鎮守府の床屋
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後編
8.約束の行方
鎮守府壊滅のニュースを伝えるテレビの電源を切った後、俺は畳の床に寝転がって天井を眺めた。年季の入った天井からぶら下がる蛍光灯のカバーには、少しだけホコリが溜まっていた。
あの日、鎮守府を無事脱出した俺はそのまま実家に戻った。オヤジと母ちゃんはびっくりしていたが、俺が事情を話すと、何も言わず俺を迎えてくれた。
その日のうちにテレビでは、鎮守府が陥落したニュースが流れていた。ニュースによると、俺が市街地から離れてすぐに敵に攻めこまれたらしい。数時間の戦闘の末、致命的な損害を被った敵深海棲艦の艦隊は撤退。しかしそれと引き換えに、鎮守府は壊滅したそうだ。
ニュースによると鎮守府にいた人員の生存はほぼ絶望的とのこと。周辺地域には生存者はいなかったそうだ。
――ハル……ごめん。約束、守れなかったクマ
あの晩見た夢は、これを俺に伝えたかったのだろうか。あの日以来、妖怪アホ毛女のこのセリフが頭から離れず、これを言い放った球磨の見えないはずの無表情が、眼の奥にこびりついていた。
あの日以来、何事にもやる気が出ない。幸いにも貯金はあるから、当面の間金に困ることはないからまだいいが……あの日以来、おれは実家の中でずっとゴロゴロしていた。
あの鎮守府での生活は、俺が思っていた以上に俺に染み付いていたようだ。例えば食事。母ちゃんの料理がまずいというわけではないのだが、提督さんの料理の味を知った今、どうも母ちゃんの献立に不満が溜まっていく。母ちゃんが悪いわけじゃないし、むしろありがたいことなんだから文句なんて言ってないし感謝しているが……
夜十時になっても、鳩時計しか鳴らないのが物足りなかった。
「……あんなにうるさかったんだから出てこいよ川内……」
毎晩毎晩夜十時頃に問答無用でうちに来て、『やせーん!!!』と騒ぐ川内がいないことに違和感しかなかった。十時前になると反射的に身構え、十時を過ぎても川内の叫びが聞けないことに愕然とした。あんなに煩わしいと感じていた川内の叫びがないことが、こんなにも寂しいことだとは思わなかった。
風呂に入れば入ったで、足を伸ばせないことに不満が募る。
「あー……足伸ばしてぇ〜……」
ボディーソープじゃなくてせっけんで身体を洗いたいと思ったし、風呂場が狭いのにも違和感があった。
「あー……ラムネ飲みてぇ」
風呂上がりにラムネが飲めないのも、どうにも納得がいかなかった。今日は思い立って近所のスーパーにラムネを探しに行ったが、どこにもラムネは売ってない。
「ラムネぐらい置いとけよ……」
近所の店をしらみ潰しに探し、おばあちゃんが店番をしている小さな駄菓子屋でやっとラムネを見つけた。
「ほい。100円ねー」
「んじゃ500円から」
「はいよー。じゃあお釣り400万円ねー」
おばあちゃんの年季の入ったボケを受け流しつつ、ラムネを開けて飲んでみる。
「……なんかちがう」
俺の気のせいなのか……それとも銘柄が違うのかさっぱりわからない。でも、鎮守府で毎日飲んでいたラムネに比べて、なんだか味気ない気がした。
やる気が萎えた俺は、そのままじい様の墓参りに向かった。毎年命日には墓参りに向かっていたが、今年は鎮守府でバーバーちょもらんまを経営していたせいで、まだ墓参りが出来てなかったことを思い出したのだ。
随分久しぶりに見るじい様の墓は、けっこう苔むしているように見えた。これもわびさびみたいなもんだから年寄りのじい様も悪い気はしないだろうと、ゴミ以外はあえて片付けずにいる俺はものぐさでしょうかじい様?
「じい様。俺さ。この一年弱の間、軍事施設で店出してたんだぜ」
随分久しぶりとなる、じい様への近況報告。俺は、目の前の墓石にどっかりと座っているであろうじい様に、鎮守府での生活を色々と報告した。じい様の戯言から名前を取ったバーバーちょもらんまの開店、シャンプーすれば足の裏がかゆくなる面白い奴ら、この歳で出来た親友、そして心から惚れた女性……報告したいことが山のようにあった。
「そいつさ。人と話すときに語尾に『クマ』って変な語尾つけるんだよ。俺の腹に何発もコークスクリューパンチを浴びせてきたし、誘拐されたこともあったなぁ……」
当たり前だが、じい様は何も言わずに聞いてくれた。
「楽しかったなぁ……バーバーちょもらんま……」
朝に見たニュースが、頭をかすめる。『生存者は絶望的』という言葉を、俺はその時はノーリアクションで受け止めた。だが時間が経つごとに、その言葉はじわりじわりと俺の意識を侵食していった。
生存者は絶望的……つまり、誰も生き延びてないってことだ。
「んなことあるわけないだろ……球磨は俺と約束したんだぞ」
――ハル……ごめん。約束、守れなかったクマ
うるせぇ。あれは夢でしかないわ。あいつは生きてる。そもそもあの夢は、球磨と約束を交わす前に見た夢じゃねーか。
じい様の墓参りから戻った俺は、再び自分の部屋に篭ってテレビを見る。飽きもせず、何度も何度も鎮守府崩壊のニュースが繰り返し伝えられていた。報道陣が敷地内に入ることを許されたそうだ。崩壊した鎮守府の様子が映されていた。
「……店はどうなった?」
瓦礫の山と化していた鎮守府施設が映され、宿舎や執務室がすでにボロボロに崩壊している様が見て取れた。その山の中に、ほんの一瞬だけ、バーバーちょもらんまのポールサインが見えた。
『見て下さい。床屋の跡地でしょうか。こちらの瓦礫の中にはポールサインが倒れています』
ニュースキャスターが戦争の悲惨さを伝えるためなのか何なのかは知らないが、崩壊した俺の店の瓦礫を手に取り、必死に何かを伝えていた。俺には、キャスターの言葉がまったく耳に届かなかった。
フと、画面の端っこの方に、昼寝ポイントが映った。本当にチラッとだったからハッキリとは分からなかったが、昼寝ポイントはなんとか被害を免れたようで、あの大きな桜の木が無事だったのが見えた。
「そっか……ハハ……加古、昼寝ポイントは無事だったみたいだ……よかったな」
一つでも俺の知ってるものが無事だったということが、妙にうれしかった。
「よかった……無事だったんだ……ひぐっ……」
そしてその日も俺は何もせず、母ちゃんの晩飯を食った後、そのまま眠った。
翌日。そろそろ何かを始めないとマズい。貯金はある。新しい店でも始めようか……そんなことを考えながら、昼飯を食い終わったときのことだった。
――ハル お客さんよ
聞き覚えのある懐かしい声が聞こえ、俺の意識が昼飯を食い終わった皿から離れたとき、家のインターホンが鳴り響いた。
「はいはい?」
一瞬出ようかどうか迷ったのだが、暁ちゃんに事前に告知されてしまったのだから、ここで出なければ気持ちが悪い。俺は皿を台所に置き、そのまま玄関へと向かった。
「やー。ハル兄さん。久しぶり」
「お前……」
意外だった。開いたドアの向こう側にいたのは、妖怪おさげ女の北上だった。
北上を部屋に上げ、茶を準備してやる。北上は俺の部屋に入るなり、『か◯◯りサ◯◯ス』の単行本を本棚から束で取り出し、畳の上に寝転がってそれを読み始めた。
「お前変わってないなー」
「だってまだこれ読み終わってないもん。あの日にハルがくれた本は全部燃えちゃったしさー。続きが読みたかったんだよ」
「……とりあえず茶を淹れてくるから待っとけ」
「ありがとっ。ハル兄さん」
お茶とお茶請けを持ってきた俺は、それを北上に振る舞ってやりながら部屋の入口を背後にして座る。北上は俺が茶を運んでくるやいなや、マンガを読むのをやめて姿勢を正し、お茶とお茶請けに手を伸ばした。
「よくここが分かったな」
「まぁねー。ハルが来る前に、みんなでハルの情報は見てたからね」
「……それを覚えたっつーのか?」
「んーん。それもあるけど……あの日、戦いが始まる前にね。提督が言ったんだよね」
――執務室に、ハルの履歴書を隠しておいた。
生き残ったら、その情報を辿ってハルの実家に行け。そしてハルに会え
今後のことは、ハルに力になってもらえ
なるほど。それでここが分かったのか……俺は提督さんにみんなの未来を託されたってことなのか……
「そして来たのが、お前ってわけか……」
「そうだよ。球磨姉じゃなくてごめんねー」
北上の『球磨姉』という言葉に、心臓を鷲掴みされたかのような不快感が俺を襲った。
「……球磨はどうした?」
北上は静かに茶をすすり、ほっと一息ついた後、お茶請けに手を伸ばした。
「うん。そのことも合わせて、あの時のみんなのことを知らせようと思って」
「そっか……あーいや、話さなくていい」
「まーそう言わずに聞いてよハル兄さん」
「うるせえ。兄さんって言うな。聞きたくない」
今まで目を背けていた事実に正面から向き合わなきゃいけないのが怖い。他人事のように淡々と伝えてくるニュースからの情報じゃない。信頼できる北上の口から、あの日のことが語られることが怖くて仕方がない。
そんな俺の葛藤を知ってか知らずか、北上は涼しい顔で、すらすらと話し始めた。
「提督はね。三式弾の雨で焼け死んだよ。最期に隼鷹の名前を叫んでた」
うるせぇ。それ以上しゃべんな。
「加古は隼鷹を庇って蜂の巣になって沈んだ。古鷹と同じ目を怪我してたよ」
黙れ北上。
「隼鷹は最期にたくさんの艦載機を召喚して、敵の大半を……」
「うるせえ黙れ妖怪嘘吐き女」
気がついた時、俺は立ち上がっていた。そしてウソばかりつらつらと並べ立てるこの女の胸ぐらを掴み、北上の顔を自分の顔のそばまで引き寄せていた。
「さっきから黙って聞いてりゃウソばっかりつらつら吐きやがって。言っていい冗談と悪い冗談の区別もつかないのか!」
「ごめんねハル兄さん。でもウソじゃないんだ」
鎮守府で過ごしていたときと同じ笑顔のまま、北上の目から涙がポロポロ流れた。
「……聞きたくないのはわかるけどさ」
「……」
「でもさ。ハルには知って欲しいんだよ。みんなの、あの日のことを。鎮守府のメンバーで……私の義理の兄さんのハルには……」
「……」
分かってる。分かってるんだ。こいつがウソなんて言ってないことぐらい気付いてる。最初から信用してる。
俺は、認めたくないんだ。あの鎮守府にいたみんなは生きていて、どこかで楽しく過ごしているって思い込みたいだけなんだ。だからニュースで『生存者は絶望的』って知らせを聞いても、『嘘だ』と思って頭から否定していた。頭では理解したつもりでも、心で反発していた。まったく受け入れなかったんだ。
「……すまん。北上」
「気にしないでいいよ。むしろね。そんな風に思ってくれてうれしいよ」
「そっか……ありがとう」
「どうする? 続き聞く?」
「頼む」
「分かった」
俺に掴まれて少し乱れた胸ぐらを整え、北上は再び話の続きをしてくれた。隼鷹は、通常ではありえない数の艦載機を召喚して空に放った後、力尽きてフラフラになったところを砲撃され、沈んだそうだ。
「でもさ。敵をかなり沈めたんだよ。おかげでなんとか生き延びたんだよねー」
「そっか。空母の役目を果たしたんだな隼鷹は」
北上曰く、隼鷹が艦載機を空に放った時、かつての空母たちの姿が見えた気がしたそうだ。ひょっとすると、飛鷹や瑞鳳といったかつての仲間が力を貸したからこそ、通常ではありえない数の艦載機を召喚出来たのかも知れない……と北上は語っていた。
ここまで話して、北上は押し黙った。おいどうした北上。
「ん?」
「ん? じゃないだろ。お前の姉ちゃんはどうした?」
「んー……」
北上の顔が少し曇ったのが分かった。ほっぺたをぽりぽりとかき、目に涙を一杯ためて、言おうか言うまいか迷っている感じだった。
「んーとね……」
「……」
「最後まで……ハルとの約束を守ろうとしてたよ?」
あのアホ……!!
「必死にね。『ハルの隣に帰るクマ!!』って言いながらね。頑張ってたよ?」
この瞬間、俺の望みは絶たれたと思った。部屋の片隅に乱暴に置いたままの、あの時の荷物が目に入った。……いや正確には、荷物に紛れたシザーバッグが目に入った。球磨が描いた鎮守府みんなの似顔絵が、どんどん歪んで見えてきた。
「ちくしょ……ちくしょう……ッ」
「艦載機に狙われても、砲撃で狙われても、頑張ってたよ?」
「球磨……球磨ぁ……!!」
「必死に頑張ってたからさ……後で、球磨姉を怒らないであげて」
「ふざけんな怒るに決まってるだろ!! がんばっただけじゃ意味ないってお前ら軍人なら分かってるだろうが!! ちゃんと結果を出せよ!! 俺の元に戻れよ!! 隣にいろよ帰ってこいよ妖怪アホ毛女ァアア!!!」
約束しただろうが……お前言っただろ『ずっと一緒にいたい』って。『ハルの隣で笑っていたい』って言っただろうが!! なんで約束を守らないんだ!! 散々っぱら俺のこと振り回しておいて無責任に俺だけ置いて行きやがって……
「んーとね……」
北上がまだ何か言おうとしている。これ以上俺に報告することってなんだ?
「……まだ何かあるのかよ北上ぃ」
「えーと……怒らないで聞いて欲しいんだけど……」
「あ?」
「まー……確かに私の言い方もまずかったかもしれないけど……」
なんだ? 今一話が見えてこない……北上は目に涙を一杯溜めながらも、赤いほっぺたを人差し指で困ったようにポリポリとかいていた。
「なんだよ……ハッキリ言えよ……」
「んーとさ……」
――ク……クマ……
聞き覚えのある声が聞こえた。聞きたかった声が今、背後から聞こえた。俺は、背後を振り返った。そしてすぐに立ち上がり、そこに立っていた女を抱き寄せ、そのまま力いっぱいに抱きしめてやった。
そこにいたのは、床屋の俺に切られたがってるとしか思えない……でもついに切ることは叶わなかったアホ毛を持った女で……
「は、ハル……」
「お前……球磨だよな? 球磨でいいんだよな?」
「く、球磨だクマ……」
霧吹きで必要以上に周囲に湿度を補充し、俺のボケと妄想に過剰なツッコミを返し……
「球磨……球磨……!」
「ハル。約束は守ったクマよ?」
営利誘拐まがいのことをしでかし、俺の腹にコークスクリューパンチを突き刺した回数は数知れない……
「球磨!!」
「ハル!!!」
俺の隣にいつもいて、危ない時は俺を守ってくれた、俺が惚れた女性の……
「ハル! ただいまだクマ!!」
「おかえり!! おかえり妖怪アホ毛女!!」
妖怪アホ毛女こと、球磨だった。
「なんで北上と一緒に部屋に入ってこなかったんだよ……!」
「は、恥ずかしかったクマ……」
「?」
「あ、あんなことしたあとで……家の前まで来て急に恥ずかしくなったクマ……」
「あんなこと?」
「えーと……最後の散髪……クマ」
球磨はそういい、顔を真っ赤にして俯いた。……やめろ妖怪アホ毛女。そんな反応されたら思い出してこっちまで恥ずかしくなる……。
「だ、だから先に北上に入ってもらったクマっ」
「アホ……」
「でも会いたかったクマ……早く隣に帰りたかったクマぁ……」
「俺もだ……好きだ……大好きだ球磨!!」
「球磨も……ハルが大好きだクマぁあ!!」
もうあれだ。北上の紛らわしい話し方も、この妖怪アホ毛女のアホみたいな言い訳も、何もかもどうでもよかった。球磨がここにいる。球磨が俺の目の前にいる。それでよかった。
「球磨姉はね。約束を守ったよ。だから次は、ハル兄さんが約束を守ってあげて」
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