銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第三十話 疑心
■ジークフリード・キルヒアイス
ラインハルト様が少将になった。しかしラインハルト様は余り納得していないようだった。シンクレア・セレブレッゼ中将を捕虜とした事についても偶然にしか思えなかったのだろう。門閥貴族出身の士官たちも”運が良いだけだ”と口々に評した。
確かに少々運が良かった部分がある。しかし武勲は武勲だ。昇進はおかしなことではない。私は昇進しなかった。ラインハルト様が人事局長ハウプト中将に掛け合ってくれたが、少将の副官を少佐が務めた事は無いと言って拒否された。もっとも私はその事に余り失望はしていなかった。ラインハルト様が昇進したのだから私は十分満足だった。
グリンメルスハウゼン艦隊の将兵たちはそれぞれ昇進したが、周囲を驚かせたのはヴァレンシュタイン大佐だった。二階級昇進で少将になるという。しかしその事を不当だと言う人間はいなかった。ヴァンフリート会戦からヴァンフリート4=2の戦いにおいて大佐の活躍は眼を見張るものがあった。
グリンメルスハウゼン艦隊を事実上動かしていたのはヴァレンシュタイン大佐だったし、グリンメルスハウゼン艦隊はヴァレンシュタイン艦隊だと皆が言っていた。噂ではグリンメルスハウゼン艦隊をこのまま維持し、いずれヴァレンシュタイン中将、大将に引き継がせると言う話もある。ヴァレンシュタイン大佐が今まで以上に評価されラインハルト様と同じ階級になる、私としては複雑な心境にならざるを得なかった。
妙な事になった。私が少佐に昇進した。私はもしやアンネローゼ様が皇帝にお願いをしたのかと思った。そんな事をすれば軍首脳部、門閥貴族達の心証は著しく悪化する。なぜそんな事を、と思ったが私の昇進を推薦してくれたのは意外にもヴァレンシュタイン准将だった。
本来なら准将は、少将になるはずだったが、自らは准将にとどまり、代わりに私を少佐に推薦したらしい。私としては戸惑わざるを得ない、ラインハルト様も戸惑いながらも、”まあ遠慮なく受け取っておこう”と言うだけだった。推薦してもらったからには礼を述べねばならないだろう。准将の邸宅を訪ねなければ……。
准将は私を快く迎えてくれた。柔らかな青のカーディガンを着た准将は軍人には見えなかった。
「今回は御推挙いただき有難うございました」
「少佐がミューゼル少将を良く補佐していた事はわかっています。少将が昇進したのですから少佐が昇進するのは当たり前でしょう」
准将は穏やかな表情で話してくる。本心だろうか? 甘やかすなと叱られたのだが。
「有難うございます。お祝いを申し上げるのが遅れました。昇進なされた由、おめでとうございます」
「有難う」
「失礼ですが、閣下は何故少将への昇進を辞退なされたのですか。昇進に相応しい功を上げられたと思うのですが」
「ああ、あれは私一人でできた事では有りません。ミュラー副参謀長の力が大きかった。ですから二階級昇進ならミュラー副参謀長も一緒に、とお願いしたのです。ですが認められませんでしたので、私も辞退したのです」
「それで小官を変わりに」
「まあ、そうなりますね。気を悪くしましたか?」
「いえ、そんな事はありません」
准将は ”それは良かった” と言うと柔らかく笑った。
「グリンメルスハウゼン艦隊はどうなるのでしょう?」
「解体されるでしょうね」
「解体ですか」
ヴァレンシュタイン准将が引き継ぐ話は無くなったのか……。
「グリンメルスハウゼン閣下は事実上、軍を引退する事になると思います。もう御歳ですし出征は無理でしょう」
「では、准将閣下の次の役職は?」
「宇宙艦隊司令部作戦参謀の内示を受けています。あくまで内示ですが」
宇宙艦隊司令部作戦参謀……軍主流を歩いていると言っていいだろう。
「おめでとうございます、副官は決まったのでしょうか?」
「ええ、ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ中尉が副官になります」
「ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ?……」
女性?、それにしても妙な名前だな?
「ええ、同盟軍、いや反乱軍からの亡命者です」
「亡命者ですか?」
「ええ、今回のヴァンフリート4=2で亡命してきたのです。ただ女性ですのでね、妙なところに勤務するよりは私の副官のほうがいいだろうとリューネブルク少将が頼んできたのです。既にハウプト人事局長に頼んで了承をえています。まあ、私のところへ来たがる副官などいませんからね、ハウプト人事局長もちょうどいいと思ったようです。少佐ならわかるでしょう」
「はい」
若すぎるのだ。二十歳の将官のところに来たがる副官などいるわけが無い。まして准将などという中途半端な立場ではなおさらだ。ラインハルト様も私がいなかったら副官人事では苦労したろう。それにしても亡命者を副官か…。
あのヴァンフリート4=2で亡命者というと内実は捕虜なのかもしれない。リューネブルク少将の顔見知りか。困った少将がヴァレンシュタイン准将に頼んで地位を確保したと言う事か。リューネブルク少将はヴァレンシュタイン准将を頼りにしているようだ。准将もそれに応えている。なんとなく嫌な感じがした。ラインハルト様はリューネブルク少将の力量を高く評価していた。但し、余り好意はもてなかったようだ。俺を子ども扱いすると言って……。
「先程、おめでとうと言われましたが、あまり嬉しい人事ではありません。飼い殺しですからね」
「飼い殺しですか?」
「何をしでかすかわからない人間は、首輪をつけて傍に置いてこうという事でしょう。随分好き勝手をしましたからね」
「閣下の用兵家の力量を買ってのことだと思いますが」
「いいえ、それは無いでしょうね」
そう言うと准将は微かに苦笑した。冗談ではなく本気らしい。
「キルヒアイス少佐、ミューゼル少将にお伝えください。これからの少将にとって大切なのは誰が味方になってくれるのか、誰を味方にすべきなのかを見極め、そして味方を得る事だと。それがミューゼル少将の力になるでしょう」
「はっ。御教示有難うございます。必ずミューゼル少将に伝えます」
私はそれを機にヴァレンシュタイン准将のもとを辞した。本来なら私はヴァレンシュタイン准将にラインハルト様の味方になってくれと頼むべきだったのかもしれない。彼が味方になってくれればリューネブルク少将も味方になってくれるだろう。有能な用兵家、陸戦隊指揮官をラインハルト様の味方に出来たのだ。しかし私はそれをしなかった。彼に断られるのが怖かったのか?、それとも彼を味方にしたくなかったのか? あるいはその両方か? ヴァレンシュタイン准将は私を見送ってくれた。その顔には残念そうな色も、何かを期待する色も無かった。彼は何を考えているのだろう…。
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