婆娑羅絵巻
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壱章
魔王の子~下~
前書き
現在~京・或る屋敷~
「………め……………ぶめ…信芽?」
聞き慣れた声に呼ばれフッと意識が現に戻る。
____どうやら、自室から外を眺めているうちにいつの間にか眠って居たようだ。………なにか夢を見ていた気がするが思い出せない。
夢の内容を思い出せない、なんとも言えない曖昧さをかき消すように目を擦った後、まだ虚ろな光を称えた【瑠璃色の瞳】を声の主へと向ける。
信芽の傍らには心配そうに見つめる錆色の髪の眼鏡を掛けた男が見つめていた。
「…………三七兄様、いつの間にいらっしゃったのですか?」
三七、織田家三男・織田信孝(おだ のぶたか)の幼名である
いつもと変わらない穏やかな雰囲気だったが、…ほんの少し、信芽は彼が窶れているように見えた。
「いや、 勝手に部屋に入る気はなかったんだが呼びかけても返事がなくて不思議に思って部屋に入ったら。
……君が目を伏せて壁に寄りかかって居たから声を掛けたんだよ。」
彼は起こしてしまってすまないね、と苦笑し続け
「でも眠っていただけで良かったよ、……最も、君は寝込みを襲われても返り討ちにするかな?」
ハハハ、と眼鏡の奥の煤色の瞳が冗談気味に笑う。
「……ところで用件があったのでは?」
信芽がどう答えればいいかわからず少し困惑したのを見計らい、暫しの間を置いた後信孝は話題を切り替えた。
「あぁ、話がズレてしまったね…実は久脩殿が明日和泉の社に舞を奉納しに行ってくれないか?ってね…………久しぶりに外に行く機会だし、どうだい?」
「……………。」
その言葉に思わず目を背けてしまう。
信芽からすると色々面倒なのだ、外に出るのもここに留まり続けるのも。
それを見た信孝は目を背けたのを不安だからだと思ったらしい、そっと頭に手を置き幼子をあやす様に信芽を優しく撫でた。
「大丈夫、僕から兄上に言っておくよ。
……君もずっと屋敷の中に居たら退屈だろう?
それに普通なら君ぐらいの娘たちは花ざかりと言っていいだろうからめいいっぱい寄り道してきなよ?」
「………はい。」
これ以上、心配を掛けるのも嫌だったので頷いた。
あんまり否定し続けるのもかえって相手の気を悪くしてしまうだろう。
それに、この屋敷の女中は(一部を除き)私好みの美女ばかりだが流石に暫く同じ子を見ているとどうも、飽きが来てしまい駄目だ。
街に繰り出し、可愛い娘を見て癒されるとしよう。
そういえばここに封じられてから自害しないよう愛刀や匕首も取り上げられているためあまり身体を動かしていない。
ほんの少しだけ、身体が丸みを帯びてしまったような気がする…。
そんなこともあり、たまには身体を動かしたい気分はあった。
其の辺の茶店辺りで美女を見ながら時間を潰し、歩いて南蛮寺に向かい修道士達の話を聞くのもいいかもしれない。
「それじゃあ、僕は御屋形様にそう伝えておくよ、邪魔して悪かったね。
ホントは別件で京に来たからなるべく早めに帰らなきゃ…それじゃ楽しんでくるんだよ」
信孝は微笑を浮かべた後。そのままぎこちなく背を向け自室から立ち去って行った。
やはり気になる、僅かに信孝が窶れているように見える。
それにいつも傍にいる【彼】が居なかったような気がする。
______嫌な予感がしたものの今はどうすることも出来ないし、若しかしたら勘違いかもしれない。
多分『例の事件』の後処理で疲れているだけだろう。
そんな曖昧で不快な気持ちを落ち着かせるため信芽は部屋の小窓から庭を見ることにした。
どうやら小鳥がいるらしい、信孝と話していた時から鳴き声が聞こえていた。
鳴き声からして雀だろう。
二、三羽チュンチュンと愛らしい声で囀っている。
暫く彼らの歌やら話し声を聞いていると廊下から二人の女の声と足音がこちらに近付いてきた。
信芽は慌てて小窓を閉め、息を潜める。
…どうやら屋敷にいる女中のようだ。
片方は最近この屋敷に来た新参の…確か名は純子(じゅんこ)ちゃん、もう一人は以前から居た者だ。
*
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「_____あの、此処に居られる姫君は何方なのですか?」
「あぁ…、此処に居られるのは大御所様の御息女・信芽様よ。」
大御所様とは現在、嫡男の信忠に当主の座を譲り形上は隠居している信長のことだ。
最も政や戦の指示は全て彼が行って居るので織田家の頂上に立っているのは今も昔も彼だろう。
「まぁ…!、信孝様や信雄様、冬姫様の他にも御子が居られたのですか?」
「その冬姫様の姉君が信芽様、大御所様の実子ではないけれど…とても麗しい方でしょう?」
「えぇ……今は浅井家に嫁がれたお市様とはまた違った美しさを感じております。
お市様には妖しい魅力と儚い美しさを感じておりましたが、信芽様は気品ある立ち振る舞いと…独特の雰囲気、なんというか【神懸かった】雰囲気をお持ちで………。」
「…そういえば貴女は信芽様の元に遣わされる前はお市様付だったわね……。
ならあの方のことも少し話しておきましょうか。」
____信芽、かつての名を土御門 巡音(つちみかど めぐりね)という。
名の通り他の兄弟とは違い、信長の実の子ではなく臣下の土御門家出身の娘である。
女ながらに優れた智勇と麗しい容姿。
教養の深さから女義経、女丈夫と称され多くの人々に慕われている。
此処に封じられる前は
父の死後、弟の蘭丸と共に信長に引き取られ信忠に仕えている鬼武蔵・森 長可(もり ながよし)と
その妻の、父は大御所様と乳兄弟である池田恒興の娘・池田 せん(いけだ せん)
人質として織田に来たものの信長に才能を買われた、若獅子・蒲生 氏郷(がもう うじさと)
彼の婚約者であり正室・濃姫と大御所様の子である妹の冬(ふゆ)
明智家と共に織田に仕え始め武功を上げ、信長に蒲生氏郷と共に将来を期待されている細川家の嫡男・細川 忠興(ほそかわ ただおき)
その妻の、明智 光秀の娘・細川 珠(ほそかわ たま)、若しくはガラシャ
この六名らと深い交友を持っていた。
特に長可、氏郷とは戦場でも行動を共にし、
『女義経』『鬼武蔵』『若獅子』の雄叫びが響けば敵は恐れ戦き、馬はあまりの覇気に驚き人を振り落とし、奴らが立っている後ろには死体しかない…と言われているほどだ。
また信芽の実母はかの有名な征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の血を引き、実父は名の通り陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい)が祖である土御門家の一族だった。
坂上田村麻呂と安倍晴明といえば両者とも様々な伝説が残っている。
多くの武勇伝を残した英雄と狐の血を引いた術者、彼らの血を引いているなら彼女が持っている神懸った美しさや魅力も頷けてしまう。
若しかしたら、彼女の持っている数々の才能や不思議な力等も先祖から受け継いだものなのかも知れない。
「そのような高貴な家の出の方だったのですか…!?
………でも何故そのような方が…その、…此処に閉じ込められて居られて…?」
「………三ヶ月程前、唐突に現当主の信忠様が言い出したのよ、信芽様をこの屋敷から出すなってね。
…ホントは檻の中に閉じ込めようとして大御所様が説得されてこの屋敷に連れてこられたなんて話もあるわ」
「………………!?、そんな…周りの人は______」
「無論、共に戦場で戦っていた長可様達や御兄妹は猛反対されていたわ。
でも、信忠様は強引に話を進め此処に封じられてしまったの。
信芽様はまだ齢十六歳なのよ、お可哀想に…………。」
「では先程信孝様がお来しになられたのも………。」
「……もしかしたら大御所様に頼まれて来ているのかもしれないわね………?
そういえば、貴女聞いた……?
神戸家が先日________」
*
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その後、女中達の話題は信孝について(主に【例の件】の話題)に変わり信芽の自室の周辺から立ち去っていった。
人の気配が消えた後、信芽は一息つき再び小窓を開け庭の景色を見始めた。
_____【理解してくれた友達】や【妹】と話すことや戦場を駆け巡り戦うことが出来なくなってしまった。
私が閉じ込められているのを多くの人、特に臣下の家の姫君は『織田家の血筋ではないのにそこまで大切にされてるのか』とか『当主・信忠と淫靡な関係だ』なんて陰口やら突飛な噂を言っている者も多く居る。
信忠によって屋敷に封じられていたせいか、最近後者のような噂が尚更騒がれているらしい。
友人達と会えなくなるのは予想していたが昔から傍に仕えていてくれた【侍女達】をも遠ざけられてしまったのは誤算だ、だが……表向きは辞めたことにし姿を変え、自らの意思で私のすぐ傍に控えてくれているので結局辞めさせたことにする意味はなかったが…其方も、色々めんどい。
まぁ、一緒に居てくれるのはありがたい。
織田に来たばかりの頃は一層の事生まれなければ良かったなんて思うことがたまにあった。
かと言って私が憶えている土御門に来る前の頃の記憶はあまりない。
時折ふと朧気で小さな記憶の断片を思い出すことはあるがどれもバラバラで繋がらないようなものだ。
『誰かが笑いながら私の頭を撫でていた、私はそれを受け入れ心地好く思っていたこと』
『かつて【片割れ】がいたこと』
『目の前に大きな白い獣が倒れていてそれを見つけた私が泣き叫びながらもう二度と起きることのないその獣を揺すり続けていたこと』
『同じくらいの女の子とよく遊んでいたこと』
『何処かに閉じ込められ独りで泣いていたこと』
『燃え上がる場所で誰かに対し、怒りの篭った目をして斬りかかったこと』
他にも色々な断片が突き刺さる。
他愛の無いものから本当に自分なのか疑うようなこと、昔の私にとっては重要であろうことまで、……それらを思い出しても何故、どうしてそうなったかはわからない。
本当にバラバラなのだ。
何時か、全ての記憶を思い出すことが来るのだろうか?
別に思い出せないからといって悩んではいないがやはり気に掛かる。
_______開けられた小窓から僅かに首を上げ夕焼けに染まった空を見上げる。
もし全てを思い出せたなら、私はどうなるんだろう?
今よりもっと苦しむことになるか、それとも………。
____あぁ…いけない、明日の準備を忘れていた。
面倒だが一人になるのには丁度いい機会だ。
それに彼処の水は清いから嫌な思いを洗い流してくれるだろう。
ほんの少しだけ、楽しみだ。
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