竜のもうひとつの瞳
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第九章~行き倒れて小田原城~
第四十三話
昼夜問わずに婆娑羅の力を全開にして飛び続けて、ようやく小田原城に近づいたという時にはオーバーヒートして小田原城前に倒れてました。
オーバーヒートは人によって出る症状が違うんだけど、私の場合、力を使いすぎると……
「……うう……おなかすいた……」
強烈な空腹に襲われるのよね。もう、そのまま放っておくと餓死すんじゃないかってくらいに。
ってなわけで、今の私は完全に行き倒れ状態です。
「お、おい、大丈夫か?」
どうにか人のいる場所にと思って這って進んだ先が小田原城の門前で、
空腹で瀕死状態の私を門番が恐る恐るといった様子で声をかけてくれる。
これから敵として戦うってのに、こんなところで倒れちゃって……本当、どうしよう。
でもまぁ、背に腹は変えられないか。とりあえず何か食べないと本当に死んじゃいそうだもん。
「……なにか、たべるもの……を……」
そんなことを言って食べ物を要求した私に、二人が顔を見合わせて慌てている。
「行き倒れだ! 何か、食うもの持って来い!」
「お、おう!」
行き倒れじゃないんだけど、行き倒れじゃないって説明するにはこの状況じゃ説得力に欠ける。
どう見たって行き倒れだし、それも長いこと食うものが無くてひっくり返ったってな感じだし。
……ああ、もうこんな様じゃ竜の右目とか名乗れないよ。
いや、どうせ弟の方が一般的に有名だし、私はスペアみたいなもんだから名乗る必要はないんだけどもさ。
でも、情けないじゃないよ。私もそこそこ知られてるっぽいし。ろくな評価じゃなさそうだけど。
「どうしたんじゃ」
二人が大騒ぎをして食べ物を持って来ようとしている様子を見て、身分の高そうなおじいちゃんが現れる。
二人は少しばかり困った顔をして頭を下げているところを見ると、やっぱり階級はそれなりに高そうな感じ。
「あ、氏政様……いや、どうも腹を空かせて行き倒れたみたいで」
氏政様? ……どっかで聞いたことがあるような……って、氏政って言えば北条の当主じゃん!
確か、歴代の北条家の中ではあまり優秀じゃないって言われていて、武田や上杉でさえも警戒するような勢力を誇っていたってのに
今じゃすっかりと落ちぶれて過去の栄光に縋るしかない状態になってるんだとか。
とはいえ、北条は依然として関東では力が強いから全く油断は出来ないらしんだけど……まさか、こんなおじいちゃんが当主だったとはね。
「何!? それはいかん!! すぐに城に運ぶのじゃ!!」
大して事情も聞かずにこんなことを言い出したおじいちゃんに、門番が慌てている。
っていうか、私も聞いてて驚いちゃったよ。
「え、いや、でも何処の誰だか分からない人、城に入れちゃヤバいですよー……奥州の独眼竜が狙ってるって噂があるのに」
その通り、門番が正しい。そんな状況で見知らぬ人間を城の中に入れたらどうなることか。
これが間者だったら内部崩壊させられちゃうよ?
っていうか、大した身分でもない門番にそんなこと言われちゃうって……しっかりしなよ、おじいちゃん。
「何、心配はいらん! こちらには風魔がおるでな!」
自信を持ってそう言ったおじいちゃんに、私は空腹で行き倒れながらも小さく眉を顰めていた。
風魔? ……それって、もしかして。
おじいちゃんに呼ばれて現れたのは、赤い髪が印象的な一人の忍。
この人はおじいちゃん以上に知ってる……っていうか、奥州にいた時も話には聞いてた。
伝説の忍、風魔小太郎。
雑賀衆みたいに風魔の頭領は代々この名を襲名して活躍しているらしい。
頭領以外に“風魔”の名を冠するのは原則禁止で、風魔と呼ばれているということはこの人がその伝説の忍と考えて間違い無さそうだ。
なるほど、この風魔がいるから城の中に人を入れても大丈夫だと。
確かに伝説の忍が目を光らせてるのに迂闊に悪さは出来ないわね。
おじいちゃんがすぐに城の中に運べ、と言える自信が分かったような気がするわ。
でも、褒められたことじゃないけど。
風魔に抱えられて私はさっさと城の中に迎え入れられてしまった。
本当はご飯を少し貰って、何処かに身を潜めるつもりだったから中に入るつもりは全くなかったんだけど、まぁ……いっか。
ご飯が食べられればそれで良いし、後は適当にお礼を述べて城を出て行けばいっか。
「ふぅ~、ご馳走様~。いやぁ、食べた食べた」
「……よく食べる娘じゃのぉ」
ドン引きって感じで呆れたようにおじいちゃんが言うのも無理は無い。
私の周りには皿やらおひつやらが山積になっている。
一週間分くらい食ったのではないかと思うほどの私の食欲に、ドン引くのも仕方が無いだろう。
てか、私も見てる立場なら絶対に引くもん。
念のため言っておくけど、普段はこんなに食べないよ? オーバーヒートした時だけだからねっ!
昔はバイキングとか行くと男顔負けなくらいに食べてたけど、今は一食にご飯三杯で我慢してるんだからっ。
食べ終わって一寝入りしたい、なんてはしたないことを考えていたところで、おじいちゃんが大きな溜息を零した。
「これから戦の準備をせねばならんというのに、兵糧が減ってしまったわい」
おおっと、そいつは申し訳ない。いや、自軍に有利にって考えればこれもアリか。罪悪感はあるけども。
「戦ですか?」
わざとらしくなく、素知らぬふりをして聞いてみると、おじいちゃんがまた溜息を零す。
「奥州の独眼竜が攻めてくるという情報を得ておってな。迎え撃つ準備をしているところじゃよ」
奥州の独眼竜ねぇ……確かにうちは手強いけれど、でもちょっと待って。
どうして奥州が攻めてくるところばかり考えていて、豊臣はスルーしてるんだろ。
奥州も一大勢力だけど、豊臣だって決して弱くは無いはずだよ。だって、天下人に王手をかけてるところだもん。
それを無視して奥州にだけ警戒を向けている、っていうのは……なんか違和感あるなぁ。
「豊臣はノーマークなんですか?」
「は? 何じゃて?」
「だから、豊臣が攻めてきているのは対処しないんですか?」
そう聞いてみれば、おじいちゃんの顔がみるみる青ざめていく。
……ひょっとして、豊臣が攻めてくるって話は知らなかったとか?
いやいやまさか……そんな情報が入ってきてないなんてことになったら、北条は余程平和ボケしてるってことじゃない。
この戦国の世において、そういう情報は家の存続に関わるから重要なのよ? 最も無視しちゃいけない情報だってのに……。
「なっ、どういうことじゃ! 詳しく話すのじゃ!!」
いきなり肩を掴まれて唾を飛ばしながら詰め寄ってこられたもんだから、思わず反射的に殴りつけようとしちゃったよ。
勿論、そんなことをやると高齢者虐待になっちゃうから踏み止まったけどもさ。
しかし……えー、本当に知らないんだ、この様子じゃ。
「だ、だから……西国の方から来たんですけど、豊臣と伊達が小田原を決戦の地にしようとしているって聞いたんです。
で、それ聞いてここまで来たんですけど……雇ってもらおうと城下町に浪人者が結構入って来てるでしょ?
豊臣か伊達か、どちらかに着こうって腹の奴らが集まってるんです」
まぁ、実際にそう聞いたわけじゃないけど、空を飛びながら町の様子をちょっと見て来たからそうなんだろうな、って中りはつく。
現代と違って人材不足のこの世の中じゃ、現地採用ってのもある話で浪人の就職もしやすいわけだ。
事に戦になると、一人でも多くの人材が欲しいから素性もろくに調べずに雇っちゃうってのはままある話。
勿論、足軽クラスのところの話だけど、だからこの階級は間者が潜みやすいってわけね。
「な、何じゃと……ふ、風魔! 急いで情報を集めて参れ!!」
その声に、おじいちゃんの近くにいた風魔が音もなく姿を消した。
……流石伝説の忍と言われるだけあって目の前にいるのに気配を感じないわ。
佐助も忍としちゃあなかなかなもんだったけど、多分風魔はそれを軽く超えると思う。
つか、そういう人がいるなら、この程度とっくに情報得てるはずよねぇ?
何で豊臣のことを知らなかったんだろう。何か微妙に引っ掛かるものがあるなぁ……。
「くぅ~……何故こうもワシの代でこれほど問題が起こるのじゃ! ……これがご先祖様だったら……」
ありゃぁ……おじいちゃん泣いちゃったよ。泣かせるようなこと言ったかなぁ……いや、言ったか。
そりゃ、豊臣と伊達に挟まれて攻撃受けるなんて聞いたら泣きたくもなるよねぇ。
「……ところでお前さん、何処に下るつもりだったんじゃ?」
「伊達に下る予定でした」
正直に答えた私の肩をがっしりと掴み、おじいちゃんが激しく揺さぶってくる。
「北条と答えい!! どいつもこいつも豊臣と伊達ばかり支持しおってからに……!!」
ちょ、止めて! 本当、今食べたの全部出ちゃうから!!
「氏政様!!」
慌しく駆け込んで来た家臣がこの光景を見て、呆れながらも止めに入ってくれる。
とりあえず火急の知らせとかで入って来て、おじいちゃんと一緒に部屋を出て行ってしまった。
はぁ……年寄りの癇癪にはついていけない。
ついそんなことを思って溜息を吐けば、いなくなったはずの風魔がいつの間にか私の近くに立っている。
「……調査に行ったんじゃないの?」
そう訪ねてやっても、風魔は何も言わずに私をじっと見つめるだけだ。
……何、一体。
訝しがっていれば、風魔がゆっくりと口を動かしている。
何かを話しているようだが、声がない。もしかして言葉が出ないのかと唇の動きを見る。
「『……何の目的があってこの城に潜入した。伊達の人間が』」
やっぱりこの人声が出ないんだ。読唇術で察しろとは大胆だね。
てか、私が読めなかったらどうするつもりだったんだろう。
「……流石は伝説の忍。全部分かった上で城に招き入れたわけ」
これは恐れ入る。自分がいるから敵を忍び込ませても大丈夫だとでも言いたいのか。
それともあちらも何か目的があって忍び込ませているのか。
どちらにせよ、これは迂闊なことは出来ないな。
する気も無いけど下手なことをやっちゃったら暗殺されそうな予感するもん。
「伊達に合流すべく、ここまで来たってだけよ。
本当は小田原城の付近に身を潜める予定だったんだけど、婆娑羅の力使い過ぎて空腹で行き倒れてね……
城の中に入ったのは含みはないわ。あのおじいちゃんの好意」
「『竜の右目の言うことを、易々とは信用出来ない』」
「そこまで分かってるんなら、私が今どういう身分だってのも調査済みなんでしょ?
言っておくけど、私が今ここにいるっていうのは伊達だって知らないんだから。
“表向きの”竜の右目ですら知らないはずだよ。嘘だと思うんなら調査でもしてみれば?
……というか、無用心じゃない? 何処の誰かも分からない人間をホイホイ城に招いちゃうなんて。
人としては良いけど、この状況じゃ城主としては落第点よ」
そう言ってやれば、風魔はやはり何も言わずに私を見ているだけだった。
てか、その様子だとアンタも同じこと考えてるでしょ。なら、何で止めなかったのかなぁ……あのおじいちゃんを。
忍にそこまで出しゃばる権利はないってか?
「で、どうするの? おじいちゃんに報告してさっさと殺す?」
「『今、お前の首を刎ねるのは得策とは言えない』」
「……どういう意味?」
何者かが廊下を慌しく走る音がして、風魔が途端に姿を消した。
消したと同時に荒々しくも戸が開かれて、そこにはおじいちゃんが顔を真っ赤にして立っている。
……もしかしてバレた?
「風魔!! おらんのか!!」
おっと、風魔を探しに来たわけね。てか、何でここに来たのよ。自分で豊臣を調べろって言っておきながら。
というか、あんまり興奮すると血圧上がるよ? どうせこの時代、血圧上がっても降下剤とか無いんでしょ?
「くぅ~!! 風魔め……こうなることを予想して豊臣のことをワシに教えなかったのじゃな!!」
癇癪を起こすおじいちゃんの様子をしばらく眺めながら、とりあえず落ち着いたところで事情を聞くことにしよう。
……伊達にも年寄りが多いから分かるけど、年寄りの癇癪は面倒だからねぇ……本当に。
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