歳こいて。」

「堀ちゃん… あたし夕べ、あんたの頸動脈絞めてる夢見たの…。あれって予知夢?」

「ややわ~、ただの夢やがな、がははっ。・・・それより、結婚式は?」

「それがさあ、二人とも貯金があんまりないのよ…。だから入籍だけでいいかなぁって。」

「なんや… ほな新婚旅行にも行かへんの?」

「うふ、そこは心配ご無用。新婚さんの番組に出て、指輪とハワイ旅行、
 いっぺんにゲットする手はずだから。」

「そやかて、まだ番組に出場できるかどうかもわからへんやないの。」

「大丈夫! 策は講じてあるから。」そう言って胸をたたく。

「応募フォームのエピソード欄に超過激でドラマチックな馴れ初めを書いといたんだ~。
 あれなら絶対よ。」

「超過激って、あんたら、どっから見ても普通の職場恋愛やないの。」

「いや、だからさぁ、そこは、多少… 枝をつけ… 葉をつけ…」

「ってねつ造やないかい。」

すかさず、つっこむ。まるで漫才のような二人の会話。

「いいのよ。テレビなんてだいたいがやらせなんだからさ。               
 視聴率に貢献すりゃ文句ないって。」

「ほんでも、画的にどうやろか。新婚カップル言うたらやっぱりなんかこう、
 初々しさっちゅーもんがあるやんか。あんたら初々しいっちゅーよりも、なんや、
 馴れ馴れしい、ふてぶてしい、ずうずうしい?」

「やかましー!」

相手の首を締める仕草で脅す。

「コラ待たんか!」

「きゃ~堪忍堪忍!! 冗談やがな、そんな怖い顔せんと…。」

追いかけっこをする二人とすれ違いに、春香が部屋へ入ってくる。

「あの、すみません、正木さんはどちらに…」

しかし、二人は春香の声に気づかなかったのか、そのまま出ていってしまった。        
その時、春香の背後から声がする。

「そこにいらっしゃるのは島田さん、ですか?」

中年の女性が杖をついて近づいてきた。

「あ、はい、月刊スクランブルの島田と申します。」   

「正木でございます。」

春香は名刺を差し出すが、白い杖に気づいてそっと引っこめる。

「あの… 正木さん、目が不自由でいらっしゃるんですか?」

「そうなんです。緑内障を患いましてね、10年程前から全く見えなくなりましたの。」

「こちらで働いてらっしゃるんですか。」

「ええ。毎日じゃないんですが。以前はこの病院で婦長をしておりましたの。
 目が見えなくなってからも院長の計らいで働かせてもらってるんです。
 主にナース達の精神面でのサポートをね。
 ベテランナースは家庭と仕事の両立で大変ですし、
 若いナースはハードな仕事と人間関係に疲れ果て、半年もしない内に辞めてってしまうんです。
 だから慢性的なナース不足でしてね。シフトを組むのも一苦労なんですよ。
 まあ、お座りになって。」
         
二人はテーブルを挟んで、向き合って座った。

「正木さんのお住まいはお近くなんですか?」

「ここからバスで10分ほどです。」

「バスで…。」

すると、正木がくすっと笑って言った。

「目が見えなくなって慣れないうちは外に出るのも一苦労でしたが、
 人間の体はよくできたものですね。目が見えなくなるとその分を補うかのように、
 聴覚や嗅覚、指や肌の感覚がどんどん研ぎ澄まされて、敏感になってくるんです。
 外を歩いててもね、通りによって匂いが変わるんですよ。
 ああ、焼き立てのパンの匂いがするから、ここは二丁目の角ね、とか。」

「へぇ~」

春香は感心して頷いた。

「人の気配なんかもね、肌の感覚でわかるんです。ただねぇ、困るのが人の声。
 耳が敏感になりすぎたのか、最近はいろんな方向から知らない方の声がわんわん耳に
 入ってくるようになって、なんだかもう、うるさいくらい。」 

すると隣の部屋から「正木さーん!」と呼ぶ声。

「はーい! 今行きます! やだわ、つい無駄話を長々と。」

「お忙しいところ申し訳ありませんでした。」

「いいえ。野口先生にはあなたのこと話しておきましたから、
 もうそろそろお見えになるんじゃないかしら。
 私は奥の部屋におりますので、なにかございましたら遠慮なくお声をかけてくださいね。」

「はい、ありがとうございます。」

正木が部屋を出てしばらくすると白衣の男が入ってきた。

「島田さんですか? お待たせしました、臨床心理士の野口です。」

「お忙しいところ恐れ入ります。月刊スクランブルの島田と申します。」

二人は名刺を交わす。

「まあ、どうぞ、おかけになって。」

すすめられ、春香は今座っていた席につく。野口が向かいに座る。

「PTSDの取材だそうですね。」

「ええ。PTSDについて一般の方に理解を深めていただくためにも、
 是非取材させていただけないでしょうか。」

「私でお役に立てるんでしたら。」

「ありがとうございます。グループセラピーはこのお部屋で?」

「そうです。二週間に一回ここで。」

部屋は長テーブルが並び、講習室のようだ。

セラピーの時は机を後ろに寄せて、椅子を輪にして座るという。

「それでみなさんのご様子はいかがですか。」

「ええ、夜眠れないとか、無気力だったり、あとは怒りっぽくなったり、
 ちょっとした音にびくついたり。さっそく典型的な症状が出始めていますね。」

「あの、できれば、グループセラピーの様子を見学したいのですが…」

「それはまだちょっと…。」

「だめでしょうか?」春香が前のめりになる。

「時期的にまだ微妙でしてねぇ。」

「今すぐにというわけではないんです。もちろん、患者さんたちの許可を得た上で
 見学させていただけたらと…。」

野口は足を組むと、膝を両手で抱えた。

「まあ、機会を見てみなさんには話してはみますが…、まだセラピーも始まったばかりですし…。」

すると、野口が春香の服装を見て、にやりと笑う。

「黒ずくめ… なんですね。」

「あははっ…、このスーツ地味でしょう?」

「いいえ、よくお似合いですよ。」

「そういえば、仕事着は黒ばっかりだわ。
 色の組み合わせをいちいち考えなくていいし、汚れも目立たないんで。」

「わかります。僕も黒は好きですよ。」

「先生も? 黒を好む人って心理学的にみると何か特徴ってあるんですか?」

「そうですねぇ…。黒い服を好む人は、感受性が鋭くて、自立心が強い。
 だから他人に指示されるのを嫌う傾向にある。」

「あら、当たってるかも…。」 春香がぺろっと舌を出す。

「でも、黒い服を着る人すべてが強い自己主張の持ち主かって言うと、
 そうとも限りらないんですけどね。中には、恐怖から解放されたいっていう
 深層心理を秘めている人もいたり。」

「恐怖?」

「そう。たとえば、心が傷つくような事件や病気を体験した子供に絵を描かせると、
 黒を多用する傾向が強いんです。強い色である黒を使うことで、弱い立場から
 強い自分になろうとするわけですね。大人の場合も、黒を好むのは
 強い自分への憧れからかも知れません。」

「へぇ~、なるほどねぇ。好みの色でその人の性格や深層心理がわかるんですね、面白い。
 他の色についても、時間がおありでしたらお聞きしたいけれど。」 

「いいですよ。」                                 

「あはっ、ありがとうございます。なんだか話がそれちゃいましたね。          
 患者さんたちについてもっと詳しくお話を伺いたいんですが。」 

「じゃあ、向こうに資料室がありますので、そちらで。」

「はい。」

 部屋を出る二人。その後ろ姿を、物陰からのぞく男。
 制服姿の謎の男である。                        
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