剣の丘に花は咲く
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第十六章 ド・オルニエールの安穏
第六話 ゆめ
前書き
投稿が遅くなりすみませんでしたm(__)m
夏休みに入ると、士郎たちはド・オルニエールの領地に入り浸りになった。士郎とルイズだけでなく、その中には士郎付きのメイドであるジェシカやシエスタは勿論、キュルケやティファニア、そして凛の姿もあった。他にも、何故か学院長の秘書であるロングビルや教員であるカトレアの姿もあった。
彼女たちの目的はもちろん士郎であったが、ギーシュが屋敷の近くで掘り当てた温泉も理由の一つでもあった。どうやら温泉には美肌効果があるらしく、毎日のように彼女たちは温泉に入っていた。温泉の周囲には簡易な囲いがあるだけであり、その事から色々とトラブルも起きたが、まあそれはギーシュたちが強制労働に従事させられるという程度ですんだ。
若い男女(女子の割合が多いが)が集まれば、小さなトラブルが尽きることはないが、それでも士郎がこの世界に来てからの一年間を思えば、穏やかな日日と言える生活であった。
「ああ……平和だな」
「え? へ、平和ですか?」
穏やかな口調のそんな士郎の言葉に、ティファニアが困惑した声を上げた。
屋敷の庭に設置された小さな白いテーブルに向かい合って座るティファニアと士郎。
今日は夏にしては日差しが穏やかであり、風も吹き涼しく、外でお茶をするには絶好の日和。今日はたまたま他の全員に用事があり、偶然にも今屋敷にはティファニアと士郎の二人しかいなかった。そこで、士郎は暇そうにしていたティファニアをお茶に誘ったのだ。
士郎の言葉に困惑するティファニアは、お茶請けのクッキーを口元に運ぼうとしていた指で挟んだクッキーを手元の小皿に置くと首を傾げた。
「あの、シロウさん。一昨日はリンさんが爆発事故を起こしてルイズと屋敷の一部を破壊するような喧嘩をしていましたし。昨日はルイズのお姉さん、えっとエレオノールさんが屋敷に来て凄い騒ぎが起きましたよね?」
「ああ。だが、屋敷は別に倒壊していないし、重傷者も出ていないだろ?」
「そう、ですか……シロウさんの中では、屋敷の一部が吹き飛ぶことや、家具を破壊し尽くすような姉妹喧嘩はまだ平和のうちなんですね」
ティファニアが引きつった笑みを浮かべた。
一昨日の凛とルイズの喧嘩も確かに凄かったが、昨日のエレオノールの一件は更に凄かった。エレオノールは結婚前の男女が一緒に暮らすとは何事かと屋敷に強襲してきたのだが、その時丁度タイミング悪く屋敷にはルイズの他、キュルケ他多数の女の姿があり、その中には自身のもう一人の妹であるカトレアもいた。勿論エレオノールがそれを見逃すはずもなく、一体全体これはどういう事だと激昂する羽目となった。屋敷を揺るがすような怒声を放ちルイズだけでなく屋敷にいたキュルケたちを叱りつけるエレオノールを、屋敷に潜む悪魔が見過ごすわけはなく、ここに出会ってはならない者たちが出会ってしまった。
結果としてどうやら凛とエレオノールの相性は、水と油と言うよりも、炎とガソリンと言ったところであった。
士郎とセイバーが協力して二人を強制的に停止させなければ、屋敷倒壊どころで済まなかったかもしれなかった。
つい先日の光景を思い出し、ティファニアと同じように士郎も若干引きつった困ったような笑みを浮かべると、誤魔化すように頬を指で掻いた。
「自分でもおかしいとは思っているんだが。まあ、この程度いつもの事だからな。俺のなかではまだまだ平和と感じるレベルだ」
「……お疲れ様です」
士郎のこれまでの人生を思い、そっと心の中で涙するティファニア。
「でも、昨日も屋敷の片付けを遅くまでしていましたし、わたしとお茶を飲んでいるよりも、少し休んでいた方がいいのではないのですか?」
「いや、俺としてはこうしてテファとお茶を飲んでいる方が気が休まるよ」
「そ、そうですか……」
か細い声で呟くと、カップを両手で持ったティファニアが、顔を俯かせ啄むようにカップの縁に唇をつけた。
下げた頭に隠れてはいるが、綺麗な金髪の隙間から見える首筋の白い肌が、真っ赤に染まっていた。が、士郎はそんなティファニアの様子に気付くことなく、雲一つない青い空を見上げていた。
「ああ―――本当に、平和だなぁ……」
タニアリージュ・ロワイヤル座。
その二階の奥には、横に十席ほどが並べられた“ボワット”と呼ばれる特別な観覧席があった。特別席と言われる通り、そこを利用できるものは限られていた。貴族、それも国内でも有数の大貴族のみが利用することを許されていた。
そんな特別席に、劇の開演と共に仮面をつけた貴族たちが一人、また一人と同じ仮面をつけた貴族たちが入ってきた。彼らは互いに挨拶をする事なく、席に着いていく。何よりも人脈を重要視する貴族たちの姿からは、考えられない光景であった。十はある席が全て埋まると、測ったように劇が始まった。演目は最近人気の『アルビオンの剣士』であった。
劇が進み、主人公である剣士が敵役であるメイジたちを切り伏せていく場面となる。と、観客席の奥。一番安い席から歓声が上がる。
「……昨今の歌劇は、随分と品がなくなりましたな」
「ええ、それもありますが、内容も酷いものです」
顔の上半分を覆う仮面をつけているが、その下の感情を容易に想像させる声に、離れた位置に座っていた貴族が頷いた。
最初に感想を口にした貴族の声は、小さな呟き程度の声量であったが、その声は離れた位置にいた貴族の耳にハッキリと届いていた。その理由は、彼らがつけた仮面であった。彼らがつけた仮面は、同じ仮面をつけた者に声を届ける魔法の仮面であった。それは、同じ仮面をつけた者同士ならば、ある程度の範囲にいたならば、どんな小さな声でも届けることが出来る仮面であった。玩具のような道具であるが、ある目的に使うには便利なものであった。
「その通り、このようなくだらぬ剣劇が、この伝統あるタニアリージュで催されるとは思いもしませんでした。これが今流行りの歌劇とは、全く恐ろしいものです」
「恐ろしいのはそれだけではない。何よりも昨今の陛下の治世だ。近衛に下賎な成り上がり者を使うだけに飽き足らず、今度は領地まで下賜されたと聞くぞ」
「全く、先々王の時代が懐かしい。貴族が貴族らしかったあの時代が……全ての者が己の分というものを弁えていたあの時代。それが今では平民どもまでが調子にのるような始末。昔からは想像もすることが出来ませんな」
「このままでは、祖国の土台が揺らいでしまうかもしれませんな」
一人が口を開いた事を切っ掛けに、十人ほどの明らかに高位貴族とおもしき貴族たちが口々に現王政府に対する不満を口にし始める。
「その通り。だからこそわたくしは、皆さんにお集まりいただいたのです」
段々と加熱していき、声も大きくなっていく中、彼らの背後から一人の年配の男の声が上がった。その声に、一斉に貴族たちは振り返った。背後にあるカーテンの隙間から姿を現したのは、黒いマントを羽織った長身の貴族であった。この場にいるどの貴族よりも見事な黒いマントを着こなしたその貴族の隣には、美しく着飾った婦人の姿もあった。現れた二人も、他の貴族たちと同じマスクをつけていた。
新たに現れた男女二人の貴族の姿を見た席に座っていた貴族の誰かが、不意にその仮面の下の素顔に気付きその名を口にしようとした。が、それは当事者である年配の貴族の人差し指を唇に当てるという仕草に遮られた。
「既に手紙で伝えていた筈です。ここでその名前を口にしてはいけません。わたくしがあなた達の本名を口にしないのと同じように、です」
「そうでした。これはすみません。“灰色卿”」
慌てて頭を下げる貴族に、灰色卿と呼ばれた年配の貴族は口元を緩め頷いた。
「いえ、いえ構いませんよ。さて、ここに集まっていただいた方は、誰みが皆、王国の重鎮の中でも、更に選び抜かれた我らが祖国の尊き伝統と知性を受け継ぐ方々です。そんなあなた方に、わたくしの話を聞いて頂きたいと、こうして手紙をしたためた次第でございます」
灰色卿と呼ばれた貴族が大げさな仕草で前置きを口にするが、集められた貴族の一人が「前書きはいい」とばかりに鬱陶しげに手を振る。しかし灰色卿は口を閉じることなく演説を続けた。
「皆さまもご存知の通り、今祖国は、目を覆わんばかりの現状です。しかしお若い陛下は、思慮も浅く衝動の赴くまま祖国が長年築き上げてきたあらゆる伝統を破壊しよとしているのです」
集められた貴族たちは、苦々しい雰囲気を漂わせながら各々頷いてみせる。
「ほう、つまり卿は陛下に諫言されるということですかな?」
期待するように一人の貴族が声を上げるが、灰色卿は首を横に振る。
灰色卿の首が縦に振られるのを期待していた貴族たちが、予想に反して首を横に振られた事に同様を示す。中には、まさか灰色卿は反乱を促そうとしているのでは、と警戒を顕にする。普通では考えられない。が、つい先だってガリアでは王座の交代劇が起こった。もしやあの反乱劇に触発されて、アンリエッタを亡き者とし、王座を手に入れようとしているのでは、と……。
「灰色卿……つまりはどういう事ですかな? あなたのお話は、あなたの呼び名の通り、どうもはっきりとしていないのですが。まさかとは思いますが、我らに反乱を促しているのではありますまいな? 冗談でも口にしてはならないものがありますぞ……あなたは我らに大逆を犯せというのですか……?」
重々しい声で、威嚇するように睨めつけてくる貴族に灰色卿は大げさな仕草で首を横に振った。
「それこそまさか、ですぞ。ご存知の通り、わたくしたちの名誉を保障してくれるお方は、この国の王たるあの方お一人。我らは陛下あってこその存在。そんな我らが陛下を害するなど有りうるはずがない」
灰色卿の言葉に、貴族たち一同はアンドの声と共にこわばっていた肩を緩めた。
「ですから、何よりも陛下の名誉が大事なのです。何故ならば、陛下の名誉が輝きを増せば増すほど、我らの頭上を照らす光もまた増すのですから。そのため、その輝きを曇らせる要因となるものは決して許すことはできませぬ。その結果は全て、我らにも降りかかるのですからな」
ここにきて、集められた貴族たちは灰色卿の話の趣旨を理解したのだった。
「そういうことですか。つまり灰色卿、あなたの狙いは―――」
「ええ、わたくしは陛下の穢れを取り除いて差し上げたい。それを行う者に相応しいのは、他の誰でもない。この国の伝統を守る古き貴族たる我々しかおりませぬ」
「穢れ、と灰色卿は仰るが、その穢れとは具体的には……」
「既に耳にされているとは思いますが、あの平民の男のことです」
灰色卿の視線が貴族たちから外れ、眼下で行われている演劇にへと向けられた。灰色卿の視線に導かれるように、その場の貴族たちの視線も同じように舞台へと向けられる。丁度芝居の中では、一人の剣を持った男が杖を持った男を切り伏せていた。歓声が上がり、貴族の誰かが不機嫌そうな声を漏らす。
平民出の有名人は、銃士隊隊長のアニエスもいるが、彼女はその苛烈な勤めぶりから市民からの人気は低い。若く美しい女ではあるが、その仕事ぶりとニコリともしない愛想の悪さから一部の特殊な性癖の持ち主以外からの人気はないと言ってもいい程だ。
その一方で、士郎の人気は目を見張るものであった。もはやトリステインで知らぬ者はいないと断じていい程である。しまいにはこのような劇まで創られてしまう程に、その人気の過熱ぶりは恐ろしい程であった。そしてその人気と比例し、貴族、特に大貴族と呼ばれる者たちからの士郎への嫌悪感は上がる一方であった。いなくなれば、どれほどせいせいするか。その気持ちは、この場の貴族たち一同の思いであった。
「卿の話はわかりましたが、しかしどうするのですかな? あの男の強さは並大抵のものではありませんぞ。アルビオンでは七万の軍勢をたった一人で追い散らし、ガリアでは数十もの貴族を打倒したと聞く。悔しいがあの男に勝てそうな者はわたしには思いつきませんが」
「ええ、それは承知の上です。ですから、わたくしは一流の掃除人を用意しました」
「掃除人ですと?」
「こういった腕利きをどうにかするための専門家です。その中でも一流の者を用意しました。しかし残念ながら、腕と比例し値も張る。その額はわたくし一人ではどうも……」
「つまり卿は金の無心に来たと、しかし口では何とでも言えるが、その掃除人とやらが、本当に腕利きかわかりませんぞ。高い金を払って失敗したではたまったものではありませんぞ」
そう口にした貴族に同意するように、周りの貴族たちも頷き文句を口にした。金を失う程度ならまだしも、その掃除人とやらが下手な相手ならば、最悪密告され、破滅させられるかもしれない。そんな分の悪い賭けに乗ることは出来ない。
そんな貴族たちの不安や不満をある程度耳にした灰色卿は、しかし焦ったような様子は見せなかった。
「その不満はわかります。ですから、まずはその腕前をご覧にいれましょう」
それどころか灰色卿は、自信満々な様子を見せると、貴族たちに背を向けた。
ついてくるよう肩越しで向けた視線で貴族たちを誘うと、灰色卿は背後の扉へと歩き出した。扉の向こうには、一階に下りる大きな階段がある。そこには、貴族たちがここに来る際連れてきたお抱えの騎士たちが控えているはずだった。お忍びでとは言うが、この場にいる全員名のある大貴族である。警護の騎士たちの腕は並大抵のものではない。そんな騎士たちが総勢三十名が待機している筈だったのだが、扉を開けるとそこには……。
「馬鹿なっ!!?」
「これは一体っ?!」
驚愕の声が貴族たちの口から上がる。
彼らの目に飛び込んできたもの。それは扉の向こうに控えているはずだった三十名からなる手練の騎士たちが全て昏倒していたからだ。倒れた騎士たちはピクリとも動くことはなく、生きているのか死んでいるのかさえわからない。血の匂いや跡がないことから、死んではいないとは思われたが、その安否を確かめようとする貴族は誰一人としていなかった。
「ご安心を、気を失っているだけです。誰一人として死んではおりませんよ」
灰色卿が呆然と立ち尽くす貴族たちに安心するよう声を掛けると、一人の貴族が震える声で尋ねる。
「こ、これはあなたの……」
「ええ。正確にはわたくしの雇った掃除人ですが」
ゴクリと誰かが唾を飲む音が嫌に大きく響いた。
三十人の手練の騎士を、すぐ隣の部屋にいた自分たちに気付きもさせずに倒すとは、一体どのような手を使えば出来るのか。それも誰一人として殺すことなく気絶させるだけで。騎士たちが倒れている踊り場や階段に壊れた箇所は見られない。暴れた様子もない。つまり、騎士たちは誰一人として襲撃者に気付くことなく倒されたということだ。そう、反撃の暇もない程の短時間のうちに……。
灰色卿の言う掃除人とは一体何者なのか?
一人なのか? それとも複数いるのか?
貴族の一人が目を覚まそうとするかのように頭を振った。
まるで騎士たちが倒れ伏した光景が悪夢のように感じたからだ。しかしどれだけ頭を振ろうと目の前の光景は消えはしない。
冷たく硬い現実が目の前に横たわるだけ。
震える貴族たちを前に、灰色卿は喜色を含ませた声を上げた。
「わたくしの雇った掃除人は、名誉の欠片もない戦いを身上とする者たちですが、その腕前はご覧の通りです。どうでしょうか、これならばあの男とて……」
「確かに」
「これ程の腕ならば……」
震えながらも掃除人の実力を感じとった貴族たちは、倒れた騎士の姿に忌々しい英雄の姿重なり歪んだ笑みを浮かべる。その姿を満足げに見つめていた灰色卿は、貴族たちの前に出ると倒れた騎士たちの背中にし、宣言した。
「それでは、そろそろ英雄には物語の中へと帰ってもらいましょう。英雄譚の最後はやはり英雄の死で終わるもの……。主演は勿論英雄であるシロウ・エミヤ……そして、その敵役とし―――」
灰色卿の口が開かれた時、図ったように終劇の合図が鳴った。
その余韻が消えぬ間に、灰色卿はその名を口にした。
「“元素の兄弟”」
光が灯る。
火の香りがしない明かりの正体は、魔法の道具だ。カンテラの様な形をした魔法の道具を左手に持ち、部屋の中へと入る。魔法の明かりは、炎のそれよりも強いが、それでもやはり今いる場所をくまなく照らし出す程の光量はない。
魔法の道具の明かりに薄く浮かび上がるそこは、窓一つない部屋であった。
決して広くはないが、狭くもない四方を石壁で囲まれたその部屋は、鍛冶場であった。部屋の中は、様々な刀剣類が抜身のまま壁に掛けられており、その中心には、その部屋が鍛冶場である証拠である一つの炉があった。
明かりを片手に暫く炉を見つめていたが、小さく頭を振ると目的のモノへと目を向ける。
「―――相も変わらず、か……」
見つめる先、部屋の中に一つだけ置かれたテーブルの上に転がる赤い布で包まれた塊。
無言でテーブルの隅に明かりを置き、赤い布を慎重に剥がしていく。
赤い布の奥―――ソレは黒かった。
黒い、と言うよりも、赤黒い錆の色にも、腐り落ちる寸前の腐肉の色にも見えた。
今にも悪臭が漂ってきそうな不快な色に染まったソレは、形だけを見れば一振りの剣。片刃の僅かに反った刀身は、日本刀のそれに近いが、幅と長さは通常の日本刀よりも一回りは大きい。
手を伸ばす。
緊張に僅かに震える指先がその赤黒い刀身に触れ―――。
―――――――――ッ―――――
―――喰われる。
「ッ―――!!」
根源的な恐怖に襲われ、全身から一気に熱量が奪われながらも腕を勢い良く後ろに引く。
ベリベリと指先の皮膚が剥がれる鋭い痛みが走る。引き寄せた腕が、僅かに傷付いた指先から力が抜け落ちたかのように、ダラリと垂れ下がった。
―――いや、ようにではない。
実際に、喰われたのだ。
皮膚が剥がれた指先に血が滲み、球となった血が重力に従い床に落ちていく。
「……っ、はぁ……」
滲み出る冷や汗を拭い、荒れた呼吸を落ち着かせると、剣に触れないように再び慎重に布を巻き直す。
「どう、判断するべきか……」
ようやく戻ってきた感覚が確かめるように開いては閉じを繰り返して手を握り締めると、複雑な感情を込めた目線を赤い布を巻き直した剣へと向ける。
凛から渡された素材を元に鍛ち上げた剣。
つい先日鍛ち上がったばかりの剣は、有り体に言えば失敗作だった。
醜い黒で染め上げられ、錆が浮いたように表面はざらざら―――見た目からして失敗に見えるが、何よりもまず問題なのは、まともに握ること、いや触れることさえ出来ないのだ。錆が浮いたような見るからにざらついた柄に触れると、喰われてしまうのだ。そう、文字通り食われてしまう。柄だけでなく刀身、いや、剣の何処かに触れると魔力から体温、肉体そのものまで剣に奪われてしまう。常人ならば下手すれば骨も残さず食われてしまうかもしれない。
最早魔剣と呼ぶことさえ躊躇われる程だ。
誰がどう見ても、失敗としか言い様がない―――しかし、何故か剣を造り上げた当の本人である士郎は“失敗”とは言い切れなかった。
理由はわからない。
ただ、何とはなしに感じていた。
この剣には、ナニカが足りない、と。
しかし、剣を造り上げるための工程は全て終了しており、何かが足りないということはないと自信を持って断言出来た。しかしそれでも、湧き上がるものは同じ。
―――まだ、完成していない。
何が足りないのかは分からない、ただ、何故か確信を持っていた。だからこそ、“失敗作”と処分することを躊躇っていた。
「何かが欠けている……そう感じはするのだが、どうすればいいんだろうな……」
悔しげに顔を歪ませていた士郎だったが、気分を切り替えるように目を一度閉じた。再度目を開くと赤い布で巻かれた剣から視線を外し、何とはなしに周囲を見回す、と。
「……ん?」
テーブルに置かれた魔法の道具から放たれる明かりが周囲を薄ぼんやりと浮かび上がらせる中に、奇妙な陰影を見つけた。石壁の一つに小さな影。壁の隙間から小さな突起が出ており、小さな影が出来ていたのだ。
士郎は直感的にそれが何かの仕掛けだと感じた。そしてこういう仕掛けの用途として、考えられるのは……。
「そう言えば、まともに調べてはなかったな……これは知られたらどやされそうだ」
脳裏に浮かぶのは満面の笑みで怒る凛の姿。部屋を禄に調べもせずに工房を造った事を知られたら、一体どんなお仕置きをされるか分からない。
士郎は突起のある壁の前まで移動すると、慎重に壁に触れた。
「解析開始」
士郎の脳裏に壁の向こう側が浮かび上がる。同時にトラップ等の危険性がないこともわかると、士郎は躊躇いなく突起を押し込んだ。ズズズ……と低い唸りを上げながら壁がズレ始める。音が止むと、士郎の前に人が一人ぎりぎり通れる程の通路が現れた。平均より上背がある士郎には狭いが特に問題はない。頭を下げ中に入ると、石で補強された通路をゆっくりと進んでいく。
「……やはり隠し部屋か」
二十メートル程進んだ先には、扉があった。
士郎が解析で判明したのは壁の向こうにある通路と、そしてその奥に扉がある所まで。この扉の奥に何があるのかはまだ分からない。慎重に扉に手をかけると、ゆっくりと押していく。
「ここは……」
開かれた扉の向こう。そこは十畳ほどの部屋であった。
“寝室”という言葉の通り、部屋に入りまず目に飛び込んできたのは大きな天蓋付きのベッドであった。部屋の中心に設置されたそのベッドは、遠目で見ても豪華な造りであることが分かる。近くにある箪笥の上に明かりを置き、士郎はベッドへと近付いていった。ベッドのカバーを手に取る。カバーは細かなレースで飾られており、肌触りは滑らかで明らかに高級品であった。部屋の隅に幾つか置かれた調度品も、詳しく調べてはいないが同じような高級品だろう。
「しかし何故、こんな所にこんな部屋が?」
避難所かとも思ったが、それにしては緊急用の食料品や物資が置かれていないのはおかしい。何よりもそういった雰囲気を感じない。困惑しながらも部屋の様子を確かめていく。うっすらと埃が積もってはいるが、家具に劣化した様子は見られない。“固定化”の魔法でも掛けているのだろうと考えながら部屋を見回していると、士郎の視界に人影が浮かび上がった。
「―――ッ……ふぅ」
咄嗟に身構えるが、直ぐにその正体に気付き緊張を緩める。士郎の前には、壁に掛けられた大きな姿見があった。
驚いたのを紛らわすように苦笑を浮かべながら姿見に近づいていくと、突然鏡が輝き始めた。光は段々と大きくなり、やがて姿見が何時か見たゲートのような姿となった。
「…………さて、どうするか」
光り輝く鏡を前に、士郎は腕組をすると首を捻った。
「……っん…ぁ」
気怠い声に、ベッドが微かに軋む音が混じる。ほんの少し身じろぎするのも辛いほどの披露が、全身を包んでいる。もう指一本すら動かす気にもなれない。疲労を回復させるためにも、早く眠って身体を休ませなければ。
なのに、ずっと目を閉じているにも関わらず眠気は一向にやってこない。
ぼんやりとベッドの天蓋を見上げながら、アンリエッタは無理に寝ようとするよりも、もう少し政務を進めた方が良いかもしれないと考えるが、直ぐに苦笑と共にその考えを振り払った。これ以上、母や枢機卿に心配をかけるのは流石に心苦しい。
なにせ最近ずっとそうだから。
日が昇る前に始め、日が沈んで尚も続け、双月が天井近くまで昇った頃になってやっと終わる。初めは「あまり無茶はされないでください」と小言をいうだけだった枢機卿も、それが毎日のように続くとm無理矢理にでも休ませようとしてくるようになった。
今日も隠れて政務を勧めていると、枢機卿に見つかり仕事道具だけでなく、明かりが点けられるような物を全て持って行かれてしまった。せめてロウソクの一本くらいはとお願いしたが、「今夜は月が明るいですから」と聞く耳を持たれなかった。
だから今日はこれで終わり。さっさと眠ってまた朝から始めようと服を脱いで、薄いレースの下着姿のままベッドに入ったのはいいが、何時まで経っても眠気はやってこない。
「―――はぁ…………」
蚊の鳴くような小さなため息が溢れた。
激務の理由は、ただ単純に人手不足であった。今現在、マザリーニと共に勧めている計画は、秘密裏に事を進めなければならない。貴族、特に旧い貴族―――頭の固い下手に地位と権力を持つ貴族にだけは知られてはならなかった。だからこそ、使える人材は限られてしまう。そうなれば当然、一人当たりの負担も増えてしまうのは道理である。それがわかっているからこそ、マザリーニはぎりぎりまでアンリエッタの激務に口を挟むことはなかったのだ。
しかし、実の所アンリエッタがこうまで身を粉にして政務に励むのは、人材不足が理由ではなく、別の理由であった。
「……結婚、です、か……」
そう、マザリーニや母からの結婚しろとの攻勢から逃れるためであった。とは言えアンリエッタは、既に母たちの言葉に対する返事は決めていた。ただ、その返事は色々と覚悟や準備が終わっていないことから、まだまだ先伸ばしにしてしまいそうだ。特にこの件については事前に話を通さなければならない人がいる。
……それも結構な人数が。
中でも、まず最初に話を通さないといけない人がいる。
しかし、その件の人物は、最近やっと周囲が落ち着いてやっと平和を満喫出来るようになったというのに、またもや騒動を起こすのは流石に心苦しい。
とは言え、そう時間に余裕はないだろう。
時期を待つのも限界がある。
……覚悟を決めなければ。
何度も決意する―――だけど、何時も直ぐにその決意が折れてしまう。
理由は分かっている。
不安なのだ。
自分が受け入れられるかどうか分からない。
勝算がないわけではないし、何となく大丈夫な気はしている。だって彼は身持ちが硬そうな雰囲気とは反して、それはもう様々な女性と愛を交わしているような人なのだから。彼を良く知らない人ならば、女の敵と断じるのは避けられないだろう……あら? あながち間違ってはいないかしら。
わたくしも唇を奪われたことがありますし―――でも、そのキスは緊急避難的なものだったり、その場の雰囲気に流されたようなものだったりで……。
シロウさんがわたくしを欲してくれたわけでは……。
……ああ、駄目だ。
また、何時ものように悪い考えがぐるぐると回ってしまう。
不安なのだ。
どうしても……だから、それから目を逸らすために、紛らわせるために、政務に打ち込む。政務に打ち込んでいる間は、その忙しさに忙殺されて不安を抱く暇はないから……。だけど、ふとした瞬間……今みたいに気が抜けた時が一番だめ。胸の内が、不安でいっぱいになってしまうから……。
「―――……ぁ」
ぐるぐると駄目な思考が回るのを止めるため、強く瞼を閉じるが、一度回り始めたものは何であれ急には止まれない―――止められない。
暗い水底へどこまでも落ちていくような、凍えるような寒さと恐怖、不安が襲ってくる。
上手く息が出来ない。
呼吸が荒く、じっとりとした汗が全身から吹き出る。
「……っ」
溺れ水底に沈みゆく中、遥か遠く彼方に見える水面に震える手を伸ばす。
心と身体の苦しみに、涙が溢れる。
「……―――ん」
荒い呼吸の合間に、助けを求めるように、許しを請うように、彼の名を呼ぶ。
「―――っ、ぁ―――し、ロウ、さん」
震える、小さな、小さな声で名前を呼ぶ。
返事がないと知りながらも、どうしても呼んでしまう。
苦しい時、辛い時はいつもそう。
何度も―――何度も彼の名を呼ぶ。
少しでも彼を近くに感じたいから。
少しでも彼の事を考えたいから。
今宵もまた―――応えのない呼びかけを行う。
「し、ろう、さん―――しろうさん―――シロウ、さんっ―――シロウさんっ」
苦し気な声は、次第にその様相を変えていく。
甘く、柔らかく、囁くように、啄むように、彼の名を呼ぶ。
あの日―――彼を求めると決めてから、毎晩。
身体は疲れきり、疲労は極限。なのに、どうしても目が冴えてしまって。どうしても眠れない。頭に浮かぶのは、不安で嫌なことばかり。
だから、わたくしは慰める。
自分を。
彼の名を呼び、どろどろに心と身体が溶けてしまうまで、自分を慰める。
「っ―――ぁ―――し、しろう、さぁ、ん……っは、ぁ―――っくぅ」
段々と形をなさなくなっていく言葉。部屋の中に、粘着質の音が響き出す。汗とは明らかに違うもので、アンリエッタの身体が濡れていく。窓から差し込む月光が、ベッドの上で乱れる女の身体を浮き上がらせる。粘度さえ感じさせる甘い声で、アンリエッタは呼ぶ。自分を更に高めるために。時と共に加速度的に昂ぶり、身体の内から生じた熱の勢いはとどまる事を知らない。最早その勢いは誰にも止められない。
止める気もない。
茫洋と意識が形を無くし、遠く近くから光が生まれる。
衝動のままに声を上げた。
低くくぐもった、何処か獣の唸り声のような声を―――聴く者の本能を揺さぶるかのような淫蕩に浸った声で。
「っ―――ぁ、も、ぅっ―――っあ、ぁ、あい、愛して、いますっ―――っん」
応える者はいない愛の告白。
ただ自身を昂ぶらせるための言葉。
「っ愛しています―――シロウさんっ」
応える者は、いない―――
「―――ぇ……?」
―――筈であった。
「…………………………………………?」
白い光の中に飛び込もうとしたアンリエッタの意識が、あり得ざるべき声に強制的に引き戻された。焦点の合わない視線で、しかし顔だけを声が聞こえてきた方向へと向けた。
「……………………こ、こんばんわ」
「………………………………………………………………」
世界が静止した。
そう感じる程にその空間の時は凍りついていた。
物凄く気まずそうな顔で立ち尽くしていた男は、アンリエッタの視線に耐え兼ねたようにそろそろと後ろを向く。
「―――そ、その、だな。べ、別にわざとではないんだ。実際俺も何故ここに居るのか分からないくてな。だ、だから、その―――」
未だに動揺しているのだろう。男は必死な形相で身の潔白を説明し始める。
だが、当のアンリエッタはそんな男の声が聞こえないかのように、無言のままゆっくりと身体を起こし、ベッドの端へと移動すると落ち着いた様相でベッドから降りると。
後ろを向き、しどろもどろに何か言っている男にふらふらと力ない動きで近づいていき。
「……っん~ふふっ」
「―――ッッ!!?」
ガバリと抱きついた。
アンリエッタに抱きつかれた男は、ビクリと身体を震わせ硬直させる。
「あ、あの……あ、アンリエッタ?」
「んもう……言ったじゃないですか、二人っきりの時は“アン”ですよ……もう、夢の中でも真面目なのですから……うふふ、でも、感触もこんなにはっきり感じられるなんて、これが夢だなんて信じられません……」
「は? え? あ、アンリエッタさん……そ、その、これはゆ―――っぐぅ?!」
「っん、ぁぅんぁ……」
とんでもない勘違いをしていると男が気付き、正気を取り戻させようとアンリエッタに向き直る男だが、何かを言い切る前にその口は塞がれてしまった―――アンリエッタの口によって。
僅かに開いた唇からヌロリと侵入してくる小さく柔らかいナニカ。しかしそれは男の口内に侵入してくると、獲物に襲いかかる蛇のように男の舌を絡めとった。
「っ、っ、っん、ぁ」
「んぐ、っぁあ、んぶ」
互いの合わさった唇の隙間から、粘性を帯びた水音が響き、くぐもった声が漏れ聞こえてくる。男は必死に押し返そうとするが、わざとなのか偶然なのか、アンリエッタはその度に身体を揺らし、男の手を動かす先に己の敏感な場所へと誘導した。結果、男の手が身体に触れる度にアンリエッタの口から嬌声が漏れ、その度に男は慌てて手を離すを繰り返していた。
そして時間と共にアンリエッタの動きは更に過激に、後戻りが出来ない方向へと走っていく。
それはもう、全速力で、他を圧倒する勢いで。
「―――っぐぅ」
「ぁんっ!」
何時の間にか床に押し倒された男は、しかしやっとのことで下腹部に跨りのしかかってきていたアンリエッタの身体を自身から引き剥がすことに成功した。
口が自由になり、荒くなっていた呼吸を落ち着かせながら、男は自分の身体に跨って見下ろしてくるアンリエッタを引きつった顔で見上げた。
「あ~……淑女としてこの体勢は少しばかりはしたないと思うぞ」
全く、これぽっちも少しばかりじゃないがなと内心で考えながら、男は何とかこの危機から逃れようと必死に思考を巡らせる。
しかし、アンリエッタはそのような暇は与えなかった。
「だめ、ですよ。こんな現実みたいな夢を見ているのですから、何時もと同じ―――いいえ、せっかくです。もっと凄い事をしましょう」
「あ、あの、アンリエッタさん」
ぞくぞくと嫌な予感が背筋を駆け上がる感触に、男が悲鳴じみた声を漏らす。跨るアンリエッタは淫らに蕩けた顔で男を見下ろしながら、ぺろりと濡れた舌で唇を舐めた。
「だから、だめですよ。ちゃんと、何時もみたいに呼んでくれないと」
どこか舌っ足らずな、幼さすら感じさせる口調で甘く囁いてくるアンリエッタ。しかしその声とは裏腹に、蛇が獲物に巻きついて絞め殺すかのように、アンリエッタの足が、腕が、手が、男の身体に回される。
「あ、ああ分かった。アン、いいか、良く聞いてくれ。これは夢じゃない。いいか、夢じゃないんだ」
身体に密着する身体の感触に、男はアンリエッタが現在裸であると悟る。
ベッドから降りた時は、確かに下着を着ていた筈なのに、何時の間にッ!? と男は戦慄する。
男の焦りと混乱は加速していく。
しかし男はこれまでに襲いかかってきた理不尽により鍛え抜かれた精神力により崩れかかった精神を持ち直すと、人質のこめかみに撃鉄を起こした銃を押し付ける凶悪犯と交渉するネゴシエーターのように、男はゆっくりと落ち着いた声で慎重にアンリエッタに話しかける。一つ一つ言葉を区切り、頬に擦り寄るアンリエッタに語りかける男。
男は直感で悟っていた。
時間がない。
このままぐずぐずしていると喰われてしまう、と。
男の直感がガンガンと最大音量で警鐘を鳴らす。
内心叫び出したいほどの焦りに苛まれながらも、鋼のような精神力でそれを押さえ込み、落ち着いた声音でアンリエッタを説得しようとする。
―――が、それは。
「―――それは素敵なことですね、シロウさん」
既に遅きに逸していた。
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…………………
―――――
―――
――
―
「っ―――ぅ、っう、ゾっ、だ……ッ!!」
ゴボリと、血塊を吐き出しながら少年は己の身に起きた現実を否定した。
決して大柄とは言えない身体を、両の手では数え切れない穴を文字通り開けられながらも、自身の身体から溢れ出た血と泥が混じりあった泥濘に溺れながらも、それでも認められないと。
何故ならば、有り得ないからだ。
例えもはや指一本すら動かせなくとも。
例えカチカチと寒さとは異なる理由から身体を震わせながらも。
自分が、自分達が負ける事が―――こんな風に負ける事が有り得ないからだ。
確かに、これまでにも強敵と呼べる者はいた。
追い詰められたことも、なくはない。
しかし―――こんな、こんな一方的に蹂躙されるようなことは、一度たりともなかった。
出し惜しみなんかしていない。
全部―――全て出した―――出し切った。
切り札として用意していた薬も使った。
ジャネットも魔力を使い切るまで治癒魔法をかけてくれた。
なのに、それでも勝負にすらならなかった。
「う゛―――うぞ、だぁ……あり、あ゛り゛ぇな、ぁい……」
ボロボロと涙を流し、血泡を吹きながら否定する。視界の端に、自分と同じように泥濘に沈むジャネットの姿が映る。ピクリとも動かないその姿に、ゾクリと背筋に寒気が走った。
「―――っ―――」
もはや言葉も出てこない。
「―――――――――何処だ」
痙攣するように身体が震えた。
頭上から降りてくる男の声により、身体が震えた。
最強だった自分たちを蹂躙した化物が目の前に立つ。動かない筈の首が、恐怖により動き頭上を見上げた。
空は雲に覆われており、真円を描く双月の光は僅かにしか地上に降り注いでしかいない。そのため、自分を見下ろす化物の姿は見えない。
「―――何処にいる」
問いが、投げかけられる。
正直、耳を震わせる化物の声は、決して不快なものではなかった。それどころか独特の色気を含んだその声で囁けば、どんな女でも一瞬で落とすことが出来そうな魅力的な声であった。しかし、そんな魅力的な声が、今は何よりも恐ろしい。
―――何で、こんなことになったんだっけ……?
赤と黒が混じる泥濘に沈みながら、段々と霞がかる思考中、この化物との出会いを思い出す。
自分たちは……そう、“救国の英雄”と祭り上げられている英雄様を暗殺するために、その英雄様が最近与えられたという“ド・オルニエール”へと向かっていた……その途中で、この化物と会ったんだ。
―――そういえば、あの時もこいつは聞いてきたっけ……。
ちょうどジャネットと今回の暗殺で障害となるだろう人物として、“聖竜騎士”と呼ばれる女の話しをしていた時だった。
この化物は突然現れ聞いてきた―――「その女は何処にいる」と……。
不意に、強い風が吹いた。
その一陣の風は、空を覆っていた雲の一部を動かした。
僅かに空に生まれた傷から、一筋の月光が差し込む。
刃のように鋭い月光が、化物の姿を浮かび上がらせる。
多量の出血により霞む視界でもわかる美貌の中に、赤黒い憎悪に煮えたぎる両眼で見下ろしながら。
両の手に長短二本の槍を持つその男は、問いかけてきた。
「―――アルトリア・ペンドラゴンは何処にいる」
後書き
感想ご指摘お待ちしています。
あ~……今月中に終わらないだろうなぁ……。
次も多分遅くなると思います。
すみませんですm(__)m
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