竜のもうひとつの瞳
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第四十四話
癇癪を起こしたおじいちゃんをしばらく放っておき、その場に座って疲れたように溜息を吐いたのを見て、お茶を淹れてあげた。
礼を言って受け取ったおじいちゃんに何があったのかとさりげなく聞いてみると、何が起こったのかを怒り交じりに教えてくれた。
今少し前、小田原城に豊臣からの使者が来たという。
使者が言うには、豊臣に下ればその命を助けてやると言ったそうだ。
そして戦を起こすことで犠牲になる民の命も保障すると。
そればかりか、これから攻めてこようとしている伊達から北条を守るとさえ言ってのけたのだ。
流石は豊臣、伊達なんか相手になりませんか。癪には障るけど、あの男の側には竹中さんがいる。
あの人が側にいて指揮を執るとなりゃ、確かに伊達の分は悪そうだ。
でも、そう簡単に伊達が負けるとは思えないんだけどねぇ……伊達も修羅場を乗り越えてきてるわけだからさ。
で、話を戻すと実はこうした要求は書状で今まで再三来ていたそうなんだけど、それをずっと断り続けてきたという。
北条は何処にも下らずに自分達で国を守る。
おじいちゃんもそれが正しいと考えて、家臣達の諌言も聞かずに拘り続けて断ってきたそうだ。
で、そんな北条に痺れを切らしたのか、行動に出たのはそんな書状を寄越すようになって三月後、つまり今日のこと。
伊達が小田原に攻め入ろうとしているというのを逆手にとって、その脅威から豊臣が盾となり守ってやろうと言ったわけだ。
でもこれって、裏を返せば断れば滅ぼしますよと言ってるんでしょ?
豊臣だって軍を率いているんだろうし。おじいちゃんはそれに気付いてるかどうか分からないけど。
とりあえずもう少しおじいちゃんの腹を探ってやろうと、私は簡単に質問を投げかけてみることにする。
「豊臣と伊達、もし戦うとすればどちらが勝つと思います?」
「そりゃ、豊臣じゃろうて。伊達の小倅もなかなか侮れんが……まず兵力差に格段の違いがある。
どちらにも有能な軍師がついておるが、兵力に格差がある以上伊達に勝ち目はない」
ほほう、豊臣が勝つと見ていますか。確かに兵力差を引き合いに出せばそれも有り得る話ですなぁ。
「じゃあ、北条と伊達が戦ったら、どっちが勝ちます?」
それは勿論北条に決まっておろう! ……などとおじいちゃんは言わずに、実に渋い顔をして見せた。
「……おそらく、いや、ほぼ間違いなく伊達が勝つじゃろうな。
こちらには風魔がおるとはいえ、流石に独眼竜とその右目を相手に戦えば勝ち目は薄い……
あの小倅に降伏を願ったところで、聞き入れるとは思えんしのぉ」
なるほどねぇ、この人はこの人なりに戦況を見て考えてるわけだ。
随分と頼りないおじいちゃんだと思ってたけど、やはり北条家を束ねるだけあって、全くの愚鈍であるというわけではなさそうだ。
となると、いよいよ伊達が危ない。今の話を聞いているだけでも、あちらはかなりのやり手と見える。実際に剣を交えて戦うばかりではなく飴と鞭で心を縛ろうとしている。
……悔しいけど、伊達にここまで上手く出来る人間はいない。
荒くれ者の集まりであるうちに、そこまでまどろっこしいことが出来る奴が頭に浮かばない。
小十郎だって器用に立ち回れるかどうか。いや、器用に立ち回れてもあの強面で相手が竦むか。
どうも迷ってるみたいだけど、これは豊臣に下るのだろう。
北条を攻め滅ぼすつもりらしい伊達と、命を保障する豊臣では豊臣に傾くのは目に見えている。
まぁ、実際のところどうなのかは分からないけど、伊達が迫っている現状ではあまり悩んでいる時間もない……。
うーん、どう考えても伊達が不利だ。
北条だって結構な勢力なのよ? ただ、それを上手く扱える人間がいないってだけで、上手く扱える人間が出てきたら
力負けするのは目に見えてる。伊達は奥州一つだけの勢力しかないわけじゃないの。
奥州中の人間掻き集めても、豊臣と北条を同時に討てるとは思えない。
「……風魔に話を聞いてもらおうと思ったんじゃがのぉ。お前さんに聞いてもらって腹が決まったわい」
立ち上がったおじいちゃんの顔は、今までとは別人のようだった。覚悟を決めた、男の顔をしている。
……ちょっと待って、今ひょっとして私ってば伊達に壮大な死亡フラグ立てた?
引き止めようと動く間もなく、おじいちゃんってば年寄りだとは思えないほどの身軽さで走って行ってしまった。
あれは間違いなく使者に豊臣に下ると言いに行くのだろう。
「ちょ」
ちょっと待って、そんなことを言おうとしたところで背後から誰かに口を塞がれた。
素早く肘内をして逃れようと動くが、押さえ込まれてその動作も出来ない。
首を強引に動かして相手の顔を見れば、そこには風魔がいた。
「……アンタね」
「『伊達の不利になるようなことをするとは、随分変わった奴だな。手篭めにされて余程恨んでいると見える』」
「されてない!! まだ未遂!! ……じゃなくて、おじいちゃんが勝手に整理つけちゃっただけでしょ……
ああもう、これで伊達が壊滅的な被害でも被ったら本当に腹切って詫びなきゃならないわよ」
本当、あのおじいちゃんってば言いたいことだけ言って、さっさと判断しちゃうんだもん。
あれはきっと家臣が大変な思いしてるってのは想像つくけど……それはこの際置いといてだ。
こうなっちゃって一体どうしよう。伊達の不利を作り出しちゃった以上、どうにかそれを回収して戻りたいところだけど……。
この際、あのおじいちゃんの首でも手土産にして合流しちゃう?
いやいや、下手なことするとこの男にこのまま首獲られちゃうか……。
とにかく伊達には一旦引いてもらうように連絡を取らないと。このまま戦にでもなったら大変だわ。
とは言っても今の状況、風魔に素性がバレる以上逃がしてくれと言って逃がしてもらえるわけじゃなし、かといって逃げるに逃げられない。
もうここまで首を突っ込んだら、逃げるのも容易な事じゃない。
……ん? 本当にそうだっけ? 確かこの人って……
「ねぇ、アンタ傭兵もやってるのよね。別にあのおじいちゃんに拘って仕えているってわけじゃないのよね」
「『……金さえ貰えれば仕事を引き受けるが』」
「じゃあ、私に雇われてみない? 報酬は奥州に戻ってからってことで」
風魔は何かを考えているようで、ややあって私に目を向ける。
「『期間は』」
「私が奥州に戻るまで」
「『……承知した。だが、俺は安くはないぞ』」
「政宗様に払わせるから大丈夫よ」
払ってくれないと言ったら、手篭めにされかけたこと姉上に暴露するって脅してやればいいんだし。
まだ報告してないんだろうからさ、脅しとしては十分に使えるはず。
「『差し当たってどうする』」
「そうねぇ……とりあえず豊臣が伊達とどう対峙するつもりでいるのかを探らないといけないかな。
とにかく情報が足りない。その辺りを詳しく調べてきて欲しい」
「『……承知』」
ふわりと姿を消した風魔を見届けて、私は溜息をつく。
どうにも面倒なことになりそうだ。負け戦にならないように、ここで手を打っておかなければならないけど、
あとどれくらいで到着するのかも分からない今、迂闊に動くことは出来ない。
政宗様も小十郎も頭が固いから、きちんと納得させられるだけの材料を持っていかないと聞く耳持たないしね。
何食わぬ顔をして北条に雇ってもらおうかしら。戦わないのなら助けてもらった恩だとか適当に言って。
もし伊達とぶつかったら、風魔に頼んで上手く城から逃がしてもらえば良いわけだしね。
そうと決まれば早速行動開始!
おじいちゃんの後を追って、私もまた部屋を後にした。
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