Deathberry and Deathgame
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Epilogue -エピローグ-
Returnees
前書き
最終話です。
後半にリーナ視点を含みます。
年の瀬迫る十一月七日。東京都空座町。
昼時でそれなりに混雑している空座本町駅前大通り。その一角にあるパン屋『A B Cookies』の飲食テーブルに着いた俺の目の前で、
「よろしくね、莉那ちゃん!」
「……こちらこそ」
何故か視線の火花を散らしている奴らがいた。
一方はリーナこと東伏見莉那。デカいプレートに山積みになったパンを片っ端から平らげながら、胡乱げな視線を投げかけている。口の周りがクリームでベッタベタになっててかなり間抜けなんだが、今はそこにツッコめる空気じゃない。
んで、もう一方が、ここのパン屋でバイトしている友人、井上織姫だ。モノトーンカラーの制服を着込んだその姿は見慣れたモンなんだが、目が全ッ然笑ってねえ。なのに口元にだけはいつも以上の笑みを湛えているせいで、正直ちょっと怖い。いつかの黒腔で見た卯ノ花さんの底冷えするような笑顔を彷彿とさせる面だ。
おかしい。ここに入るまではリーナはいつも通りだったし、井上も自分がバイトしてるトコに知り合いが来て機嫌が悪くなるようなヤツじゃねえ。なのに、会って目が合った瞬間には、もうこの状態になっちまってた。ワケが分かんねえ。
「……お前ら、実は初対面じゃなかったりすんのか?」
「ううん、初めましてだよ。ね、莉那ちゃん?」
「ん、そう」
「いや、そう思えないレベルの空気の悪さなんだけどよ……」
ちょっと頬を引きつらせながら発した俺の問いかけに、井上は笑顔で、リーナは無表情のままでさらっと答える。険悪な空気でも息は合ってんのかよ。ますます分かんねえっつの。
呆れる俺を余所に、二人の間で会話が進んでいく。
「――そっかー、莉那ちゃんはゲームの中では黒崎くんのパートナーだったんだ。黒崎くんを支えてくれて、どうもありがとうございました」
「貴女に礼を言われる筋合いはない。私は私がしたいように、一護のためになるよう動いていただけ。相棒として共闘し、寝食を共にするのは当然のこと」
「……寝食を、共に?」
井上の顔から、一瞬笑顔と光が消えた、ように見えた。体感温度が一気に五度下がったと感じたのは、多分気のせいじゃねえ。
「ね、ねえ、黒崎くん。どういうこと? リーナちゃんと寝食を共にしてたってことは、つまり、ど、同棲してたって、こと……?」
「同棲とか、ンな仰々しいモンじゃねえよ。フツーに同じ部屋で生活してたってだけだ。ルキアも一時期俺の家に住んでただろうが。アレと似たようななモンだっての」
「で、でも、同じ部屋で寝泊まりは、してたんだよね? どのくらい? ひ、ひと月くらいなのかな……?」
「いや、あのクソゲームに閉じ込められて一か月後からずっとだし……まあ、二年弱ってとこじゃねえか」
「に、二年も…………」
井上が顔を俯かせ、小刻みに震え始める。「男女七歳にして同衾せず」的な怒りなのか。つか、コイツそんなキャラだったっけか。
カフェオレ入りのグラスを傾けながら、どうでもいいことを考えていると、今度は俺の真向かいに座っていたリーナが俺に視線を向けてきた。
「……ねえ、一護。そのルキアって人は、どんな人なの?」
「ルキア? アイツは……まあなんつーか、恩人かつ友人、みてえな感じか?」
「その人は今どこに?」
「すっげえ遠いトコで、なんか忙しくしてるみてえだ」
「同棲期間は?」
「だから同棲じゃねえっつの……ウチにいたのは、全部ひっくるめて大体二か月かそこらじゃねえか?」
「……そう、良かった」
勝算はありそう、とリーナは真面目な顔つきで呟き、食べかけだったBLTサンドを口の中に押し込んだ。勝算って、ルキアとやり合う気かよコイツ。いくらオメーがSAOで最強クラスの短剣使いでも、流石に死神相手、それも副隊長のルキアには勝てねえと思うぞ? 言っても通じねえだろうから言わねえけどよ。
「ね、ねえ黒崎くん」
再起動したっぽい井上が話しかけてきた。相変わらず目が笑ってない。つかコイツ、バイト中なのに俺のトコに居っぱなしでいいのかよ。混んでくる昼時だってのに。
「なんだよ」
「明日さ、黒崎くんの家に行ってもいいかな? 話したいこともあるし、久しぶりに遊子ちゃんや夏梨ちゃんにも会いたいし」
「いいんじゃねえか? 井上が来ると、遊子も喜ぶしな。面倒じゃなけりゃ、またアイツらに勉強でも教えてやってくれよ」
「うん、全然大丈夫だよ! あ、またお菓子の差し入れも持ってってあげるね。何がいいかなあ。夏梨ちゃんは甘すぎるのは苦手って言ってたし、この前はレモンカスタードパイだったし……」
頬に指を当て井上は思案顔を作る。よく分かんねえが、表情は元に戻ったし、とりあえず険悪ムード解消……、
「……一護、どういうこと?」
しなかった。
今度はリーナの機嫌が急降下してやがった。表情が無いどころかマイナスに突入してそうなレベルで欠落してる。最近やっと見慣れた黒髪の下の碧眼が、氷並に冷え切った視線を俺に送っている。
……なんで昼飯食ってるだけなのに、こんな気疲れしてんだよクソッタレ。
SAOクリアからちょうど一年。
リーナの退院記念ってことで連れてきたはずの昼食は、殺伐とした空気のまんま過ぎて行った。
◆
俺が茅場を倒した日、『ソードアート・オンライン』に囚われていた七千人ちょっとのプレイヤーのほとんどは、無事に現実に帰還できていた、らしい。
ほとんど、とか、らしい、ってのは、俺を含めた三百人が別のVR関連の事件に巻き込まれてて、現実に帰るのが遅れたからだ。その余計な一悶着が付いてきやがったせいで、結局俺らが現実に帰れたのは一月の下旬になってからだった。
ったく、現実に帰ってきたかと思ったら別のゲームん中、しかも俺だけ「ログアウト不可プラス死んだら脳みそチン」のルール続行とか、フザけてんのも大概にしやがれ。周りの連中巻き込んでドタバタやった挙句、最後の最後まで足掻きやがったあのクソ研究者の面だけは、茅場以上に二度と見たくねえな。
現実に帰ってきた俺を出迎えたのは、気遣いゼロのヒゲ親父のサバ折りと、遊子夏梨のダブルビンタだった。そりゃそうだ。いきなりゲームの中に閉じ込めれて二年も意識不明だったんだ。一発ブチかましたくなる気持ちは分かる。調子に乗ってクレイジースクリューを叩き込もうと親父が跳躍してきたときは、そっと受け流して窓から投げ捨てたけどな。病院の三階から。
そこからだいたい十日間かけて俺は筋力回復のためのリハビリをやることになったんだが、これがまあ地獄みてえにキツかった。
俺が入院してたのは空座総合病院、つまり石田の親父さんが院長をやってるトコだったんだが、「君は普通の人間ではないから」という理由で、フツーの修行となんら変わんねえようなトレーニングを毎日課せられた。おかげで生身の筋肉やら運動能力、現実での体捌きもほぼ二年前のそれと同じ程度まで回復はできたし、他の生還者連中と比べても異常なくらい早く退院できたのは良かったんだが。ただ、浦原さんに匹敵する石田の親父さんのドS鍛練だけは、もう二度とやりたくねえ。今もごくたまに夢に見るレベルだ。
しかも、退院祝いに来た浦原さんに、
「ま、アタシの義骸技術を応用すれば、身体慣らしなんて一日で終わってたコトだったんスけどね」
とか言われた時の脱力具合はハンパじゃなかった。
なんで最初っからやってくんねえんだよ、と詰め寄ったら、ルキアに止められてたそうだ。「二年間げえむで遊んでおった莫迦者には仕置きとして丁度よかろう」だとか。遊んでねえし、こっちは俺なりにガチで戦ってたっつーのに……ルキアのヤツ、今度会ったら覚えてやがれ。
で、そのリハビリの合間を縫って知り合い連中が見舞いに来てくれはしたんだが、菓子折り持って普通に様子を見に来てくれたのは結局井上だけで、他の連中はまあヒドかった。
「入院中はタマるからな!」とケイゴと水色が『ジャンボ巨乳大王』とデカデカと書かれた十八禁雑誌を差し入れに来たり。
それを見つけた浦原さんが「そンじゃ、コレも必要でしょう」と死神式T○NGAを笑顔で仕入れてきたり。
いきなり現れた京楽さんと乱菊さんが「酒は百薬の長だから」と日本酒片手に宴会始めようとして、七緒さんにまとめて連行されていったりとか。
チャドも石田も海外に行ってるらしく、顔を合わせることは無かった。代わりにチャドから送られてきた幸運のお守りみてえなモノはありがたくもらっておいたが、石田から届いた全文ドイツ語オンリーのエアメールは読まずに捨てた。どんな嫌がらせだよあのクソメガネ。
そんなこんなで二月中ごろには俺は退院できてたんだが、リーナの方はそうはいかなかった。
元々病弱で身体が弱ってたっつうこともあり、車椅子での外出許可が下りるのさえ、四か月以上掛かった。食欲だけは相変わらずで、俺が見舞いに行く度に病院食のボリュームの無さにブーブー文句を言ってたが、それでも一応ベッドの上で大人しく養生してたらしく、ゆっくりとだが確実に快方に向かっていった。
意外だったのが、コイツの家が超絶金持ちだったってことだ。
病室はホテル並みの豪華さを持つ個室で、大部屋に突っ込まれてた俺とは天地の差があった。何でも華族の血筋とか何とかで、本家がある京都じゃ名が知れてる一族らしい。育ちは良いってのに、あの食べ散らかしっぷりはどうなんだか。
幸い、親御さんたちはどっちもすごいお人好しで、ちょくちょく見舞いに来る俺を歓迎してくれてた。ただ、どっちも食が細いらしい。リーナの無尽蔵な食欲の原因は親の遺伝じゃねえようだ。
「……ったく。メシぐれえ平和に食えねえのか、オメーはよ」
「あの特盛女がいけないの」
「井上はなんもしてねえだろうが」
井上が店長に呼ばれてオーダー取りに行くまで延々と続いていたにらみ合いを思い出す俺の言葉に、リーナが少しむすっとした表情を浮かべる。今日は向こうの世界でもよく着ていたような白いニットを着て、紺のホットパンツとタイツにブーツを履いている。まだ松葉杖が外れて半月経ってないせいか、歩くスピードはかなり遅い。ゆっくりとしたリーナの足取りに合わせながら、東京郊外にある小高い丘を登る。
ここは、『ソードアート・オンライン』を開発したアーガスの本社の敷地だった場所だ。茅場があれだけの大事件をやらかしたせいでアーガスは潰れ、その跡地はこうやって解放されている。会社で緑化活動でもやってたのか、郊外とはいえ都会と思えないような緑豊かな緩い上り坂を、並んで歩いていく。
「そう言や、勉強の方はどうなんだよ。なんかこの前、宿題の古文がどうたら言ってたけど」
「そっちはなんとかなった。問題は現代文。評論が本当に意味不明」
「オメーはほんと、文系科目が壊滅してんのな。英語なんて、五十点越えたことねーだろ」
「……貴方の理科科目よりはマシ」
「うっせ」
なんて会話をしながらふと前を見やると、坂の上、俺たちの目的地方向から人が下りてきた。数は三人。
一人はキリトこと桐ケ谷和人だ。
ボトムスもジャンパーも全身黒ずくめの恰好は、SAO時代から全然変わってない。顔立ち含めた全身の線の細さはSAOの時よりマシになってはいるが、それでもやっぱり女顔だ。たつきと並んだら、勇ましさって点じゃあコイツが負けそうだ。
その隣にいるのは、アスナこと結城明日奈。
こっちもこっちで血盟騎士団の制服を彷彿とさせる白いアウターに赤い生地のアーガイル柄のスカートを着ている。こっちで再会したSAO組の中で、俺の髪の毛が現実でもオレンジってことに一番ビックリしてたのがコイツだったりする。
んで、最後の一人は……って!
「チャ、チャド!?」
「……ム? 一護か、久しぶりだな。元気そうで何よりだ」
俺の驚きの声に、チャドは相変わらずの低い声で答え、片手を上げて挨拶を返してきた。ブルゾンに包まれた筋骨隆々の肉体も、全然変わってない。
「いつ日本に帰ったんだよ。見舞い代わりにくれた手紙じゃ、今年いっぱいはメキシコにいるって話だったじゃねーか」
「そのつもりだったんだが……今日は、例のゲームで死んでしまった友人の命日だったからな。墓の場所は知らなかったが、ここに慰霊碑があると聞いた。だから昨日帰国して、墓参りの代わりにここへ来たんだ」
「……ああ、成る程。そういうことかよ」
そういや手紙にそんなことも書いてあったな、と今更ながらに思い出す。
「それで、同じように慰霊に来た私たちと偶々会って、お話してたらなんか打ち解けちゃって、それでここまで一緒に来たって感じかな。最初は寡黙でちょっと怖かったけど、優しくていい人だね、茶渡さんって」
「ああ。口が悪いエギルにも是非見習ってほしいくらいだな」
「それ、キリト君が言えたことじゃないでしょー?」
エギルとチャドが並んでたら、多分誰も近寄らねえだろうな。絵面の迫力的に。
余計な感想を抱きつつ、大体の事情を聞いて俺が納得していると、袖が引っ張られた。見ると、リーナが俺の袖を無言でくいくいと引きながら見上げていた。その顔には分かりやすく「この人だれ?」って感じの表情が浮かんでいる。
「ああ、俺の中学からのダチだ。茶渡泰虎。こんなデカい見た目してるけど、俺と同年代だ。
んでチャド、コイツがこの前手紙で言ってたリーナこと――」
「東伏見莉那です。初めまして」
礼儀正しくリーナが頭を下げる。それに合わせ、チャドも会釈を返した。
「こちらこそ、初めまして東伏見。二年間、一護が世話になったみたいだな」
「ん。本当に、大変だった」
「おい、ちょっとは謙遜とかしたらどうだテメー」
しれっと全面肯定しやがったリーナを睨む。いや確かに世話になったけどよ。
「……ところで一護、その手に持った袋、井上のバイト先に行ったのか?」
「あ? ああ、まあな。コイツの退院祝いってヤツだ」
井上が戻ってくる前に退散した方がいいと判断して、俺は店に備え付けられた紙袋を使って余ったパンを持ち帰っていた。あのままいたんじゃ、確実に第二ラウンドが勃発してたからな。
……ってことを話ついでにチャドに説明すると、横で聞いていたキリトが苦笑して、
「それ、確実に一護が悪いよな」
「私もそう思うかな」
「俺かよ!? コイツらが勝手に空気悪くしたんだぞ!? 俺のドコに非があるってンだよ!」
「男なら言い訳しないの」
「……一護、今回ばかりは、お前が悪い。もう少し、女性に気を遣った方がいいと思うぞ」
「素晴らしい。貴方は話が分かる人」
「なんでソコで結託してんだよ!? 会って一分でその団結力はおかしいだろうが!!」
互いにサムズアップを交わすリーナとチャド。井上と会った時みたいな警戒心とか空気の悪さは微塵もない。ますます意味が分かんねえよ!
晴れ渡った空の下で、俺は一人、頭を抱えることになった。
◆
<Lina>
下で待ってるから、という彼らと別れて歩くことしばし、私たちは目的地である丘の上へとたどり着いた。
短い芝が生えたそこには、黒々とした大きな石碑が鎮座していた。
かつて第一層「はじまりの街」にあった『生命の碑』に似たそれには、SAO事件の犠牲者である約三千人の名前が刻まれている。右半分はアバター名、左半分が実名になっているため、各プレイヤーの本名までは分からない。
「……知ってる名前、ある?」
傍らに立つ一護に問いかけると、彼は数秒の沈黙の後、「ああ」と短く言葉を返した。「他人の名前を覚えるのが苦手なくせに、よく忘れなかったね」と茶化すことはしない。彼が見知った人間の死を忘れてしまうような薄情な人間じゃないことは、共に過ごした長い年月の中で十分以上に理解していた。
それぞれで用意した花束をそっと供え、私たちは黙祷を捧げた。私が知る人、知らない人に、等しい安息を願って。
数分の閉目の後に目を開け、石碑に刻まれた名前の羅列を眺めていると、ふとあることに気づいた。
アルファベット順に並ぶアバター名のHの列、そこにはあのヒースクリフの名は記されていなかった。最後の一護とのデュエルに敗れ、現実世界でも死んでいたはずのあの科学者の名は、犠牲者としては数えられていないようだった。
あの日、SAOの世界崩壊と同時に、茅場は死んでいたらしい。自身の脳に大出力のスキャニングを行う、つまり、自分の意識のコピーを試みることで自殺したそうだ。情報をくれたキリト曰く、確率は千分の一もなかったとのこと。しかし、結果的にそれは成功したらしく、茅場の意識の複製は今も電脳の中に生き続けている、ということになる。
それを知った一護はげんなりした顔で茅場のしぶとさを愚痴り、「ヤツの複製がいるかもしれねえVRMMOなんざ、二度とやるか」と言い捨てていた。私も全くの同意見なんだけど……それがフラグだと思ってしまうのはただの気のせいなんだろうか。
まあ、その辺はさておいて。
私は石碑を見つめながら、死した茅場へと思いを巡らせていた。一万人を自身の世界に閉じ込め、三千もの命を奪い、結局一護に敗れて死んだあの科学者は、今頃地獄の底で、何を考えているのだろうか。
私たちに殴られ、一護にキレられた後に発せられた台詞からも、私以上の無表情からも、感情の起伏を読み取ることは、終ぞできなかった。果たして、自分のエゴを貫いたことに後悔や反省の念を抱いているのか、あるいは言葉の通りに後悔なく死んでいったのか。
別に知ったところでどうともならないけど、でも、少しでも慚愧の念があったのなら、死んでいった三千人とその親族にとって、雨粒程の救いにはなるのでは――。
「――茅場には、後悔の念なんざ一欠片もなかったさ」
心を、読まれたかと思った。
見上げると、一護が少しだけ細めた目で石碑を見やっているのが見えた。悲哀、憐憫、憤怒、寂寥。どれでもないような陰の感情の色が映るブラウンの瞳が、静かに黒い碑の文字列を捉えている。
内心の驚きを隠しながら、私は一護に問いかけた。
「どうして、そう思うの?」
「あの七十五層のボスの部屋で、俺は初めて茅場と戦い、剣を合わせた。時間は短かったけど、でもその間にアイツの剣に触れることができた。そん中で、今まで全然分かんなかった茅場の感情が、刃を通じて少しだけ流れ込んできたんだ。
……アイツの剣には、ただ幸福しかなかった。
表面上は鉄面皮なんて気取ってやがっても、剣は俺にただひたすらに満たされた気持ちを伝えてきたんだ。この世界を創り上げたこと、それに抗うたくさんの人たちがいたこと、そんで、俺とああやって戦えたこと。その全てに、茅場は満足してたんだ。
だから、最期に言ってたことに、多分嘘はねえ。アイツにとっては、自分の世界が出来上がってそれを越えていく存在を見れたことが全てだったんだ」
「……そう」
自分の声が暗くなるのを自覚しながら、私は相槌を返した。呼応するように秋風が丘の頂上を吹き抜け、私の項を冷たく撫でていく。
一護はその風を気にすることもなく、ただ秋晴れの蒼天を見上げて、言葉を続けた。
「俺は今でも納得してねえし、そもそも理解もできてねえ。けど最近は、少しだけ、奴の思ってたことが分かったような気がしてんだ。
アイツがずっとあの世界を作ることを欲して生きてきたなら、茅場はきっと、あの世界の実在を心のどっかで信じてたんじゃねえかと思う。『ソードアート・オンライン』の舞台じゃなく、現実に存在する、剣と戦いでできた鋼鉄の城として。
そして、それを模したあの世界を作って、それを超えたヤツに倒されることを望んでいたんだとしたら、俺に負けることこそが、仮想のアインクラッドを超える存在の証明、つまり、本物のアインクラッドがきっとどこかに在る可能性を示すことに繋がる。アイツはきっと、そんな風に考えてたんじゃねえのかなって、思うようになったんだ」
「……子供みたいだね。夢見がちで、自分の願望にバカ正直なところとか」
「童心を忘れてねえって言えば、聞こえはいいのかもしんねえけどな。それで被害を被る方はたまったモンじゃねえよ」
そう言うと一護は深いため息を吐き、さて、と私に向き直った。
「そろそろ降りようぜ。下でアイツらをずっと待たせてんのも悪いしな」
「ん、分かった」
私は首肯を返し、ふとあることを思いついて立ち止まった。
「……そういえば、一護」
「ん? なんだよ」
「私のこと、いい加減名前で呼んでほしい」
「いっつも名前で呼んでるじゃねーか」
「そうじゃなくて、『リーナ』じゃなくて『莉那』って呼んでってこと。現実世界でキャラ名で呼ばれたら、SAO生還者に確実にバレる」
「名前の間を伸ばすか伸ばさねえかの違いだし、別にいいじゃねえか。つうかとっくにバレてると思うけどな。俺なんて碌に考えてねえから、本名そのまんまだったしよ」
「それでも。私は莉那って呼んでほしい」
他の誰かならともかく、貴方には、そう呼んでほしい。
あの剣の世界に生きた攻略組の短剣使いではなく、一人の女の子として、東伏見莉那として、一護の傍に居たいから。
鈍い貴方にとっては「たかが一文字」なんだろうけど、私にとっては、大きな違いがあるのだから。
一護はいつものようにオレンジ色の髪をガリガリと掻き乱した後、分かったと頷いた。
「んじゃ、行こうぜ莉那。皆が待ってる」
「――うんっ」
自分の芯に、ぽっ、と火が灯るのが分かる。冷たい秋の風も、もう気にならない。
恋は盲目、なんて言うけれど、本当にそう思う。この人といれば、きっとどんな困難も苦にならない。自信を持って言い切れる。彼にとって、私もそういう存在になりたいと、改めて思った。
黒埼一護。
かけがえのない、初恋の人。
現実世界でもやっぱり彼は強く、そして逞しかった。あの二年で失ったものを取り戻し、得たものを手に持ち、現実を強く生きている。
見ているだけで力をもらえる。それほどに、彼の姿は生きる意志に溢れていた。
そんな彼の心に、今の私ではまだ届かない。
けれど、いつか必ずたどり着いてみせる。
この身一片、魂一欠片を尽くして。
焦がれる想いを告げる、その日まで。
――手加減なんて、しないんだから。
覚悟しててね。
「――ね、一護」
「あ? 急に何だよ」
「なんでもない」
微かな笑みを湛えて、私は大きく足を踏み出す。
開けた視界に広がる空は、雲一つなく晴れ渡っていた。
後書き
お読みいただきありがとうございました。
Deathberry and Deathgameはこれにて完結でございます。
これもひとえに読んでくださった皆様のおかげです。本当に、ありがとうございました。
元々この作品は、ちょっとした思い付きから書き始めたものです。そのため、雑極まりないプロットや未確定のヒロイン、定まらない一護のキャラなど、お見苦しい点が多々あったかと思います。
特に基礎的文法や文章の起伏、展開の面白みの欠如、一護らしい行動原理の再現に関しては、書き終えた今でもまだ不十分であると自覚しており、自身の非才と努力不足を反省する限りです。
ですが、こんな拙い作品も、多くの方に読んでいただき、様々な感想やご指摘を頂くことが出来ました。感謝してもしきれません。
また、オリジナルヒロインというBLEACHにもSAOにも存在しない、ある意味最大の「異物」であったリーナは、皆様の声援で成長してこれたと思っております。ややヤンデレ気味になってしまったのは、全くの予想外でしたが……。
そんな彼らの物語はこれからも続く! というような終わり方をした拙作でありますが、続編に関してはほとんど未定です。
一護の言う「一悶着」にあたる原作三巻、四巻分のプロットは少しずつ進めておりますが、それ以降はほぼノータッチです。投稿時期もいつになるか分かりません。
ですが、もしまた一護やリーナが何だかんだで仮想世界のゴタゴタに巻き込まれる話を投稿する機会がありましたら、お暇なときにでも読んでいただければ幸いです。
それでは、また皆様に一作者としてお会いできることを願いつつ、今回はここで筆を置かせていただきます。
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