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執務室の新人提督

作者:RTT
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40

 空いている港の一つに、今一つの影があった。
 この港が設置された鎮守府の主、提督である。彼は持っていた小さな折り畳み椅子を広げて腰を下ろし、もう一つ持っていた釣竿を適当に振った。
 海面で揺れる浮きを眺めてから、提督は空へと目を上げた。まばらな雲と、夏ほどには照っていない太陽がそこにある。海面から吹く少しばかり冷たい風に提督は、コートを羽織ってくれば良かった、と思いながら肩をすくめようとして――
 
「お、提督ー、何してるのさー?」

 出来なかった。突如背後から抱きしめられたからだ。提督を後ろからハグする少女は自身の言葉に首をひねったあと、数度軽く咳を払ってにんまりと口を開いた。
 
「ねーねー、なに、なにしてんの? ねぇ何してんの? なに、なに、なに、ねぇ?」
「なんで君たちは姉妹からセリフを取るの?」

 提督は振り返りもしないまま自身に抱きつく少女に声をかけ、あ、と零してから未だ離れる素振りも見せない少女に問うた。
 
「君、本当にどっちなんだろう?」
「さぁ、秋雲的にはどっちもでいいかなぁって思うけど?」

 秋雲――駆逐艦娘陽炎型19番艦、一応の陽炎型の末っ子となっている少女は自身の事であるのにどうでもよさげにそう言った。型は陽炎だが彼女のまとう服装は夕雲型姉妹達と同じ物である。
 一瞥しただけならば間違いなく夕雲型であるが、話してみると如何にも個性的なところが陽炎型姉妹の様でもある。史実でもどちらかはっきりしなかった彼女であるが、艦娘となった現在もやはりなんとも言えない立場であった。が、当人はそんな事どこ吹く風である。
 
「で本当に何してるの?」
「いや、釣りを少々」
「どのスレ?」
「ちげーます、ちげーますですー」

 釣りは釣りでも釣り違いである。秋雲のそれはネットという電子の海で嗜む釣りであって、今提督がやっているのは現実の海での釣りだ。
 提督にとってもっとも相性が良い艦娘というのは数人いるが、この秋雲はその数人の一人である。なにせ趣味の方向が似通っているのだ。インドア派で少しばかり濃い部分を持つ提督にとっては、話が通じる存在と言うのはそれだけで砂漠のオアシスに等しいのだ。
 
「秋雲さんはどうしてこんなところに?」

 鎮守府の主である提督が言うように、この港は"こんなところ"だ。資源が十分にあるこの鎮守府では遠征組が全員回転する必要は無い。せいぜいバケツ集めと減った分の資源を補う遠征だけだ。となると、どうしても空きがちな港が一つや二つは出て来る。この鎮守府の出撃港は十近くあるのだから尚更だ。提督にとっては、だからこそ意外であった。秋雲も提督と並ぶほどのインドア派であるというのに、港にいるのだから。

「それ、提督が言っていいのかにゃー?」
「……あぁ」

 秋雲の言い分はもっともだ。秋雲がここに居る事が意外と言うのなら、提督がここに居ることも同様、意外である。提督に会いたければ執務室へ行け、と言われるほど普段から出歩かない提督が港にいるのである。提督は苦笑を浮かべて鼻の頭をかいた。
 
「僕はちょいと時間に余裕が出来てねぇ、暇つぶしだよ」
「ほほー」
「似合わないっていうのは分かっているから、言わないでいい」
「まぁ似合わないよねー」

 にゅふふふ、と独特な笑い声を上げて秋雲は提督の肩をぺしぺしと叩いた。実に楽しげな様子であるが提督からは秋雲のそんな調子も見えてはいない。ただ、なんとなくそうなのだろうとは彼も理解できていた。この辺りもこの二人の相性の良さだろう。
 
「でもまぁ、そんな似合わない事してたから秋雲に出会えたでしょー? 嬉しい、ねぇ嬉しい?」

 どこか妹――いや、清霜は彼女にとってはこの世界での正式な型的には妹ではないのだが、それに近い存在の真似を再びやりつつ提督に問うた。首の傾げ具合まで真似たものであるが、流石にそれは提督には気付けなかった。
 
「うれしいなー」
「やだこの蒼龍さん飛行甲板全然ない」
「そらあらへんがな」

 平たい男の胸を平然とまさぐる秋雲に提督は呆れ顔で返しつつ、流石に少女としてどうだと思い軽く頭をはたいた。
 
「あいた。なーにーさー。提督がネタ振ったから、秋雲もネタで返しただけだぜーい? 何、放置プレイの方が提督よかったりしたの? よかったりしちゃったのー?」
「放置プレイ言うなし」
「ですしおすし」

 まったく返事になっていない返事を口にして秋雲はまた独特な笑い声を上げた。秋雲は実に楽しそうである。
 
「んで、秋雲さんは、なしてこんなとこに?」
「あぁ、んん、秋雲さん新作開始。でもちょーっとネタに詰まって散歩中。んで、偶々提督見つけて抱きついた。今ここ」
「さいですか」
「ういあ」

 またも返事になっていない返事を口した秋雲に提督は突っ込まなかった。彼はゆっくりと海面を漂う浮きを見つめ、秋雲も提督に合わせてそれを眺めていた。
 暫し静かな時間を過ごして、秋雲は提督の耳の傍で囁いた。
 
「世界は違っても、空と海は同じだねー……」

 どこか哀愁を感じさせる秋雲の言葉に、提督は何も言わず、頷きさえしなかった。簡単に同意するには秋雲の囁きは提督にとって重すぎた。提督の見る空と海は青だが、秋雲のそれは多分違うからだ。炎に焼かれた夕焼けの様な空で、オイルと鉄くずで侵されたどす黒い海で、それが秋雲の双眸を塗りつぶしているとするなら、提督にはもう何も言えることは無い。ただの凡人提督に理解できる世界ではないのだから。
 
「今度のヒロイン、青と白の縞パンでいいかなぁー」
「そうかそうか、つまり君はそういうやつなんだな」
「エミール乙」

 秋雲の趣味は、イラストと漫画である。この港に来たのもそれが煮詰まった結果である。これはこの鎮守府の秋雲だけの特殊な趣味ではなく、秋雲という駆逐艦娘は全員そうなのだ。全員絵描きなのである。ただ、提督は知らないが各鎮守府の秋雲のジャンルは違っている。熱血少年漫画を描く秋雲も居れば、恋愛物の少女漫画を描く秋雲もいる。そして提督の秋雲はと言えば、
 
「で、提督はそろそろ誰かの着替えとか覗けたの?」
「僕が物理的にも社会的にも死ぬんですがそれは」

 こてこてのラブコメを描く。それはもう愛らしい絵で、だ。提督も目にした事はあるが、愛らしい少女が愛らしい少女達のラブコメ模様を描いているという現実に眩暈を覚えて早々に切り上げた経験がある。
 
「えー、提督今の状況理解してよもー、身をはってネタになってくんないと、秋雲こまるー」
「じゃあ今度秋雲さんが着替えてる時間くらいに突撃するわ」
「えー……浜風とか浦風どうよ? どの辺りの時間とか教えようか?」
「姉を売る妹」
「たまげたなぁ」

 提督としては姉達を簡単に売ろうとした秋雲にたまげているが、秋雲は提督に未だ引っ付いたまま、いっこうに釣れない竿を眺めながら首を傾げた。
 
「そーいやさ、提督提督てーいーとーくー」
「はいはい、秋雲さん秋雲さんあーきーぐーもーさーん」
「提督は秋雲達みたいな特典ないの?」
「はい?」
「いや、だから転生特典」
「……あぁ」

 秋雲の言わんとする事を理解して提督は肩を落とした。提督達はこの世界に鎮守府ごと移ってきたという状態だ。が、それは艦娘達の認識で、提督は更にゲームの中の艦娘達がしっかりと日常を過ごしていたという状況からの平行世界らしき場所への転移である。混乱は提督の方が一層酷かったわけだが、それももう終えた話だ。彼はその辺りは特に触れず暫し黙り込んだ。
 その沈黙を嫌ったのか、それとも気を回したのか、秋雲は提督を更に強く抱きしめて口を開いた。

「いやー、秋雲達ってば強くてニューゲームの無双だぜー? 提督もそーゆーのなんかなーい? ほらステータス見えるとか、実はSクラスの実力があるけどBランクくらいで満足してる的な」
「提督にはそーゆーのないなー。僕は僕のままってもんさ」
「えー……なんか欲しくはなかった?」

 秋雲の声は、意外なことに真面目である。真剣な相であるのか、そうでないのか。後ろに目の無い提督には分からぬ状態だ。ただ、真剣な声にふざけて返す事は提督もしなかった。
 
「いや、一個あるかな」
「お、本当?」

 嬉しそうな秋雲の声に、提督は我知らず微笑んだ。彼を思い彩る秋雲の相が喜びであった事に、彼もまた喜んだのである。
 
「秋雲達が僕のチートだなぁと」
「……あぁ、仲間チート系か……いや、組織チート系?」
「それそれ」

 提督当人の身体や能力になんら特典もないが、彼の艦娘達とこの鎮守府がそれを補って余りある状態でこの世界に在るのだ。提督は十分に恵まれている。少なくとも、彼はそれ以上求めるつもりは無い。あと彼が欲しい物と言えば、平穏くらいだろう。
 何せ宴会を開けば初手轟沈、次檻で見世物である。しかもどちらも彼にとってのチート部分である艦娘によってなされた行為である。実に駄目な特典である。
 
「なるほどなー。でも提督あんまそーゆーの言わないよねー? それ皆にも伝えてあげたら喜ぶと思うけども?」
「その結果金剛さんにまた轟沈されろと言うのか」
「あっ」

 察した秋雲はそれ以上何も言わず顔を背けた。勿論提督には見えていないが、なんとなく分かるものである。彼は肩を落とした。この鎮守府に所属する艦娘は、提督に対して少々……いや、かなり感情的だ。悪い方にはあまり向かわないが、嬉しいことがあると直ぐ行動に移す傾向にあるのは確かである。駆逐艦娘や金剛等はその筆頭であると言っていいだろう。
 提督からすればそれで一応納得しているが、艦娘達からすればその程度ではない。今になってやっと触れ合えるのだ。今はまだそれで満足しているだけである。今はまだ。
 
「あぁもう、君達も女性なのだから、安易に異性に触れていいものじゃあないと僕は思うんだけれどもねー……」
「現状」
「うん、秋雲さんにものっそい抱きつかれてますけどね?」

 事実である。提督が口にした内容と、現状は大きな隔たりがある。異性に安易に触れるなと提督は言うが、今の提督は秋雲に後ろから抱きつかれたままだ。
 秋雲からすれば安易ではないのだから、何を言われても離すつもりはないのであるが。
 
「そういやー、今日も龍驤さんにハグされまくったの?」
「おうともさ」

 何故か胸を張る提督に、秋雲はまたも個性的な笑い声を上げて返した。龍驤という軽空母娘も秋雲同様、いやそれ以上に提督と相性のいい艦娘である。秋雲にとっては本当に頭の上がらない先任であり頼れる姉貴分である。そんな龍驤が、いつ頃からか提督に対してのスキンシップが目立つようになってきた。廊下ですれ違えば抱きつき、食堂で座っている提督の頭を撫で、出撃前の顔見せではハグ、である。
 
 秋雲や龍驤のような相性の良い艦娘との触れ合いは、提督にとってもある意味で癒しだ。一人違う場所に来てしまった彼にとって、艦娘は温もりであり癒しでもあった。無償で愛した存在達からの暖かさだ。そこに安心感を感じられないほど提督は冷たい人間ではない。
 相対的に度々見かけられる山城の藁人形と五寸釘が似合いそうな姿も現在の鎮守府にはあるわけだが、結局それのケアも夜の執務室のホラー鑑賞等で行われているので、現状は確りと維持されている。提督の平穏は若干置き去り気味だが。
 が、それでも徐々に変化はある。
 
「あぁでも、今日は夕立さんとか文月さんにもハグされたなぁ」
「そりゃーねぇー」

 頼れる古参の姉貴分がやるのなら、自分も、という事だ。これは龍驤の真似ではない。ただ彼女たちにとってすべき事を龍驤に教えられただけである。
 
「一応二人にも、さっき秋雲さんに言った事と同じ事を言ったけど、あれは伝わってないなぁ」

 提督は当時の二人を思い出しながら零した。二人とも首をひねって疑問符を頭の上に浮かべていた。言葉を理解していないというより、その行為の何が駄目なのか分かっていないような様子であった。それはそうだろう。彼女達もまた、安易に抱きついたわけではないのだから、提督の言葉を理解できるはずも無い。提督もまた彼女達のそういった部分を理解できていないのだから、なんとも悲しいすれ違いである。
 
「あぁ、ビギナーズラックなんてないもんだ」
「おや、坊主でフィニッシュー?」
「残念ながらねぇー」

 提督は垂らしていた釣り糸を巻き戻し、肩をすくめた。そのまま、前を見たまま彼は続けた。
 
「ありがとうね、秋雲さん」
「うん?」

 首を傾げる秋雲に、提督は顔だけ振り返って笑った。
 
「来たときは寒かったけど、今は暖かいよ」
「……うん、秋雲も今は暖かいよー」

 秋雲は提督をまた強く抱きしめた。提督がそう思っているのなら、今はそれでもいいか、と思いながら。 
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