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蒼き夢の果てに

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第6章 流されて異界
  第134話 弓月桜

 
前書き
 第134話を更新します。

 次回更新は、
 2月10日。『蒼き夢の果てに』第135話。
 タイトルは、『相馬さつき』です。
 

 
 一瞬、風が哭いた。

 冬の属性に支配された風に吹き付けられた彼女の黒髪、緋色の袴、そして白き衣の袂が不穏に揺れ、同時に清楚な彼女に相応しい微かな……。しかし、季節にそぐわない涼やかな音色が俺の耳に届く。
 普段は自身の発して居る雰囲気に作用され、実際の身長よりも小さく感じている彼女。しかし、今はすっと……ごく自然に立った姿からは、柔らかいながらも凛とした雰囲気を発生させている。顎から首筋。そして白衣(びゃくえ)の襟元から覗く肌の色は、夜目にも鮮やかな白。
 繊細な、しかし、よく通った鼻筋。目元に影を落とすように長く、濃密なまつ毛。何時かは触れてみたいと感じるくちびるは少し薄く、やや受け口気味。
 普段と違う……戦闘の際には邪魔になる黒髪を絵元結(えもとゆい)で纏め、妙に似合っている巫女服。白の足袋によく映える赤い鼻緒の草履。
 そして、身体の各所に付けられた退魔の鈴が、彼女が動く度。風が彼女を撫でる度に微かな音色を発し、その分だけ余計に邪気を祓い続けていた。

 成るほど。何故か訳知り顔で小さく首肯いて見せる俺。
 今、俺の視線を独占している彼女をそのまま北高校に連れて帰れば、明日からは女生徒の人気ランキングが大幅に書き換えられる事だけは間違いない。そう考えながら。
 何故ならば、少なくとも俺の目には、冬の夜に佇む彼女の方が朝比奈さんよりも綺麗に見えて居ましたから。
 夜。ぽつり、ぽつりと続く人工の光と、月明かりのみに支配された世界。
 まるで何モノかがすすり泣くかのような音色を伝えて来る冷たい風。
 そして、夜目にも鮮やかな白衣と緋袴(ひばかま)のコントラスト。

 彼女……弓月桜と言う少女が纏って居る雰囲気と合わせて、今の時間と場所は彼女が支配する世界と言う事なのでしょう。

 ただ、何処からどう見てもリアル巫女さん、……なのが如何にも涼宮ハルヒ率いるSOS団の一員だと言う証のような気もして、少しアレなのですが。
 ――実際、彼女の家系から考えるとリアルも何も、巫女姿の方が本来の彼女なのでしょうが、北高に通う連中はそのような事を知る訳はない。故に、巫女さんのコスプレをした弓月桜と言う名前の少女、と言う認識で彼女を見るでしょうから。

「寒いか?」

 振り返り、少し素っ気ない口調でそう問い掛ける俺。
 その時、足元で踏みしめられた砂利が微かな悲鳴を上げ、この静かな、そして不穏な闇に沈む中央公園に響いた。

 ――そう、不穏な暗闇。

 乾燥(かわ)いた大気の層を貫き降りそそぐふたりの女神の祝福(光輝)と、彼女らを取り巻くように瞬く星々の煌めきも、今宵、この地を支配する深き闇を振り払う事が出来はしない。
 当然、ある一定の間隔で建てられた街灯が闇を切り取り、ほんの百メートルほど向こうを時折走る自動車の気配も感じる事が出来る。
 そんな、ごくありふれた冬の夜。

 しかし――

 普段の夜と比べて一段と濃い闇。
 一歩、其処に近付く毎に一歩分。
 ひとつ、呼吸をする毎に、一呼吸分濃くなって行く空気。

 乾燥しているはずのシベリア産の大気が、何故かねっとりとして肌に纏わり付くかのようで少し不快。まるで、これから先に待ち受けている戦闘に対する不安と恐怖。そのような負の感情が、すべてこの闇の中に凝縮しているように感じる。

「大丈夫ですよ」

 武神さんが守ってくれて居ますから。
 少し翳のある笑み。ただ、東洋風の清楚な顔立ち。有希や万結のように妙に鋭角な雰囲気や、ハルヒやさつきのような刺々しい雰囲気もない彼女には、そのような翳の部分もむしろ好材料。

 でも……と小さく前置きをする弓月さん。

「あなたと居ると、何時も頼って仕舞いそうになるから――」

 私は、本当は誰にも頼ってはいけないのに……。
 何時もの弓月桜とは思えないようなはっきりとした声で、そう答えを返して来る彼女。普段の上品な……育ちが良いと表現される言葉使い。甘い……とは言っても、その中に他者に対する甘えのような物を一切含む事のない彼女からすると、これは考えられない状況。
 そう、今の言葉と声の中には、微かな依存。甘えのような物が含まれていたのは間違いない。

 但し、現実に今は真冬の夜中。それも東北地方に属するこの高坂と言う街でありながら、彼女の吐き出す息は白くけぶる事もなく、服装も白衣と緋袴に弓用の胸当てだけ、……と言うこの季節にしては非常に涼しげな服装。
 本来ならば、このような出で立ちで出歩けるような、そんなヤワな気温でない事は間違いない。

 そう、この問い掛けは当然のように確認の意味だけ。少なくとも俺が女性と共にいて、その相手を吹き曝しの中に、何の対策も施さずに立たせている訳はない。
 朝倉さんには、そこを突かれて俺の正体に迫られましたが、それでもこれは俺の主義。これを忘れては、俺のアイデンティティが保てなくなります。

 ただ……。
 ただ、何時の間にこんな習性を身に付けたのか、と問われるとはっきりしないのですが。

 仙術を学ぶ以前――初めて死に直面する前。自らの本名を名乗って暮らしていた時には、そんな事を考えた事はなかった……ハズ。所詮は中学一年生。一般的な男性の内でも半分は出来ていないだろう、と言う妙にフェミニストな行為が自然と出来る訳はない。
 そう考えると……。

「私を気にする必要はありませんよ、武神さん」

 普段の(みそぎ)……身削ぎ(みそぎ)はもっと厳しいものです。
 当然、あなたも知っているでしょうけど、そう言う意味を籠めて言葉を続ける弓月さん。

 何か重要な事を掴み掛けて、しかし、彼女の一言で現実に引き戻される俺。掴み掛けた記憶の断片はするりと指と指の間を抜け、そのまま記憶の奥深くに再び沈んで仕舞う。

 成るほど、確かに神道の禊は厳しい。神道の帰依する神々は、その守護する者たちにも厳しい修行を要求する。
 その点では、タオの神々は大らかなのですが。
 但し……。

「まぁ、神道の禊に関しては少しばかり詳しいかな」

 今回は俺の方も、その禊を行ってからこの場に立って居ますから。
 もっとも、ハルヒに襟のホックを留めて貰い、有希に抱擁されながら物理反射の術を補充して貰ったり、肉体に科学的なドーピングを施して貰ったりしたので……。
 ついでに言うと、食事が昨日一日だけ禊用の食事だったので、こんな付け焼刃的な物が何処まで効果を発揮するのか、……に付いては少しばかり疑問なのですが。

 そう、神道は一切の穢れを払う術で有るが故に、その能力を振るう人間にも一切の穢れを寄せ付けない清を求めて来る系統も存在している。その神道の術を今宵の戦いで行使する予定の俺が、事も有ろうに禊の後に女性と抱き合っていたのですから……。
 矢張り、普段通りに仙術……タオの技能だけで乗り切った方が良かったのかも知れないのですが。

 但し、それが出来ない事情と言うヤツが俺の側に存在して居り……。

 足を止め、しばし見つめ合うふたり。
 形としては有希とふたりきりで居る時と変わらぬ形。しかし、心の形が違う。
 確かに俺の思考が目の前の事柄以外に向かって居る事が多いのは事実。ただ、有希の思考……想いは何時も俺の方へと向いて居たのは確実。

 今は――

 そう考えた瞬間、弓月さんが微かに笑った。普段の彼女に相応しい、少し翳がある。しかし、清楚な雰囲気の彼女に相応しい優しげで――
 そして儚げな笑みを俺に魅せながら。

「私もセーラー服を着て来た方が良かったですか?」

 しかし、その儚げな笑みに続く言葉が、俺のトラウマを微妙に刺激した……のですが。
 矢張り、彼女イコールハルケギニアの大地の精霊王。妖精女王ティターニアなのか――

 あのなぁ……と少し困ったように言った後、

「すまんけど、その顔と雰囲気で冗談を言うのは止めてくれるか」

 それではまるで、俺がセーラー服の美少女を連れて歩くのが好きだ、と言う微妙な性癖があるように感じるから。
 ……と、現実には巫女服のコスプレをした少女を連れ歩いて居る事を棚に上げ、明らかに苦笑と言うべき類の笑みを浮かべて答える俺。俺の周りに居る少女たちは冗談と本気の境界線が曖昧で、本気で冗談のような事を口にし兼ねないのが怖いトコロ。
 有希と万結。それに、キャラは違うけど相馬さつきなどは絶対に冗談を口にしないタイプだと思うし、弓月さんも少し似合わない。
 朝比奈さんは微妙にずれて居るし、ハルヒは俺の前では挙動不審。
 唯一、真面に冗談を言い合えそうなのが朝倉さんだけですから。

 それに、そもそもハルケギニアに居た時に、何故、セーラー服なんだ、と問い掛けた際に彼女の異世界同位体が困ったような顔をして、それは、……と言った後に、視線を背けられた時が、自分自身が本気で、自らの心の奥底にセーラー服に対する何か特別な想いがあるんじゃないかと疑った最初ですし……。

 もっとも、こちらの世界にやって来てからそれが間違いである、と言う事が何となく分かって来たのですが。
 要は、彼女らは自らの事を思い出して欲しかった。そう言う事なのでしょう。
 おそらく彼女らには……最悪でも湖の乙女には俺の記憶がある。多分、妖精女王に関しても、この世界の微かな記憶が残っている可能性があると思う。故に、俺に自分たちの事を思い出して欲しかったから、俺と関わりが深かった時代の衣装で身を包んで居ただけ、の可能性が大なのでしょう。

 ひとつの謎が解け、ひとつの疑惑が払拭された事により、かなり明るい気分で彼女を見つめる俺。
 対して、普段とは違い、確実に俺の事を見つめている事が分かる彼女。

 そう。他人と視線を合わせるのが恥ずかしいのか、それとも別の理由があるからなのかは定かではありませんが、少なくとも西宮に居た時は俺と視線を合わせる事が少なかった彼女が、この高坂の地に入ってからは妙に積極的と成り……。
 何故か俺の瞳を覗き込んで来るようになった。

 その事に気付いたハルヒが妙に突っかかって来るようになり、有希が不機嫌となったのは記憶に新しいトコロ。
 但し、相手の瞳を覗き込むと言う事は、彼女の方も自らの瞳を覗き込まれると言う事。特に俺の場合は……。

 例えばこう言う言葉もあります。目は口ほどに――

「あ、あの、武神さん」

 あまり他人と見つめ合う、と言う行為に慣れていないのか、夜の気配と沈黙。それに、俺の視線に耐えかねたかのような雰囲気で話し掛けて来る弓月さん。彼女としては少し珍しい挙動不審な態度。
 普段の彼女とは違う、しかし、この年頃の少女としては何の違和感も抱かせない……むしろ好意を抱くのに相応しい雰囲気。

 ただ、俺としては別に強い視線を送っていた心算もなかったのですが……。
 矢張り、元々目が悪かった影響から、普段から自然と瞳に力を入れるように見つめる癖があるので、その部分が多少、気の弱い雰囲気のある彼女には問題……威圧感のような物を与えて終ったのかも知れない。

 えっと、とか、あのその、などとあまり考えもなく話し掛けて来た事が丸分かりの言葉をふたつ、みっつと続けた後、

「出会いの日の事を覚えていますか?」

 あの蓮の花の咲く朝の事を――
 深く考えた訳でもない、思わず口にして仕舞ったかのような問い掛けを行って来る弓月さん。

 しかし……。

「蓮の花?」

 少し眉根を寄せながら、思わず聞き返す俺。まして、それは当然。俺と弓月さんが出会ったのは今年の二月。流石に雪は降っていませんでしたが、桜どころか、桃すら咲いていない季節。
 尚、蓮と言うのは夏の花。それに、弓月さんが言うように蓮は明け方頃に咲く花なので、彼女と出会った夜……中学生としては遅い帰宅の時間だとしても、どう考えても蓮の花の咲く朝とは言えない時間帯であった事は間違いない。

 もしかするとそれ以後に、直接会話を交わした()()()、と呼べる邂逅があった可能性も……。

 そう考えながら、しかし、その可能性が薄い事もまた理解して居る俺。何故ならば、もしそんな事があったとしても、その事に関して事前に有希から何らかの説明があったと思うから。
 ハルヒ以外の人間との接触で、忌避しなければならない相手はいない。
 それに、七月七日の夜にこの世界を訪れた際にも、異世界同位体の俺と、弓月桜が接触した、……と言う説明を受けていないし、俺の方から彼女に積極的に接触しなければならない理由に思い当たる物はない。
 ハルケギニアで大地の精霊王、妖精女王ティターニアと関係がなかった、俺の異世界同位体には。

 尚、当然のように、水晶宮の方から渡された資料にも、そのような邂逅があった、などと言う記述はありませんでした。

 俺の反応にかなり驚いたような表情を見せる弓月さん。その表情に微かな哀を感じ……。
 白い頬が更に白く。むしろ蒼白く、と表現して良いほど色を失い……。

 俺の記憶に欠落がある、……と言うのか?

 更に深く、更に更に強く思い出そうとする。視線は彼女の顔に固定。その人間が発生させる気。……雰囲気と言う物も、その人物の魂が発生させている可能性も高いので、記憶の中に残っている、弓月桜と似た雰囲気を持つ存在と、蓮の花に共通する記憶がないのかを。
 こんな事になるのなら、()()を有希に預けるべきではなかった、……と微かな後悔に苛まれながら。

 彼女……弓月桜も未だ花開く前の蕾の状態。ただ、有希や万結のような、目の前に居ても、彼女らの実在が疑われるような儚さや、ハルヒの眩しいまでの生命の輝きも持っていない。さつきの凛とした立ち姿も持っていなければ、朝比奈さんのような、彼女に気付かれないようにそっと手を差し伸べて置きたくなるような危なっかしさもない。
 何処にでも居るような普通の少女。いや、俺の感知能力に彼女の異能を気付かせる事のなかったその隠蔽能力は卓越した物が有るとは思いますが、それでも何処にでも居るような、少しオドオドとした、気の弱い少女の振りをしていた少女。
 全体的な印象としては朝比奈さんに近い。彼女に比べると少し精神的な年齢が高いような気がしないでもありませんが、それでも妙に鋭角な雰囲気がある有希、さつきなどと比べると、色々と少女らしい柔らかな線で造り出されている。

 動物に例えるなら朝比奈さんの場合は小動物系。リスやハムスターなどの小動物系で、ハルヒは明らかに気まぐれな猫。有希と万結は……例えるべき動物がいない。
 そして、弓月さんは本来ならば籠の中で育てられた小鳥……でなければならないのでしょうが、俺が感じていたイメージは……キツネ。この辺りは朝倉さんと同じで、彼女自身に何か隠している部分があるように感じていたのですが……。
 まさか本当に神狐の血を引いているとは思いませんでしたが。

 しかし……。

 ………………。
 …………。
 ……。
 しかし、矢張り俺に取って彼女との出会いは今年の二月。ガシャ髑髏との戦いの際が最初。それ以外の記憶など……。
 そう結論を出そうとして、違う可能性がある事に気付く俺。
 それは――
 今までは、この世界からハルケギニアに繋がる矢印で転生を考えていた。この世界が出発で、ハルケギニアが到着。有希がそうであるように。しかし、もしかすると彼女の矢印は逆向きの可能性もゼロでは……。
 出会いが春の終わりから初夏に掛けてだと考えると、ハルケギニアで妖精女王と出会った頃が丁度その季節だったとは思う。
 ただ、その時に蓮の花が近くで咲いて居た記憶はない。
 彼女との出会いは蓮の花ではなく、紅に彩られた夜。彼女には何度も助けられたが――

 そう考え掛けて、何か違和感のような物を覚える俺。
 一瞬、何か重要な事に気付いたような……。

 巫女姿が板に付いた……。普段の華を感じさせない薄い影のような存在などではなく、清楚でありながら、清冽な印象の強い少女を見つめ直す俺。おそらく、今、俺の目の前に居る彼女が本来の彼女の姿。普段は周囲にあまり強い印象を残さない為に、有希や万結と同じように……とは言っても、極弱いレベルで自らに穏行の術を行使していたのでしょう。
 将来は古い家系の弓月を継ぐ事が確定していて、その時の伴侶すらも自らの意志で選ぶ事が出来ない。普通に考えるのなら、あまり多くの人間の印象に残る学生生活と言うのも問題がある、と言うのは理解出来る。

 ただ、重要な部分は其処では――

「武神さん」

 何かを掴み掛けて、しかし、届かない。そのような、かなりもどかしい状況。
 そのような俺を真っ直ぐに……但し、少しの哀しみを湛えた瞳で見つめる弓月さん。
 これは哀切、と言う感情か。

「弓月や高坂の家が何を考えていたとしても、貴方が気にする必要はありません」

 家に縛られるのは私だけで十分。貴方は、貴方の思うがまま、自由に生きて下さい。
 口調としてはさして強い口調とは思えない口調。但し、彼女の発して居る気配は……おそらく拒絶。

 この短い間に、俺は彼女からこれほど強い拒絶を示されるほどの何かを為したのか?
 思い当たる理由はひとつしかない。しかし、どう考えても俺には――

「今の貴方では、私はスタートラインにも立てませんから」

 少しの笑みを魅せる弓月さん。しかし、その笑みに潜む哀しみ。そして諦観。
 今年の二月、出会った当初に有希が発して居た物と同じ気配。俺と同じ年齢の少女が何に絶望すれば、これだけの諦めを身に着けられると言うのか。

 それに……。

 スタートライン。この言葉の単純な意味を考えるのなら、そのスタートラインに既に立っている人間が居る、と言う事だと思う。

 余程、鈍感な人間でない限り、俺と有希、それに万結の間には何らかの繋がりがある事が理解出来るでしょう。もしかすると、ハルヒとの間にも何らかの繋がりを見付け出せるかも知れない。
 同じように挙動不審となるさつきとハルヒ。このふたりに対する今までの対応について、矢張り多少の差が有った事は間違い有りませんから。

 但し、それならば、何故彼女は、最初、そのスタートラインに立っている、と感じた?
 それに、先ほどは聞き流したが、貴方と居る時は何時も頼って仕舞う……と言っていたが、俺は彼女に頼られた事があったか?
 そもそも、彼女がハルケギニアに転生して来て、俺に力を貸してくれるのは何故?

 偶然の可能性は低い。あのガシャ髑髏との遭遇の際に生命を助けたのは事実だが、それだけでは俺の事を魂に想い出を刻み込むには少し根拠が弱いような気がする。
 今までは漠然と、これから先にこの世界で何か事件が起きて、その際に弓月さんの中に、俺に対する強い想いを抱く何かが起きるのだろうと考えていた……のだが。

「もしかして弓月さんも――」

 輪廻転生を繰り返す魂同士なら、ふたりは何処かで出会っている可能性はある。そして、今生の俺はその中の幾つかの生命の記憶を蘇らされた人間でもある。
 当然、それはかつて俺だった存在が、そうする必要があると判断した結果なのだから、仕方がない事。そもそも、今の生命で前世の経験や記憶がなければ、俺とタバサはあの続いた事件の内のどれかで命を落としていたはずですから。
 ――二人揃って。

 ただ、そうかと言って、今、俺が強制的に思い出さされて(インストールされて)いる記憶がすべてだとは限らない。
 もしかすると彼女は……。

 少しだけ――三歩分だけ先に進み、其処から上半身だけこちらを振り返った彼女。身に着けた鈴が季節感を無視した哀しい音色を奏でる。
 そして、其処から静かに俺を見つめた。
 ――――――
 ――それはまるで幕切れを焦らすかのような間。

 冷たい月の光の下。僅かに翳を作った彼女の髪が揺れる。

「それは秘密」

 貴方自身の力で思い出して。小さく、囁くような声。
 それまでと同じ。しかし、それまでとは明らかに違う笑みを浮かべる彼女。

 そして、

「その時が――」


☆★☆★☆


 黒々とした木々の枝が大きく張り出した水面は、まるで其処が夜の底であるかのように、永劫の闇が深く蟠り……。
 ………………。
 …………いや、違う。其処から感じていたのは闇ですらなかった。
 これは……虚無。其処からは何も……水の存在さえも感じる事はなかった。

 しかし――
 しかし、其処に違和感。何もない、ただ虚無を感じさせるだけの其処から、確かに立ち昇る何かが存在している。

 これは――霧?

 池から立ち昇る異様な気配。これが、この場所に近付くに従って強くなって行った纏わり付くかのような闇の正体。
 霧のように、瘴気のように虚無の中から生まれいずる闇。天津神的に言うのなら天之狭霧神。クトゥルフ神話的に言うのなら無名の霧か。
 闇の粒子が、さながらそれ自体が異界の生物であるかのように蠢き、揺らめき、周囲へと徐々に拡散して行く。

 本来ならば霧と言うのは、此方と彼方の境界線。古来より、深き霧の中を彷徨(さまよ)った挙句に……と言う物語や、証言の数は多い。おそらく、このアラハバキ召喚の術式が始まってからこの高坂の地は、徐々にその境界線。現実界と彼岸の彼方との境界線が曖昧となって来ていたはず。
 そして終に一定のレベルを超えた現在、その境界線を示す異界の霧が、現世(うつしよ)の街を覆い尽くしつつある。
 ……そう言う事、なのでしょう。

 そして、その闇とも霧とも付かない見通しの悪い世界の中心。普通の人間ならば正気では絶対に居られない程の異質な空気。怨恨と呪に彩られた気配に支配された場所。池の畔、表面に何も刻まれる事のなかった石碑……庚申塚のあったはずの個所にその姿はなく、既にまったく別のモノ……何者かを祭るかのような祭壇。四方の榊を繋ぐ細い注連縄。どう考えても日本の神道風の神棚が存在していた。

「やっぱり来たのか」

 十七日月……立待月の明かりと、神籬(ひもろぎ)の四方を取り囲むように焚かれたかがり火の灯りの元、佇むふたつの影。
 ひとつは男性。そして、いまひとつは少女。

「よお、さつき。迎えに来たぞ」

 さっさと、そんな犬臭いヤツなんか捨てて、こっちに戻って来い。
 直線距離にして二十メートル以上、五十メートル未満。公園に植えられた芝生のスペースに入る直前、砂利を敷き詰められた通路の上に立ち、話し掛けて来た犬神使いの方は完全に無視。ヤツの傍に立つ少女の方にのみ話し掛ける俺。
 戦闘前の緊張を一切感じさせる事もない普段と同じ口調で……。

 しかし――

「姉上。姉上は俺の事を見捨てたりはしませんよね?」

 ふたりで一緒に、父上の望んだ世を目指しましょう。
 相変わらず、フードを目深に被り線の細い顎のラインだけをコチラに向け、そう言う犬神使いの青年。
 俺の呼び掛けに対しては無視。そして、犬神使いのその言葉に、ゆっくりと首肯くさつき。ただ、その仕草にかなりの違和感。

 ちっ、厄介な。軽く心の中でのみ悪態をひとつ。予想されていた事とは言え――

「姉上とか言いながら、精神支配か?」

 嫌悪感を隠そうともせず、そう話し掛ける俺。
 但し、これはほぼ演技。何故ならば、ヤツは所詮犬神使い。こんなヤツに、人質の扱いに対して人道的な物を求める事自体に意味がない。まして、コイツが他者の命を何とも思わない存在である事もまぎれもない事実。そうでなければ、他人の生命を生け贄にして邪神召喚など出来る訳がない。
 それに、ハルヒは人間の盾にされ掛けましたし、俺もハルヒ共々、野太刀で両断され掛かりましたから。

 俺の感覚では、平気で人を殺せる……躊躇いなく人間を相手に武器を振るう事が出来る存在は、最早人間ではない。……そう言う括りでも構わない、と考えていますから。
 当然、これは自身に対する戒めでもある。
 そう成りたくないから、無駄になる可能性が高くとも出来る限り言葉に因る交渉から入ろうとし続けている。これには洞統や水晶宮の戒律により義務付けられている……と言う理由以外にも、自分が人間以外の存在へと傾いて行く事を防ぐ意味も含まれている。

 その言葉を聞いた瞬間。
 普段の……教室でそう言うキャラを演じて居る時と同じ顔のさつきに、一瞬、何か別のモノが浮かんだような気がした。
 これは――

 しかし――

「姉上、あなたは優し過ぎる」

 あんな奴の口から出た言葉になど耳を貸す必要などありませんよ。
 俺の言葉を聞いた犬神使いの青年が、妙に優しい言葉で彼女の耳元に囁く。

 成るほど。あの程度の揺さぶりで表面から見ても影響が出て居る事が分かるレベルの洗脳ならば、解除するのはそれほど難しい事ではない。
 元々土行には精神に作用する仙術も存在するので、その系統の術……それがどの様な邪法であろうとも、土に由来する魔法なら俺の木行で剋する事は可能ですが……。

 科学的な方法。例えば薬物などを使用した洗脳でなければ、準備して来た方法で大抵の術の解除は可能か。
 悪い方向へ進もうとする思考を無理矢理に明るい方向へ導く俺。それに、この犬神使いが姿を奪った相手は大学生とは言え文系。少なくとも余程のマニアックな知識でもない限り、薬物を使用した洗脳の詳しい方法など知らないはず。

「一応、信用しとらんようやからもう一度言うけど、今回のアラハバキ召喚の術式は絶対に成功しないぞ」

 一瞬毎に濃くなって行く闇を強く感じながら、そう会話を続ける俺。今の状況では情報が圧倒的に不足している。現在の時間から考えると冬至の時間……つまり、召喚の条件が整うまでは未だ時間がある。
 それならば、少しでも情報を得る方が上でしょう。

 他に仲間がいる可能性もある。別の場所に祭壇が組まれている可能性だってゼロではない。
 最悪、この犬神使いが倒される事によって召喚作業が完了するタイプの術式の可能性すら存在しているぐらいですから。

 しかし――

「信用はしているよ」

 軽く視線を上げて、俺と、俺の右隣に立つ巫女服姿の少女に一瞥をくれる犬神使いの青年。口調も穏やかな物で、これから邪神召喚を行う人間だと思えない程の落ち着きぶり。
 更に言うと、俺がさらっと口にしたアラハバキの名前も軽くスルー。肯定する訳でもなければ、否定する訳でもない。

「姉上の話から考えるとふたりばかり人数が少ないみたいだから、そのふたりが黄泉坂の人間と昨夜のあの女を護っているんだろう?」

 そっちにも兵を送って居るんだけど、それは無駄になっちまったかな。
 何処か、遠く……。おそらく旅館の有る方向を見つめながら、そう問い掛けて来る犬神使い。
 但し、直ぐに――

「そっちは召喚が終わってからでも十分かな」

 ――と続ける。
 生け贄として使用する以外の彼女ら……いや、弓月さんの従姉ではない方。ハルヒの方になら、アラハバキ召喚の生け贄として使用する以外にも使い道はある。
 そして、この目の前の犬神使いが彼女に固執する理由についても思い当たる物もある。何故なら、コイツ……クトゥルフの魔獣としてのコイツの親はハルヒだから……。
 アイツに与えられた属性は神々の母。こう言う、本人同士も良く分からない理由で、ハルヒに固執するヤツが現われたとしても、実は何の不思議もない。

 ただ……。

 矢張り、犬神は送り込んだのか。そう考えを続ける俺。もっとも、あの程度の犬神が相手なら、俺の飛霊と万結、有希では明らかに過剰な戦力を残して来た可能性もあるか。
 ただ、それも程度の問題。もしかすると数万どころか、もう一ケタ上の犬神をヤツが使役出来る可能性もあるので……。

 そう考え掛けて、しかし、其処に違和感。
 それは、ヤツが犬神を送ったとは表現せずに兵を送ったと表現したトコロ。昨夜は確か犬どもとは表現をしたが、兵とは言っていない。これは、もしかすると弓月さんの親戚が営む旅館に残して来た戦力が過剰戦力だと言い切る事が出来ない可能性も出て来た、と言う事。
 確かに、ヤツの言う事をすべて信用する訳には行かない。しかし、例えこれがはったりだったとしても、結局、戦力を動かす事は出来ない。
 昨夜はその油断に付け込まれてハルヒを一度は攫われ、封印寸前まで行った犬神使いに逃げられる結果となったのですから。

 ならば、ここと、旅館以外の場所に付いては……。

 短い思考。その思考の最中も続く犬神使いの台詞。
 それに、……と一度言葉を途切れさせた後に、

「アラハバキを召喚するには他で代用する事も出来るみたいだから、問題はないみたいだし」

 あのニヤけた男が教えてくれたからね。
 本来なら絶対に口にするはずのない内容まで口にする犬神使いの青年。但し、これは俺を警戒させるには十分過ぎる内容。
 そして当然、アイツが何らかの方法で生け贄が代用出来ると言うのなら、それは紛れもない事実なのでしょう。

 アイツ自身が歴史の改竄が出来る事実。更に、アラハバキ自身が自然現象を具現化した神などではなく、怨みや恨みの象徴として存在した神ならば、同じだけの大きな怨みを集める事が出来るのなら、高坂の人間に代わる生け贄として使用出来る可能性はある。

 成るほど。自らが楽しむ為にはアフターケアも欠かさないと言う事か。見た目通り、結構勤勉なヤツだな。
 自称ランディくんは――。そう考え、心の中でのみ軽く舌打ち。
 ただ、もしかすると俺が水晶宮に応援を依頼したが故に、バランスを取る為に犬神使いの方に戦力の増強をしたのかも知れないのですが。
 何故ならば、圧倒的な戦力でどちらか片方が蹂躙される物語など、アイツの好みではないでしょうから。

「さて、そろそろ時間が近付いて来ている」

 結局、今の俺に出来る事を出来る限り、……と考えて打った策は今のトコロすべて不発。つまり、何処かからの援軍を期待する事は難しく、俺と弓月さんのふたりで一番ヤバイ現場をどうにかしなければならない。そう言う事が確認出来ただけだった。

「すべての。父上の望んだ世界がもうすぐ訪れる」

 それまで後少しです、姉上。
 作り物めいた笑みを口の端に浮かべる犬神使い。当然、その声に真実を告げる色を感じる事はない。
 しかし――

 しかし、彼女自身の意志をまったく感じさせない表情で、相馬さつきは首肯いたのだった。

 
 

 
後書き
 ……やれやれ。この伏線も何処かで回収する必要があるな。
 ただ、この伏線。ひも付き……つまり、版権の存在するキャラを必要としない話となるので、外伝どころか、オリジナルの伝奇アクションとして公開した方が楽なのだが。
 関係するのは相馬さつきと弓月桜。それに後の一人は……。
 無理にハルケギニアや、この現代社会を舞台にしなければならない意味はないので……。

 ……と言うか、必要な舞台は日本の平安時代。場所は京都。話の発端は鳥辺野か化野になる可能性が大。
 安倍晴明なんかが活躍した時代。……おっとヤバい。

 それでは次回タイトルは『相馬さつき』です。
 
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